アナ・ログ

ともに(1)

寺田 早輪子

2012/02/27

いよいよです。
出産予定日は来週です!

今、入院する時に持っていく荷物を整理しているところです。
母子手帳に、自分のパジャマに、必要書類…、そして、赤ちゃんの肌着、退院する時のお洋服も…。
いろいろあるなー。

妊娠して初めて知ったことがたくさんあります。
赤ちゃんの洋服の「呼び名」、「種類の多さ」。

短肌着、コンビ肌着、ベビードレス、カバーオール、おくるみ…。
「『スタイ』って、何?」「『ミトン』はいつから付けさせるの?」

???だらけの私の元に、先日、うれしいプレゼントが届きました。

東日本大震災の時、石巻に、里帰り出産のため帰省していて被災した先輩ママからのプレゼント。
彼女は、震災の3日後に男の子を出産。昨年末、私は彼女にインタビュー取材をしていました。

その彼女が、赤ちゃんが新生児の時に着ていたお洋服や抱っこ紐、粉ミルクなどを送ってくださったのです!!

我が子は震災からちょうど一年後の3月に誕生予定です。
「一年先輩のお兄ちゃん」からのプレゼント。本当に、心が温かくなりました。ありがとうございました!

初めての出産で、不安はつきませんが、かわいらしいプレゼントに、「一人で出産に立ち向かうんじゃないんだ!」と強く感じることができました。

彼女は、「震災直後、被災した町での出産になったけれど、たくさんの人に支えられて…、何よりお腹の中の子がいたから、強くなれた」と話していました。

分娩で苦しいのはお母さんばかりでなく、赤ちゃんも狭い産道を痛みに耐えながら生まれてくるといいます。
赤ちゃんとともに、そして、支えてくださる皆さんと、初めての分娩…、がんばります!!

「アナログ」。続いては、柳沢アナウンサーです!

寒い日が続きますが3日は節分4日は立春…もうすぐ春ですね!

寺田 早輪子

2012/02/07

もうすぐ、春。
私を悩ませる「アレ」が、風にのってやってきます。

スギ花粉。

10年ほど前に、突如、花粉症になった私。
くしゃみや鼻づまりによる「劇的な鼻声」に悩まされるのです。
アナウンサーにとっては致命的…。

おととしからは、信頼する耳鼻咽喉科の先生の勧めで、飛散が始まる前の1月くらいから飲み続ける内服薬を服用しています。これで、花粉症の症状を緩和させるのです。

そのおかげで、飛散本番の春も、マスクをして、うがいをしていれさえすれば、鼻が詰まることもなく、快適にすごしていられました。昨シーズンまでは…。

しかーし!この春は、もうすぐ生まれる子が私のお腹の中で、絶賛成長中!
妊娠後期に入りましたが、薬の服用は控えております…。

1月からすでに、乾燥した日は朝起きると副鼻腔がカラカラ。痛い~。
耳鼻咽喉科では「アレルギー症状が、もう出ているね。」といわれました。

うう…(泣)。

今年はどう、スギ花粉を迎え撃つか!? 頭を悩ませています…。

続いては、広瀬アナウンサーです!!

あの日あの時一番役立った物は?

寺田 早輪子

2012/01/23

 3月11日の震災では、仙台市青葉区にある仙台放送4階のニューススタジオも、天井のセットが、下にあるキャスター席の方へ崩れたりと、被害が出ました。
余震でさらに崩れる危険があったため、ニューススタジオは立ち入り禁止に…。

 代わって、スタジオ隣の「報道センター」に、臨時に、カメラ、マイクを設置してニューススタジオを設営しました。そこは、普段、アナウンサーがニュース原稿の下読みをする席です。

 大地震の直後、3月11日の日中は、そこから、私と佐藤拓雄アナウンサーが交代でニュースを伝えていました。
目の前には、カメラ一台。マイク一本だけ。
生放送をするのに「テレビモニター」がありませんでした。

 普段のニューススタジオならば、カメラが3台あって、その下にモニターが常設されています。
しかし、臨時設営のそのキャスター席には、「今、放送でどんな映像が流れているのか?」をチェックするモニターがなかったのです。
 
しかし、大地震直後は入ってくる情報がほとんどありませんでした。つまり「原稿」がない…。

「何とか、映像を見ながら、被害状況を伝えることはできないか?!」
 
 その時、拓雄アナが取り出したのが『ワンセグTV』。
私たちは、情報カメラなどが映し出す「生」の映像を見ながら、街の被害の様子を話すことが出来たのです。

 
 3月11日。東北では停電が長く続き、「テレビは見られなかった」というご家庭がほとんどでした。
そんな中、「充電が切れるまでではあったが、携帯電話のワンセグでテレビをずっと見ていた」という声も聞かれました。

 テレビ局の中にいても、震災時、役に立ったワンセグ。あの日以来、携帯の充電は常に『FULL』にしておくよう心がけています。

 続いては、あの日、「ワンセグ」を使うアイデアをくださった拓雄アナウンサーです!
ありがとうございました!

2012年 辰

寺田 早輪子

2012/01/05

新しい年 2012年。辰年。
みなさまいかがお過ごしでしょうか?

私は先月末から産休をいただいております。お正月は東京で過ごしました。福島から避難している母が、東京の都営住宅にお世話になっているからです。
母の入っている棟には宮城県の南三陸町や福島原発近くに住んでいた方もいらっしゃいます。普段は一人でいる母を気づかって声をかけてくださったり、復興コンサートやイベントに連れ出してくれるとのこと。さらに、以前から都営住宅に入っている近所の方々や市役所の皆さんも、良くしてくれると聞いています。
本当に、2011年は「人とのつながり」をありがたく感じた年でした。

いままで、私たち家族は、仙台と東京と、離れていましたが、お休みをいただいた今年は、しっかり「家族孝行」しようと考えています。

今年は「辰年」。私は「年女」。3月に出産予定の我が子も、私とお揃いの「辰年」になります。

母にとっては「初孫」。初産で不安いっぱいですが、母の喜ぶ顔も何だか楽しみです。

続いては、スーパーニュースの元相棒・梅島キャスターです!

2011年今年を振り返って

寺田 早輪子

2011/12/27

東日本大震災のあった2011年。今年は「子どもたちに勇気をもらった一年」でした。

今月、私は仙台市青葉区内の小学校で「授業」をしました。テーマは「震災に学ぶ ~僕たちに出来ることとは?~」。
その学校の6年生は、震災に関するテレビニュースや新聞記事を集め、宮城県内の被害状況や被災した方々が何に困っているのか?…などを追ってきました。
その学習のまとめとして、震災報道に携わった一人である私が、子供たちと「故郷の復興のためにできること」について話し合ったのです。

子供たちの声です。
「復興は僕らが大人になっても続くことが分かった。」
「僕らより小さい子たちに、この震災を語り継ぎたい。」
「未来の復興を担うために、震災に関するニュースをこれからも見続けたい。」
次々に自分の意見を伝えてくれる子どもたちを頼もしく感じました。

震災直後、津波で壊された街でも、子供たちの笑顔にいくつも出会いました。自分の家が流されたのに…、家族が亡くなったのに…、
「お姉さんはこれから仙台に帰るの?お疲れ様です!」と、声をかけてくれた小学生。
「お友達と久しぶりに会えて、すごくうれしいです!」と、笑顔を見せてくれた女の子もいました。

「津波で壊された故郷を震災前の姿に戻したい。」
大人と同じように、子供たちもそうした思いを抱いているのだと感じます。きっと街はよみがえると信じているその『笑顔』を守りたいと、心から思います。

今、私のお腹には小さな命が息づいています。2012年3月に生まれてくる予定の我が子にも、震災に負けまいと踏ん張る「宮城のお兄ちゃん、お姉ちゃん」のことを話して聞かせようと思います。

さて、本日から、出産のためお休みを頂きます。仙台放送スーパーニュースのキャスターになって、2年。たくさんの方々に支えていただきました。ありがとうございます!
初産で不安もありますが、まずは「出産」という大仕事を無事に成し遂げたいと思います!
復帰後も、東北生まれの私はライフワークとして故郷の復興を見つめ、取材し続けたいと考えています。

2012年。仙台放送アナウンスブログは『1月4日(水)』スタートです!!!

今年の自分を漢字1字で表すと

寺田 早輪子

2011/12/02

これほどまでに「故郷」を思った年はありませんでした。
『郷』。震災があった私の今年を一文字で表現するなら、「故郷」の『郷』です。

3月の震災ではここ宮城も、そして、私の故郷・福島県いわき市の人々も、多くの方々が、故郷を大津波、大地震で傷つけられました。
育った家が…、街が…、学んだ学校が…、思い出の場所が傷つけられた現実を思うたび、胸が痛みます。
子供の頃は、故郷の空気を吸って、走り回って、近くの港にあがった魚介類を頂くことを、特別なことだと思うことはありませんでした。

10年以上前に父が亡くなり、一時、一人暮らしになった母を心配していた私に、母はかつてこんな話をしたことがあります。
「ここは、早輪子たちの故郷だから、お母さんがここを離れちゃったら故郷がなくなっちゃうでしょ。一人になっても住み続けるから。大丈夫。」
母がかつて何気なく話した「故郷があることの幸せ」。震災があった今年、深く深く私の胸に響いています。

「故郷のために、自分が出来ることは何か?」
故郷を傷つけられた多くの人が抱いているこの思い。
生涯、私は自問自答し、自己満足でない形で行動したいと思います。

続いては…、今年、仙台放送アナウンサーに仲間入りした稲垣アナウンサーです。

あなたのドラ1は?

寺田 早輪子

2011/11/18

「『あなたの好きな果物ベスト3』を、教えて!」
友達と、こうした会話をするのが私は大好きです!

「そんなこと聞いて、どうするの??」
…と、思った、あなた。
ご自分の「好きな果物ベスト3」を考えてみてください。
意外と、迷う。そして、楽しいですよ!

 私は、毎回、かな~~り迷います。
だた、不動の第一位があるのです!まさに、ドラフト1位。

それは…、「リンゴ」。
青森でアナウンサーをしていた頃にその美味しさに目覚めました。
「一日一個のリンゴで医者知らず」という言葉を青森のリンゴ農家の方がおっしゃっていたのを思い出しますが、リンゴを食べていれば私は体の調子も良いように思います。
振り返れば、両親が秋田出身ということもあり、子供の頃から家にはいつも親戚から送っていただいたリンゴがありました。

中でも好きな品種は「ふじ」。
あの瑞々しさ…、シャクっとした食感、甘みと酸味の絶妙なバランス…。
ああ、食べたい!

今からの時期はちょうど「ふじりんご」が出回りますね。楽しみです。

ああ!食べたい!!

(ちなみに、今日の私の「好きな果物ベスト3」は…、第3位 モモ、第2位 ミカン、
第1位 リンゴ!!)

 続いては…、好きな果物は何かしら?
飯田アナウンサーです!

冬が来る前に

寺田 早輪子

2011/11/02

「冬が来る前に、何とか防寒対策工事が始まってよかった。」
これは、宮城県内の仮設住宅に暮らす方の声です。
宮城の仮設住宅では、壁の断熱材、窓の二重ガラス設置などが、隣りの岩手県、福島県に比べて遅れています。
宮城県は10月24日から、ようやく防寒対策工事に着手しましたが、すでに朝晩は冷え込む日も多くなっています。「工事は年末までには完了する」(県の担当者)見通しですが、果たして、工事開始が遅すぎはしなかったか?…と感じます。

 先日、仮設住宅で子育てをするお母さんたちにインタビューする機会がありました。
玄関を開けると、すぐにあるのは台所をかねた4畳半の居間。お母さんは「風が直接、吹き込んできて寒い」と訴えていました。
震災後に生まれたばかりの赤ちゃんは、部屋が狭く、ベビーベッドが置けないため、床に敷いた布団に寝ている状態。冬には、冷たい空気を誰よりも受けるかもしれません。
断熱材など建物の構造上の防寒対策も必要ですが、部屋の中で、より暖かく暮せるように、暖房器具を買い足すための補助も必要だと感じます。

 仮設住宅は壁も薄く、お母さんたちは「隣りに、赤ちゃんの夜泣きなどの生活音が響いていないか、今はそれが一番気がかりだが、冬は外の寒さが直接伝わってきそう」と心配していました。
 
 仙台放送スーパーニュースの気象予報士・知念キャスターに聞いたところ「年内の気温は平年より高い予想だが、年明け1月からは平年並みの気温に戻る予想」とのこと。

本格的な冬が来る前に、一日も早い工事の完了が待たれます。

 続いては、柳沢アナウンサーです!

いも煮

寺田 早輪子

2011/10/26

福島県浜通り出身の私にとって、「いも煮会」は秋の楽しみなイベントの一つでした。
小さい頃はあまりサトイモが得意ではなかった私ですが…(今は大好きですよ!)、「いも煮会」は楽しみでした。家族で、親戚大勢で、子ども会で、河川敷や公園で大鍋を囲むのです。

そんな私のいも煮のイメージは「しょうゆ味」。
しょうゆ味で、豚肉、サトイモ、こんにゃく、ニンジンなど様々な具材を煮込むのが定番でした。

ところがどっこい。仙台でいも煮会に参加したとき、鍋に投入されたのは「味噌」。
仙台のいも煮は「みそ味」が定番。仙台に来て、初めて頂いたみそ味のいも煮は「具だくさんの豚汁」みたいでとても美味しかったです。
「所変われば品変わる」…を「いも煮で」実感。

ちなみに山形の「しょうゆベースで牛肉入りのいも煮」も大好きです!
  
続いては…、東京出身の彼女は仙台で初めて「いも煮」を味わったのかな?
飯田アナウンサーです!

2011年 秋

寺田 早輪子

2011/10/12

仙台市青葉区。私の通勤路にはイチョウ並木があります。
9月の終わり頃、早いもので黄色く色づいたイチョウの葉が、道端に落ちていました。
台風の通過を境に、気温も、風も、ぐっと秋らしくなってきました。
9月初めには「暑い!暑い!」と半袖姿で出歩いていたのがうそのように…。
スーパーの野菜売り場にも「秋の味覚」が豊富に並んでいます。
今年秋の初モノ。梨は茨城の「豊水」をいただきました。瑞々しく美味しかった。
鹿児島の焼きたてホクホクの焼き芋は、包んでいた紙袋に蜜が染みるほど、甘かった。

 季節は、夏から秋へ。着実に時間は進んでいるのだと感じます。
猛暑対策に追われたこの夏の被災地。今度は、寒さへの備えをはじめなければなりません。

 私の母が避難している先では、毛布はすでに配られたそうです。
避難しているみなさんのところでは毛布や掛け布団は、十分にありますでしょうか?

 大震災の発生直後は雪の降っていた宮城県。
温かい寝具のほかにも、ストーブや、こたつ、窓の結露対策など、秋のうちに備えるべきことはたくさんあります。

 「2011年 秋」ラストバッターは、浅見アナウンサーです!

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