アナ・ログ

2016年…どんな年に?

佐藤 拓雄

2016/01/14

今年は初詣を2回しました。
2回目は「初」詣じゃないか。

それはともかく、1回目は、元日の午後、ほぼ毎年恒例の、いわゆる普通の初詣。写真がその様子です。それなりに混んでいました。
今年は、何年かぶりに、家族が全員元気で落ち着いたお正月を迎えられたこともあり、お昼前から父と楽しく気持ちよく飲んで、結構酔っぱらった状態でのお参りとなってしまいました。神様には申し訳ないような気もしますが、平和で健康だからこそ、ということで、お許しください。

2回目は、翌2日の夕方、長女と二人だけで行きました。
長女は間もなく高校受験。当然、合格祈願のお参りはしたいところですが、元日だと混雑が予想され、寒い中で長時間となると好ましくないし、人ごみで風邪などをもらってしまうのもさらに好ましくない。
かと言って、元日は元日でみんなでお参りしたい。
ということで、折衷案。
元日は長女だけ留守番、翌2日、正月早々の冬期講習帰りに、さっとお参りしたのです。
作戦通り、混雑を回避し、合格祈願の絵馬も書いて、短時間で帰ってくることができました。

2年前、長男の高校受験の時も、やはり二人で元日ではない日にお参りし、絵馬を書きました。長男は無事合格したので、この「ずらした初詣」は縁起もいい、と勝手に思っています。

話はちょっと変わって、私の今年の初夢には、富士山と茄子が登場しました。
鷹も出てきたような気もしますが、これは記憶が定かではありません。

「一富士二鷹三茄子」。その意味には諸説あるようですが、富士山は、末広がりと日本一で子孫繁栄・商売繁盛、茄子は毛がない、つまり「ケガない」、家内安全、というような説があるそうです。
占いや縁起担ぎは、自分に都合のよい所だけをとればいい、というのが私の流儀なので、この↑説、採用です!

そんな一年になればいいと思っています。

続いては、稲垣アナウンサーです。

今年の漢字2015

佐藤 拓雄

2015/12/10

生きていること、について考えさせられた一年でした。

今年は、いつになく訃報が多かったように感じます。
同世代の知人など、早すぎる訃報、突然の訃報が多く、何度も言葉を失いました。
他人事ではない、という思いで、いつまでも、皆さんの訃報を忘れられません。

有名人の方の訃報にショックを受けたこともいつも以上に多かったような気がします。
女優の川島なお美さん、俳優・今井雅之さん、元大関貴ノ浪の音羽山親方、柔道の斉藤仁さん、元プロ野球選手の盛田幸妃さん、電撃ネットワークの三五十五さん、といった方々は、私と10歳も違わない、同世代です。

訃報だけでなく、命にかかわる病気になったことやその闘病生活を公表された有名人もたくさんいらっしゃいました。
つんく♂さん、北斗晶さん、生稲晃子さんなど、同い年、同世代の方々の闘病に、とても動揺しました。皆さん、つとめて前向きなお話をされますが、やはり他人事ではない、という思いを強くします。

つくづく感じるのは、自分が生きていること・生き続けられることは、本当に奇跡的なことであり、言い換えれば、何の保証もない、はかなくもろいものなのだ、ということ。生命に限りがある、という当たり前のことを、またしても思い知らされた、とも言えます。もちろん、これまでも、そういうことを感じる経験はいくつかありましたが、今年の感じ方は、そうした以前の感覚とは少し違っているように思いました。(念のため、私自身に今現在何か健康の問題があるわけではありませんので、ご心配なく。)

先日、母の七回忌と曾祖父の五十回忌(!)の法要がありました。ご住職の「今こうして在るのは全てご先祖様のお陰」という言葉が胸に響きました。

漢字一文字で、というお題に従うなら、「生」かもしれません。ただ、そんなふうにまとめてしまうのは、余りにも不遜で謙虚さに欠けるような気がしてなりません。

【写真】先日、初めて訪れた出雲大社です。正式には「たいしゃ」でなく「おおやしろ」というそうです。あいにくの雨でしたが、こうした場所では、「清めの雨」として縁起がいいとか。

次は、高谷アナウンサーです。

”断捨離”

佐藤 拓雄

2015/11/26

断捨離。
心を動かされる言葉です。
余計なモノを捨て、さっぱりシンプルに暮らしたい、という潜在的な欲求を見事に突かれた感じがします。
多くの人にとって、そうなのではないでしょうか。

同じカテゴリーで、最近、「ミニマリスト」というものにも大いに興味があります。
ある意味、究極の断捨離といったところでしょうか?
・・・それぞれよくご存じの方には「違う」と怒られるかもしれませんが、不勉強は見逃して下さい。

しかし、そんな言葉に心を動かされながら、モノが増えるばかりの自分の生活という現実に目を向けると、時々、不思議な気持ちになることがあります。
日々「豊かさ」を追求しているはずなのに、一方では、そうした物質的豊かさは邪魔だと言わんばかりの考え。断捨離は、物欲を断って心の豊かさを、ということでもあるのかもしれませんが、どこか自己矛盾している感覚になります。そして、物欲の何がいけないんだ、と開き直った気持ちまで沸き起こってきたり。
どっちなんだ?と言われれば、「どっちもです」と答えるしかありませんし、要するに、バランスなんでしょうが、おいしいものをお腹いっぱい食べたいのに、ダイエット、というのとそっくりですね。

物質的豊かさがなかった時代や食糧難の時代に、断捨離もダイエットもなかったでしょうし、物欲も食欲も人間の本来的な欲求だと思いますので、現代日本特有の現象なのだろうなあ。
飽食の時代、「飽物」の時代、そんな言葉も頭に浮かびました。

どちらも捨てきれないから、私はいつまで経っても凡人なのでしょうし、あちらこちらへ心を動かされてしまうのでしょう。
言うならば、そういう全ての煩悩を超えた、達観した心境で暮らせたらどれほど心が平穏なのか。
まあ、そんな日は一生来ないと、なかば諦め開き直っていますけれど。

通勤途中、そんな煩悩を忘れさせてくれるような、初冬の風景に出会いました。でも、この柿、まず収穫できないだろうな、おいしそうなのに、と早くも食欲という煩悩が(笑)

明日は、梅島アナウンサーの断捨離です。

「“特別編”浅見アナ卒業」

佐藤 拓雄

2015/11/17

私が仙台放送に入社したのは1993年。
計算してみると、その当時の浅見さんの年齢を私はいつの間にか超えていました。
にわかには信じられません。
当時の浅見さんは、アナウンス技術はもちろんのこと、貫禄があり、オーラがあり、落ち着いていて、全てが大ベテランの風格だったからです。
当時は、自分も20数年経つとこうなっているのかなあ、と思ったりしましたが、それは甘い考えだったようで、結局今の私は、その足元にも及んでいない気がします。

さて、浅見さんの思い出はいくつもありますが、私の結婚式の時のことを思い出しました。
私は結婚式を町の教会で挙げたのですが、浅見さんも来てくださいました。
フォーマルをビシッと着こなし、教会に現れたオシャレな浅見さん。
話がそれますが、浅見さんのオシャレな姿は、男性アナウンサーの鑑だと妻がよく言います。私も全く同感で、アナウンサーはこうあれ、という姿を自ら示していらっしゃったと思います。
で、結婚式にいらした浅見さん。
開口一番「いやー、そこを通りかかったら、『佐藤拓雄・岡田(妻の旧姓)明子結婚式』って書いてあったから、びっくりしてつい来ちゃったよ」。
一同が大爆笑したことは言うまでもありません。
式を終えて、私たち夫婦がハイヤーでその場を失礼するとき、あのよく通る大きな声で、
「拓雄君、明子さん、バンザーイ!」とその場の全員を巻き込んでの万歳三唱。
うれしかったですね。

それから思い出すのは、有名スポーツ選手などの出身校にとんでもなく詳しいこと。
特に出身高校ですね。
「誰々選手」というと、「○○高校出身な」と返ってくるのです。
もっと面白いのは、甲子園の時期。
例えば私は西東京地区の出身ですが、西東京代表が出てくると、どの学校であっても、「お!拓雄さんの母校!」。
なので私は、東東京代表校を「浅見さんの母校勝ちましたね」と返すのです。
こんなやりとりを浅見さんは会社中の人としていました。
中には、「僕の母校はそこではありません!」とマジ返しして、浅見ギャグについていけない若手社員もいたりしましたね。

思い出話は尽きませんが、まだまだ今後もお世話になると思います。
よろしくお願いいたします。

では、明日、その浅見さんにご登場願います。

ご飯のおとも

佐藤 拓雄

2015/10/28

先日、生まれて初めてという体験をしました。
コイン精米機による、玄米の精米です。
当たり前のように使っている方には笑われそうですが、コメ農家に親戚も知人もいない私にとっては、お米は、この歳まで、スーパーか米屋さんで買うしかない、そういうものでした。
今年の新米のシーズン、コメ農家の親戚がいるという知人から、玄米を分けていただき(もちろん買ったんですよ)、30キロの大きな袋を車に積み、妻と二人で精米に行ったのです。
いかにも不慣れなコイン精米未経験者が二人、そもそもの説明書きを読むところからですから、客観的に見ると、ずいぶん滑稽だったかもしれません。
当初私は、30キロが重いのと、なんだか面倒くさいのとで、文句を言いながら精米に行ったのでしたが、ひとたび機械を動かしてお米を投入してみると、なんといい香りがすることか!炊いていない生のお米が、こんなにいい香りがするんですね~。そして、精米され出てきたばかりのお米があたたかい!こういうのも、当たり前の方には、何をいまさら、ということなんでしょうね。
そして、もう一つ驚いたのは、精米度合いもいろいろ選べるようになっていて、「無洗米コース」まであること。面倒くさがりの私と、冬場の手荒れに悩む妻は、「無洗米コース」を選択。あたたかく、香り高いお米を再びよいしょと車に積んで、心まで温かく帰宅しました。

ごはんの「おとも」じゃなくて、ごはんそのものの話が長くなりました。
「おとも」の方で、真っ先に思い浮かんだのが、長男の大好物、「だし」です。山形の郷土料理で、分かる方には説明不要ですが、分からない方には、なんだろう?きざんだ漬物、と言ったらいいんでしょうか。
私ももちろん大好きですが、とにかく、長男は、ごはんがすすまない時でも、これさえあれば大丈夫、というくらいです。
我が家はもっぱら売っているものを買うだけですが、長男の同級生の家では、山形出身のお母さんが手作りした「だし」を食べているとか。山形のご家庭では、当たり前に作るようですね。
ふと思いたって、クッ○○ッドを検索してみたら、レシピがたくさんありました。今度作ってみようかな。

明日は稲垣アナウンサーです。

運動会

佐藤 拓雄

2015/10/06

青い空に、白い雲、そして、万国旗。
この秋、子どもの運動会で、お、これはこのテーマの写真になる、と思い撮っておきました。

自分の運動会の記憶をたどって思い出されるのが、40年以上前、自分が幼稚園のときの「はじめのことば」です。
開会式での、「これから、うんどうかいをはじめます。ぼくたちは・・・」という、選手宣誓的なものです。
年長組の時、どういうわけか、これを私が一人でやるよう指名されました。

今でこそ、こういう仕事をしていますが、子どもの頃は、人前で話すことが得意なわけでもなく、この子は将来アナウンサーになるにちがいない、などと言われたことも一度もなく、したがって、私の才能を幼稚園の先生が見抜いて、ということは決してなさそうです。

そんな6歳、いや、誕生日前で5歳か?ともかく、そのころから真面目なだけが取り柄だった私。宿題などの、やれと言われたことはとにかくやる、そういう子どもだったので、毎日練習し一生懸命覚えて当日を迎えました。

しーんと静まり返った広い校庭で、マイクを通って反響する自分の声と、無事終わった時の解放感は今でも記憶の片隅にありますが、そのことによって、人前で話す快感を知り、今に至る・・・なんていう、できすぎたストーリーはまったくなく、その後、数々の挫折を経ていくつもの夢が破れ、紆余曲折の末、40年前には思いもしなかった今の私がいます。

ごちゃごちゃどうでもいいことを書きましたが、小さいころから短距離走は得意だったので、運動会は大好きでした。徒競争だけでなく、リレー、騎馬戦、組み体操、棒倒し・・・どれも大いに張り切って取り組んだなあ。でも今は、子どもの運動会の保護者競技にすら、怪我をしそうなので出場しません(苦笑)

明日は、高谷アナウンサーの運動会です。

長寿

佐藤 拓雄

2015/09/17

写真は、幼稚園児の次男が漫画を見ながら模写した、「コ○○ロコミック」の連載漫画のキャラクター。元気で下品極まりない「じーさん」が、次男のお気に入りです(苦笑)。「長寿」つながりで、「じーさん」の絵です。
漫画の模写、私も子どもの頃よくやりました。こういう所も、次男は私に似ているようです。

さて、長寿、といえる年齢は一体どのくらいなのでしょう?

私が子どもの頃漠然と持っていたイメージは、70代なら立派な長生き、80歳を超えるのはとってもとっても長生き、悪い言葉であえて言うならば、「よぼよぼ」のおじいさんやおばあさん、というものだったように思います。

ですが、今の80歳は、子どもの頃の私が持っていたイメージとはずいぶん違います。
私の父は今年81歳。
身内自慢になってしまい恐縮ですが、「よぼよぼ」とは程遠く、元気に暮らしています。
妻つまり私の母には6年前に先立たれ、私の近所で一人暮らしをしていますが、料理もし、趣味もし、ボランティアもし、パソコンもスマホも使いこなし、好奇心旺盛、頭も体も、健康を保っています。
身内の話で重ね重ね恐縮ですが、父の年の重ね方を大変尊敬しています。

父に限らず、元気な80代をよく見かけます。
80代のイメージが、この30~40年の間で、なぜこんなにも違うのか。
平均寿命の推移を調べて納得しました。

例えば、私の祖父が亡くなったのは1980年。この年の男性の平均寿命は73歳でした。
祖父は70代後半で亡くなったので、この時で言えば、平均寿命以上の人生、すなわち「長寿」だったわけです。

それが今、2014年の平均寿命は、男性が80歳。
父の年齢でようやく平均ということになります。

私が80歳になる頃、男性の平均寿命は82~83歳という予想も見つけました。

その「超高齢化社会」の中で、私はどんな老人になっているのか。
今の父のように、息子や娘から敬意を持たれるような年のとり方ができていればいいのですが…


明日は、寺田アナウンサーです。

収穫

佐藤 拓雄

2015/09/02

高校野球100年。

100年かかって、ついに収穫の時を迎えたか、と思えた、深紅の大優勝旗。
つかみかけて、またもするりと逃げられた、そんな感覚でした。

ゲームセットの瞬間、テレビの前で、胸をかきむしりたくなるほど、あるいは、身もだえするほど、そんな悔しさを感じました。
かくも遠いものか。それほど高い壁なのか。途方に暮れるような気持ちになりました。
高校野球100年、野球の神様は、その節目に、歴史的優勝を用意していたのではなかったのか?

完敗じゃなかったから、余計悔しい。
試合後、佐々木監督は、「優勝に両手両足がかかっていたが…」とおっしゃったようです。監督自身が、「勝てる」という感触を持っていたんですね。

それにしても、大会を通して本当に素晴らしい戦いを見せてくれた選手たちに、最大の敬意と感謝の念を抱きつつ、近い将来の「収穫」を待ちたいと思っています。
もちろん、それを実現するのが、息子の高校だったら言うこと無し、なんですが…


続いては、飯田アナウンサーの「収穫」です。

暑い思い出

佐藤 拓雄

2015/08/21

仙台育英、惜しかった!
でも、本当に素晴らしい戦いぶり、「熱い思い出」をありがとうございました。

さて、お題の「暑い」方のお話。
8月3日夜、日本人宇宙飛行士・油井さんを乗せた国際宇宙ステーション「きぼう」が仙台上空を通過していくのを観察しました!

まだまだ暑さの残る時間帯。もわっとした空気の中、ベランダで待ちかまえていると、西の空を明るい光の点が、ス―――っと動いていきました。肉眼でもはっきり見えました。

写真がそれ。長女がスマホで撮ったものです。○をつけてみましたが、うーん、ちょっとこの大きさでは分かりにくいですね…

実は、私も、一眼レフできれいに撮る方法を、インターネットで調べて、撮ってみたのですが、何も写っていませんでした…付け焼刃はダメですね。私もスマホにしておけば撮れたのかも。残念。

国際宇宙ステーションは、400キロ上空を時速2万8千キロという猛スピードで飛んでいるそうですが、こうして肉眼でも見えるとなると、宇宙って意外と近いのかも?なんて思ったりします。その一方で、「閉所恐怖症」の気がある私には、どこにも出られない宇宙船は無理だな~とどうでもいいことを考えたり。

この夜の仙台も熱帯夜。このときは、10分程度ベランダにいただけですが、汗だくになりました。
今振り返れば、仙台は、この翌日から4日連続で猛暑日でした。今年の夏で一番暑い時期だったわけですね。
冷房のきいた室内に入ってからのビールが美味しかった!

次は、稲垣アナウンサー。

旅先に欠かせない物

佐藤 拓雄

2015/07/31

カメラ、でしょうか。

独身時代(の今振り返れば終盤(笑))、NBA、というか、シカゴ・ブルズ、もっと言えば、マイケル・ジョーダンを見にアメリカへ行ったあたりから、旅行には必ずカメラを持っていくようになりました。それまでは、それほど写真も撮らなかったのですが、マイケル・ジョーダンをこの目だけでなくカメラにも収めたい、という欲望が出発点でした。
まだデジタルカメラが普及する以前のこと。フィルム式のコンパクトカメラの中でも、望遠の倍率が大きいものを選び、室内でもよく映るようにと、少々高価な高感度のフィルムを、空港の手荷物検査のX線にやられないように、防御用の袋に入れて・・・という準備をしていきました。デジカメじゃないので、フィルムの残り枚数が気になり、また、その場で撮った写真を確認することはできないので、家に帰って現像に出し、できあがってくるまで、ちゃんと撮れているのか心配でした。

フィルム時代の話では、新婚時代に、妻と海外旅行をし、現地在住の妻の友人ご夫妻を訪ねた時のことを思い出しました。4人で楽しく食べて飲んで、相当酔っぱらって、帰国後、写真を現像したら、撮った覚えのない4人の集合写真が。タイマーをセットしてシャッターを押したのは私だそうです(苦笑)
記憶はないが、記録は残った、という半笑いのお話。幸い、記憶のない時間帯に誰かに迷惑をかけるようなことはなかったようです…

それから、7~8年前、デジタル一眼レフを買ったばかりの頃。当然のように旅行に持って行きましたが、これは失敗でした。重い、かさばる。
確かにいい写真は撮れますが、カメラ自体が趣味というわけでもない私にとっては、「分不相応」感が残りました。

かと言って、スマホだけでは物足りないので、旅行にはコンパクトデジカメで一応落ち着いていますが、ミラーレス一眼に食指が動かないでもない今日この頃です。

※写真は私のデスク上。帽子が旅行っぽいので、というだけです。

次は飯田アナウンサー。そう言えば、ミラーレス一眼の「カメラ女子」だと、以前このアナ・ログに書いてましたよね。

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