アナ・ログ

得意な!?料理

佐藤 拓雄

2014/12/01

以前も書いたことがありますが、私が料理をするのは、ほとんどが我が家のピンチの時です。
・・・と書くと大げさですが、要するに、妻が風邪で寝込んだりして何もできない、という時に、私が仕方なく台所に立つ、ということです。

私の料理はそんなものですが、家族みんなで驚いているのが、私の父の料理です。
近所に住んでいるので、しばしば自作の料理を届けてくれるのですが、これがどれもすごい出来栄え。
特に、最近では、お菓子作りに凝っていて、写真の「水まんじゅう」は父の代表作と言っていいほど。毎回、家族で奪い合うように食べてしまいます。業務用の食品などを売っているお店で容器やシールまで揃えているため、まるで売り物のようですが、父の手作りです。

ほかにも、栗の渋皮煮、桜餅、タルト、などなど、どれもお菓子屋さんで買ってきたのか、と思うほどのものを手作りしています。栗の渋皮煮は、相当手間がかかっているようで、これまた絶品。
先日は、お祝い事の度に「すあま」を注文していた近所の和菓子屋さんが閉店してしまい、みんなでがっかりしていたら、「試作品」と言って手作りの「すあま」を持って来てくれて、びっくり、ということもありました。

ですが、私は子どもの頃、いや、大人になってからも、父の料理を食べた記憶はほとんどありません。父が料理を毎日するようになったのは、5年前に母が亡くなってから。正確には、その前、父の母(つまり私の祖母)の介護のため、父が一人で実家に戻っていた時も、毎日料理をしていたそうですが、もちろんそのときも私は食べていませんので、父の料理の記憶はないのです。

このあいだ、「お父さんがこんなに料理が上手だとは知らなかった」と言ったところ、「お母さんが全部やっていたから、やる必要がなかった」との答えが返ってきました。私も今、同じ立場。納得です。

元来が研究熱心で凝り性、探究心・好奇心旺盛な父で、他にも、俳句の会に所属し、パソコンを使いこなして同人誌を編集したり、80歳にして日々意欲的に生活しています。

これからもずっと元気で、おいしいものを作ってください、と心から願っています。

明日は、金澤アナウンサーの料理話です。

運動してますか?してました?

佐藤 拓雄

2014/11/04

中学のバスケ部以来、ちゃんとした運動をしなくなってから、いったい何年経つか、というくらい、慢性的に運動不足ですが…
運動と言えば、5年前、次男が生まれて、7週間の育休を取った時のことを少々。

育休と言っても、生まれたばかりの次男の世話は、妻中心。
私は、産後の妻の体力回復に少しでも貢献しようと、それ以外の、炊事、洗濯、掃除、買い物、上の子どもたちの送迎など、家事一切を引き受けました。
実際に始まってみると、「専業主夫」の生活は、座る間もないほど忙しく、毎日夜になると「充電切れ」状態。体力的にこれほどハードだったとは、と思っていたら、数週間で5キロくらい体重が落ちました。げっそりやつれて体調を崩した、ということではなく、日ごろの運動不足を、家事生活で一気に解消できた、という感じでした。
真面目にやれば、家事だけでも、相当な活動量・エネルギー消費量がある、という、育休での思わぬ発見でした。

育休明け以降は、私のする家事は圧倒的に分量が減り、その分運動量も減り、大した運動もせず、なんとか体重のリバウンドを防いでいる程度の毎日。

筋肉量は大事、と聞いたので、写真の「バランスボード」に乗りながらテレビを見たり、握力の器具をちょっとやったり程度はしています。握力の器具は、長男からの「お上がり」。高校球児の端くれである長男は、もっと負荷の強いものをやっています。

それ以外だと、運動と言えなくもないのが、会社の帰りに家まで歩くことくらい。
とにかくまとまった運動をする時間が取れないのが一番の理由です。
加えて、やる気もあまりなく、苦しいことは好きではないので、ジョギングなど、やろうとも思いません(苦笑)
スポーツは、観てああだこうだ御託を並べるのが一番、とか、完全に、ただのスポーツ好きのオヤジです。
それでも、ゆっくり散歩する時間くらいはほしいなあとは思いますが、それは今の現実の生活の中では、望むべくもない贅沢な話で。
そんな状態だからなのか、産業医的なセンセイに「運動しなさい」と指導されると、必要以上に強く反発の気持ちを感じてしまいます。…いけませんね。

「あら、だったら、もっと家事やっていいのよ」という妻の声が聞こえてきそうなので、このへんで。

明日の「アナ・ログ当番」は、小口アナウンサーです。

芸術の秋

佐藤 拓雄

2014/10/21

我が家のスズムシです。
夜はもちろん、朝も昼も、結局のところ一日中、よく鳴いています。
鈴の音の大合唱は、今の季節限定、まさに芸術の秋です。
先日、食卓にサンマの塩焼きが上った時は、鈴虫の音色を聞きながら秋の味覚、という贅沢。
子どもたちも「秋だ!秋だ!」と喜んで、スマホでスズムシとサンマを撮っていました。

ご存知の方も多いと思いますが、鳴くのはオスだけで、写真のように広げた羽をこすり合わせることで音が出るのです。それがなぜあんなに芸術的なきれいな音なのか、不思議ですねえ。

子どもの頃にも飼っていたので、スズムシのお世話は専ら私の役目。
ナス、煮干し、粉のえさなどを与えています。
先日、住まいである飼育ケースが手狭になってきたので、引っ越しさせましたが、30匹余りを移すのはなかなか骨が折れました。一匹ずつ割り箸に止まらせて、新しい住まいへ…新居に移ったスズムシたちは、それまで以上に元気に鳴いてくれるようになった、と解釈しています。

しかし、そんな芸術の秋も、終わりが近づいていることは分かっています。
スズムシの寿命は数か月。
成虫になって、大いに鳴いているということは、その命もあとわずか、ということでもあります。
そんなことを考えると、鈴虫の鳴き声も、芸術の秋、というより、命のはかなさを伝えるものに聞こえてきてしまいます。
一日でも長く、我が家の芸術の秋が続きますように…

明日は、金澤アナウンサーです。

シーズンということで…「学園祭の記憶」

佐藤 拓雄

2014/10/07

写真は、お題と何の関係もありません。
娘の買ってきた靴下が面白かったので。

本題に入ります。学園祭の記憶。

その1 高校時代
1年生の時、部活の先輩に無理矢理巻き込まれて、文化祭実行委員会の小委員会みたいなのをやることになってしまいました。
仕事は、学校の門に取り付ける、文化祭用の入場門を作ること。
しかも、委員は私を巻き込んだ先輩と私、そしてもう一人同じ部活の同級生女子という、たったの3人。
夏休み、部活が終わると、その3人で自動的に入場門作りへ、という毎日でした。
先輩の考えたデザインに沿って、ベニヤ板や角材を切ってくぎ打ち、ペンキ塗り、という作業をしつつ、足りなくなった資材を買い出しに行ったり、さらに私は、その会計もやらされていて、人数が圧倒的に足りない中で、文化祭が近づいてきて、もしかすると間に合わないんじゃないか?というプレッシャーと忙しさがありました。
しかし、同じ部活とはいえ、特に仲が良かったわけでもない3人で(苦笑)、1ヶ月以上、黙々と作業をしていて、それほど楽しかった記憶もなければ、連帯感が強まったわけでもなく、まして恋が生まれるわけもなく、達成感もそれほどなく、写真をはじめ当時の様子の記録も何もなく、今回このテーマで色々考えていて思い出したというくらいで。
今振り返っても、不思議な思い出です。

その2 大学時代
これは単なる小咄です。
当時所属していたサークルで1年生主体で「やきとり」を出すことになって、先輩達から前年のことをいろいろ聞いていると、ある先輩が、
「いやー、焼き鳥のたれをさあ、『にいがたけん』まで買いに行って車で運んできたんだよねえ」
と言います。
新潟県?!
なんでそんなところまで?たかだか学園祭のサークルの出店で、それほどのこだわりがあるのか?
仙台にお住まいで、勘のいい方は、もうお分かりでしょうか。
「苦竹」の聞き間違いでした。「にがたけ」です。
当時、仙台生活一年目。今では当たり前の地名も、こうやって少しずつ覚えていったということですね。

明日は、広瀬アナウンサーです。

読書の秋…「読み返してしまう本」

佐藤 拓雄

2014/09/17

5歳の次男が漫画の雑誌を読むようになりました。
…と書くと、ずいぶん成長が早いように聞こえるかもしれませんが、様子をよく見ていると、反対からページをめくっていたり、突然大幅にページを飛ばしたり(笑)
文字は読めるようになりましたが、まだ、ストーリーを理解して、というのではなく、絵そのものを眺めているのが楽しいようです。
それにしても、一冊を繰り返し、なかなか集中しています。その佇まいだけは、もう一人前です。

さて、私の子どもの頃。
特に漫画ですが、同じものを何度も何度も繰り返し読んでいました。気に入ったものは、本当に何回読み返したか分からないほどで、ストーリーはもちろん、台詞まですっかり頭に入るくらい、一冊を熟読しました。
「読み返してしまう本」だらけだった気がします。

それが、年とともに、一冊を繰り返し読む回数がどんどん減り、たいていのものは一回読むだけに。

そうは言っても、必ず何度も読み返している本もあります。単行本が続刊中の漫画です。
現在だと、「おおきく振りかぶって」、「リアル」、仙台放送の美術スタッフのOさんに毎回お借りしている「ビリー・バット」、スタイリストのOさんにお借りしている「進撃の巨人」などがその部類。
どれも、新しい巻が出るまでに時間がかかるので、新しい巻が出た時には、前巻までのストーリーはもはや忘却の彼方。ゆえに、前の巻を何巻かさかのぼって読み返さないと、ちんぷんかんぷんになってしまうのです。
特に、「リアル」は一年に一度しか発行されないので、前の巻を読み返しても、初めて読むような新鮮なワクワク感さえあるという…
それから、「ビリー・バット」はじめ浦澤直樹作品は、ストーリーが複雑なので、やはり何巻もさかのぼってお借りしています。「20世紀少年」とか「MONSTER」もそうでした。最初のほうは一体何度読んだことか。
「読み返さざるをえない本」ですね。


明日は小口アナウンサー。

休み明けといえば…

佐藤 拓雄

2014/09/05

「○日からようちえん」と、幼稚園再開を楽しみにしていたのが、5歳の次男。
その度と言っていい程、中2の長女や高1の長男からは、「幼稚園は勉強がなくていいよねー、毎日遊んでるんだもんねー」と、ほとんど本気のため息が出ます。

写真の冊子は、幼稚園から渡されたもので、夏休み中、毎日「おてんき」や「はみがき」などのシールを貼っていくものです。
宿題も勉強もなく、たくさん遊んで誉められる、この冊子にシールを貼るだけで誉められる、絵や文字を書けばもっと誉められる、ごはんをいっぱい食べて誉められる、よく眠って誉められる、要するにほとんど何をしても誉められる、という人生の中でおそらく最もお気楽な、すばらしい時期を、今次男は過ごしています。
長男や長女がうらやましがるのも無理はありません。

その長男は、夏休みに入っても、連日朝からみっちり部活で、おまけに前半は学校の夏期講習もあったり、「休み」とは名ばかり。毎朝、普段とほぼ同じ時間に、弁当を持って学校へ向かい、帰ってくるのは早くて夕方という生活でした。
なので、送り出す親としては、いつの間にか「夏休み」が終わって授業が再開されていた、という感覚です。

中2の長女は、8月半ばごろから、「あーあ、あと○日で夏休み終わりだー」とブルーな様子。
宿題は結構あったにせよ、おおむねのんびり過ごせた今年の夏休み。学校が始まれば、寝坊もできず、目まぐるしい生活がまた始まるわけですから、気持ちはよく分かります。
仙台市の公立中は2学期制なので、休みが明けて3週間弱で期末試験があることも、ブルーにさせる非常に大きな要因のようです。

それにしても、この2学期制。私は3学期制で育ったためか、いまだに馴染めません。
夏休みに入るのに通信簿が来ない、休み明けすぐの「期末」テスト、10月の通信簿、「秋休み」という名のわずか数日の休み。
とにかく違和感だらけです。
だいたい、夏休みで1ヶ月以上授業を中断しているのに、すぐテストって、たいていの子は、その前にやったこと忘れてるでしょう!
・・・と毒づいたところで、そのシステムが変わるわけもなく、「しっかり勉強しなさい」と言うしかありません。

何はともあれ、我が家の子どもたちの休み明けは、実にそれぞれでした。

このテーマはこれで全員終了。次は新たなお題で。

思い出の味

佐藤 拓雄

2014/08/14

自分が子どもの頃の「思い出の味」もありますが、今回は、自分の子どもたちとの「思い出の味」の話をします。

長女が3歳くらいの小さいころ、遊びの延長でよく作ったのが、牛乳ゼリー。
牛乳と砂糖とゼラチンをまぜて火にかけ、冷やして固めるだけの簡単なもので、二人きりで留守番の時によく作って、家族へのサプライズ、というパターンでした。
とにかく、料理するというより、遊びの一つだったので、ただ単に楽しかったのと、材料をかき混ぜる長女の小さな手と真剣なまなざし、そういうことを含めて、思い出の味の一つです。

長男だと、小学5年生の時に、そば打ち体験をして、持って帰ってきたそばが、思い出の味のひとつ。
そば打ち体験を取材に来た他局のテレビニュースにちらっと長男が映って、それを何度も繰り返し見ました。これも、そういうシチュエーションとともに、思い出されます。

先日は、部活中の長男を除く家族4人で、ピザを作りました。
5歳になった次男は、一生懸命、ピーマンを切ったり、シメジをむしったりしつつ、ウインナーやベーコンをつまみ食いして、ゲタゲタ笑う悪ノリ。とても楽しい時間でした。
長女は、上手にピザ生地を伸ばし、きれいに盛り付けてくれました。

そして、写真のホットケーキ。
先日、たまたま私と長女の二人だけが家にいて、「お昼何食べよう?」という話から、長女が「ホットケーキ焼こう!」と言いだして作ったものです。と言っても、ほとんどの作業は長女がやってくれました。もうすぐ14歳。成長したものです。出来は満点でした!

こうした大切な、「思い出の味」がもっともっと増えてほしいと思っています。

明日は、広瀬アナウンサーの思い出の味です。

子どもの頃の遊びと言えば

佐藤 拓雄

2014/07/31

小学生の頃は、好きなこと・したいことがたくさんありすぎて、いつも「もっと時間がほしい」と思っていました。

学校から帰って外が明るいうちは、団地の芝生で友達と野球、サッカー、ときにはバットで「ゴルフ」。
家に帰れば、マンガを含め多読乱読の本の虫、当時流行ったヨーヨーの練習も熱心で、それから、出始めたばかりのLSIゲームや「ゲーム&ウォッチ」も、兄弟でいろいろ買い集め、代わる代わる熱中していました。
あまりに時間がほしくて、毎日のように読書のために早起きしたりと、今思うと、本当に楽しい充実した日々だったなあ…

そんな中でも、かなりハマっていたのが、切手収集。当時、少なくとも私の周囲では、ちょっとしたブームでした。「切手集め」ではなく「切手収集」と言うところに、小学生なりのプライドをもっていました(笑)
生まれ持ってのコレクター傾向と、なんでもすぐに本格的にのめりこむ性格も手伝って、けっこうな時間と、なけなしの小遣いの大半を切手に使っていました。
暇さえあれば、切手の整理、カタログながめ、そして、切手雑誌や切手の本を隅から隅まで熟読。
プレゼントや、読者同士の交換コーナー、読者便りなどにもいっぱい応募しました。
当時の切手雑誌には、何度か当選者などで「東京都 佐藤拓雄」の名が載りました。
さらには、コレクションとその整理・見せ方の質を競い合う、ジュニア向けのコンクールにも出品しました。佳作止まりでしたが、ない知恵を絞って、計画的に作品をまとめた記憶は今も残っています。すごい集中力でした。

中学校に入ってからもしばらくは続けていましたが、そのうちになかなか時間がなくなり、周囲の友達もなんとなく切手から離れていき、いつのまにか切手収集はフェイドアウトしてしまいました。
今となっては、切手収集は、自分の今の生活と照らし合わせると、最もハードルの高い趣味の一つかもしれません。

写真は、当時のコンクール応募作品。タイトルは、「アメリカ 書状・基本料金用の切手」。マニアックですかね(笑)
コレクションはすべて物置で塩漬け状態ですが、ちょっと引っ張り出してみました。

明日は稲垣アナウンサーです。

お気に入りの旅行先

佐藤 拓雄

2014/07/04

写真は、6年前の夏に家族で旅行した石垣島での一枚です。
後ろ姿の子どもたちはまだ小さく、末っ子はまだ生まれる前でした。
台風接近中で、空が鉛色ですが、海はこの色!
食べ物がおいしかった、オリオンビールもおいしかった!そして、景色が最高だった!
何年たっても、また行きたい、と思う旅行先の一つです。

この旅行に行った頃は、またいつでも行ける、と思っていた家族旅行でしたが、子どもたちが大きくなるにつれて、なかなかタイミングがなく、テーマパークへの一泊旅行は別としても、家族で「旅行らしい旅行」に行ったのは、これ以来なく、現在に至ってしまっています。

それにしても、
学生の頃は、時間はあってもお金がなく、
社会人になると、お金はそこそこあっても時間がなく、
結婚して子どもが生まれると、お金も時間もなかなか捻出できず、
さらには全員揃ってということ自体が難しく、
将来を考えてみると、年金がどうなるか分からない中で、定年後にのんびり旅行、なんて現実味が乏しく…
本当に、旅行って行けないものだなあ、というのが最近の心境です。

さらには、一生のうちで、世界のほとんどの場所には訪れることができないのだ、ということに、去年あたりに気がつきました。気づくのが遅いですか。

どんどんさびしい話になってきましたが、そんな私の最近のお気に入りは、旅番組。
なかでも、「世界行ってみたらホントはこんなトコだった」とか、「にじいろジーン」の「地球まるごと見聞録」などが好きです。
外国の、観光地としてはあまり有名でない場所の風景だったり、そこの普通の人の暮らしや文化だったり、テレビででも見なければ、おそらく一生知ることもなかっただろう、というところを見るのがいいんです。
こんなところがあるのか。こんな人がいるのか。こんな食べ物があるのか。
世界は広い。その世界を、間接的にでも垣間見られる。やはりテレビって素晴らしい!テレビありがとう!
決して大げさではなく、本気でそんなことを思ってしまう、私の人生は、やはりさびしいでしょうか?

次回は金澤アナウンサーです。

水無月です!

佐藤 拓雄

2014/06/26

5月半ばから梅雨入り前ごろまでの仙台が好きです。

なかでも定禅寺通の新緑は本当に清々しいです。若葉よりもちょっと濃くなり始めくらいがいいですね。
よく晴れた日の、ケヤキのトンネルと木洩れ日、その上の青空、というのが一番です。

・・・「枕草子」になってしまいました。

今月初めごろ、長男を乗せて、その定禅寺通を車で走っていた時のこと。
「いやー、この時期の定禅寺通はいいよねー、緑が気持ちいいねー、この木洩れ日も・・・」
とうかれたことをつぶやいた私。
長男は、「そうだね・・・」と、とりあえず相槌を打った感じでしたが、ひと呼吸あっての次の一言が、期せずして、二人同時になりました。
「仙台らしい!」

高校生にもなると、親の言うことに耳を傾けないことも多いうえに、性格的には私より妻に似ており、どうも私とは感覚が違う、ということも少なくない長男ですが、この時ばかりは、親父と息子の感性がピタリ。うれしい驚きでした。
そして、息子よ、キミも仙台の人だなあ、仙台のよさを語れるようになってきたなあ、という感慨もあったり。
さらに清々しい気分で、緑のトンネルを走りぬけました。

明日は浅見さんです。

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