アナ・ログ

新年度 2017

佐藤 拓雄

2017/04/03

新年度です!
自分は何も変わっていないのですが、どこか新たな気持ちになりますね!

私たち仙台放送も、この4月、新入社員たちを迎えました。
アナウンス部には男女1人ずつの2人。

高橋咲良(たかはし・さくら)アナウンサー(女性)と、
下山由城(しもやま・ゆうき)アナウンサー(男性)です。

高橋アナは、3月に大学を卒業したばかりの、新社会人。「アナウンサー」と呼ばれるのも、もちろん今月からという、ピカピカの一年生です。
下山アナは、すでにアナウンサーとしての経験を積んで、別のテレビ局から移ってきた即戦力です。

下山アナは、3月いっぱいギリギリまで前の会社での仕事をしていましたが、高橋アナは、入社を前に先月から、仙台放送で研修を行っています。
私、金澤アナ、寺田アナ、梅島アナの4人が講師となり、心構えから始まり、発声、発音、滑舌、そしてニュースや天気予報と、基礎・基本をみっちり研修しています。
写真は、研修の必須アイテム。フジテレビ系列で使っているオリジナルのテキスト、用語ハンドブック、電子辞書、アクセント辞典、ストップウォッチなどなど。
20数年前、私も、入社前の3月から研修を受けました。
講師役として教えていると、当時を思い出し、その時の講師の大先輩はこういう気持ちだったのだろうなと、今頃になって分かるようなことがいくつもあります。講師役の私たちも、日々勉強、日々成長ですね。

あす、あさってと、その仙台放送の新しいアナウンサーが、初めての「アナ・ログ」をアップします。
まずは、高橋咲良アナウンサーです。

通信簿の思い出

佐藤 拓雄

2017/03/28

子どもたちは小学校の最初からずっと2学期制。
3学期制で育った私にとっては、夏休みが始まる前日に通信簿がない、10月初めごろに通信簿、冬休みが始まるのに通信簿なし、という違和感はいまだになくなりません。

・・・まあ、そんなことはどうでもいいですね。

さて、もはや自分の通信簿のこととなると、小学校低学年の頃、決まって「落ち着きがなく、いつもちょろちょろしている」的なことを書かれていたことくらいしか思い出しません。確かにそういう子どもでした。

時は流れ、親の立場で通信簿を受け取るようになり、気になるのは、「5・4・3・2・1」の評定よりも、先生からの一言欄。我が子が、学校でどんな様子なのか、先生の目にどう映っているのか、数行の文章に凝縮されています。
先生はよく見ているなあと感心させられたり、そんな面もあったのかとよい意味で驚かされたり。
その先生の一言が、子どものスイッチを入れる魔法の言葉になったこともあります。

だから、というわけではありませんが、先生に返す時の「家庭から」の数行は、結構一生懸命考えて書いています。
通知表を学校に返すのは前期だけですので、年に1回ですが、先生への返信、というだけでなく、夫婦で、子どもそれぞれの1学期を振り返る絶好の機会にもなっています。

でも、そういうのも、中学卒業までの9年間だけですね。
高校に入ると、無機質な(と言っては失礼か?)数字だけの「成績通知表」。親の出る幕はありません。
この春、長男は高校を卒業しましたので、それすら、「卒業」。
こうやって、親と子は少しずつ離れていくのでしょうか。

離れる、と言えば、今月いっぱいで、2人のアナウンサーが、仙台放送を離れることになりました。
木下瑠音アナウンサーと、高谷恵倫アナウンサー。
2013年入社の同期コンビでした。
まずは、明日、木下アナウンサーからご挨拶と、「通信簿の思い出」です。

2017年 ともに

佐藤 拓雄

2017/03/08

震災翌月に放送を始めた「ともに」という番組を当初から担当しています。

写真は、先日、その「ともに」で訪れた、山元町のいちご園の「いちごカレー」。ここにカレーをかけると、さらにインパクトのある見た目ですが、これがかなり美味しいんです!よかったらお試しください。

さて、先日、デスクの整理をしていたら、「ともに」の番組開始にあたって当時のプロデューサーが作った、番組の最初の構成案が出てきました。手書きで、「書きなぐった」と言ってもよいような粗削りの書類。震災発生直後、私たちも大混乱の中、すべてが混とんとしていました。ただ、その構成案からほとばしるのは、とにかくこの未曾有の大災害からなんとか立ち直っていきたい、私たちの住む宮城を復興させたい、皆で「ともに」支えあいながら歩んでいこう、という強い思いです。
今月で丸6年、私たち番組にかかわる人間は、その思いを忘れたことはありませんが、6年でずいぶん状況は変わってきました。

去年、県が発表した県民意識調査では、7割以上の人が、「震災の記憶の風化が進んでいる」と回答しました。「風化が進んでいると感じる時」のトップは、「新聞やテレビなどでの取り上げ方」。
テレビの人間として、実感と反省の念をもって受け止めました。
6年経った今、発生当初から定期的な放送として続いている震災番組は、非常に少なくなりました。私たちマスメディアは、「記憶の風化」を懸念し、声高に訴えながら、一方では、人々が風化を感じる材料を提供しているとも言えるわけです。皮肉で実に歯がゆいですが、これが現実でもあります。

しかし、だからこそ、私たちが、「ともに」を放送し続けていることに、少なからぬ自負もあります。番組を続けていること自体にも、大きな意義があり、メッセージになるのだ、と信じて、毎月、放送にあたっています。
震災発生当初から、私は、「最後の一人が復興したといえるまで私たちは伝え続けます」と言い続けてきました。私たちの宮城県は、当時の「混とん」からはだいぶ抜け出した感はありますが、しかし、「最後の一人の復興」はまだまだ先になりそうです。その日が来るまで、いや、そのあとは、震災を知らない人たちに、私たちは伝え続けなければいけないのだと思っています。

明日は、梅島アナウンサーです。

恩師

佐藤 拓雄

2017/03/01

出張で泊まったホテルの部屋から富士山が見えました(写真)得した気分。

さて、「恩師」というと、何か人生の大恩人のような響きがありますが、辞書を引くと「教えを受けた先生。師に対する敬称」とだけあるので、大恩人でもなく、感謝もしていない先生のことを書きます。

小2のときの担任。
クラスも担任もかわった4月に、やってきたのは産休補助の若い先生でした。
正式な担任は、産休育休で、スタートから顔も見たことがない状態。
今思うと、なんでそんな人を担任にするのか、と学校に腹も立ってきます。
ただ、産休補助で来てくれていた先生は、とてもいい先生でした。

問題は、学年途中から現れたその正式な担任です。
これが、とんでもない、今で言う「体罰教師」だったのです。

忘れ物をした子を立たせるなどは日常茶飯事。
今でも覚えているのは、黒板の前に並ばされ、両手を挙げて立っていなさい、という罰。
何をした罰かは覚えていないのに、受けた罰は鮮明に覚えているのですから、教育的効果もゼロですね。
この体罰、5分もその姿勢でいたら、二の腕あたりに血がたまって、腕がジンジンと重くなり、大変な苦痛です。
そんなことを小2の子たちにさせていたのです。

もっとひどかったのは、給食で使うランチョンマットを忘れてきた子に、給食を一口も食べさせなかったこと。
給食の時間中泣いていたのが忘れられません。

何度も言いますが、小学2年です。
本当にショックでした。

さすがに何人もの親たちが懇談会か何かで言ったようですが、体罰が止むことはなかったと記憶しています。
それでも、問題が社会化しなかったのは、時代、ということなのでしょうか?

そして、先に書いたように、その先生は産休育休明け、つまり、赤ちゃんのいる女性です。
そんな人が、なぜ小学2年生にこんなひどいことをできたのか?
今この先生はどこでどうしているのか、私は全く知りません。

その後、もう一人、中学のときに「ケツバット(プラスチック)」をする体罰教師に出会いました。
でも、この「ケツバット」、自分も何度もやられましたが、ちっとも心に傷を受けていないどころか、この先生のことは好きなほうに入ります。

明日からは新テーマで稲垣アナウンサーから。

スイーツ

佐藤 拓雄

2017/02/13

私は大の甘党ですが、「スイーツ」という言葉は使いません。使いたくありません。

甘いもの全てを、なんでもかんでも、一切合財、ひと括りに「スイーツ」なんていうのは嫌いです。
いつからこういう言葉が使われるようになったんでしょう?
多分マスコミ発だと思いますが、そうしてあっという間に言葉が拡がっていくのは、何か空恐ろしいものさえ感じます。
私自身がマスコミの一員ですが、私の小さな抵抗など、多勢に無勢、なんの力もありません。

極めつけは「和スイーツ」。
なんじゃそりゃ。
「和菓子」と言いましょうよ。

つまらない話ですみません。

そんな私ですが、最初に言った通り、大の甘党、甘いもの大好きです。
特に、和菓子大好き、あんこ大好き。
饅頭、大福、お汁粉、団子、ようかん、練り切り、最中・・・
和菓子屋さんに入ると、毎回、全てを買い占めたいという衝動に駆られます。
私の親に聞いた話では、離乳食が終わるか終わらないかぐらいの頃から、あんこ大好きな子どもだったとか。
幼稚園児だった頃には、直径15センチくらいのずしっとした大きな饅頭(「葬式饅頭」と言ったら分かりますか?)を平らげ、周囲に驚かれて、それにこっちがびっくりしたという記憶が鮮明に残っています。
なぜあんこが好きなのか、理由も理屈もありません。生まれつき好きなのです。

そういう嗜好、性質というのは遺伝するのでしょうか。
私の子どもたち、特に男の子二人、中でも次男は、私と好みがそっくりです。
次男もまた、離乳食終了直後からアンパンをおいしそうにパクパク。
やはり、生まれつき好きなようです。

次男が2歳くらいの頃だったか、初めてようかんを食べさせてみたところ、あっという間に一切れ平らげ、言った言葉が、
「あんこ、おかわり!」
佐藤家あんこ男子の面目躍如、といったところでしょうか笑

★写真★先日静岡へ出張し、帰りの新幹線の中で安倍川もちを食べました。
静岡土産といえば、あの「夜のお菓子」も大好きです。これが「夜のスイーツ」なんて変わってしまったら、私は大いに嘆くことと思います。

バレンタインデーの明日は、木下アナウンサーです。

冬の楽しみ

佐藤 拓雄

2017/01/31

年明け、バスケットの天皇杯を観に行きました。
安い自由席だったのに、こんなにいい場所から観られて得した気分。
周りは、バスケット通と思しき方が多く、反応するポイントに、目が肥えていると感じさせられました。なかには、初老のご夫婦もいて、これまたバスケットをよく知っていらっしゃる様子。こういう老後もいいなあと思いました。
バスケットのシーズンは冬が中心ですから、まさしく「冬の楽しみ」です。


さて、ずっと欲しくて、でも買うべきかどうか迷いに迷って、最近とうとう買った、というものがあります。

テレビ放送全局を丸ごと録画できるレコーダー。
仙台の地上波テレビ6局をおよそ1ヶ月分録画できます。
この1年ぐらい、買うべきか買わざるべきか、行ったり来たりしてきましたが、結論、さっさと買っておけばよかった。
まあ、こう思える買い物は、成功ということですよね。

これで、見たかった番組の録画し忘れも、あとから話題になった番組を「見ておけばよかった、録画しておけばよかった」と悔やむことも、録画したかったけど他の録画と重複して見られない番組も、もうありません!
テレビ録画のストレスゼロ、ユートピアです。

・・・そんなに録って、いつ見るの?という声が聞こえてきそうですが、かなり使ってます。主に私と妻ですが。

普通の使い方としては、他局のニュースをささっと見る。
ドラマは、どうしても残したい、と思えるものは別として、とりあえず気になるものの第1回を見てみる。
会社にいるときに、途中から目にして気になった番組を、帰宅後に最初から見る。
ワイドショーや情報番組も、気になったところだけ見る。
そのほか、大相撲で珍しい決まり手があったと聞けば、その部分を探して見る。
「某大物歌手が、某番組で、某司会者の態度を批判」という話題が出れば、その番組を探して、件の場面を確認する。
などなど。
逆に、数日前のテレビでも、話題になったものはないかな?とか気にするようになったり、テレビライフがかなり自由になりました。

これが私の、この「冬の楽しみ」ということで。

明日は柳沢さんです。

2017年 どんな年に?

佐藤 拓雄

2017/01/10

今年はとてものんびり穏やかなお正月でした。
年越しものんびり。

それもこれも、入試本番直前の長男がいるため、どこかへ泊りがけで出かけるわけにもいかない、というのが大きな理由です。
長男以外の子ども二人は、退屈だったのかもしれませんが、大人は、こういう年末年始もいいものです。

もちろん、当の長男は「のんびり」どころではなく、大晦日も元日もなく勉強にいそしんでいます。・・・と思われます。勉強のはかどり具合なんて本人以外分かりませんし、ハラハラさせられた高校受験とは違って、大学受験の勉強に親の出る幕なし。体調を崩さぬようにと見守るのみです。とはいえ、インフルエンザをはじめとする感染症を家に持ち込まないように、ということには多少神経質になっていますし、教育費を負担する立場としては合否は重大問題、なにより、本人の望む結果が出てほしいと願う気持ちはいつだって同じです。

でもとにかく、長男を心配してこちらもモヤモヤ、なんてことはなく、家族でのんびりお節を食べたり、父と楽しく飲んだり、次男とちょこっと遊んだり、気分よく年末年始の休みを過ごしました。

こういうふうに、気分よく、機嫌よく過ごす、これを基本にしたいなあと、改めて思っています。
仕事が再開すれば、そんなことも言っていられませんし、面白くないこと、嫌なことも、たくさんあるわけですが、そんなマイナスのことに自分の感情や時間を持っていかれないように、気分よく、機嫌よく。そんなプラス向きの時間のほうが多い毎日でありたいと思っています。

年明けの仙台放送前。気持ちのよい空が広がっていました。

明日は、金澤アナウンサーです。

今年の漢字 2016

佐藤 拓雄

2016/12/19

右手の人差し指の関節を痛めてしまいました。
原因は全く分かりませんが、かなり痛くて、医者からは「湿布を貼って、とにかく動かさないこと」と指示されました。といっても、実際痛いので動かせないんですけどね。ちなみに、痛風ではないようです。
そうなって思い知ったのは、指たった一本使えないだけで、こんなにもいろいろ不自由なのか、ということ。
パソコンのマウスのクリック一つですら支障があるのですから。当面、中指と薬指でクリックです(苦笑)
で、マウスの写真です。すみません。

さて、前置きはこのくらいにして、「今年の漢字」は、「始」にします。
人差し指とは何も関係ありません。

今年、我が家では、次男が小学校入学、長女が高校入学と、新しい生活が始まりました。
長男も、高校野球を最後までやって、夏に引退。それを境に、かなり遅ればせながら、受験を目指して新たな生活を始めました。
子どもたちの「始まり」は、親にとっても「始まり」です。
それぞれの生活と目標を、精一杯バックアップするだけです。
妻も、春から新たな挑戦を始めました。
私は・・・?うーん、あまり思い当りませんが、親としての新たな局面が始まった一年、ということで。

それでは、皆様、よいお年を!

明日は、稲垣アナウンサーです。

この冬食べたいもの

佐藤 拓雄

2016/12/02

先日、出張で宮崎へ行きました。
宿泊先のすぐそばに、青島という小さな島があり、朝、散歩がてら行ってみました。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、島の周囲が奇妙な形の岩で囲まれています。

その名も「鬼の洗濯板」。
写真がそれです。

現地の案内板によると、国指定の天然記念物で、
「新第三紀(2400万年~200万年前)に海床に規則的に堆積した砂岩と泥岩の互層が傾き海上に露出したものが、波の浸食を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたもの」。
「鬼の洗濯板」は通称で、天然記念物としての名称は、「青島の隆起海床と奇形波蝕痕」だそうですが、まさしく「鬼の洗濯板」。よくぞこんな呼び名を付けたなあと感心します。
写真に撮るとこんなものですが、とても小さな写真では表現できない、カメラに収まりきらないスケールでした。本物をご覧になることをお勧めします。

たまたま朝つけたテレビで、「俳優の阿部寛が、青島を訪れ、鬼の洗濯板でスマホ写真を撮っていると、そこに鬼がいて、洗濯機を回している」というコマーシャルを見て、これは、今すぐ行ってみよう、と思い立ったのがきっかけです。
私はてっきり洗濯機のコマーシャルだと思い込んでいたのですが、今検索してみたら、九州の光ネットワーク会社のコマーシャルでした。記憶や印象なんて曖昧なものですね。

で、この宮崎からの帰り、空港で「青島ういろう」というものを買って帰りました。
写真を撮り忘れましたが、鬼の洗濯板を模して、斜めに重ねて包んであるのです。
何気なく買って帰ったところ、数種のお土産のうち、最も家族に好評でした。
買ったその日が製造日、賞味期限がその翌日、つまりは、保存料も何もなし、なのでしょう。ですから、取り寄せもできません。
だから余計そう思うのか、また食べたいなあと、なんだか毎日のように思い出しています。

これじゃ、「冬に食べたいもの」じゃなくて、「冬に食べたもの」の話か??それに、冬じゃなくてもいい話でしたか。

次は、金澤アナウンサーです。

健康の秘訣

佐藤 拓雄

2016/11/23

健康の秘訣。
そんなものがあるなら、誰か教えてください。

どんなに気をつけても風邪はひくし、予防接種をしてもインフルエンザが感染ることもあるし、こんな仕事をしているのに声が出なくなってしまうこともあります。

そして、以前にも似たようなことを書きましたが、同世代の知人や友人、有名人が重病になったり、病気で亡くなったりすることに直面するたび、「健康」というものが、いかに脆くて危ういものであるか、明日も健康であることなんて全く保証されていないのだ、ということを思い知ります。

つい先日、同い歳の友人が病気で亡くなりました。
20代の独身時代、よく二人で酒を飲んだ仲でした。
高校時代は野球で鍛えたそうですが、酒も煙草も好きで、あまり健康に気をつけているというタイプではなかったと思います。それにしても、40代での旅立ちは、あまりに早すぎます。
なぜ彼は亡くなり、私は今のところそうではないのか。
何も大きな差はないと思います。
こんなことを思うにつけても、「健康の秘訣」なんて、軽々しく書けません。

またしても、景気のよい話ではなくなってしまいました。



写真は今朝の仙台放送近く。イチョウの葉がかなり落ちました。当然、においもすごいです(苦笑)

明日は、柳沢部長です。

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