アナ・ログ

私のこだわり

佐藤 拓雄

2018/05/16

「こだわり」というこの言葉。
もともと「些細なことを必要以上に気にする、拘泥する」というマイナスの意味ですよね。
それが、「細かいところに気を配って価値を追求する」というようなプラスの意味で言われることが多くなり、辞書でも「新しい言い方」などと注をつけて意味として採用しているものが出てきました。
誤用から始まって一般化してきたのだろう、と言われたりしています。

確かに、言葉の意味は変化していくもの、ではありますし、これだけ当たり前に使われるようになると、プラスの意味を完全否定するものでもないと思います。
が、私は、注意して使いたいと思っています。

本来とは正反対と言えるような意味合いですし、プラスの意味の「こだわりの○○」という表現が多すぎませんか。常套句になって、表現があまりに陳腐化しているのも気になります。

・・・と、こういう風に書けば書くほど、「そんなことにこだわって・・・」という声が聞こえてきそうなので、このへんでやめておきます。

【写真】は、先日の「トリックアートinせんだい」にて。次男(小3)が撮影してくれました。トリックアートに収まるには演技力が必要ですね。大勢の人に見られる中で、少々恥ずかしいところもありますが、それでは面白くないので。

今回のお題はこれでおしまい。
明日からは新たなお題で、新人の西ノ入アナウンサーからスタートです。

出会いました

佐藤 拓雄

2018/04/25

去年のことですが、関西に出張し、帰り便まで時間があったので、ふと、古墳を見に行こうと思い立ちました。

日本史の教科書にも出てくる、超有名古墳、「大仙陵古墳」。仁徳天皇陵と言われる、日本最大の前方後円墳にして、世界最大の墳墓。クフ王のピラミッドよりも、秦の始皇帝の墓よりもはるかに大きいそうです。
そんなにすごいものをこの目で見ずにはいられない、というわけです。今まで見に行こうとも思わなかったくせに、というツッコミはご容赦ください。とにかくそのタイミングで見に行きたくなったのですから。

大きすぎるので、近くに行くとかえって何も見えないことは承知しつつ、近くでその大きさを実感したい、という気持ちで、大阪市内から電車を乗り継ぎ、行ってきました。

当たり前ですが、あきれるほど大きいですね。端から端が電車一駅分ありました。
駅を降りて歩道橋から見てみても、何となく森のような感じがあるばかり。真正面まで行ってみても、そのあたりはさすがに整備されているのですが、これまた、向こうの方に鳥居があって、その奥に森?小山?があるという感じ。中には近づけません。

その巨大さを実感すると同時に、1500年以上も前に、当時の人たちは、これほど大きなものを一体どうやって作ったのか、そんなことに思いを馳せるには十分でした。
もうひとつ、ゾクゾクするのは、そういう遥か昔のものが、今も目の前に存在する、という事実。しかも、古墳の周りは、電車が走り、道路が通り、住宅が立ち並ぶ現代の普通の町ですが、古墳だけはそこに1500年以上存在し続けている。そこだけ別の時間が流れているようにも見えました。

時間もあまりない中でしたので、ぐるっと一周というわけにはいかなかったのが残念でしたが、その近くの食堂に立ち寄り、出会いました!
写真のカレー、見たまんま、「古墳カレー」です。このカレー、かなり美味でした。スプーンがスコップ型という芸の細かさ。古墳見学と合わせて、リピートしたいほどです。

結論までずいぶん時間がかかりましたが、今回はこのへんで。

次は、牧アナウンサーの「出会いました」です。

わたしの習慣

佐藤 拓雄

2018/04/09

「早寝早起き朝ごはん」
この標語のままの習慣を、自分の子どもたちに身につけてほしいと思っています。

今の自分自身は、大体この「早寝早起き朝ごはん」の生活習慣です。特に、朝ごはんを食べない日はありません。
早寝早起きは、単に年を取ってきたから、という説もあります(笑)

とにかく、子どもたちにも、「早寝早起き朝ごはん」であってほしい。と思って、そうなるように、あれこれ言ったりやったりしています。

ですが。

私は大学に入った時に独り暮らしを始めました。
最初の頃は、張り切って自炊をしていましたが、少しずつ頻度が減り、いつの間にか、朝食をとらないという、よくない食習慣になってしまっていました。
今考えると、本当に情けない話です。
それを知った母親には、「20年近くかけて朝ごはんを食べる習慣をつけてきたのに」とため息をつかれました。
ちなみに、朝ごはんの習慣が戻って定着し今に至るのは、妻のおかげです。

ともかく、私自身の、このお恥ずかしいエピソードを思い出すにつけ、親が一生懸命つけてやろうとした良い習慣を、子どもはあっさり捨ててしまうことがあるのだろうなと、力が抜けてしまう思いになります。

この春、大学に入り独り暮らしを始めた長男は、どんな良き習慣を捨て去り、どんな悪習慣を身につけてしまうのか。
信用しないわけではないけれど、心配でもあり、無力感もあり、といったところです。

明日は、牧アナウンサーの「習慣話」です。

【写真】仙台放送アゴラカフェの入り口近くに咲く桜です。これは先週。満開の手前といったところでしょうか。

新年度!

佐藤 拓雄

2018/03/30

写真は、毎年見事な花が咲く、家の近くの枝垂桜。今朝の様子です。
ここ数日の暖かさで、つぼみが一気に膨らんできました。
仙台の桜の開花は例年新年度になってからですが、今年は早まりそう、というニュースも入ってきました。
ひょっとすると、新年度を迎える前に咲くかもしれないですね。


さて、前回書いたように、この新年度から、長男が大学進学で独り暮らしを始めることになりました。

この3週間近くは、新年度を迎える、その準備あれこれが、我が家の中心になっています。
本当に、時間を使い、体力を使い、そしてもちろんお金を使うなあ、というのが親としての実感です。
これほど慌ただしく落ち着かない状態で新年度を迎えるのも一体いつ以来だろう、というくらい。寂しさ云々より、慌ただしさばかり感じての新年度突入となりそうです。

家族が一人少ない毎日というのは、どんなものなのか、ちょっと想像がつきませんが、それが我が家の新年度です。


さて、この新年度も、仙台放送は、新しい仲間を迎えます。
今年、アナウンス部には、女性一人が加わります。
例年通り、すでに今月から研修を行い、4月2日の入社式を心待ちにしている、社会人一年生。
次回のアナ・ログは、その入社式当日、今年の新人アナウンサーが、初めてアップします。
皆様どうぞよろしくお願いいたします。

卒業

佐藤 拓雄

2018/03/19

まずはご報告。
今年度の「FNSアナウンス大賞」で、仙台放送の牧広大アナウンサーが、新人部門(3年目までが対象)で1位の「アナウンス賞」を受賞しました。写真は、先週行われた、その表彰式です。
本人だけでなく、アナウンス部、また、仙台放送全体にとっても、とても良いニュースになりました。

さて、本題です。

この春、長男が、大学進学で独り暮らしを始めることになりました。言うなれば、私たち親の元からの「卒業」です。

私自身も、大学進学とともに親元を離れて独り暮らしを始めました。結局その後も実家に戻って暮らすことはなかったので、長男もそうなのだろうな、となんとなく思っています。
生まれたときは、子どもとの暮らしが一生続くような気がしていたものですが、ここまで一緒に暮らした時間は19年ちょっと。親と子の濃密な時間は、本当に一瞬なのだと思い知らされます。

こうして、親と子はそれぞれの立場を「卒業」していくのでしょうか。
同時に、自分の親もそんな心境だったのだろうか、と思いを馳せたりします。

親なんて本当に無力なものだと、改めて思い知らされながら、、長男に明るい未来が拓けるよう、離れた所から見守り、祈るだけ。今年の春は、そんな「卒業の春」となりそうです。

とは言っても、もちろん、自分で生計を立てるようになるのが、本当の「卒業」でしょうから、仕送りをしている間は、私たちが保護者であることに変わりはありませんし、まだ下に2人子どもがいますので、まだまだ「親・卒業」とはいきませんが。

明日は、高橋アナウンサーです。

東日本大震災7年

佐藤 拓雄

2018/02/27

7年前の震災直後、被災地を取材しているときに偶然出会った僧侶の方から、
「一隅(いちぐう)を照らす」
という言葉をいただきました。
天台宗の開祖・最澄の言葉で、一人一人が自分の持ち場をしっかり果たすことで社会がよくなる、という意味だそうです。

あまりにも大きすぎる震災の被害を前に、無力感を覚えることも少なくない中で、この言葉は、非常に自分の心に響きました。
私のできることは小さくても、私のすべきことははっきりしています。
そのすべきことをしていくことが、必ず復興につながっていくと思うことができ、改めて、震災後のこの宮城で、地元のテレビ局の人間としての自分の使命を果たすことこそが重要なのだと確信できたような気がしたのです。

それ以来、この言葉は、私の座右の銘になっています。
震災に限らず、あらゆる場面で、自分の「持ち場」は何か、ということを考えるようになりました。

先日、大雪のあと、通勤路を歩いていて、またこの言葉を思い出しました。
歩道の雪が、きれいに片づけられているところと、反対に雪かきを全くせず凍って非常に危険なところ。
その歩道に面した建物の人が雪かきをしたかしないか、ということですが、ああ、これが「一隅を照らす」だなぁと。
それぞれが持ち場の雪かきをすれば、どこも凍らないだろうに、と妙に納得してしまいました。本来の言葉の意味とは違うのかもしれませんが。

それはともかく、この7年で、私の「持ち場」も少しずつ変化してきていますが、復興の道のりの中で、その「持ち場」をしっかり見極め、役割を果たしていきたい、という思いが変わることはありません。

【写真】仙台市の震災遺構、荒浜小学校です。津波の被害を受けた校舎には、津波・震災というものを一瞬で直感させられます。

明日は、稲垣アナウンサーです。

真冬と言えば

佐藤 拓雄

2018/02/16

真冬と言えば、我が家ではベランダの手すりが積雪量の「観測ポイント」です。
今週初めの大雪は、写真の通り。

こんな真冬の日は、どこへも出かけず、家で過ごすのが一番。

だから、ということでもないのですが、この冬、小学2年の次男と一緒に、「ハリー・ポッター」の映画、シリーズ全7作8本を、ビデオで全部見ました。
私は、以前に本を全巻読み、映画もすべて見て、という大のハリー・ポッター好きですが、ここへ来て次男が急に興味を示したのです。
去年テレビで放送されたのをちらっと見たことや、お友だちがUSJで杖を買ってもらっただとか、いろいろ興味を持つきっかけがあったようですが、それならと休みのたびに二人で少しずつ見てきました。

映画は、原作に実に忠実に作られていて素晴らしい出来ですが、それでも、原作を知らないと「???」となりそうな箇所がいくつかあったりするので、そういうところを次男にちょっと「解説」してあげたり、謎を残したまま先に進むと「どういうこと?どういうこと?」と気になって仕方ない様子なので、「それはもう少し進めばわかるから」と諭したり、「呪文」が聞き取れなかったりするのを後で教えてあげたり、一人で見るのとは違う楽しい時間でした。

反対に、ちょっと分かりにくいのかな?と思うような場面でも、内容をしっかり理解して次の展開に向かう準備ができていたり、あくまでもこれは「お話」の世界だと割り切っていたり、物語を楽しむ力もかなりついてきているのが垣間見えることもあり、成長を感じました。

そんなわけで、もともと大好きな「ハリー・ポッター」が今まで以上に大切な作品になった、この冬でした。

次は、稲垣アナウンサーの「真冬と言えば」?

テレビと私

佐藤 拓雄

2018/02/13

子どものころ、テレビには、小さい人が入っているのだと思っていました。
ブラウン管テレビは「箱」のようでしたから、そう思えたのかもしれません。
薄型テレビの今、子どもたちは、そうは思わないのでしょうか。

それはそれとして、ご多聞にもれず、小さい頃からテレビが好きでした。
なかでも好きだったのは、教育テレビの「おかあさんといっしょ」で、それが高じて、出たこともあります。
さすがにこの頃には、テレビに小さい人が入っている、とは思わなくなっていたはずですが、テレビの中に初めて「入った」のがこの時でした。

小学生の頃、近所に「スクール・ウォーズ」のロケが突然来て、友達みんなで大興奮しながら山下真司さんを観に行きました。
そこにいた何人かが急きょエキストラに選ばれましたが、私は選ばれず、ちょっと残念、と思った記憶があります。

その頃から大好きだったのが「アメリカ横断ウルトラクイズ」。
大人になったら絶対出場して、福留功男さんにイジってもらおう、と夢を抱きました。

高校時代は「夕やけニャンニャン」全盛期。
大暴れするとんねるずを見ながら、どこまでが台本なのか、テレビの裏を知りたい、という欲求が芽生えました。

大学時代には、テレビ局の報道でアルバイトをしました。
「ウルトラクイズ」にも出ましたが、東京ドームであえなく敗退。福留さんにイジってもらう夢ははかなく消えました。

という、私の人生を振り返ると、ことあるごとに、テレビを「見る側」からテレビの「向こう側」へ行きたい、という思いが顔を覗かせていたことに気がつきます。
本当は音楽家になりたかった私ですが、今こうして「テレビの中に入って」仕事をできているのは、意外と偶然ではないのかもしれません。

【写真】某公共施設で見かけた年代物のブラウン管テレビ。これでも1984年製のようです。私たち世代にはテレビと言えばこんな感じという「原風景」のような感覚ですが、上に置いてあるVHSのビデオデッキといい、若い方々には骨董品レベルでしょうか??

明日からは、新しいお題です。

冬季オリンピック

佐藤 拓雄

2018/01/19

きっと宮城県民の多くがそうであると思いますが、私は、やっぱり「冬季オリンピック」イコール、荒川静香さんと羽生結弦さん。
お二人とも、郷土の誇りです。

2006年のトリノオリンピック、荒川さんの金メダルは、朝方、子どもたちも含め一家でテレビ観戦し、大歓声を上げたことが、ついこの間のように思われますが、もう12年も経っていたんですね。その時、末っ子はまだ生まれていなかったので、「一家」といってもまだ4人でした。

一方、羽生さんは、荒川さんの金メダル直後に、担当していたニュース番組で「イナバウアーができる天才小学生」と紹介させてもらったのを最初に、これも多くの宮城県民がそうであると思いますが、「近所の子ども」のような感覚があって、「羽生君」と呼びたくなってしまいます。
今回のオリンピック、ケガの具合が気になります。そういう「親心」があるものですから、どうか無理はしないでほしい、と思いますが、ご本人の心中はどれほどか。想像するだけでちょっと苦しくなるような気持ちになります。

ところで、冬季オリンピックで日本の獲得した金メダルは10個、ってご存知でしたか?
夏季は、142個。
もちろん夏季とは競技数が違いますので、単純に比較はできませんが、10組の金メダリストのうち、2人が宮城県の人、しかも、男女のフィギュアスケート、ってやっぱりすごいことですよね。
フィギュアスケート「発祥の地」の面目躍如といったところでしょうか。

「発祥の地」五色沼の近く、仙台国際センター駅前に、お二人のモニュメントがあるのは、やはり非常に大きな意味があるのですね。

・・・と言いつつ、写真は国際センター駅ではなく、アイスリンク仙台。羽生君が出迎えてくれます。

次は、寺田さんの冬季オリンピック。

初○○2018

佐藤 拓雄

2018/01/04

あけましておめでとうございます。
2018年も、仙台放送と仙台放送アナウンス部を何卒ごひいきにお願いいたします。
そして、皆さまにとってよい一年になりますようお祈り申し上げます。

さて、年も押し迫った先月、小2の次男が
「初日の出を見たことがないから見たいんだよ」
と言いました。
そういえば、毎年元日はゆっくり寝せているので、次男が初日の出の時間に起きていたことはなかったんですね。
そんなわけで、今年の元日は、日の出時刻のちょっと前に次男に声をかけ、初日の出を拝むことになりました。
と言っても、どこかへ行くわけでなく、自宅の窓から見るだけです。我が家は毎年そうです。

「見たい」と言った割に、前日の大晦日にはずいぶんトーンダウンしていた次男。面倒くさくなったようですが、それでも、一度くらいは、と思って起こしました。
水平線に雲がかかっていて、どうかな、と思いましたが、7時前、その雲の上に太陽が顔を出しました。

人生初の初日の出、「初・初日の出」を拝んだ肝心の次男に感想を聞くと、「フツー。でも、まあまあよかったかな」。
ガクッ・・・小学2年生にして、こんな今風の冷めた感想かい!
と新年早々、やや脱力してしまいましたが、

それにしても、心がすっきりするような「初日の出2018」でした。
どうかこんな一年になりますように。

明日は、寺田さんの「初○○2018」です。

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