アナ・ログ

水のこだわり

佐藤 拓雄

2022/08/09

水に関しては、「こだわり」というほどのものがありません。
できれば、よく冷えたものではなく、常温の水を飲むようにしていることくらいです。
この何年かで、コンビニエンスストアでも、あえて常温の水を置くようになったのを見ると、ニーズは私だけではないのですね。

それとは別に、私は、一日で飲む水の分量が少ない方だと思います。
500mlを飲み切るか飲み切らないか、というくらいしか飲みません。というか、飲めません。
仕事の日は、たいてい500ml弱の水筒に水を入れて持っていくのですが、これが空になるのは、よほど暑い日くらいで、大抵は少し余ります。

適正な水分摂取量がどれくらいかは諸説あるようですが、毎日1リットルだとか、2リットルは必要だ、とか言われても絶対に飲めないのですが、と思っていたところ、「個人差があるので、無理に飲もうとしない方がよい」という医師の見解を何かで見かけてほっとしました。
まあ、そういう体質の人間もいる、ということで。

そんな私ですが、ビールは大ジョッキでもグイグイ入ります(笑)不思議ですね。

【写真】仕事の帰り道、仙台放送すぐそばの交差点で、きれいな夕焼けに出会いました。水とは関係ありません。


明日は下山アナウンサーです。下山さんも、水よりお酒でしょうね(笑)

夏休み!

佐藤 拓雄

2022/07/15

思い出したのは、長男が中学生の時の夏休み中の、ある光景です。

当時、長男は、夏休み中も毎日のように野球部の練習に行っていました。
ある日、忘れ物を届けに行ったら、30度を超える灼熱のグラウンドで行われている練習を、じっと見守る顧問の先生の姿がありました。
この先生は、野球経験者ではないので、自らノックを打ったりして指導することはありません。50代後半と思われる年齢を考えると、猛暑のグラウンドに立っているだけでも(文字通り、立っていました)、相当きついと思います。そのような先生が、息子たち中学生を見守ってくれていることに、親として頭が下がり、ただただ、感謝の念を持ちました。

こうした環境・支えがあって、長男たちは好きな野球をできている、ということ。
もちろん、親は親で、子どもの部活動を支えていますが、親がいくら頑張っても、顧問の先生なしでは成立しないのが部活動です。

その後、学校の先生方の部活動の負担、ということがあちこちで言われるようになり、それもその通りだと思いますが、私がこの話になるといつも思い出すのは、この顧問の先生の姿です。
美談にするつもりは全くありませんし、そうした議論をこのエピソードですり替える気持ちも全くありませんが、理屈抜きに、親の一人としてこの時抱いた感謝の気持ちを忘れることはありません。

【写真】は、まさにその時期に、長男の中学校のグラウンドで撮った1枚です。


次は、高橋咲良アナウンサーです。

宮城の魅力再発見

佐藤 拓雄

2022/06/24

きょうから新たなお題「宮城の魅力再発見」です。
私たちの「ホーム」宮城の魅力を改めて各アナウンサーが語っていきます。


さて、私は、宮城に住んで今年で34年目。大学入学と同時に宮城県にやって来ましたが、住み始めてすぐ、全てが快適であることに気がつきました。

気候が穏やかで、真夏でも夜は涼しく寝苦しくない、冬も思ったほど寒くなく雪も降らない(当時)。
食べ物がなんでもおいしい。
都会と田舎のいいところが両方あり、何でも手近にある。
などなど。

気候はこの30年でだいぶ変わってしまったような気がしますが、それでも、連日猛暑日あるいは冬の豪雪という地域のことを思うと、なんとよい環境か。

また、私の大学入学前後は「バブル期」。東京の実家で目にしていた不動産広告は、どれも〇億円という物件ばかりで、自分が家を持つことなど考えられませんでしたが、宮城ではそれほどでもなかったことにも、当時二十歳の私は驚き、ずっとここに住みたいと思うようになりました。

そして、運よく宮城県で職を得て、この快適な環境にどっぷり。
私の場合、通勤も徒歩圏内で、職住接近。通勤ラッシュともほぼ無縁です。

・・・どうも「再発見」話になりませんが、東日本大震災の発生後、沿岸部を訪れる機会がそれまでよりも格段に増えた中で、海産物をはじめとする食の豊かさ、人の温かさとたくましさ、自然の美しさ(と厳しさ)を、改めて知ったことが「宮城の魅力再発見」だったかもしれないと思っています。

【写真】宮城の魅力が詰まった丼。こういうものがすぐそばにあるというのは、なんと幸せなことか。ただ、サケやウニの不漁、物価高などの影響を受けて、今、厳しい事態に直面しているとか。心配です。

次は、伊藤瞳アナウンサーです。

贈り物

佐藤 拓雄

2022/06/20

今思い出しても、胸が熱くなる贈り物があります。
13年前、次男が生まれて間もなく、知り合いの方からいただいたお祝いです。

やさしい肌触りのタオル製品のセット。
それだけなら、胸が熱くなる、というほどではないかもしれませんが、そのなかのバスタオルとタオルハンカチに、次男の名前が刺しゅうで入っていたからです。

ひらがなで刺しゅうされた次男の名前に、胸がじんとなりました。
当時、家族以外のほとんどの人からは、まだ名前すら呼ばれたことのない、次男という存在が、世の中から認められたような気持ちがしたのです。
我が次男坊、ここにあり。そんな誇らしい気持ちにもなりました。

【写真】がそのタオルハンカチです。
当時、うれしくて、いつも次男の枕元にこうして置いていました。

それから13年。中学生になった次男がこのタオルを使ってくれることは、さすがにありませんが、今でも大切な、我が家の宝物です。


明日は、梅島さんの「贈り物」エピソードです。

今〇〇に夢中です

佐藤 拓雄

2022/05/24

「夢中」というほどでもないのですが、このところ、休日にラーメンを作ることが多いです。

時々、妻が仕事のため昼食は私と次男の二人で、という日があるのですが、何がきっかけだったか、スーパーで売っている、名店やご当地ラーメンの味を再現した生めんタイプのラーメンに、あれこれ私なりの想像を働かせて具をのせ、まるでお店のラーメン!という形で食べるのが、いつの間にか定番になっているのです。

売っているものを、順に次々と買って食べてみていますが、具は毎回同じではなく、冷蔵庫にあるものを中心に、このラーメンならこういう具が合うのでは?と考えて作るのが楽しく、過去に食べたお店のラーメンを思い出し、かつ、自分の頭の中にある知識を総動員しながら、店で食べるかのような、美味しい一杯を追求しています。パッケージの通りに再現するのではなく、あくまで自分の想像と創造で、というのがミソ。
また、数種類の具を準備し、麺とスープが伸びない・冷めないように完成させるには、意外と段取りが重要で手間もかかるのですが、そういうことを順序だてて考えて取りかかるのも楽しいのです。
「脳体操」の川島隆太・東北大学教授が、「料理は脳によい」とおっしゃっていたはずですが、それも実感として分かります。

私と次男は食べ物の好みが似ていて、次男が好きそうな味は私にとっても好きな味、私が美味しいと思うものはだいたい次男も美味しい、となるので、意見の不一致は全くなく、毎回大喜びして、あっという間に平らげてくれます。

【写真】は、その次男が特に気に入っているもので、仙台の有名店のラーメンを再現したもの。具はもちろん私のオリジナルなのですが。

このラーメンにものせていますが、私たち親子のラーメンで欠かせない具の一つが、半熟卵です。
自分で言うのもなんですが、まるでお店で出てくるようなクオリティーで、かつ、絶対に失敗しない作り方をマスターしてしまいました。(・・・偉そうに言っていますが、ネット検索です。)
ただ、殻をむいたときに、白味が痛むと、少し凹みます(笑)

まとまりなく、本題から逸れていくばかりですが、今回はこのへんで。


明日は、寺田アナウンサーです。

理想の休日

佐藤 拓雄

2022/05/17

13年前、次男が生まれた時に、育休を取りました。
ほんの2ヶ月弱ですが、産後間もない妻を休ませるため、家事の一切を引き受け、朝から晩まで目まぐるしく働き、夜になるとエネルギー切れでバタンキュー、というような、実にハードな毎日でしたが、私にとっては、とても幸せな日々でした。

習い事から帰ってきた上の子たちとの、「あーお腹空いた〜、晩ごはん何?」「今日は〇〇だよ」「やったー!!」というやり取りは、13年経った今でも、思い出す度に、心が満たされます。
あー、自分はこういうことをして生きていきたいのだなあ、と当時もしみじみ思ったものです。

もちろん、家事・育児はよいことばかりではなく、辛いこと、苦しいこと、心配なこと、思うに任せないことがたくさんあります。
育休中も、そして今も、家族のことで忙殺されると、あー!一人の時間が欲しい!!!と思ってしまう自分もいます。
それに、時が経ち、自分の中でよかったことばかりが思い出として残り、美化されている点もあると思います。
たった2ヶ月で何が分かる、というお叱りの声も聞こえてきそうです。
それでも、家族のために、ということだけを考えて暮らせたあの日々には、私の人生の一つの理想があったと思っています。

ただし!
育休が「休日」なんていうのは全くの間違い!
確かに外で働く仕事は休むので、「休日」「休業」ではありますが、本人は24時間休みなし、正直、体力的には、外での仕事のほうが楽なのでは?と思うくらいハードでした。
「育休」という呼称を変えようという動きもあるようですが、経験者の端くれとしては、それにも一理あると思います。

理想の「休日」というテーマからは、微妙にはずれた話になってしまいましたが、ご容赦ください。

【写真】新緑に青空とビル群。「杜の都・仙台」と呼ぶにふさわしいと感じた、今月上旬の仙台駅近くでの景色です。

明日は、高橋咲良アナウンサーの「理想の休日」です。

好きな言葉

佐藤 拓雄

2022/04/22

まずは【写真】から。
春らしいどら焼きを食べました。
「さくらどら」。
真ん中の淡い桜色の部分は、桜のクリームです。クリームといいましたが、ホイップというか、ムースというか、そういう軽い感じで、上品な桜の香りがしてきます。塩漬けの桜のほのかなしょっぱさが、あんこによく合います。
今まで食べたことのない、すばらしい一品でした。

さて、本題。

「一隅(いちぐう)を照らす」という言葉を大切にしています。

このアナ・ログでも書いたことがありますが、天台宗を開いた最澄の言葉だそうです。
震災発生間もない頃に、被災地の取材で出会った僧侶の方に教えていただいたものです。
一人一人が自分の持ち場をしっかり果たすことで社会がよくなるという意味だということです。

この言葉を知って以来、日々、持ち場をしっかり果たそうと、つまり、一隅を照らし続けている、いや、一隅を照らす努力を続けていると思うのですが、ここへ来て、しかし、世の中よくなっているのか???という疑問が頭の中に何度も浮かぶ今日この頃(苦笑)。

しかししかし、諦めてはいけないのでしょうね。
自分の持ち場で、できることを愚直に。
実際、それしかないわけですから、この言葉を信じて、日々を送っていきたいと思っています。

続いては、この4月で入社3年目に入った、伊藤瞳アナウンサーです。

春です

佐藤 拓雄

2022/03/31

11年前を思い出すような春先になりました。
被害を受けた方々に、心よりお見舞い申し上げます。


さて、この春、仙台放送アナウンス部は、2年ぶりに新しい仲間を迎えることになりました。
今年も例年通り、3月1日から、アナウンサーとしての基礎を身につけてもらうべく、研修を行っています。
【写真】は、広報写真撮影風景です。
入社前につき、2年前の伊藤瞳アナウンサー、3年前の堤勇高アナウンサーと同様、正面の顔は明日ということで。

そして、我が家の春。
今月初めの「卒業あれこれ」で書いたように、長男が大学を、次男が小学校を、それぞれ卒業しました。
長男の卒業式は、コロナの影響で親は会場に入れないことになったこともあり、ライブ配信で見ましたが、我が子がどこにいるのか分かるわけもなく、やはり味気なさは否めず。
その晩になって送られてきた、卒業証書を持った長男の写真で、実感がわいてきたようなところがありました。

次男の卒業式は夫婦そろって出席できました。感染対策で窓を開放し、会場内はコートを脱げないほどの寒さでしたが、温かい雰囲気の卒業式でした。
保護者としても、長男から始まり、3人合わせて14年間お世話になった小学校にいよいよお別れと、別の意味の感慨もありました。

両方の卒業式で、共通していたことが一つ。
校歌斉唱や君が代斉唱などの場面で、「感染防止のため、心の中でお歌いください」というアナウンスが入るのです。
どちらも判で押したように同じ言い方で、今の式典のテンプレートになっているのでしょうか。
皆分かっているのだから、こんな偽善的なごまかしを言わなくてもいいのにと、そこだけはがっかりしました。
コロナ禍での卒業式、いろいろ学校側も大変だったと思いますが、こういうところも大切にしてほしいものだと思った私は、ひねくれているのでしょうか。


さて、次回のアナ・ログは、新人・千坂紗雪(ちさか・さゆき)アナウンサーです!(「アナウンサー」という呼称で紹介されるのは、きょうが人生初かもしれませんね。)

東日本大震災11年

佐藤 拓雄

2022/03/11

東日本大震災は、今日でちょうど11年になりました。

その分、震災を経験していない世代が増えた、ということでもあります。
小学生以下は、震災後の生まれか、当時乳幼児で震災の記憶がありません。

子どもだけではなく、大人にも、そういう側面があります。

最近、地元紙・河北新報に、震災後に入社した若手記者たちが、震災をどう伝えていくか、ということを特集した記事がありました。
2年ほど前には、阪神淡路大震災の被災地の地元紙・神戸新聞が、震災後の入社が6割になり、どう伝えていくかを模索している、という新聞記事を読みました。

私たち仙台放送でも、震災後の入社、つまり、取材者・伝え手として震災を経験していない人が、毎年増えています。
アナウンス部も、現在在籍している11人のうち6人が震災後の入社です。

確かに、発生当時から震災を伝えてきた人と、震災後に入社した人では、経験や受け止め方に違いがあるでしょうし、見えているものが違うことは想像できます。

ただ、私は、それでいいと思います。
大切なことは、被災した宮城県のテレビ局として、伝え続けていくこと。

震災発生直後から、折に触れ言ってきたことですが、最後の一人が「復興した」と言えるまで、伝え続ける責任が私たちにはあります。それだけではなく、震災を知らない世代に伝えていくことも、これからますます大切になってきます。

震災後に入社した後輩たちには、固定観念にとらわれることなく、必要以上に構えず、等身大の感性で、震災に向き合ってほしいと伝えています。
伝えること自体を次の世代に繋いでいくことも、自分の責任の一つだと思っています。

次は、その震災後入社世代の一人、西ノ入アナウンサーです。

卒業あれこれ

佐藤 拓雄

2022/03/04

我が家では、今年、次男が小学校を卒業、長男が大学を卒業します。
どちらも親として感慨深く、どちらの卒業式にも出席したい気持ちはありますが、長男の大学の卒業式は、コロナ対策で、保護者の来場はNGに。
当の長男は、「大学の卒業式に親は来なくてもいいでしょう」と斜に構えたようなことを言います。
「親の心子知らず」とはよく言ったものです。
そう言えば、私自身の大学の卒業式に母がわざわざ来ましたが、私自身も「別に来なくてもいいのに」と思っていました。やはり、親の心子知らず。結局同じことを繰り返しているのですね・・・(苦笑)

その長男の小学校の卒業式は、2011年。東日本大震災の直後でした。
小学校の体育館が避難所になったため、卒業式が延期になり、確か10日以上遅れて、時間を短縮した卒業式が行われました。
【写真】はその時のもの。体育館ではない、校舎内の広場のようなところで(もちろん室内ですが)、どことなく「間に合わせ感」がありますが、先生方の思いも感じます。

一方、次男の小学校の卒業式は、今のところ親の出席も可で、挙行される見通しですが、コロナ感染増加で、式の練習はもちろん、合唱の練習もできなくなっているとのこと。
仮に今後感染がさらに増えた場合、親の出席不可とか、卒業式そのものが中止、ということもありはしないか、などと少々気を揉んでいます。

奇しくも、長男も次男も、小学校の卒業式がイレギュラーな状況下となり、いつも通り・例年通り、ということは当たり前ではない、と感じますが、我が子の節目で抱く、親としての気持ちは、セレモニーがどうであるか、ということには全く影響されず、いつだって大いに感慨深いのです。
そして、そんな親の心を、子どもはちっとも分かっていない、ということも、これまた普遍の原理ですね(笑)

次は、梅島さんです。

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