アナ・ログ

寒い日が続きますが3日は節分4日は立春…もうすぐ春ですね!

柳沢 剛

2012/02/13

本当~に、本当~ぉに、今年の冬は寒いですね~!
例年以上に、雪も多いし…
軒先の氷柱も日々太く長く成長し、裏通りの路面は、カッチカチのテッカテカ。
いつ何時スリップした車が突っ込んでくるかもしれない?と言う恐怖感におびえ…
不自然にきょろきょろしながらもバランスをとり…
普段の70%の歩幅でゆっくりと歩いています…。

明けない夜がないように、極寒の冬の後には、芽吹きの春が来る…。
「そうです、春は来るんです!」
と自分に言い聞かせ…。

とは言うものの、このあまりの寒さが身にしみて、折れそうになる気持ちと戦いながら、自らをを奮い立たせている毎日。
(ちょっと大げさですか?)
でも、体はこわばり、無駄な力が入り過ぎているのでしょうか?
背中や肩がガッチガチ!
疲れすら感じます。

春よ来い!早く来い!! 出来たら、ダッシュで来い!!!
思わず空に向かい叫びたくなる今日この頃です。(笑)

オッと!
その空から…また白いものがチラチラと降ってきました。天気予報で「晴れでしょう!」と自分で今、言ったばかりなのに…。
でも、春を待つ気持ちって悪くないですよね。

何が言いたかったのか…?
まあ~酌んでやって下さいませ。

次は梅島アナです。

あの日あの時一番役立った物は?

柳沢 剛

2012/01/26

今でも、ヘリコプターから見た震災直後の風景がふとした時に思い出されます…。絶望感と虚無感、そして言いようのない胸のもやもやと一緒に…。
 
震災で全てを失ってしまった方には申し訳ないとは思いつつ…
いつかどこかの地区でまた大きな地震が起き、ライフラインが寸断された時、少しでも参考になり、役に立てばと思い、今回各アナウンサーに「あの日あの時一番役に立った物」を書いてもらっています。

年齢・家族形態・マンションか一軒家か・居住場所等々それぞれ違う状況での体験からの話です。

私自身今思い出してみると…
非常食・飲料水・ポリタンク・懐中電灯・卓上コンロ・予備のガスボンベ・携帯電話・ワンセグ・昔ながらの石油ストーブ・使い捨てカイロ・ウエットティッシュ・etc
役に立った物が沢山あります。

そして、県内外の友人からカップラーメンや缶詰・レトルト食品など沢山の物を送って頂きました。
持つべきものは友!心の底からそう思いました。
ご近所の皆さんにもいろいろ助けて頂きました。
感謝!感謝!
人と人とのつながり、思いやりがこれほどうれしかった事はありません。
年輩の方から様々なアドバイスも頂きました。
冷蔵庫の中の物は、クーラーボックスに入れ、日の当らない北側の外に保存。一番上には保冷剤と冷凍庫の氷をビニール袋に入れ・・・。
魚や肉などの生ものは、干物や燻製に!
10年以上前、子供が小さい頃に使ったキャンプ用品が
役立ちました。
そんな中、一番印象に残っているのは、ランタンです。(写真)
(カセットコンロのボンベはすぐに売り切れてしまいましたが、このボンベは比較的残っておりました。)
震災当初は会社にほとんどいましたが、3日目の夜に家族全員がやっと集合。リビングでこのランタンを囲みました。普段はそれぞれの部屋で過ごすことが多くなった3人の子供たちも震災後はリビングで生活。
この炎は、部屋を暖め、それぞれの顔を照らしました。
電気・ガス・水道がない生活を初めて体験する3人の子供の顔が、日を追うごとにたくましく見えました。そしてそれぞれが無事でいたことに対する感謝の気持ちがこみ上げてきたことを思い出します。

備えあれば憂いなし。もう一度備蓄品をチェックし直そうと思う今日この頃です。

次は、広瀬アナウンサーです。

2012年 辰

柳沢 剛

2012/01/04

2012年がスタートしました!
今、皆さんはどんな心理状態で、このブログを読んでいるのでしょうか?
穏やかな気持ちですか?
もしかしてちょとイライラしてますか?

今年1年が、精神的に余裕のある、穏やかで素晴らしい1年になることを願ってやみません。
とは言え、毎日いろいろな事に追われるのが現実の生活です。

再生!復興! 焦らずに一歩づつ…。

今年も仙台放送のアナウンサーをよろしくお願いいたします。


次は、辰年の今年母になる、辰年の寺田アナウンサーです。

2011年今年を振り返って

柳沢 剛

2011/12/22

2011年が、どんな年だったのか…

2011・3・11・14・46・18

多分私は死ぬまでこの数字の並びを忘れることはないと思います。

2011年3月11日14時46分18秒

この時代に生きている人にとって、鮮明な記憶として残るであろう東日本大震災。
現在のそして今後の対応いかんによっては、日本の歴史を大きく塗りかえる、ターニングポイントの年となりかねない危うさと危機感を感じるのは私だけでしょうか? 

津波による被害とその対策。そして様々な問題への対処の仕方…。
子孫の命を左右することを決めていくという視点も指摘されています。

冷静に、冷静に・・・
一つのことをじっくり煮詰め、深く考えると共に、俯瞰で全体を見ての、素早い対応も求められる様々な事象。

2011年から2012年へ!
一日でがらっと変わる事はないと思いますが、
復興に向け本格的に動き出す来年が、素晴らしい一年になることを願ってやみません。

次は広瀬アナです。

今年の自分を漢字1字で表すと

柳沢 剛

2011/12/07

今年は「驚」きの1年でした。

驚愕・驚倒・吃驚・驚嘆・・・・。

3月のあの日から、毎日でした…。

そして今、喪中のはがきの多さに「驚」いています。

つい数日前のことでした。
届いた葉書を読み出して…
「驚愕!」
固まってしまいました。

1枚の葉書でこんなにも心揺さぶられたのは
始めてです…。

その喪中をを告げる葉書には、
60歳代のご両親・30歳代の奥様・小学生の二人のお子さんの5人の名前が書かれていたのです…。
番組でお世話になった御家族でした。
親切で優しい御家族でした。
その時の皆さんの笑顔が脳裏に浮かび…
涙が溢れてきました。

切なすぎます…
辛すぎます…
9か月たった今…
まだまだ、大変な思いをしている方が沢山いるという現実…。

一人残された御主人の事を思うと…
いたたまれない、胸の鼓動とざわつきが繰り返されます。

簡単に、「頑張りましょう!」とは言えません…
きっと精一杯頑張っているのですから…。
と言っても…
かける言葉が見つかりません…。


津波にのまれながら、一本だけ残った木を見て(写真)
今、いろいろな事を考えています…。


次は、12月10日オンエアー「ともに」の準備で忙しい、林さんです!

あなたのドラ1は?

柳沢 剛

2011/11/15

今、本屋さんに並ぶ、お勧め No.1 !

ドラフト1位の本は !!

フジテレビ 笠井信輔アナ著
「僕はしゃべるために ここ(被災地)へ来た」(写真)です。

この本は、報道人として、一人の人間として、笠井アナが被災現場で感じた事、そしてそこでの悩みや葛藤・本音をそのまま綴った「被災地取材・被災地体験本」です。

当時、報道に携わる人たちの中には、自分は良かれと思い、避難所に足りないものをツイッターやブログに書き込み、結果として現場を混乱させてしまったという事がありました。自分達の、その場での善意を満たすための行為が、逆に現場に多大な迷惑をかけてしまう…。正義感に燃え書いた本人は、考えもしなかった結果だと思います…。

笠井アナ自身も
「目の前の被災者の力になりたい…しかし始めたら切りがなくなる…。一部の被災者にだけに便宜を図っていいのだろうか?でも、だからと言って目の前の全員に素知らぬふりをしろと言うのか?
報道人として、そして、人として、どう被災地で行動するべきか?」 迷いに迷っています。
その時の思いがそのままつづられています。

「報道人は排泄をする余計な人間…。」
「カメラに映せなかった被災者の犯罪…。」
この本にはこの他にも様々な事が書かれています。
彼の上司が「ここまで書きますか?」と
案じたほどです。

それに…
これはおまけですが…
仙台放送の事も書かれているし…
仙台放送のアナウンサーの事も書かれているし…
同期のしかも友人なもので…

ぜひ皆さん!
一度読んでみて下さい!!
ちなみに、印税は全額義援金に回すそうです。
よろしくお願いします!!


次は、稲垣アナです。

冬が来る前に

柳沢 剛

2011/11/04

冬が来る前に、もう一度やらなければ…
やっておかなければ…
そう思うことが今年は増えました。

何が起こるかわからない世の中。高度経済成長の真っただ中で生まれ、学生時代はバブルの全盛期…。そんな無防備な世代の私に、今回の震災は大きなショックを深層心理の中に植え付けたようです…。
生きているうちに、この日本で、まさか自分自身が電気・ガス・水道の無い生活を体験する事になるとは…。食べ物の心配をすることになるとは…。恥ずかしながら考えた事は一度もありませんでした。

最近事あるごとに、あの日の事を思い出します。そして、あの光景を思い出します。
もっと出来たことがあったはず…。
ああすれば良かった、こうすれば良かった…。
アナウンサーとして、ジャーナリストとして、父として、男として、人間として…。
自問自答が繰り返されています。

最近うなされて目を覚ますことがあります。
逃げることなく向き合いたいと思ってはいますが…
どうすれば良いのか…。
冬が来る前に、何かきっかけだけでも見つけたいところですが…
当分、こういった状況が続きそうです。

津波で全てを流されてしまった現場で、微笑みながら食いしばっている人達を見ると、涙があふれます。
涙もろくもなりました…。

そして、その30分後に仙台の街の中の雑踏を歩くと…たった10km程しか離れていないのに、まるで別の空間、別の国、別の世界のように感じてしまう…。
何なんでしょうか…?
この違和感は…。

兎にも角にも、元気出さねば…。
あせらず・落ち込まず、やれる事・やるべき事を一つ一つ丁寧に!
もうすぐ冬です。

いも煮

柳沢 剛

2011/10/14

  コンビニの前にうずたかく積まれた「薪」。
この「薪」は冬の暖房の準備なのか…?
仙台ではコンビニで「薪」が売られるほど「薪ストーブ」が多いのか…?
暖炉用?
カマド用?
お風呂用?
何?何?何?
20数年前、初めて仙台に来た年の秋に、疑問に思った光景です。

そして、その「薪」の使用目的が分かったのは、その数週間後でした。
当時は各部署・各番組・友人同士で秋になると「あれ」をやっていました。買い出しは、今も昔も若手の仕事…。そして向かうのが、スーパーとコンビニでした!
そして知ったのです…。積み上げられた「薪」は「あれ」で使う「薪」だと言うことを…。

もう、皆さんはおわかりですよね…?
「あれ」とは = 「いも煮会」

関東生まれの関東育ちの私は、仙台に来るまで「いも煮会」という言葉すら、知りませんでした。
ですから、ニュース原稿に「いも煮会」という言葉が出てきた時はビックリ!
「嘘でしょう!」
「本当にこのまま読んでも良いものか…?」
本気で悩んでいたことを、今でもはっきりとおぼえています。
そのくらい「いも煮会」という言葉に違和感を持ていたのだと思います…。
私にとって、それはまさに異文化との未知との遭遇だったのです。

しかし…不思議なものですね~!
今では、
味噌味の仙台風!醤油味の山形風!なんでもOK!
毎年この季節に、なくてはならない行事の一つになっています。

それにしても…
「いも煮会」で食べる「いも煮」って、何であんなに美味しいのでしょうか…?

あ!!!
そうです、そうです、言い忘れてました…。
今日からお題が替わり、新たなお題は「いも煮」です。
それぞれのアナウンサーの「いも煮」話で綴ります…。
次は梅島アナ! よろしくお願いします。

2011年 秋

柳沢 剛

2011/09/30

涼しくなってきました。秋ですね~
丹精込めて育てたものが実を結ぶ「実りの秋」です…。

例年5月5日にKスタで開会式が行われてきた、県内最大の少年野球の大会=「ジャンボ大会」。
今年は、震災で関係者も多数亡くなり、海沿いの球場が流されたうえ、内陸の球場もガレキ置き場になり、何より「こんな時に、野球どころじゃない!」という意見と空気が大勢を占め、中止がほぼ決まっていました。
当然と言えば当然の措置だったのかもしれません。
しかし、海沿いのあるチームの監督から、本部に1本の電話があったそうです。
「家も何もかも流されてしまったが、俺たちは生きている。野球道具もユニフォームも無いけど、ジャンボ大会はやってくれ!子供たちが楽しみにしている…子供達は野球をやりたがっている!」という内容のものだったそうです。
この話を聞き…
何とかならないものか…?

ある人は、道具集めを始めました。
ある人はグランドの確保を…

そして、全国からたくさんの道具が送られてきました。(写真)
私も、集められた野球道具を海沿いのチームに配るお手伝いをさせていただきました。

たくさんの方々の協力&尽力により、
ついに、8月16日 3カ月遅れで、Kスタで「ジャンボ大会」の開会式が行われることになりました。

真夏の太陽の下、前年度優勝の「大街道キッズ」を先頭に、289チームが入場。石巻の「稲井マックス」は、津波で亡くなった監督の遺影を持っての入場行進。実に堂々とした行進で、見事行進賞をとりました。
5年前の優勝チーム、「荒浜ビッグウェーブ」はぎりぎりの人数でした。キャプテンは他の小学校に通いながらも、「自分はこのチームのキャプテンだから、自分が戻らなければこのチームはなくなってしまう、皆が戻れる所を無をなくしたくない…」と、今通っている小学校のチームではなく、ビッグウェーブを率いての入場行進!
凛とした強さを感じました。

今年のジャンボ大会には、各チームに、それぞれのドラマと思いがありました。
そんな今年の大会も、いよいよ大詰め。
明後日10月2日に「準決勝&決勝」が行われます。

たかが少年野球、されど野球!
子供達から多くのことを教えてもらった
2011年実りの秋です。

さー続いては 梅島アナです!

震災から半年

柳沢 剛

2011/09/21

あの日、あの時…
私は、東京お台場にいました。

そして…
フジテレビからの要請を受け、新木場の東京ヘリポートへ…
しかし…
都内は大渋滞…
このまま車に乗っていては間に合わない…
スーツに革靴、出張用のバッグを2つ抱え、液状化でひび割れた湾岸道路をひたすら東へ走る…。
足はパンパン、汗びっしょり…

待たせてしまったヘリコプターに飛び乗り…
呼吸が整う間もなく上空へ!

1時間半後…

角田から阿武隈山地を超え、目の前に広がった光景…。

思わず…
絶句…

山元・亘理・岩沼・そして私の住む名取…
海岸線からはるか内陸まで海水が…

心拍数があがり極度の興奮状態に…
「冷静に!冷静に!」

唯ひたすらしゃべる…

「市場が無くなっています。ここには、笹かま工場があったはずです…」
「全てが流されてしまいました…」

そして、さらに凄まじい光景が飛び込んできた…
炎上するコンビナート・脱線した電車、大型船が道路に乗り上げ…

石巻・雄勝・北上・志津川・歌津・本吉・気仙沼・唐桑、さらに北上して陸前高田・大船渡。

めざましテレビの中継でお世話になった人々の顔が、その町・その漁港ごとに目に浮かび……

「頼む!生きていてくれ!!」

上空から何度も何度も祈った…
そして絶対に見たくない…想像を超える光景を目の当たりにして…

また祈った…

燃料ギリギリまでのフライト。
着陸しても全身震えていた…




祈ることしかできなかったあの時から半年。
ガレキは徐々にかたずけられてきましたが…
人々の心はどうでしょうか…?
様々な人の話を聞けば聞くほど、復旧・復興の格差を感じる昨今…
前向きに頑張る人と共に、取り残されてしまいそうな人にも目を向け、伝えていかなければならない…。
それぞれの利害を超えて…
「ともに乗り越える!」
そんな気持ちに、皆がなれたら…
本気でそんなことを考えている今日この頃…。

今、何が出来るのだろうか?
何をやらなければいけないのだろうか?
答えが出ないときは…。

とりあえず、動こうか・・・。


次は 寺田アナです!

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