アナ・ログ

子どもの頃の遊びと言えば

佐藤 拓雄

2014/07/31

小学生の頃は、好きなこと・したいことがたくさんありすぎて、いつも「もっと時間がほしい」と思っていました。

学校から帰って外が明るいうちは、団地の芝生で友達と野球、サッカー、ときにはバットで「ゴルフ」。
家に帰れば、マンガを含め多読乱読の本の虫、当時流行ったヨーヨーの練習も熱心で、それから、出始めたばかりのLSIゲームや「ゲーム&ウォッチ」も、兄弟でいろいろ買い集め、代わる代わる熱中していました。
あまりに時間がほしくて、毎日のように読書のために早起きしたりと、今思うと、本当に楽しい充実した日々だったなあ…

そんな中でも、かなりハマっていたのが、切手収集。当時、少なくとも私の周囲では、ちょっとしたブームでした。「切手集め」ではなく「切手収集」と言うところに、小学生なりのプライドをもっていました(笑)
生まれ持ってのコレクター傾向と、なんでもすぐに本格的にのめりこむ性格も手伝って、けっこうな時間と、なけなしの小遣いの大半を切手に使っていました。
暇さえあれば、切手の整理、カタログながめ、そして、切手雑誌や切手の本を隅から隅まで熟読。
プレゼントや、読者同士の交換コーナー、読者便りなどにもいっぱい応募しました。
当時の切手雑誌には、何度か当選者などで「東京都 佐藤拓雄」の名が載りました。
さらには、コレクションとその整理・見せ方の質を競い合う、ジュニア向けのコンクールにも出品しました。佳作止まりでしたが、ない知恵を絞って、計画的に作品をまとめた記憶は今も残っています。すごい集中力でした。

中学校に入ってからもしばらくは続けていましたが、そのうちになかなか時間がなくなり、周囲の友達もなんとなく切手から離れていき、いつのまにか切手収集はフェイドアウトしてしまいました。
今となっては、切手収集は、自分の今の生活と照らし合わせると、最もハードルの高い趣味の一つかもしれません。

写真は、当時のコンクール応募作品。タイトルは、「アメリカ 書状・基本料金用の切手」。マニアックですかね(笑)
コレクションはすべて物置で塩漬け状態ですが、ちょっと引っ張り出してみました。

明日は稲垣アナウンサーです。

お気に入りの旅行先

佐藤 拓雄

2014/07/04

写真は、6年前の夏に家族で旅行した石垣島での一枚です。
後ろ姿の子どもたちはまだ小さく、末っ子はまだ生まれる前でした。
台風接近中で、空が鉛色ですが、海はこの色!
食べ物がおいしかった、オリオンビールもおいしかった!そして、景色が最高だった!
何年たっても、また行きたい、と思う旅行先の一つです。

この旅行に行った頃は、またいつでも行ける、と思っていた家族旅行でしたが、子どもたちが大きくなるにつれて、なかなかタイミングがなく、テーマパークへの一泊旅行は別としても、家族で「旅行らしい旅行」に行ったのは、これ以来なく、現在に至ってしまっています。

それにしても、
学生の頃は、時間はあってもお金がなく、
社会人になると、お金はそこそこあっても時間がなく、
結婚して子どもが生まれると、お金も時間もなかなか捻出できず、
さらには全員揃ってということ自体が難しく、
将来を考えてみると、年金がどうなるか分からない中で、定年後にのんびり旅行、なんて現実味が乏しく…
本当に、旅行って行けないものだなあ、というのが最近の心境です。

さらには、一生のうちで、世界のほとんどの場所には訪れることができないのだ、ということに、去年あたりに気がつきました。気づくのが遅いですか。

どんどんさびしい話になってきましたが、そんな私の最近のお気に入りは、旅番組。
なかでも、「世界行ってみたらホントはこんなトコだった」とか、「にじいろジーン」の「地球まるごと見聞録」などが好きです。
外国の、観光地としてはあまり有名でない場所の風景だったり、そこの普通の人の暮らしや文化だったり、テレビででも見なければ、おそらく一生知ることもなかっただろう、というところを見るのがいいんです。
こんなところがあるのか。こんな人がいるのか。こんな食べ物があるのか。
世界は広い。その世界を、間接的にでも垣間見られる。やはりテレビって素晴らしい!テレビありがとう!
決して大げさではなく、本気でそんなことを思ってしまう、私の人生は、やはりさびしいでしょうか?

次回は金澤アナウンサーです。

水無月です!

佐藤 拓雄

2014/06/26

5月半ばから梅雨入り前ごろまでの仙台が好きです。

なかでも定禅寺通の新緑は本当に清々しいです。若葉よりもちょっと濃くなり始めくらいがいいですね。
よく晴れた日の、ケヤキのトンネルと木洩れ日、その上の青空、というのが一番です。

・・・「枕草子」になってしまいました。

今月初めごろ、長男を乗せて、その定禅寺通を車で走っていた時のこと。
「いやー、この時期の定禅寺通はいいよねー、緑が気持ちいいねー、この木洩れ日も・・・」
とうかれたことをつぶやいた私。
長男は、「そうだね・・・」と、とりあえず相槌を打った感じでしたが、ひと呼吸あっての次の一言が、期せずして、二人同時になりました。
「仙台らしい!」

高校生にもなると、親の言うことに耳を傾けないことも多いうえに、性格的には私より妻に似ており、どうも私とは感覚が違う、ということも少なくない長男ですが、この時ばかりは、親父と息子の感性がピタリ。うれしい驚きでした。
そして、息子よ、キミも仙台の人だなあ、仙台のよさを語れるようになってきたなあ、という感慨もあったり。
さらに清々しい気分で、緑のトンネルを走りぬけました。

明日は浅見さんです。

どうする?何する?衣替え!

佐藤 拓雄

2014/05/30

私の衣替えは、来週月曜日からのクールビズということになりそうです。
関東以南や官公庁では5月から、というところもあるようですが、仙台放送の、会社としての取り組みは6月1日から。仙台では6月でも早いくらいですね。

さて、「衣替え」から、タケノコの皮って十二単の衣を連想させるよなあ、という強引な飛躍で、前回のタケノコの続きを少し書きます。

タケノコの皮をむいていて思ったのが、十二単ってこういう感じ?ということ、そして、人はなぜこれを食べようと思ったのか、初めに食べようと思った人はなぜそう思ったのか?ということでした。
そもそもタケノコは地中からちょっと顔を出したくらいの大きさじゃないと食べられないし、それをなぜ掘り出したのか。
掘り出しても、何重もの皮に包まれていて、むいてもむいてもどこが食べられるのか分からなかっただろうし、生でガリガリ食べるのも限界があるし、ゆでても灰汁が出る、灰汁を取るのに米ぬか、というのも誰が思いついたんだろう。

ほかにも、どうして人はこれを食べようと思ったのか、という食べ物ってたくさんありますよね。

コーヒーもそう。
私はコーヒーが大好きですが、あの豆を粉にしてお湯をかけて、出てきたその苦い汁を飲む、って分かっているからおいしいと思うのであって、それを最初にやった人、ウエッってならなかったんでしょうかね?
ある知人は、「あのいい香りと、味があまりに一致しない」からという理由でコーヒーが好きではないと言っていました。
最初は薬のようなものだった、という説もあるようで、それなら分からなくもないか。

あとは、納豆とか。
あの臭いに負けず、人類史上最初に食べた人、あなたはすごいです。

どんどん話がどうでもよくなってきましたが、常日頃抱いている疑問を書き連ねてみました。

次回は、スーパーニュースを一緒に担当している、小口アナウンサーです。

風薫る五月

佐藤 拓雄

2014/05/20

春の味覚、タケノコごはんが我が家の食卓に上りました。

このタケノコは、今月の「ともに」でお伝えした、丸森町耕野地区のものです。
震災後、原発事故の影響で、出荷制限が続いていましたが、先月ようやく解除され、3年ぶりに出荷が再開されました。
この間、生産者の方は、竹林の維持管理のために、出荷できないタケノコを収穫して、廃棄処分していたそうです。
生産者の方々の辛さ、悔しさは、察するに余りあります。

番組で買ったものをスタッフみんなで分け合い、私も一本いただいて帰りました。
皮のついた生のタケノコです。
それをむいてゆでる、という作業は、恥ずかしながら今までやったことがありませんでしたが、少しでも早くゆでてしまったほうがいいと聞いたのと、夜遅くに持って帰ったため、一連の作業を私がすることになってしまいました。
親切なことに、ゆで方のレシピと、米ぬかまでついていましたので、その通りにやったら、あまり苦戦することもなく、無事ゆであがりました。1時間ほどかけてゆでるのですが、家中に広がる香りのなんとすばらしかったことか。
そして、翌日、妻がタケノコごはんにしてくれたというわけです。
実においしい春の味覚でした。
今まで、あたり前のように食べていたタケノコですが、今回ばかりは、生産者の方々の気持ちに思いをはせながら、かみしめるような気持ちでいただきました。

宮城県内のタケノコは、今も、丸森町の耕野地区以外の地区と、白石市、栗原市での出荷制限は続いています。
風評被害もあるかもしれません。
出荷制限解除となっても、まだまだ厳しい現実が続いています。

あすは、「ともに」を一緒に担当している、木下アナウンサー。今回のタケノコの話題は、木下さんが取材に行きました。

ゴールデンウィーク!

佐藤 拓雄

2014/05/01

以前このアナ・ログに書いたと思いますが、入社以来、ゴールデンウイークにカレンダー通り休んだことはありません。

それはどうでもいいのですが、そんな私でも、ゴールデンウイークを待っています。

なぜか。
ほかでもない、スギ花粉のシーズンがようやく終わるころだからです。

毎年ゴールデンウイークごろになると、体感的にも、ようやく花粉を感じなくなり、症状も出なくなってきます。
今年は、ここまでなんとか重症化を防いできています。このままなんとか今シーズンのゴールを迎えたい、というのが切なる願いです。

ただ、油断は禁物。
安心しすぎてしまうためか、5月中頃以降に体調を崩すことも多く、まだまだ気は抜けないとも言えるのです。

読者の方にはおそらくどうでもいい中身のない話ですみませんが、この時期、そのくらい、私の頭の中は花粉のことに気を取られているということです。

写真は、「必需品」のマスクですが・・・あれ?分かりますか?耳かけがおかしいでしょう?これじゃ着けられませーん。エラー品ですね。切手集めの世界だと「エラー切手」といって珍重されたりしますが、マスクはダメです。写真を撮ってごみ箱行きでした。

明日は、飯田アナウンサーです。

梅は咲いたか…桜はまだかいな?(in 仙台)

佐藤 拓雄

2014/04/08

先月、我が家にも桜が咲きました。
長男が第一志望の高校になんとか合格。
年明け、特に2月以降の「桜」を待つ期間は、初めて経験する、なんともいえない落ち着かない日々でした。
受験生の親になったのは今回が初めて。
自分の受験のほうが余程マシだ、と思いましたし、受験に限らず、これほど気をもむ経験もなかなかない、というほどの落ち着かなさでした。
自分の時も、親はこうだったのでしょうか。
だとすれば、まさしく「親の心子知らず」。
親になってはじめて知ることはいまだに多いです。
・・・しかし、客観的にみると、けっこう恥ずかしい話ですね。
いくつになっても、親としてドンと大きく構えることなどできない小心者のダメ親です。トホホ。

その長男が、入試が終わって「イッキ見」していたのが、去年放送された「高校入試」というドラマ。湊かなえさんの書き下ろし脚本で、私自身がかなりハマって、毎週楽しみにしていたミステリードラマでしたが、受験前の人が見ると、ちょっとどころじゃなく、入試が怖くなりそうな内容だったので、長男には「見ないほうがいいよ」と、見せなかったのです。もちろん作り話、ドラマの話ですが、案の定、見終わって、「入試が怖くなるねー」との感想でした。
ドラマの中に、「桜はいつ咲きますか?」「入学式の二日前に」というセリフがたしかありましたが、本日、長男の入学式。仙台の桜は、入学式の一日前に咲きましたね。

写真は、去年から長男の机に鎮座する、南三陸町特産の合格お守り「オクトパス君」。
ご利益ありました!ありがとうございます!

明日は、飯田アナウンサーです。

春待つ想い

佐藤 拓雄

2014/03/27

震災4年目に入った今月、私のところに、カキが送られて来ました。カキむき用のナイフと軍手つき。
南三陸町歌津でカキ養殖する千葉さんという方からです。
大粒で、濃厚で、旨みの詰まった、すばらしいカキ。
蒸し、バター炒め、汁の三種類でいただきました。

千葉さんは、津波で自宅も養殖施設も失い、ゼロから家業の復活を目指し、ご一家で奮闘しています。
震災発生から一年経った2012年5月に、ようやく養殖を再開しましたが、同じ地区の仲間の漁師さんは、震災後、相次いで養殖をやめてしまい、この地区でカキ養殖を営むのは千葉さんだけになってしまいました。
その後、カキが順調に育つ一方で、カキの処理施設を再建できず、出荷できない状態が続いてきました。

それが、震災発生から丸3年の今年3月11日、ついに出荷にこぎつけたのです。
カキをむいた状態で出すことは現段階ではかなわず、殻付きのままの出荷となりましたが、とにかく、震災後初めてのカキの出荷です。

こう書いてしまうと、あっという間のような印象ですが、この3年、どれほどの思いでこの時を待っていらっしゃったことでしょう。
特に、カキが大きくなりながら出荷できない、という状況の辛さは、察するに余りあります。
何度も、もうだめかもしれない、と思ったそうです。

送られてきたカキは、なんとか復活の資金を確保しようと立ち上げた基金に、支援金を寄せた人への返礼です。当初から基金の半額を返礼としてカキで返す、という約束の基金でしたが、私も、非常に感慨深いものがありました。

震災直後の2011年5月、千葉さんに初めて会って以来、生活再建の道のりを何度も取材させていただきました。苦しい状況の時も、いつも「よく来てくれた」と、ご一家で迎えて下さり、私の家族や仲間のことまで気遣って下さいます。

この春は、そんな心優しいご一家の、再起のスタートラインになりました。
しかし、3年かかって、ようやく、スタートラインです。
生活再建、仕事の再建は、かくも時間がかかって難しいものだと、改めて思い知らされました。

カキと一緒に送られてきた御礼状は、「まだまだ先の見えない状況ですが、家族一同少しずつ頑張っていきたいと思います」と結ばれていました。

明日は、一緒にスーパーニュースを担当している、小口アナウンサーです。

2014年「ともに」

佐藤 拓雄

2014/03/14

震災3年となった3月11日の夜、幼稚園児の次男(4歳)が、その日、幼稚園でお祈りをしたと話してくれました。

キリスト教の幼稚園なので、次男は、園で毎日お祈りをしているようですが、3月11日は、「ひがしにほんだいしんさい」で犠牲になった方々や今も仮設住宅で暮らす方々のために、お祈りしたと言います。

震災のあった3年前、次男は1歳でした。
「大震災って覚えてる?」と聞いてみると、全く覚えていないとの返事。
震災の直後は、しばらく地震を怖がっていましたが、記憶は残っていないようです。

「先生は大震災のこと教えてくれたの?」
「つなみがきたって」
「そうだね・・・」

震災のことを覚えていない年齢ですが、こうして少しずつ理解できるようになってきたようです。
そんな子どもたちに、震災のことを伝えてくれている幼稚園に、保護者として感謝の気持ちです。

小さな子どもたちは、震災の記憶はなくても、復興の道のりの中で希望の灯りになる大切な存在です。そして、その世代の子たちに震災のことを伝えていくことも、私たち大人の大事な役割だと改めて思いました。

そして、この子たちの小さな祈りが届きますように、と心の中で願いました。

このテーマは今回で終わりです。
次のテーマのトップバッターは、「新人」と呼ばれるのもあとわずか、高谷アナウンサーです。

着(き)物を更(さら)に重ね着(ぎ)したくなる?「如月(きさらぎ)」に想う事

佐藤 拓雄

2014/02/24

前略

牧野隆志さん。

牧野さんと最初にお話ししたのは、震災直後でしたね。
社内で遠くから私を見かけて、わざわざこちらまで来て下さり、「震災の特番ずっと見ていました。すばらしかった。勉強になりました」とおっしゃっいました。
びっくりしました。
タレントとして揺るぎない地位にいる牧野さんが、私ごときに、「勉強になりました」なんて、そう言えるものではないと思います。なんと謙虚な方なんだろうと、心底頭が下がりました。
お話ししてみると、テレビのままの人柄。表も裏も全くなく、ますます尊敬しました。

しばらくして、私の友人が牧野さんと同じ病気になり、「牧野さんのブログに励まされている」と言うので、思い切って「何か励ましの言葉でも書いていただけませんか」と色紙をお願いしました。
快諾してくださったばかりか、心から気遣ってくださり、その後、その友人と実際に会ってお話しまでしてくださったと聞きました。

去年の夏、その友人のことを気遣うお電話を私に下さったのが、最後の会話になってしまいました。

牧野さんが亡くなって10日ほどして、牧野さんからのお手紙が私に届きました。
私だけでなく、仙台放送のスタッフ一人一人に、お手紙を遺して旅立たれたと聞きました。
なんということでしょう。こんな形で、旅立ちの準備をなさっていたのですね。さすがです。

「拓雄さんとは、ゆっくり話す時間がありませんでしたね」と牧野さん。
そうですね。もっともっと、いろいろなお話をしたかったです。
見習いたいところ、教えていただきたいこと、聞いていただきたいことがたくさんありました。
テレビの出役の大先輩として、父親仲間として、一人の人間として。

「残念ながら僕はお先に失礼しますが、どうぞ拓雄さんはこれからの人生をゆっくりゆっくり楽しんで。お子さんとも、しっかり触れあって下さいね」
49歳。お子さんを残しての旅立ち、どれほど無念だったことでしょう。

いつか、あの世でお会いできたら、ゆっくりお話しさせて下さい。といっても、牧野さんの周りには、そういう人がきっといっぱいいて、順番待ちになるんでしょうね(笑)

牧野さん、悲しいです。
本当にありがとうございました。
どうか安らかに。

女性じゃないけど、この言葉で結びます。あらあらかしこ。

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