アナ・ログ

ショックだったこと

寺田 早輪子

2019/09/19

ひどい日焼けをしてしまいました。

先日、取材と生中継リポートのため、気仙沼へ。9月とは思えぬジリジリと肌をさすような日差し降り注ぐ、良く晴れた日でした。
長時間の外での取材だったため、顔、首、腕にはたっぷりの日焼け止めを塗って臨んだものの、うっかり鎖骨周辺に塗るのを忘れたのです。

カットソーで隠れた胸元は日に当たらなかったので、昼過ぎに気が付いた時には、首回りを一周するように真っ赤なネックレスのように焼けてしまいました。

あれから約10日…。
皮がむけてきました。
皮がむけるほど日焼けするなんて、小学生のころ以来です。
ああ。泣けてきました。

※写真は…、
先日、帰宅後に首元がチリチリする感じが…。
触ったら、異物感!
びっくりして掴みとったら…、
コガネムシでした。

アナ・ログ。続いては、フィットネスに勤しむ西ノ入アナウンサーです。

9月10日は牛タンの日

寺田 早輪子

2019/08/30

仙台名物「牛タン」!
今回からのテーマは「9月10日は牛タンの日」です。
最初は私から。

後輩に初めておごったのが「牛タン」でした。
28歳の冬。前の勤務先で一緒だったアナウンサーの後輩が、彼氏を連れて、仙台に遊びに来てくれたことがありました。

「結婚するんです、私たち。」
そんなうれしいサプライズな挨拶もあり、ちょっとテンション高めになってしまった私は、2、3歳しか歳の違わない後輩を前に気が大きくなり、「ここは私がおごるー!」と、張り切って宣言。

そのほか別の元・同僚も合流し、結局6人分を支払うことに。
みんなが会いに来てくれたことがとてもうれしくて、牛タン料理もとてもおいしかったのですが…、
28歳の財布には、なかなかの出費でございました(^^)

今や、「おごられる側」から「おごる側」になりつつある私。牛タンをいただくたびに、『教訓』を思い出します。
『身の丈以上の背伸びをすると、痛い目に遭う』
…気を付けます♪

※写真は…、
夏休み。息子と乳牛をみました!
アナ・ログ。続いては、甲子園取材でかなり日焼けした堤アナウンサーです。

ちょっとラッキーなできごと

寺田 早輪子

2019/08/23

楽天イーグルスの本拠地、仙台市宮城野区にある楽天生命パーク宮城で、家族でナイター観戦をしていた時のこと。
7回の楽天の攻撃開始前に、球場ではクリムゾンレッドのジェット風船を膨らまして、応援歌を歌い、歌い終わりで風船を勢いよく飛ばす、というのが定番となっています。

その風船が飛ばされた直後、7回の楽天の攻撃が始まるのと同時に、「うちの息子の戦い」も始まります!

子供たちが一斉に、客席にしぼんで落ちてきたジェット風船を拾い集めるのです!
10個拾うごとに、選手の写真がデザインされたステッカー1枚と交換できるのです。

小2の息子もすばしこく一生懸命に探し回るのですが、拾い慣れている他のお子さんたちにはかなわず、探し回って、見つけて、駆け寄っても、先に拾われてしまうことが、多々あります。

しかし、そんな時には毎回、どこのどなたが存じ上げませんが、
「はい、この風船、あげるよ」
「おにいちゃん、これ、持っていきな」
「必死だから、あげるから!」と、
客席の楽天ファンの皆さんが息子にしぼんだ風船を束にしてくださるのです。

「ありがとうございます!」
そうお礼を言い、先日は過去最高の22個を手に、リサイクルコーナーへ。

田中和基選手とオコエ選手のステッカーをゲットでき、息子も満足げな表情でした♪

こんな時に、毎回感じるのです。
「プロ野球観戦に訪れたら、人の温かみも感じられた。ああ、何てラッキーなのかしら」と。

いつもしぼんだ風船をくださる楽天ファンの皆様、この場を借りて御礼申し上げます!

※写真は…、
「みやぎ超!!元気まつり2019」にて。土曜日担当・仙台放送アナウンサーズ!
今年もたくさんお越しいただきありがとうございました!

アナ・ログ。続いては、金澤アナウンサーです。

ヒヤッとする怖ーい話

寺田 早輪子

2019/08/09

中学生のころ、通っていた学習塾での出来事。

ある夜、授業が終わった後に、コピー機で、私を含む女子何人かで、片手を挟んでコピーをするといういたずらをして笑っていました。

「指紋もしっかり写されるんだね~」

なんて言いながら、友達と何枚かコピーしていたのですが、私の手をコピーした一枚に、もう一本、別の手が写っていたのです。

「えっ?」

その場にいた全員が息をのみました。
ちょうど斜め向かいに移されたその手は、明らかに私のものより大きく、しかも、私は腕時計をしていたため、その腕時計も写り込んでいるのですが、その「もう一本の手」は、腕時計をしていませんでした。
何より、そのコピー機は壁に背をつける形で設置していたため、その「もう一本の手」を写し込むためには、壁から手を出さねばならないのです。

一瞬、息をのみ、押し黙ってしまった私たちでしたが、友達の一人が、そのコピー用紙をぐしゃぐしゃに丸めて、「見なかったことにしよう!ね!」と言って、ゴミ箱に捨ててしまいました。

あれは何だったのでしょう。
…ああ。文章を綴っていて、また背筋がゾクっとしてしまいました。
こわい。

※写真は…、
楽天生命パークのバックヤードツアー。ブルペンも見学♪
アナ・ログ。続いては、西ノ入アナウンサーです。

夏休みに行きたい場所

寺田 早輪子

2019/07/29

地べたに大の字になって寝そべる、
そんな体験を、息子としてみたい。

普段はマンション暮らしで庭がないため、
そのような体験がなかなかできないのです。

もしくは、
草原で大の字になって寝転がりたい。

私が子供の頃に住んでいた家には、
庭と畑があり、ダンゴムシを拾ったり、カタツムリをみつけたり、
シロツメグサで花冠を編んだり、
穴を掘って水を入れて池を作って、蚊が大量発生して怒られたり…。

特別にどこか遠くに旅行したりした思い出よりも、
何でもない日曜に、庭で汗びっしょりで遊んだそんな日常の思い出の方が、
大人になっても残っています。

この夏は、息子と、
そんな宝物のような時間を過ごしたい。

※写真は…、
野菜作り体験をさせていただいている畑でとれた大根♪
足を組んでいるみたい!

アナ・ログ。続いては、金澤アナウンサーです。

七夕

寺田 早輪子

2019/07/17

私の母は、孫の通う小学校で絵本の読み聞かせボランティアをしています。
もう2年になります。

私と違って…?、
人前に出るのは苦手という雰囲気の母ですが、
先日、こっそり見学に行ったら、
大勢の子供たちの前で堂々と読み聞かせしており、
その姿はいつになく輝いて、活き活きとしていました。

そんな母が読み聞かせていたのは「たなばたさま」という絵本。
織姫と彦星の叶わぬ恋、そして、天の川の成り立ちを、雰囲気たっぷりに読んでいました。

読み終わって少し時間があまり、
「何か質問ある人?」と言ったところ、
ある男の子が、
「宇宙に人が浮かんで、川ができるなんて、ちょっと考えられないんですけれど」と、
母にずばっと質問。

ああ!どうする?母!
…と、廊下から見守っていたところ、
詳細はちょっと聞き取れなかったのですが、
何やらアドリブで返していて、
最終的に、母は、
「…そんな風に想像できたら、素敵じゃない!?」と笑顔でかわし、
子供たちも納得の表情!

母さん、すごい!

※写真は…、楽天生命パークのバックヤードツアーに参加してきました♪

アナ・ログ。このお題は私がアンカーでした。
続いては「夏休みに行きたい場所」。牧アナウンサーからです。

温泉

寺田 早輪子

2019/06/24

いわき湯本温泉。
私が生まれた時からすぐそばにあった温泉です。
硫黄の香りが印象的で、上がっても湯冷め知らず。
この世の「温泉」と呼ばれるものは、すべて、
いわき湯本温泉同様の硫黄泉だと思っていました…(^^)

アナウンサーになってから、様々な温泉を巡らせていただきました。
様々な泉質があることに驚いたのはもちろん、
各地の温泉を守る方々の情熱に、毎回、感動しています。

忘れられないのは、
岩手・宮城内陸地震で被災し、源泉が枯渇しながらも、
また新たな源泉を探り当て、再開を目指し奔走してきた方々の言葉です。

「自然は時に牙をむく。でも、自然の恵み(温泉)で俺たちは生かされている。
だから感謝しているんだ。」

自然とともに生きるとは…、
あたたかな温泉に浸かれることの幸せを、改めてかみしめています。

※写真は…、「レインボージャングルエレファント」(紙粘土)(息子作)

アナ・ログ。続いては、飯田アナウンサーです。

大切な場所

寺田 早輪子

2019/06/13

2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震。
発生から今年で11年となります。

平穏な日常を一瞬にして奪う災害のむごさ。山全体を揺さぶり、コンクリートの道路さえも引きちぎる大地震の恐ろしさ。目の前で見た災害現場に足がすくみました。

思えば、内陸地震は、私にとって、アナウンサーになって初めての本格的な災害現場取材でした。
避難所で、仮設住宅で、本当に大変な時にお話を聞かせてくださった皆さん。その言葉一つ一つは、11年が経つ今も、胸に残っています。

「災害がなかったら、人のつながりがこんなに大切だなんて気が付かなかった。」

「自然は時に牙をむくけれど、栗駒山の恵みで生かされてきたから、絶対に山に戻って、山で生きていきたい。」

「自分たちが切り拓いた土地なんだから、またきっと自分たちで復興できると信じている」

栗駒山に生きてきた人々の言葉は、一言一言が力強く、
「番組で多くの人に発信したい」、その一心で、山を奔走していました。

栗駒山に行くと、故郷に帰省するような気持になります
その思いは、今も変わりません。今年もまた、栗駒山に取材に行きます。
地震から11年。緑の木々も戻った栗駒山の生命力を、体全部で感じてきます。

※写真は、今年も残雪が美しい栗駒山です。

アナ・ログ。続いては、西ノ入アナウンサーです。

最近ヒットしたもの

寺田 早輪子

2019/05/31

私、実は、リカちゃん人形が好き。
今まで、心を許した友人や家族にしか話していませんでしたが…、
リカちゃんが好きです。

子供の頃はどちらかというと「ジェニー派」だった私。大人になってから「リカちゃん派」となったきっかけは、インスタグラムです。リカちゃんの公式インスタには、世界中を、様々なファッションで巡るリカちゃんの写真が、ほぼ毎日アップされています。

つらいことや、とても忙しかった日の夜などに、こっそり眺めるのです。そして、リカちゃんの大きな瞳と、うっすらとした上品な微笑みと、世界の美しい背景に癒されるのです。(^^)

最近、心にヒットしたのは、銀座のとあるお店の前でポージングするゆるふわヘアのリカちゃん。
早速、真似をして、家にいるリカちゃんの長い髪の毛を三つ編みにして、3日くらい置いて、ゴージャスなウェーブヘアに変身させているところです。
仕上がりが楽しみです♪

※写真は…
息子の宿題。漢字の書き取り。2年生になって、筆圧が強くなってきました!

アナ・ログ。続いては、金澤アナウンサーです。

新元号

寺田 早輪子

2019/05/08

令和元年。今日から始まる新しいお題は…、
『新元号』。

トップバッターの寺田です♪

「昭和」から「平成」に元号が変わった時、私は小学6年生。もうすぐ冬休みも終わるという頃でした。

連日、テレビでは「天皇崩御」のニュースが流れ、こども心に「歴史的転換に今、生きているのだ」と感じたことを覚えています。

大人になったら、こうなりたい、ああなりたいと夢を見た「昭和」。
平成元年に中学生になり、高校、大学と、挫折も味わいました。

それでも、平成11年。
夢に見た「アナウンサー」に。

厳しい現実に打ちのめされそうになったことも何度もありましたが、それでも、背中を押してくれたのは、これまで出会うことができたたくさんの方々からの言葉でした。

「平成」では息子も授かりました。
新しい時代「令和」を歩く彼らに、前を向く力になる言葉や安心感をプレゼントしていきたいと感じます。

「令和」を築くのが今の子供たちなのだとしたら、「令和」の土台は、私たちが作っていくのだと思います。
「平成」での経験を、「令和」で活かす。
これが私の「平成」を生きた証かと、時代の節目に、ふとそんなことを思ってみました。

※写真は…、
気仙沼市立月立小学校の旧校舎。「令和」にもつないでいきたいほっとする風景♪

アナ・ログ。続いては、令和元年の新人アナウンサー!堤勇高さんです。

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