金澤 聡
2023/03/08
あの震災発生から5か月後の2011年8月1日。
青森県を会場に行われた北東北インターハイ、バレーボール女子決勝。
古川学園の山田キャプテン(当時)は、被災地に勇気と希望を届けたいと誓ってインターハイの決勝の舞台に立っていました。
相手は宿敵、バレー強豪校の大分・東九州龍谷。
この年の震災発生前の1月に行われた春高バレー全国大会決勝で逆転負けを喫し、古川学園はインターハイ、国体、春高の高校主要大会3冠達成を最後の最後で逃しました。
立ちはだかったのは、その東九州龍谷でした。
この年の3月以降、学校の体育館が地震の被害で使用できず、寮生活だった選手たちは一時自宅へ避難。全員揃って練習を始められたのが5月。被災地が困難な状況下の中でバレーができることに感謝しながら練習を再開。
インターハイは十分な練習ができないまま臨んだ大会でしたが、自分たちが勝利することで少しでも宮城が勇気づけられて元気になってくれればと恩返しの思いを胸に、気迫の勝利を重ね決勝まで勝ち進みました。
しかし、決勝ではチーム力が完成していない状況で勝てる相手ではありませんでした。
東九州龍谷にセットカウント1-3で敗戦。準優勝。
選手たちは優勝できずに申し訳なかったと詫びながら大粒の涙を流していました。
ただ、決して謝るような試合ではありませんでした。
諦めずにボールに喰らいつく姿勢は間違いなく勇気を与えてくれていました。
あれから12年。
後輩たちはその意志を受け継ぐかのように、今年1月の春高バレー全国大会ではどんなに苦しい状況でも諦めずにチームは一枚岩となって戦いました。
準々決勝では、宿敵・東九州龍谷をフルセットで下し、決勝でも先に王手をかけられましたが、フルセットまで持ち込み、持ち前の粘り強さで逆転優勝!
宮城に勇気を届けてくれました。
優勝後、古川学園の岡崎監督は、
「正しい努力をすれば、必ず結果はついてくる。それを証明できた。宮城のためにこれからも頑張りたい」
と目を細めていました。
次は堤アナウンサーです。