アナ・ログ

色 いろいろ

佐藤 拓雄

2018/11/09

男が黒で女が赤。
私が子どもの頃のランドセルは、これしか選択肢がありませんでした。
また、特に、他の人と違うものを持ちたいというこだわりもなかったので、ランドセルと言えば黒か赤、としか思いませんでした。

長男の小学校入学時は、かれこれ10数年前になりますが、この時も、それほどたくさんの色があったわけではないと記憶しています。
売り場には、黒・赤以外も置いてありましたし、実際入学してみると、黒・赤以外のランドセルの子もいたのですが、やはり主流は黒・赤だったと思います。

長女のランドセルについては、2007年(!)4月のアナ・ログ「入学」のお題で、少々触れました。
この時長女は、水色やピンクも気になっていたようですが、最終的には、主流の赤系に落ち着いたのを覚えています。それでも、赤の中でも自分なりにこれだ、という色を選び、どうしてもこれ、と譲らなかったこと、それを家で毎日背負い、入学への期待感を見せていたのが印象に残っています。

そして今、小3の次男の登校風景を見ると、ランドセルはかなりカラフル。小学生たちは様々な色のものを背負っています。
次男のランドセルも、黒ではありません。
時代は変わったなあ、と思います。

ただ、ランドセルに関して、時代は変わったなあ、とより強く感じたのは、ランドセルを買う時期。
長男・長女の時は、年明けつまり入学の3か月前くらいで十分間に合ったのですが、次男の時は、入学前年の夏。
なんとなく、上の子たちのイメージでのんびり構えていたのですが、その前の年のニュースで、こんなに早いことを知り、時期を逃さないようにあわてて選びました。
そのためなのか、ランドセルに対して、長女が当時見せていた、小学校入学への期待感の象徴のような思いを、次男は抱かなかったような気がします。
時期が早すぎるんだと思います。
入学準備だって、子どもが気持ちを高めていくにふさわしい時期というものがあるのだろうと思いますが、それに合わない時期にランドセルを買ったことは、いまだ複雑な心境です。
その時期に買わないと売り切れてしまうし。

【写真】長男・長女の卒業後、使っていたランドセルを分解して作ってもらった、小さなランドセルです。

続いては、いつも原色系のカラフルなスニーカーを履いている、下山アナウンサーです。

ハロウィーン

佐藤 拓雄

2018/10/23

正直言って、私および私の家族には、ハロウィーンというものが定着しているとは言えません。
妻がかぼちゃ的なケーキを買ってきたりすることはありますが、それも毎年というわけでもなく、まあその程度です。

ただ、ハロウィーンと言われると必ず思い出すことはあります。

十数年前、家族で東京ディズニーランドに行った時のこと。
まだ小さかった長男と長女にとっての「初ディズニーランド」でした。(次男はまだ生まれていませんでした)

これがちょうどハロウィーン前の時期だったので、園内いたるところで、「Trick or treat?」と呼びかけられ、子どもたちはちょっと戸惑ったような、気恥ずかしいような表情で応じていたのを覚えています。
【写真】はその時に食べたムースか何かのカップを持ち帰ったもの。今でも我が家で現役で活躍中です。

「初ディズニーランド」の時、子どもたちは、事前にガイドブックを買って、これに乗りたいあれに乗りたいと、「乗りたいものリスト」を作り、私たち親も、それを見てどういう順番で行ったらいいか、なんてあれこれ考えたりして、行く前から楽しい時間を過ごしました。

その帰りの新幹線で長女が眠ってしまい、仙台駅に着いて起こしても全く目を覚まさず、仕方なく、眠ったままの長女を仙台駅からずっとだっこで家まで帰ったことも思い出します。ぐったり眠っている長女は重くて、腕がちぎれるかと思いました。

その後、何度も行くうちに、子どもたちの方が詳しくなり、怖がって乗れなかったものに乗れるようになったり、一人で回りたいとか、友達と行きたいとか、ディズニーランドは、子どもたちの成長を感じる場でもありました。


ところで。
ハロウィーンの仮装を、「コスプレ」と言う人が時々いますが、あれは違和感がありますね。なかには本当にコスプレの人もいるようですが、あくまでハロウィーンの場合は「仮装」だと思います。成り立ちからしてそうだし、英語でも、仮装とコスプレは言い分けているようです。

明日は寺田アナウンサーです。

今年は○○の秋に!

佐藤 拓雄

2018/10/15

小3の次男が、学校からの帰り道に青虫を捕まえてきました。
女子高生の長女は少々気持ち悪がりましたが、次男は「命なんだよ!」と抵抗。

飼育箱に入れてキャベツを食べさせたところ、わずか2日後に、サナギになりました。
そういうギリギリの時期の青虫だったようです。

あたり前ですが、サナギになると、全く動かず生きているのか死んでいるのか分からないような状態です。
乾燥しすぎていないか、霧吹きでもしたほうがいいのか、止まり木がないのに大丈夫か、あれこれ悩みつつ、長女を含めた家族みんなで毎日様子を気にして見守っていました。

私と長女が「今日も変化なかったね」と確認したその翌日、次男が大声を張り上げました。

「蝶々になってる!!!!」

黒い綺麗な蝶々がそこにいました。

頭では分かっていますが、なんという生命の神秘。
小さな命は、着実に自らを成長させていたのです。

さあ、その蝶々をどうするか。
ちょっとみんなで考えて、飼育箱のふたを外して、ベランダに置き、飛び立つのを待ってみることにしました。

ところが、翌日になっても、飼育箱から出てきません。
死んでしまったのか?と心配して覗き込むと、ヒラヒラっと羽をはばたかせ、箱から出てきました。
そのまま、バタバタせわしなく羽を振りますが、飛び上がることはしません。
そうするうちに、植木鉢に自力でよじ登り、そこにしがみついたまま、じっと動かなくなりました。気温の低さや雨のせいなのか、それとも、飛び立つ準備をしているのか。
時々羽を動かすので、生きていることは分かります。

さらに2日後、次男が、学校で、砂糖水をやってみたらどうか、と聞いてきて、ペットボトルのふたに入れ与えると、植木鉢から飛び降りて今度はそのふたにしがみつき、居座っています。

私たちの心配をよそに、自分のペースで、自分の生命を生きている。
生き物ってすごいなあと、しみじみ思いました。

前後して、この秋のドラマ「僕らは奇跡でできている」を見たこともあり、
「今年は生命の神秘や尊さを感じた秋に」なりました。

蝶々は、数日後、いつの間にかいなくなってしまいました。自分のペースで飛び立ったんでしょうね。

明日は寺田さんです。

走ること

佐藤 拓雄

2018/10/05

こう見えて、子どもの頃は短距離走が得意でした。
覚えている限り、徒競走で2位以下になったことはありません。
我が家の子どもたちには、そこは遺伝しなかったようで(苦笑)

それはともかく、子どもたちの運動会で、なんだかなあ、と思うことがあります。
それは、徒競走で、予めタイムを計り、似通ったタイムの子たちで競争させていること。
今は多くの小学校でこうしたやり方だと聞きます。
私が子どもの頃は、単純に背の順でしたが、そうすると、速い子と遅い子が混在して、差がついてしまうから、というよく分からない配慮から、今はタイム順で組み合わせているようです。
このやり方だと、全体の中ではかなり遅い子でも、競争では1位になることがあります。それはそれで本人には嬉しいのでしょうが、見ていると、順位だけに目が行き、自分の本当の力を分かっていないのでは?という姿が目につきます。反対に、全体の中では速いのに、速い子ばかりの組であるためにビリになってがっかりしている子もいたり。
もちろん昔のやり方でも、組み合わせ次第でそういうこともおきますし、ある意味どちらも社会の縮図のようにも見えますが、競争の前から配慮するという今のやり方は度を越している、と言ったら言い過ぎでしょうか。

そんな過剰な忖度をするくらいなら、速く走る方法を学校でしっかり教えてくれ、と思います。
昔からそうですが、短距離走は、速い子はもともと速い、遅い子は遅いまま、というのが現状です。
私だって、所詮は自己流で速かっただけであり、理にかなった走り方というのがあるのを知ったのは、大人になってからでした。
先日、次男の小学校でPTA行事として「走り方教室」が開かれました。よい機会でしたが、それは学校が体育の授業でやることではないのか?という思いも残りました。

まもなく、「東北・みやぎ復興マラソン」。
出場者の中には、大人になってから走ることの楽しさに気がついた方もいることでしょう。
子どもの頃に学校で、「走り方」を教えてくれていたら、人生が違っていた、と思っている方もいるのではないか、と思ったりします。

こんな私はモンスターペアレントでしょうか?(苦笑)

次回からは新テーマでお送りします。

大好きな紅葉スポット

佐藤 拓雄

2018/09/12

「花より団子」派です。

春になれば、桜にハッとするくらいの心は持ち合わせていると思っていますが、それにしても、「団子より花」にはなりません。

ですから、今回のお題は、なかなか難しいです。
正直に言って、紅葉狩りに行くという習慣がありません。
確かに、家のそばの紅葉には、毎年、ああそんな時期になったなあ、という感慨を覚えますが、そこで次に思い出してしまうのが、広島名物のアレだったりします。

広島名物のアレ。そう、もみじまんじゅうです。
皆さんは何味がお好きですか?
私は、こしあん、粒あん、抹茶。チーズもいいですよね。
最近では、「生」なんていうのもあって、これまた美味しい。

・・・すみません。

そんな私ですが、東日本大震災の直後は、身近な自然に非常に敏感になり、津波で何もなくなった茶色い風景に、小さな花が一輪咲いていたりするだけで、胸が熱くなりました。
自然の脅威の前にあまりにも無力なことを思い知らされた一方で、自然の営みの大きさ・たくましさを感じて、複雑な気持ちでもありました。

今回の【写真】はそんな一枚です。
南三陸町の海沿いの地区。2011年10月、瓦礫が残る土地の斜面に、コスモスが咲いていました。
当時、被災した場所で個人的に写真を撮るのはとてもためらわれました。もちろん取材のカメラは回すわけですが、個人的にこのような写真を撮れるようになったのは、夏を過ぎてからのことでした。

次は、高橋咲良アナウンサーです。

疲れた時には・・・

佐藤 拓雄

2018/09/06

先日、サッカーをしている夢を見ました。

自分のトラップミスでピンチを招き、なんとか切り抜けてカウンター攻撃に転じたところ、ゴール前に走り込んだ私に、ギリギリのパスが来ました。あと一歩!と思い切り足を伸ばしてボールを蹴ろうとしたら、ガゴッという鈍い音とともに、右足に激痛が。
夢ではなく現実の足が、壁を蹴ってしまっていました。
骨折したかと思うほどの痛さでしたが、骨は大丈夫そうでした。ただ、右足親指の爪が少々割れて出血していました・・・
いい歳をして何をやっているのか・・・恥ずかしい限りです。

そして、翌日もまたサッカーをしている夢。さすがに壁キックはせずに済みましたが、2夜連続とは。

ちなみに、私はサッカー経験は小学校時代のスポ少だけで、しかもそれほど熱心ではありませんでした。
今はもちろん、観るだけ。まったくプレーはしていません。というか、できません。

そんな私が、なぜこんな夢を見たのか。
ワールドカップは随分前に終わり、世間のサッカー熱は、とっくに一段落、という最近のことです。
疲れていたのかもしれません。

「疲れた時には・・・」、私は結構変な夢を見ます。
皆さんもそうではありませんか?
というお話でした。

【写真】は、この夏、暑さで疲れた時に心と体がリフレッシュできた飲み物。黒糖梅シロップのソーダ割りです。シロップは妻の自家製。妻と子どもたちは黒糖じゃなく氷砂糖で漬けた方がお好みで、黒糖は私専用になっていました。

明日は飯田さんです。

花火の思い出

佐藤 拓雄

2018/08/27

100回大会が終わり、甲子園ロスで心に秋風が吹いている感は否めませんが、甲子園からもらった体温の上昇感を思い出し、気分を上げていこうと思います。

さて、甲子園の話はさておき。

高校野球と同じくらい、「コード・ブルー」が大好きです。

このドラマには、人生のほとんど全てがあります。
いのち、生命、生と死、家族、親子、夫婦、愛、友情、仲間、不安、葛藤、障壁、成功、失敗、成長、挫折、欺瞞、虚栄心、誠実、憎しみ、別れ、出会い、勇気、強さ、弱さ、病、老い、世代交代、人間の尊厳・・・書ききれません。

とにかく、人間というものを正面から描いています。
私はやはりそういうドラマが好きです。

この夏は、劇場版です。
まだ観に行っていないので、どうかネタバレだけはご勘弁を。

今は、映画に備え、シーズン1からまたこつこつと見直しています。
「この夏は劇場版」と言っておきながら、実際は、ひたすらドラマを見直す夏になっていますが、何度見ても、ストーリーが分かっていても、グッときます。
長女は、シーズン2の濱田岳の回が一番印象に残るエピソードだったと言ってました。
たしかに、あれは辛かった。
私にとっての一番のエピソードはなんだろう。
そういえば、以前、藤川先生こと浅利陽介のことを、濱田岳だと間違えていたことがあったなあ・・・(笑)


・・・ということで、「HANABIの思い出」でした。

失礼しました。

【写真】はこの夏の思い出。「お肉の打ち上げ花火や~」
最後までふざけてすみませんでした。

明日からは、新たなお題、寺田さんからです。

好きな夏の食べ物

佐藤 拓雄

2018/08/10

「冷やし○○」という食べ物がとにかく好きです。

・・・と書いてみて、あれ?同じようなこと以前にも書いたな、と調べてみたら、去年の今頃、「夏だからこそ、冷たいもの?熱いもの?」というお題で書いていました。
同じ内容を書くところでした。

気を取り直して違う話を。


【写真】は、岩手県宮古市の名物、牛乳ビン詰の生ウニです。
そろそろ旬が終わってしまいますが、北三陸では、この牛乳瓶ウニが初夏からこの時期にかけての風物詩のようです。

このウニは、とんでもなく美味です。
クセが全くなく、甘みと香りがたまりません。
ビンからドバドバとどんぶりのごはんにかけて、ガーーーッとかっこみ・・・たいところですが、
ご覧のようなお値段なので、少量ずつスプーンでビンから大切に取り出して食べる、というのが現実です。
でも、生ウニですから、2~3日のうちに食べきらなければならず、いつまでもチビチビ食べているわけにもいかないという、悩ましい代物でもあります。
最近一番おいしいと思っている食べ方は、海苔の上にごはんを乗せ、さらにウニを乗せ、しょうゆを1~2滴たらしてパクッと一口で。ウニと海苔の香りの相乗効果で、ウニ単独よりさらにおいしく感じます。

ウニで思い出すのが、大学時代の夏休み。
友人たちと「生ウニ丼」を食べようと、気仙沼大島まで行きました。
さあ、ウニだウニだ!とはやる気持ちでお店に入ったところ、しけでウニが上がらず生ウニがないというタイミングの悪さ。
仕方なく「蒸しウニ丼」を食べたのですが、これだって相当美味しいはずなのに、何とも味気ない記憶になってしまった、というお話でした。

続いては、高橋アナウンサーです。

祭りの思い出

佐藤 拓雄

2018/07/24

【写真】仙台で7月の観測史上最高の36.7℃を観測した7月22日の夕方。見事な夕焼け空が広がっていました。


さて、私は、子ども時代を、多摩ニュータウンなど郊外の大規模開発団地で過ごしてきました。
そんなわけで、「ふるさとの祭り」的なものは身近ではなく、「祭りの思い出」といっても、ぱっと思い出せるようなものがありません。

何かあったかなあ、と考えて思い出したのが、大学祭。

所属していたサークルでは、1年生が何か屋台をやる、というのが通例になっていて、私たちがやることにしたのは、焼き鳥とクレープでした。
なぜ、そんな組み合わせになったのか、さっぱり分かりませんが、とにかく、そういう屋台をやりました。

私は焼き鳥をひたすら焼く係。
2日間で何本焼いたのか分かりませんが、結構売れたので、一日中、煙まみれ油まみれで焼き続けた記憶があります。
終わった頃には、全身が燻されたような状態。
当時、風呂なしのアパートに住んでいたため、銭湯に直行しました。

この時のことで、もう2つほど、強い思い出があります。

一つは、クレープ班が、カセットコンロでクレープを焼いたところ、風で火力が強まらず、全く焼けない。
困った挙句、大学の近くに住んでいた部員の家で焼いて、それを次々に運ぶ、というかなりの強硬手段に出て、なんとか成立しました。

もう一つは、事前準備の時。
前年も焼き鳥をやったというので、先輩たちに、どこで仕入れや機材を準備したのか聞いていると、「タレは、車で新潟県まで取りに行ったんだ。大変だった」と言う先輩が。
新潟県?なんで???と頭の中がクエスチョンマークだらけになりましたが、それは、私の仙台生活が短かったためと、後に分かりました。
この話、以前もここに書いたと思うのですが、勘のいい宮城県民ならばお分かりですね。
そうです。
「新潟県」ではなく「苦竹」。
「ニイガタケン」ではなく「ニガタケ」。
仙台市の「苦竹(にがたけ)」にタレを取りに行った、というお話でした。

明日は高橋アナウンサーです。山形のお話でしょうか?

夏の装い

佐藤 拓雄

2018/07/10

今日7月10日は、1945年に仙台大空襲のあった日です。
そんなわけで、戦争と平和のことを少しでも思おうと、写真は、先日訪れた、広島の原爆ドームにしました。
私は、原爆ドームは初めてではありませんが、ここに行く度、これを見て、「戦争は絶対にダメだ」と思わない人はいないだろうと感じます。


では、お題の話に入ります。

「クールビズ」なるものが、世に現れて10数年。
私たちサラリーマンの夏の装いは、随分変わりましたね。

私の場合、特に報道の仕事が中心になってからは、真夏でもネクタイは必須でした。官公庁に取材に行くのに、ノーネクタイはあり得ない、というのが当時の常識でした。
しかし、このネクタイというものは、夏にしていると、本当に暑いのです。
ネクタイを締める、つまり、ワイシャツのボタンを一番上まで止め、首元がピタッとしている、たったそれだけで、体感温度がまるで違います。
その時代、暑い日、というと、至る所で、上着を脱ぎ、ネクタイを緩めて汗を拭くサラリーマンの姿がありましたが、まさに、こうしないと暑さで気を失うのでは?と思うこともしばしばありました。

クールビズが定着し、夏用のさらっとした下着や洋服があふれる今、夏になるたびに、クールビズ前と後の大きな体感温度の差を思い、隔世の感があるなあと訳もなく感慨深い気持ちになります。

とは言っても、私は、ネクタイをするのは、どちらかと言えば好きです。
ネクタイを上手に結べるようになった時、大人になったと感じたから。

ただ、まあ、考えてみれば、ネクタイが礼儀でノーネクタイが無礼、なんていうこと自体、単なる「社会的合意」に過ぎないわけですから、その合意を皆で変えれば、こういうことになるわけですよね。
暑いときは涼しい恰好で、ということでいいと思います。

明日は、いつもスニーカーがド派手です。下山アナウンサーの夏の装いです。

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