アナ・ログ ~アナウンサーリレーエッセイ~

卒業

2015/03/31
仙台で8度目の春を迎えようとしています。
今年はこれまでと違う思いで春を迎えました。

昨日の柳沢さんのアナログにあったように、3月をもって仙台放送を退社することになりました。
本来ならば画面を通して、視聴者の皆様方に自身の声で直接お伝えすべきことですが、アナログを通してのご報告になったことをご容赦下さい。


入社直後に岩手・宮城内陸地震が発生し、災害現場を直接見ることができ、命の大切さを痛感して始まったアナウンサー人生でした。
東日本大震災の現場では、ここに書ききれないほど多くのことを学びました。
報道に携わるジャーナリストとして、たくさんのことを考えるきっかけとなりました。


高校野球やプロ野球、Jリーグ、そしてバレーボールと様々なジャンルのスポーツ競技にも携わらせて頂きました。
スタンドでファンとして観戦していた学生時代とは違い、1人1人の選手と直接お話しをさせて頂く中で、競技に対するひた向きな思いを感じることができました。
様々な指導者にも出会えました。どの方も、何より人間力を鍛えることを第一にしておられました。
スポーツには、それぞれの人生がつまっています。

そして、震災直後の4月29日に行われた、当時コボスタ宮城での、楽天による本拠地開幕戦。
震災で1か月半、失われていた笑顔がスタンドを埋め尽くしました。
スポーツの力は偉大だと、実感しました。


皆様に支えられ、多くのことを学んだ7年間でした。
ここ宮城県で、普通に過ごしていては得られないような、その何倍もの貴重な経験をさせて頂いたと胸を張って誇れます。
テレビが好きで「テレビを好きになってもらいたい」という漠然とした思いでアナウンサーを目指した私が、テレビの力を目の当たりにし、その使命に関して考えるようになったのも、多くの方々のお蔭だと感謝しております。


4月からは、昨日スタートしたフジテレビの新情報番組「直撃LIVE グッティ」(平日13:55~15:50)でリポーターを担当させて頂きます。
これまで仙台で学んだことを力に、新天地でも精一杯頑張って参ります。

これからも、仙台放送とフジテレビを何卒よろしくお願い申し上げます。
7年間ありがとうございました。

2015年 ともに

2015/03/10
明日で震災から4年です。

私が入社した2008年4月から2か月後の6月14日に岩手宮城内陸地震が発生、早番で会社にいた私が速報を伝えることになりました。
1人でニュースを読み始めてまだ5回くらいの私は、何をしてよいのか分からず、全国に届いたのは、カメラの前で慌てふためく私の姿だけでした。
「救えた命も、自分のせいで。。」という思いで、アナウンサー人生がスタートしました。

東日本大震災の発生直後、気仙沼や南三陸町で、中継車などに泊まり込みながら連日中継をしていました。
宿泊先を確保できるようになった期間も含めて、1ヵ月を沿岸部で過ごしました。
気仙沼では、火の海となった町やヘリコプターによる救助活動、バスが運行され交通網が動き出したニュースなどを伝えてきました。
南三陸町では、震災から1ヵ月の4月11日の午後2時46分には、志津川小学校の校庭で黙とうを捧げる方々の様子を中継でお伝えしました。
目の前に起きていることを喋り続けました。
しかしこれらのことが、テレビをご覧下さっている方々に、果たして何か力になっているのか。分からないままでした。

震災から1年後の3月11日に発刊された重松清さん著「希望の地図」という書物があります。
今月、私は初めてその本を手に取りました。
その中に、岩手県北バスの方で「鉄道や飛行機が止まっていても、バスが動いていることを知らせたい一心で、報道機関にリリースを送り続けた。すると3月16日にフジテレビのテロップでバス運行情報が出るようになりました」と仰る方の一節があります。
ふと気仙沼にいた頃、取材した題材の中から「仙台へのバスが動き始めた」ニュースを選んで中継で伝えたことを思い出しました。直後にデスクから「バスの情報を詳しく教えて欲しいと視聴者から電話があった」と連絡が入り、詳細を伝達しました。それからバス運行のテロップが出るようになった記憶があります。
このことと、本の中のバスの話は直接関係ないものでしょう。
ただ、一生懸命に自分の役割をこなすことで、どなたかの思いに繋がる可能性があるのだと考えさせられました。
沢山の方々が色んな思いを抱えている事柄を1つ1つ伝え続けることの大切さを痛感した2015年の3月です。

次は柳沢さんです。
2008年の3月、初めて仙台で過ごした夜は衝撃的な寒さでした。
寝る前に読書をしたくても、布団から体を出せず。目から下は布団にくるまって、爪の先で本をめくっていました。
それ以来、冬場の出退勤の際には、ダウンジャケットの中にウインドブレーカーを着込みます。下は3枚履き込んで、冷気が入り込まないよう完全防備。一瞬たりとも寒さを感じない服装です。

冬場は南国・沖縄で寒さをやり過ごしたい所ですが、春の楽天キャンプ地、久米島もめちゃくちゃ寒い。風が非常に強く、仙台で着ているのと同じダウンジャケットをまとって取材をします。

小さい頃にジャカルタやバグダッドで過ごしたため暑さに強くなった反面、寒さには非常に弱くなってしまったようです。

次は小口さんです。
スポーツ中継の最中もそうですが、テスト中に頭を悩まされるのがトイレです。
沈黙の中、おもむろに立ちあがってトイレに行くのって、とっても恥ずかしいです。
試験官に断りを入れる声が、どれだけ響いて他の人に知れ渡っていくのだろう。
そんなことを考えていると、ますます貴重な試験時間が無駄に過ぎてしまい。もちろん結果も芳しくはありません。


学校の試験や大学受験なら長くて120分くらいですから何とかなります。
それが、自分が知る最長試験時間の数学オリンピックだと、予選での試験時間が3時間、出場したことはありませんが国際数学オリンピック本選になると3問に対して4時間30分の試験を2日連続で行います。

こうなってくると、トイレで休憩タイムを取るのが当たり前になってきます。
他にもトイレに立つ人が続出するので、私としても心強い。
それと解けない問題は何時間かけても解けません。気分転換のため、トイレでボーとします。スッキリした頭になって鉛筆を握り直します。
でも、やっぱり解けません。これならトイレで昼寝をしていた方がマシだったのではないかと考えてしまいます。昼寝ならわざわざトイレでなくても良いわけですが。

そもそも試験中にいかにして寝るかなんて考えるものじゃないのでしょうが、そう言っていられないのが中国の官僚登用試験“科挙”。
私は当然、受けたことはないですが、丸々3日かけて行っていたという話です。
しかも1日の中で、試験の制限時間はないということなので、全科目を解き終えるためには寝ている場合じゃないのかもしれません。でも寝ないと体が持たない。
しかも戦いはそれ以前から始まります。例えばFNS27時間テレビは本番スタート直前まで、入念な打ち合わせとリハーサルを行います。
それと同じ様に、科挙の試験スタート直前まで準備をしていた方が良いのか、体力温存に備えて寝ていた方が良いのか。頭を悩ませていたでしょうね。
私だったら悩んでいる内に試験時間を迎えて、ただ疲れただけだったでしょう。
つくづく試験に向いていないなと感じました。

次は柳沢さんです。
お正月には決まって両親と田舎に帰ります。
母方の実家に行った時には祖母が作る、だいたい“日本一コシのない饂飩”を頂きます。
詳しくは去年の8月15日のブログ「思い出の味」を見て頂きたいのですが、今年はありませんでした。
その代わり、“日本一コシのない蕎麦”が出されました。残った年越し蕎麦かと思われます。私は食べませんでしたが姉が食べていました。味覚をそそる蕎麦独特のツヤはなく、麺の張りも失われています。食べなくとも分かる、コシの無さ具合でした。
何しろ30分ほど茹でているわけですから。
今度の夏には。茹で時間が短いそうめんでも食べに行こうかと思います。

親戚が集まると、大量の食事が振る舞われます。
その中には、年長の方々が食べ切れなかった食事が目の前に集められ、普段の2,3倍の量を食べることになる青年男子が、どの家庭にもいるかと思われます。
その役割を私が長年担ってきましたが、2人いる従兄弟の男の子が高校と大学生になりました。
そろそろブロイラーとしての役目も卒業しようと思い、逆に私の分のお寿司を高校生の従兄弟に分けてあげました。
お寿司なら仙台で沢山美味しいネタを頂いていますし。さすがに最近、食べ過ぎには気をつけています。年末の食事管理のお陰で、食べる量も減って来ています。
ところが、育ち盛りのはずの従兄弟2人は、全く食欲の上昇傾向を見せず。
さらに、多数を占める年長者の方々の食欲の減少速度は、私のそれより遥かに大きい。私が従兄弟に分けた分より、私が受け取った食事の方が圧倒的に多くなりました。
元々、出された食事は、お米一粒も残さず食べる性格です。なぜなら、小さい頃には、とても褒められたものですから。

そんなわけで、年末の食事管理の成果を完全に失うことになったお正月でした。
まぁ、食べられることは幸せですから、贅沢言ってはいけませんね。

次は小口さんです。

振り返る2014

2014/12/18
今年は沢山、プロ野球の試合を見ました。
50試合くらいは球場で見たのですかね。
ただ、同業の中には144試合のほとんどを、球場で過ごす方もいるでしょうから、そんなに大した数字ではないのでしょう。

バックネット裏の観客席などには、毎試合ほとんど同じ顔ぶれが揃っています。
こういった方はホームゲームの全試合を球場で観戦しているのでしょうね。
間違いなく選手の力になる存在です。


それと2012年から2014年にかけて、私は六星占術で言うところの大殺界だそうです。

ついでに、年度の変わり目の、4月から6月の運気が最悪なようです。
ここ3年は、年度の変わり目で必ずスタートダッシュに失敗する運命だったようです。

この3年間の運気が最低だったという実感はありませんが、あと半月で大殺界を抜け出せます。
来年から私には天から幸運が降って来きます。
宝くじを買えば大当たり、古本屋で買った書物がヘミングウェイ未発表作の原本と判明、庭を掘れば油田が湧き出し、お菓子のオマケも当たり放題。
よし、来年は良い年になりそうだ。
早く2015年になって欲しいという思い一心で今を過ごしています!

次は木下さんです。
一人暮らし生活7年目、ついに私は料理をしないまま過ごしてしまいました。

半年前までは料理番組をしていましたが、実践する機会は少なく。
一度カレーライスを作ったことがありましたが、1人で食べるには調理する量を調整する必要がることを知り、それ以来、全くありません。

作ることは苦手ですが、食べるのは得意です。
特に、焼肉、ステーキ、ハンバーグ、カレー、寿司、味噌汁、ご飯、海老フライ、コロッケ、ラーメン、餃子、あんかけ焼きそば、コンソメスープ、そぼろご飯は得意中の得意です。

焼き肉に関しては、食べるだけではなく、焼くのも得意です。
アナウンス部の忘年会だかで佐藤拓雄さんから、焼きテクニックに関してお墨付きを頂いております。
ほどよく焼く加減は、入社4年目の頃に焼き肉強化月間を設けて、ひたすら食べ続けた経験があってこそのものですかね。

次は飯田さんです。
運動はずっとしています。
週に2回ジムに通って、体を動かして、エアロバイクなど有酸素運動もしています。
全て健康のためですが、おかげ様で週7日のうち4日くらいが筋肉痛です。生活に支障をきたしています。
もし、内股の摺り足で歩いている私の姿を見かけたら、大臀筋と大腿筋が筋肉痛になっていると思って下さい。

それと、たまにフットサルをやっていた時期もありましたが、素手でゴールキーパーをしていた時に至近距離からのシュートで左手人差し指を弾かれ、骨折してしましました。
指が動かなかったリハビリ時期もあったので、人生初骨折となった7月以来、フットサルはやっていません。
それにしても、普段どんなにジムで運動していても、いざフィールドを掛け抜けると、翌日の筋肉痛はいつもの比ではありません。
実際に使う筋肉は、ジムでは動かしきれないのでしょうね。

次は懸命のジム通いで体重を15kg落とした稲垣君です。
この1カ月半で、しっかり5kgリバウンドしているようです。

芸術の秋

2014/10/15
きょうからテーマは「芸術の秋」です。
芸術とは縁のない人生を送ってきましたが、ただ一度、小学1年生の時に絵のコンクールで入賞したことがあります。
が、その時から私の芸術的センスはストップ。
絵も字も汚いままで、センスはゼロ。

観賞する方で言うと、一番印象に残っているのはパリのオペラ座バスティーユで観劇した「くるみ割り人形」。花のワルツの音楽に合わせて、本当に花が開くかのような表現は素晴らしいの一言です。
絵画だと、オペラ座ガルニエのシャガールの天井画も良く覚えています。一緒にいた父親は、しばらく天井を見上げたままで、ステージを全く見ていませんでした。

最近になって、日本やアメリカの美術館でキュレーターを務めてらっしゃった作家・原田マハさんが書かれた小説をよく読みます。
モネやピカソ、ゴッホ、ゴーギャンといった画家が描かれていて、芸術を知る機会にはピッタリです。

先日は、第二次世界大戦中にフランスから美術品を持ち出そうとするナチスと、それを防ごうとする人達を描いた映画「大列車作戦」(1964年)のDVDを借りました。
そのうち興味の方向が、社会における芸術作品の価値や、流通方法、などなどと続いて行きますが、ふと気付くと、興味の対照が芸術そのものではなくなってきている気も。

芸術の面から色々と学ぶことがあって楽しい秋を迎えております。
次は浅見さんです。
早稲田大学の学園祭は非常に賑やかで、なかなか歩くのも大変でした。
ひと、ひと、ひとでごった返しています。
柔道着姿の巨漢がいたり、野球のユニフォームを着た女の子がワイワイはしゃいでいたり、、浅草の大道芸人ばりのジャグリングを披露する人がいたり、学ラン姿の応援部が威風堂々と歩けば、これぞ早稲田のバンカラ学生も存在感を示し、そうかと思えば水着姿の人やここでは書けないようないでたちで行進する。
最後に挙げたような人達は、常人が発想しない行動をとることをモットーとしている節があり、そういった所が認められてか、今や立派な企業に勤めていたりします。
まさしく人材の宝庫。

今となればそんな風変りな集団は少ないので、懐かしい気持ちに駆られてもう一度足を運びたくなるような学園祭でした。
東大や慶応の学園祭もそんな雰囲気。学生はどこも同じような感じでしたね。


私も大隈講堂前のステージで500人を前に色んな事をするイベントに出たことがあります。
頭で瓦を割ったり、めちゃくちゃ激辛なカレーを早食いをしたり。
このくらいだったら今でもできますが、その他にもここでは詳しく書けないような学生のノリを展開していました。

普段の学生生活で培った学術的成果や、鍛錬を重ねた末に織りなす肉体的躍動を示すことなど一切せず、行き当たりばったりの突発芸ばかりを披露していました。
学生時代の思い出を挙げるとなれば、やはり大学の雰囲気を象徴する学園祭の一駒が最初に思い浮かんでくるものですね。

次は柳沢さんです。