アナ・ログ

好きな香り

佐藤 拓雄

2018/07/04

我が家は、一家5人、かなり香り・においに敏感です。

窓を開けているとき、どこかの「ホタル族」のたばこの臭いが少しでも部屋に入って来るや、ほぼ全員が同時に「タバコくさいっ!」と言って顔をしかめます。

よいにおい、特に食べ物のにおいに、並外れた臭覚を持つのが、妻と長男。
妻は、子どもの頃、玄関を開けた瞬間に、母親がマドレーヌを焼いたことに感づき、においだけをたどって棚の中にしまってあったマドレーヌを見つけ出したといいます。警察犬か!
長男は長男で、帰宅した玄関先で、その日の晩ごはんを当てていました。

私はさすがにそこまでではありませんが、鼻は敏感です。
私の場合、どちらかというと、嫌な臭いに敏感なので、例えばエレベーターで服の生乾き臭のする人と乗り合わせてしまったとか、不快な思いをしながら耐えていることが多い気がします。
花の香りもあまり好きではありません。花粉を吸い込むようなイメージで、鼻がむずがゆくなってしまうのです。

さて、本題の「好きな香り」。
ごく普通のものとしては、
コーヒーの香り。これは飲むより香りの方が好きなほど。
パン屋のにおいもいいですね。
お店つながりで言えば、本屋。いるだけで気持ちが落ち着くというか。
寿司屋。酢飯のにおいと、清潔なまな板やカウンターの木の香り。
・・・また、枕草子的な羅列になってしまいました。

そうそう、寺田さんが書いていたように、我が子のにおいも大好きです。
特に乳児期は、だっこしながら、クンクンかいで癒されていました。ミルクくさいというか、なんと表現したらいいのか・・・。
今はさすがに、上の子ども2人は、もはや大人と同じなので、においをかぎたいとは思いませんが(笑)、小3の次男はまだまだ子どものにおいがします。でも、抱きしめて匂いをかごうとすると、全力で拒否されるので、眠っているときにかぐのが毎晩のルーティンです。・・・なんかこう書くと、変態ですね。

【写真】粽は笹の香りがたまらないですね。祖母から母へと受け継がれ、母が亡くなった今は、なんと父が毎年作っています。

明日は、金澤アナウンサーのお話です。

落ち着く時間

佐藤 拓雄

2018/06/20

【写真】梅雨の晴れ間の通勤路。イチョウの緑と青空の眩しさ!目と心が洗われた気分でした。


さて、落ち着く時間。

確認ですが、これは、冷静だとか、人物としてゆったり構えているとか、そういう話じゃありませんよね。
「あー、のんびりするなあ」という話ですよね?

だとすると、そのようなものは一体いつあっただろう、というくらい、私には縁のないもののような気がします。
いくら考えても、このテーマに相応しい話題が全く思い浮かびません。

今テレビをつけていたら、「何もしないのが贅沢でしょ」とカレーのコマーシャルで反町隆史さんが言ってました。
それは頭では分かりますし、そんなことを言ってみたい、そんな時間を持ちたいととても思いますが、何もすることがないなら、せめて本を読むか、レコーダーにたまってしまったドラマを見るか、何かしないと、と思ってしまう私です。

だいたい、貧乏性で小市民、しかも実は意外とせっかちという私が、落ち着く時間を持とうということ自体が無理なのかもしれません。
情けない話です。

かといって、いつも忙しそうにしていたり、「寝てない自慢」をしたり、スケジュール表をびっしり埋めないと気が済まない、というタイプの人間ではない(と自分では思っている)ので、こうしてあれこれ考えてみると、結局そのいわゆる「落ち着く時間」への憧れは強いのだ、ということを自分の中で再確認できました。

だからなんだ、という話ではあります。
今回は、ホントに中身がなくてすみません。

そういえば、小学校低学年の頃、通知表にいつも書かれていたのは「落ち着きがない」でした。そんな私が落ち着くわけないか???

明日は高橋咲良アナウンサーです。

最近のマイブーム

佐藤 拓雄

2018/06/01

「マイブーム」という言葉を生み出したのは、みうらじゅんさん。
そのみうらじゅんさんが「仏像大使」を務める「東大寺と東北」展に行ってきました。

入り口にいきなり東大寺大仏の右手【写真】。
もちろんレプリカですが実物大です。ここは写真撮影OKということで、すかさず1枚。

さて、展示物は、国宝17点をはじめとする、貴重な寺宝の数々。
このなかで、私が目を奪われたのは、「源頼朝書状」。国宝です。
源頼朝の書いた(!)手紙です。いやーすごい!
驚きポイントが違いますかね?ま、それは人それぞれということで。
ともかく、これ頼朝が触ったのか!と思うとゾクゾクしてきました。
だって、源頼朝ですよ!頼朝!
「いい国作ろう鎌倉幕府」ですよ!
・・・あ、今の教科書では、鎌倉幕府は「1192」じゃないらしいですね。

書状の中身は、焼失した東大寺の再建に奔走する重源上人に、自分も協力する気持ちだから、という内容、だったはずです。
頼朝は、「奥州藤原氏にも協力を要請したらいい」というようなことを言っていましたが(涌谷町で金が出てますからね)、その後、奥州藤原氏を滅ぼしてしまうという、東北人としては、なんだひでえヤツだな、と感じたりして。
これまたレベルの低い感想ですみませんが、まあとにかく、頼朝の書状でしたね、私にとっての「東大寺展」は。

そんなわけで、かなり興奮した東大寺展でしたが、「仏像や東大寺がマイブーム」とまで言うと言い過ぎな気がして(すみません)、最近のマイブームは、「梅しそ」味の柿ピーです。
失礼しました。

次は、牧アナウンサーのマイブームです。

記憶に残るニュース

佐藤 拓雄

2018/05/23

まずは写真から。
今月20日の朝、「青葉祭り」の交通規制に見事に引っかかってしまいました。お神輿が通るまでの15分ほどでしたが、足止めにあって運が悪いのか、それとも、お神輿を見られて縁起がいいのか。
後者ということにしておきましょう。


さて、幼少の頃、「ごらんしんぶん」というものを自分で発行していました。

と言うと、大それたことのように思うかもしれませんが、B4の紙1枚に絵と文字で記した、絵日記のようなものです。
タイトルは、新聞風に書いていました。

なんでそんなことを始めたのか、全く記憶がありませんが、両親によると、3歳の時に突然書き始めたそうです。

タイトルの由来は、「ゴラン高原のPKO派遣」・・・ではありません、もちろん。
これも、両親によると、「みてごらん、よんでごらんだから、『ごらんしんぶん』なんだよ」
と3歳の私は答えたそうです。

思いつきの割には長続きしたようで、毎日ではありませんでしたが、3歳ごろから小学校入学前くらいまで書いていたはずです。
相当な枚数が我が家の物置のどこかに保管されています。

で、その記念すべき第1号が、

「ふねがしずんだ
 ひとがしんだ」

という衝撃のニュース。
大きな文字で、これだけ、です。
絵日記でも何でもありません。本当に新聞でした(笑)
なんでそんなことを書いたのか、今の自分には全く理解できません。

今ネットで検索してみると、この当時、確かに複数の人が亡くなった船の事故があり、このことを書いているようです。
3歳で文字と文章を書く神童ぶりはさておき(冗談ですよ)、
当時の私にとって、相当「記憶に残るニュース」だったのでしょうね。

ということで、お題にたどり着きました。

明日は、牧アナウンサーの記憶に残るニュース。
何でしょうね。

私のこだわり

佐藤 拓雄

2018/05/16

「こだわり」というこの言葉。
もともと「些細なことを必要以上に気にする、拘泥する」というマイナスの意味ですよね。
それが、「細かいところに気を配って価値を追求する」というようなプラスの意味で言われることが多くなり、辞書でも「新しい言い方」などと注をつけて意味として採用しているものが出てきました。
誤用から始まって一般化してきたのだろう、と言われたりしています。

確かに、言葉の意味は変化していくもの、ではありますし、これだけ当たり前に使われるようになると、プラスの意味を完全否定するものでもないと思います。
が、私は、注意して使いたいと思っています。

本来とは正反対と言えるような意味合いですし、プラスの意味の「こだわりの○○」という表現が多すぎませんか。常套句になって、表現があまりに陳腐化しているのも気になります。

・・・と、こういう風に書けば書くほど、「そんなことにこだわって・・・」という声が聞こえてきそうなので、このへんでやめておきます。

【写真】は、先日の「トリックアートinせんだい」にて。次男(小3)が撮影してくれました。トリックアートに収まるには演技力が必要ですね。大勢の人に見られる中で、少々恥ずかしいところもありますが、それでは面白くないので。

今回のお題はこれでおしまい。
明日からは新たなお題で、新人の西ノ入アナウンサーからスタートです。

出会いました

佐藤 拓雄

2018/04/25

去年のことですが、関西に出張し、帰り便まで時間があったので、ふと、古墳を見に行こうと思い立ちました。

日本史の教科書にも出てくる、超有名古墳、「大仙陵古墳」。仁徳天皇陵と言われる、日本最大の前方後円墳にして、世界最大の墳墓。クフ王のピラミッドよりも、秦の始皇帝の墓よりもはるかに大きいそうです。
そんなにすごいものをこの目で見ずにはいられない、というわけです。今まで見に行こうとも思わなかったくせに、というツッコミはご容赦ください。とにかくそのタイミングで見に行きたくなったのですから。

大きすぎるので、近くに行くとかえって何も見えないことは承知しつつ、近くでその大きさを実感したい、という気持ちで、大阪市内から電車を乗り継ぎ、行ってきました。

当たり前ですが、あきれるほど大きいですね。端から端が電車一駅分ありました。
駅を降りて歩道橋から見てみても、何となく森のような感じがあるばかり。真正面まで行ってみても、そのあたりはさすがに整備されているのですが、これまた、向こうの方に鳥居があって、その奥に森?小山?があるという感じ。中には近づけません。

その巨大さを実感すると同時に、1500年以上も前に、当時の人たちは、これほど大きなものを一体どうやって作ったのか、そんなことに思いを馳せるには十分でした。
もうひとつ、ゾクゾクするのは、そういう遥か昔のものが、今も目の前に存在する、という事実。しかも、古墳の周りは、電車が走り、道路が通り、住宅が立ち並ぶ現代の普通の町ですが、古墳だけはそこに1500年以上存在し続けている。そこだけ別の時間が流れているようにも見えました。

時間もあまりない中でしたので、ぐるっと一周というわけにはいかなかったのが残念でしたが、その近くの食堂に立ち寄り、出会いました!
写真のカレー、見たまんま、「古墳カレー」です。このカレー、かなり美味でした。スプーンがスコップ型という芸の細かさ。古墳見学と合わせて、リピートしたいほどです。

結論までずいぶん時間がかかりましたが、今回はこのへんで。

次は、牧アナウンサーの「出会いました」です。

わたしの習慣

佐藤 拓雄

2018/04/09

「早寝早起き朝ごはん」
この標語のままの習慣を、自分の子どもたちに身につけてほしいと思っています。

今の自分自身は、大体この「早寝早起き朝ごはん」の生活習慣です。特に、朝ごはんを食べない日はありません。
早寝早起きは、単に年を取ってきたから、という説もあります(笑)

とにかく、子どもたちにも、「早寝早起き朝ごはん」であってほしい。と思って、そうなるように、あれこれ言ったりやったりしています。

ですが。

私は大学に入った時に独り暮らしを始めました。
最初の頃は、張り切って自炊をしていましたが、少しずつ頻度が減り、いつの間にか、朝食をとらないという、よくない食習慣になってしまっていました。
今考えると、本当に情けない話です。
それを知った母親には、「20年近くかけて朝ごはんを食べる習慣をつけてきたのに」とため息をつかれました。
ちなみに、朝ごはんの習慣が戻って定着し今に至るのは、妻のおかげです。

ともかく、私自身の、このお恥ずかしいエピソードを思い出すにつけ、親が一生懸命つけてやろうとした良い習慣を、子どもはあっさり捨ててしまうことがあるのだろうなと、力が抜けてしまう思いになります。

この春、大学に入り独り暮らしを始めた長男は、どんな良き習慣を捨て去り、どんな悪習慣を身につけてしまうのか。
信用しないわけではないけれど、心配でもあり、無力感もあり、といったところです。

明日は、牧アナウンサーの「習慣話」です。

【写真】仙台放送アゴラカフェの入り口近くに咲く桜です。これは先週。満開の手前といったところでしょうか。

新年度!

佐藤 拓雄

2018/03/30

写真は、毎年見事な花が咲く、家の近くの枝垂桜。今朝の様子です。
ここ数日の暖かさで、つぼみが一気に膨らんできました。
仙台の桜の開花は例年新年度になってからですが、今年は早まりそう、というニュースも入ってきました。
ひょっとすると、新年度を迎える前に咲くかもしれないですね。


さて、前回書いたように、この新年度から、長男が大学進学で独り暮らしを始めることになりました。

この3週間近くは、新年度を迎える、その準備あれこれが、我が家の中心になっています。
本当に、時間を使い、体力を使い、そしてもちろんお金を使うなあ、というのが親としての実感です。
これほど慌ただしく落ち着かない状態で新年度を迎えるのも一体いつ以来だろう、というくらい。寂しさ云々より、慌ただしさばかり感じての新年度突入となりそうです。

家族が一人少ない毎日というのは、どんなものなのか、ちょっと想像がつきませんが、それが我が家の新年度です。


さて、この新年度も、仙台放送は、新しい仲間を迎えます。
今年、アナウンス部には、女性一人が加わります。
例年通り、すでに今月から研修を行い、4月2日の入社式を心待ちにしている、社会人一年生。
次回のアナ・ログは、その入社式当日、今年の新人アナウンサーが、初めてアップします。
皆様どうぞよろしくお願いいたします。

卒業

佐藤 拓雄

2018/03/19

まずはご報告。
今年度の「FNSアナウンス大賞」で、仙台放送の牧広大アナウンサーが、新人部門(3年目までが対象)で1位の「アナウンス賞」を受賞しました。写真は、先週行われた、その表彰式です。
本人だけでなく、アナウンス部、また、仙台放送全体にとっても、とても良いニュースになりました。

さて、本題です。

この春、長男が、大学進学で独り暮らしを始めることになりました。言うなれば、私たち親の元からの「卒業」です。

私自身も、大学進学とともに親元を離れて独り暮らしを始めました。結局その後も実家に戻って暮らすことはなかったので、長男もそうなのだろうな、となんとなく思っています。
生まれたときは、子どもとの暮らしが一生続くような気がしていたものですが、ここまで一緒に暮らした時間は19年ちょっと。親と子の濃密な時間は、本当に一瞬なのだと思い知らされます。

こうして、親と子はそれぞれの立場を「卒業」していくのでしょうか。
同時に、自分の親もそんな心境だったのだろうか、と思いを馳せたりします。

親なんて本当に無力なものだと、改めて思い知らされながら、、長男に明るい未来が拓けるよう、離れた所から見守り、祈るだけ。今年の春は、そんな「卒業の春」となりそうです。

とは言っても、もちろん、自分で生計を立てるようになるのが、本当の「卒業」でしょうから、仕送りをしている間は、私たちが保護者であることに変わりはありませんし、まだ下に2人子どもがいますので、まだまだ「親・卒業」とはいきませんが。

明日は、高橋アナウンサーです。

東日本大震災7年

佐藤 拓雄

2018/02/27

7年前の震災直後、被災地を取材しているときに偶然出会った僧侶の方から、
「一隅(いちぐう)を照らす」
という言葉をいただきました。
天台宗の開祖・最澄の言葉で、一人一人が自分の持ち場をしっかり果たすことで社会がよくなる、という意味だそうです。

あまりにも大きすぎる震災の被害を前に、無力感を覚えることも少なくない中で、この言葉は、非常に自分の心に響きました。
私のできることは小さくても、私のすべきことははっきりしています。
そのすべきことをしていくことが、必ず復興につながっていくと思うことができ、改めて、震災後のこの宮城で、地元のテレビ局の人間としての自分の使命を果たすことこそが重要なのだと確信できたような気がしたのです。

それ以来、この言葉は、私の座右の銘になっています。
震災に限らず、あらゆる場面で、自分の「持ち場」は何か、ということを考えるようになりました。

先日、大雪のあと、通勤路を歩いていて、またこの言葉を思い出しました。
歩道の雪が、きれいに片づけられているところと、反対に雪かきを全くせず凍って非常に危険なところ。
その歩道に面した建物の人が雪かきをしたかしないか、ということですが、ああ、これが「一隅を照らす」だなぁと。
それぞれが持ち場の雪かきをすれば、どこも凍らないだろうに、と妙に納得してしまいました。本来の言葉の意味とは違うのかもしれませんが。

それはともかく、この7年で、私の「持ち場」も少しずつ変化してきていますが、復興の道のりの中で、その「持ち場」をしっかり見極め、役割を果たしていきたい、という思いが変わることはありません。

【写真】仙台市の震災遺構、荒浜小学校です。津波の被害を受けた校舎には、津波・震災というものを一瞬で直感させられます。

明日は、稲垣アナウンサーです。

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