震災から半年 2011/09/28 山元町の山下中学校で避難されていた方々が作ってくれたカエルを6月に頂きました。今、そのカエルを見ています。タマゴの殻で作ったものです。カエルの隣りには黄色いに塗られたタマゴの殻がもう一つ、こんなことが書かれています。「感謝・感激です」「パワーをもらいました」「希望をありがとう」「元気になりました」「山元よみがえる」「絆」「あたたかいご支援ありがとうございます」…避難所からすでに移動されている皆さん、その後、元気で過ごされていますでしょうか?何らかの形で、またお邪魔したいと思っています。先日、柳家小三冶師匠の独演会が仙台で開かれました。戦時中、岩沼で疎開をしていたこともあり、今回の震災に心を痛めているということ。新聞に、救命ボートの上で自宅を見つめる人の姿が…ボートには、岩沼消防の文字があったそうです。涙が止まらなくなったといいます。高座での師匠の気遣いに勇気付けられた一幕でした。その翌週、柳家花緑さんの独演会がありました。公演前に、本人の希望もあり、石巻と女川の被災地を見てもらいました。何か被災地を見て、半年前というより、もう何年も前に起きた災害のようにも感じたそうです。他の高座でも、きっとそんな様子を話してくれるでしょう。津波で全壊した気仙沼の介護施設から、家電の支援を求めるメールを知人からもらいました。除湿機、加湿器、炬燵、カメラ、テレビ…と様々です。まだまだ、支援物資は足りないのでしょうね。半年経って、改めて「震災を忘れてはならない」「多くの人に、被災地を見て欲しい」「微力ながら、これからもサポートしていきたい」震災からまだ半年ですから。
震災から半年 林 佳緒里 2011/09/27 写真は、今月10日放送の「ともに」でご紹介した桂島のノリの種付け用水車です。津波被害を奇跡的に免れました。直径6メートルもあります。震災から半年、震災後に取材で伺わせていただいた場所はどう変わっているのか?変わっていないのか?きちんと復興までの道のりを見届けたい思いもあり、2ヶ月ぶりに今月はじめ、塩釜市の浦戸諸島・桂島に行ってきました。島の瓦礫の撤去は少し進んでいましたが、その様相はやはり震災の被害が大きかったことを物語っていました。一方で、住民の皆さんは、心一つにお祭りを開いたりして、前に進もうという気持ちは、より一層強くなっていました。大きく変わったこと、前進したことと言えば、何といっても、島を支えているノリ養殖が再開したことです。恥ずかしながら、いつもはノリを食するだけで、養殖がどう行われているのか?も知らなかった私。朝5時からの「種付け作業」を拝見させていただきました。日の出から数時間が勝負の厳しい作業。生産者の皆さんの表情も真剣そのものでした。種付け具合によって、収穫にも大きな影響が出ます。厳しい条件の中、ようやくたどり着いた養殖再開、無事種付けが終わった後には、皆さんから安堵の笑顔がこぼれました。とても素敵な笑顔でした。島の人の雇用も生み出していたノリの養殖の再開は、本当に復興への希望です。宮城県全体のノリ養殖の復活のためにも、必ず無事収穫できることをお祈りしております。震災から半年、まだ変わらないこと、進み始めていること、いろいろあります。でも、その場所で懸命に生きていこうとしている方がいらっしゃることには変わりません。ラストは浅見さんです。
震災から半年 寺田 早輪子 2011/09/22 震災から半年。もうそんなに月日が経ったのか、と感じます。 震災から半年。それは、私の福島の母が自宅を離れ、東京に避難してから半年という事を意味します。 私の故郷・福島県浜通りは、震災が起きたあの日まで、自然災害に見舞われた記憶もほとんどなく、気候も東北のなかでは温暖な地域で、本当に穏やかな街でした。そんな浜通りで、未曾有の原発事故が起きようとは…。「3月11日より前の故郷を、元通りの故郷を返して欲しい。」福島を故郷に持つ一人として、心から、そう思います。 震災から半年。ようやく、母の住んでいたいわきの自宅の修理が9月末から始まることが決まりました。震災で工事業者の仕事がたて込んでいたためです。 震災から半年。生活再建に一歩踏み出した人たちもいますが、いまだ、「浸水した自分の土地に家を再建してよいものか?」、身動きが取れないという方もいます。街の「復興計画」の形がなかなか決まらないからです。拙速に街の将来像を決定することも危ういことですが、復興する街の青写真が見えないままでは、職を失った方、家を失った方が街を離れることも懸念されます。「『復興』に向かって実際に動き出す。」今からの「半年」はそんな月日にしなければならないと感じます。 続いてのアナログは、稲垣アナウンサーです!
震災から半年 飯田 菜奈 2011/09/20 目の前に広がる光景が現実なのか、はたまた夢なのか…信じられない… これが現実だなんて信じたくない…津波から避難している最中、ビルの屋上で私は混乱していました。仙台港近く、「夢メッセ宮城」にてイベントのMCをしていた時に巨大地震に遭遇。揺れがおさまってからすぐに隣の建物の屋上に避難し、仙台港の様子をうかがっていました。ついに来た… 津波だ… そう確信した次の瞬間、駐車場に止めてあった車が次々と流され、電信柱や木々が倒れ、あっという間に私達がいたビルまで津波が到達。だんだん水位が高くなり、目の前を車が流れていきます…。車のクラクションの音が、途絶えることなく鳴り響いています。津波に囲まれた…。孤立してしまった…。幸運なことに、私達が避難していた場所までは津波は到達しなかったため、全員無事でした。でも、あの日あの瞬間に見た光景はしっかりと目に焼きついています。今も、ふとした瞬間に思い出します。地震が起きるたびに、そのときの恐怖がよみがえります。でも、私以上に怖い、つらい、危険な体験をされた方は、たくさんいらっしゃると思います。生活環境が落ち着いたとしても、何年経っても、そのとき心に負った傷は癒えることはないですよね。ただ、時間は一刻一刻と進んでいます。その記憶を忘れたくても、過去は変えることはできません。私達は、生きている限り、明日へ、未来へ、前へ進んでいくしかありません。この先、いつまた大きな地震があるかも、どんな自然災害に見舞われるのかもわかりませんが、生きているのは人間や動物だけではなく、日本という島も、地球も、生きているのですよね…。立ち向かっていかなければいけません。とはいえ、これ以上大きな地震が起きないことを、再び悪夢が現実に起きないことを私は願ってやみません…。次回はアナウンス部長、柳沢アナウンサーです。
震災から半年 2011/09/16 9月11日の震災半年特番の中継のため震災直後に連日、取材していた気仙沼へ、久しぶりに向かいました。震災1ヶ月特番があった4月11日まで、ほぼ毎日足を運んでいた、避難所の一つ気仙沼市民会館にも行くことができました。そこの館長さんには非常にお世話になり、番組でもインタビューをさせて頂きました。その館長さんに5ヶ月ぶりくらいにお会いしたところ、私のことをよく覚えていて下さって『あなたみたいな人と再会できると涙が出るのよね』と、笑顔で仰って下さいました。当時、よく遊んでいた男の子(3歳だったかな?)は、避難所に移ったようで再会できませんでしたが、震災によって生まれた絆を改めて感じることができました。 それでも、仮設住宅に移った方など多くの人は、『仕事がないため、今後が不安』『大人数でいた避難所生活から、少人数で暮らす仮設住宅に移ると、寂しさと不安が募る』といった言葉を多くの方から聞きました。市街地中心部では半年前に街全体を埋め尽くしていた瓦礫は徐々に撤去され、多くの場所が更地状態になっています。それでも大きな被害を受けた鹿折地区では今でも津波で打ち上げられた漁船が残されるなど震災の爪あとが痛々しく残されていました。気仙沼湾近くでは午前中の干潮時刻にも関わらず浸水している地域も見られました。震災から半年が経っても気仙沼市には今もなお傷跡が残っています。 震災から半年で改善された部分もありますが、元通りの生活には到底いたっていません。半年、1年間というスパンではなく、復興に向けてもっと長い期間が必要なのだと改めて感じました。次は飯田さんです。
震災から半年 金澤 聡 2011/09/15 震災から6ヶ月が経ちました。我が家には変化がありました。新しい家族が増えました。あの地震をお腹の中で耐えました。強い子になってくれることを願っています。半年経って、自分の住んでいる周辺の景観はほぼ日常に戻りました。ただいまだに多くの方が大変な日々を送っています。震災後のストレスなどで、命に関わるような深刻な事態も起きています。細分化された問題に取り組んでいかなければならないのが今後だと思います。震災の復興なくして経済の再建なし。原発の目に見えない不安を解消なくして、日本の信頼回復なし。まだまだ長い道のりですが、被災地への思いが徐々に薄れていくこれからが本当の復興の道になると思います。被災地の感心が希薄にならないよう我々もしっかりと発信しなくてはいけないと思っています。日々の一歩が明日につながると信じて。次は、広瀬アナウンサーです。
震災から半年 佐藤 拓雄 2011/09/14 写真は、何度も取材に訪れている南三陸町で、同じ場所から撮影したものです。上が5月9日、下が9月5日。小さくて見えにくいかもしれませんが、がれきが撤去され、風景はかなり変化しました。現地で食事をできるようになったのも、大きな変化です。6月ごろまでは、あらかじめ食料を用意して、被災地に向かいました。今は、コンビニも、店舗を修繕したり、プレハブを建てたりして、多くが営業を再開しています。営業している食堂も増えてきていて、取材先での食事を仙台から持っていくことは、非常に少なくなりました。むしろ、積極的に現地で調達するようにしています。一方で、3階建ての建物の屋根に乗っかったままの自動車、山あいの草むらで無残な姿をさらす小船、骨組みだけの建物など、手付かずのものも多く残されています。人々の生活もそうです。復旧に向かうところと、あの日のままのところ。半年が経ち、被災地の時計は、同じ地域でも、その進み方に差が大きくなってきているように感じます。次回は、金澤アナウンサーです。
震災から半年 梅島 三環子 2011/09/13 きょうからテーマが変わります。「震災から半年」です。一瞬にして、私たちの日常を奪い去った震災から半年が過ぎました。寒くて、真っ暗だったあの日の仙台…。半年後のことなど想像だにつきませんでしたが、過ぎてみれば、仙台市の中心部はあっと言う間に復旧し、活気も戻ってきました。もちろん、県内を見渡してみれば、復旧した場所ばかりではありません。それでも、半年という時の流れは、私たちにとって、一つの区切りといえるのではないでしょうか。半年をきっかけに、あの日と今をよく比べてしまいます。1ヶ月以上、家のお風呂に入れなかったこと。ご飯を作ろうにも、なかなか営業がされなかったり、大混雑でお店に入れないこと。やっと手にした白菜は、1株900円!高かった…。仕事では、常にすっぴんで、化粧もせずに、ヘルメットをかぶって、マスクをつけて取材に行っていました。余震も多く、震度5弱で冷静にいられる自分がちょっと怖かった気もします。この半年で、生活が元に戻り、普通に生活できることが、こんなにも幸せなんだと実感させられました。県内始め、全国の方々のたくさんの努力によって、元に戻った日常。感謝の気持ちを忘れずにいたいものです。明日は、拓雄アナウンサーです。