学生時代のアルバイト 寺田 早輪子 2023/05/26 私から始まる新しいお題は『学生時代のアルバイト』。私は学生時代に、とあるファストフード店でアルバイトをしていました。インカムを付けてテキパキと注文を捌く「ドライブスルー係」に憧れて働き始めたのですが、それはかなり経験を積まなければ担当できないことが早々に判明。最初に任されたのは「オニミジ」というポジションでした。「オニミジ」とは、オニオンのみじん切りの略。お店のバックヤード(裏口の軒下…)で、段ボール箱にぎゅうぎゅうに詰められた玉ねぎの皮を全て剥き、ひたすらみじん切りにするという、とても地道な作業。涙を流しながら、根気強く頑張りました。その努力が実ってか、数か月後、ドライブスルー係を任されることに!実はドライブスルー係はカメラに映るお客様の注文を取りながら、その一つ前の順番のお客様のドリンクメニューを作らねばならないのです。つまり、頭と手と声と…、別々の注文を捌かねばならないという大変難しい仕事なのです。元来、あわてんぼうな私は、初日からパニック。マニュアルで、注文を取る際には「いらっしゃいませ、こんにちは。マイクに向かって、ご注文をどうぞ!」と言う決まりだったのですが、「いらっしゃいませ、こんにちは。マイクに向かって、こんにちは!」と、思わず発してしまいました。顔から火が出るほど、恥ずかしかった…。ただ、その言葉をうけたお客様が、カメラの向こうで「…こ、こんにちは。」と応えてくださったことに、ちょっと救われました(^^;)。☆5月の母の日に、夫と息子にカーネーションをもらいました。アナ・ログ。続いては、佐藤拓雄アナウンサーです。
旅あれこれ 寺田 早輪子 2023/05/18 ピエロにお姫様抱っこをされたこと、ありますか?私…、あります。あれは20代の夏。ヨーロッパを一人旅した時のことです。当時から美術館巡りが趣味で、イタリアのウフィツィ美術館で、ボッティチェリの名作「ビーナスの誕生」を目の前で鑑賞したい!と前々から願っていました。長期の休みがとれたこともあり、なけなしの貯金を叩いて、いざ!ヨーロッパへ!フィレンツェに到着したのは昼過ぎ。閉館ギリギリでしたがに何とか今日中に美術館を訪れたいと、駅から駆け足で向かいました。見えてきたウフィツィ美術館。すぐ手前の広場では大道芸のピエロが大勢の観衆の前で何か芸を披露し、大笑いを誘っていました。とても楽しそうでしたが、迫る閉館時間が気になり、私は目もくれず、美術館入口へまっしぐら!と、その時!一際大きな笑い声が響くと、フッと私の体が浮いたのです!「えっ!?」と思った瞬間、頬と頬が触れんばかりの近距離に先ほどのピエロの顔が!そう、私は突然、ピエロにお姫様抱っこされていたのです!ピエロは大きな声で「このお嬢さんを川に連れて行っちゃうぜ!」と群衆に向かって叫びながら(たぶん…)、フィレンツェを横断するアルノ川の方向へと私を連れ去りました。「放せ!美術館に行きたいんだ!」と、私は日本語で抗うも、通じず…。そのまま夕日の眩しいアルノ川のほとりまで連れて来られました。ピエロはそっと私を岸に下ろすと、「ごめんねー。びっくりしたよねー。お客さんが喜んでいたからさー、つい、お姫様抱っこしちゃったよー。じゃ!よい旅を!」…というようなことをイタリア語で話し(たぶん…)、どこかへ走り去っていきました。私の身に一瞬のうちに起きたことを理解するまでに、しばらくアルノ川の夕景を眺めながら、ぼーーーーーっとしてしまいました。「ウフィツィ美術館にはどうやって戻るのかしら?」と、回らない頭と体で何とか歩き出し、閉館までの約30分間、「ビーナスの誕生」を鑑賞することができました。フィレンツェ一人旅。「ビーナスの誕生」の素晴らしさはもちろんですが、「ピエロにお姫様抱っこされる」という非日常的で、衝撃的な出来事の思い出が一番強く残ってます。☆写真は…、フィレンツェで撮影した一枚。フィレンツェのシンボル「サンタ・マリア・デルフィオーレ大聖堂」。こちらの天井画も素晴らしかったです。アナ・ログ、続いては咲良さんです。
お茶の話 寺田 早輪子 2023/04/24 うちの息子が小学1年生からの2年間、週に一回、毎回、意欲的に取り組んでいた習い事があります。それは、「茶道」。きっかけは一枚のプリント。小学校に入学してすぐの頃、息子が「日本の伝統芸能に触れる習い事体験会」の案内のプリントを学校から持ち帰ってきたのです。書道、華道、日本舞踊、茶道の教室についての案内があり、「何かやってみる?」と聞くと、息子は「茶道!」と即答。実際に教室に行ってみると、ほとんどが女の子で、男の子は息子を含めてたった2人。作法や道具の名前など覚えることも多く、何より正座でいることに耐えられずに「すぐに音を上げるかな…」と思っていたのですが、毎週、意欲的に通い続けていました。付き添いの私はというと、それまで茶道は一度も体験したことがなく、息子が作法をどんどんマスターし、お茶を点てる姿にただひたすらに感動していました。「なんで茶道を選んだの?」と息子に聞いたことがあります。返ってきた答えは、「和菓子目当てだよ」…でした…。スナック菓子より、チョコ菓子より、息子はあんこを使った和菓子が大好物なのです。発表会や地区のお祭りなどにも和服姿で参加してお点前を披露し、満足そうな表情を浮かべていましたが、新型コロナ禍の影響で教室はしばらく休講に。和菓子目的で茶道を始めた小学1年生も、あっという間に6年生に…。茶道以外にもいろいろなことに興味が湧いてきていますが、コロナによる様々な制限も緩やかになってきた今日この頃、そろそろ「茶道を再開したい!」と言い出すかもしれません。☆写真は…、会社でちょっと一息。お茶タイム。アナ・ログ、続いては飯田アナウンサーです。
子どものころに読んだ本 寺田 早輪子 2023/04/17 「ルドルフとイッパイアッテナ」この本、私も知っている!という方が多いかと思います。人気の児童文学作品で、シリーズ化され、2016年には映画にもなりました。そのシリーズ最初の作品は私が小学校高学年の頃に出版されました。当時、夏休みの課題図書として手に取ったのがこの本との出会いのきっかけです。大人になった今も、そのストーリーを思い返すと切なくて涙がにじむほど大好きな本です。小学生の女の子に飼われていた黒猫「ルドルフ」が主人公。ひょんなことから誤って長距離トラックに乗ってしまい、遠く離れた見知らぬ街へ…。そこで「イッパイアッテナ」と出会い、助けられながら、何とか元の場所へ帰る策はないか模索する…というのが話の軸。飼い主に会いたくて涙がこぼれそうになる日々の中、様々な出会いに支えられ、立ちはだかる困難を、知恵と勇気で乗り越えようと奮闘するルドルフに、自分を重ね合わせ、ハラハラドキドキしながら夜更かしして、ページをめくった記憶があります。先日、子供と一緒に近所の市立図書館へ行きました。児童文学の棚に、「ルドルフとイッパイアッテナ」シリーズ3作が並んでいて、思わず手に取り、懐かしさに浸りました。子供の頃に夢中になって読んだ本が今の子供たちにも読み継がれていることに、感動。「不朽の名作ってこうやって生まれるんだなー」と、しみじみ思いました。☆写真は…仙台放送の社屋横に咲くサクラです。今年も綺麗に咲きました!アナ・ログ、続いては飯田アナウンサーです。
ホワイトデー 寺田 早輪子 2023/03/28 ホワイトデーのプレゼントにぴったりでは…!と思うものを発見しました。それは、気仙沼市観光キャラクター「海の子ホヤぼーや」グッズの新商品。先日、気仙沼での取材で紹介していただいぬいぐるみで、話しかけるとその通りにリピートしながら、こちらにむかって健気にチョコチョコと歩いてくるのです!2頭身で、高さは20センチほど。ちょうどすっぽり抱きしめられるくらいのサイズが、とてもキュート。一目で心奪われました。一番の萌えポイントは、話しかけた自分の声がホヤぼーやの声に変換されて返ってくるところです。このホヤぼーやの声が、もう!本当に!可愛らしいのです!!皆様も、ぜひ気仙沼でこの可愛らしさを体感してくださいね。☆写真は、気仙沼にて。ホヤぼーやと。歩くホヤぼーやはこれよりも大きめです。アナ・ログ。続いては梅島さんです。
東日本大震災12年 寺田 早輪子 2023/03/07 震災の1年後の3月に生まれた息子は、今年11歳になります。いわゆる「震災を知らない世代」です。先日、息子と一緒に石巻市震災遺構・大川小学校を訪問。私がこれまで取材でお世話になった方々と、息子が直接お話させていただく機会がありました。普段はペラペラとおしゃべりな息子ですが、この日は静かに大川小の校舎やまわりの景色をじっと見つめる様子が印象的でした。特にじっくりと見つめていたのが1階の「アッセンブリホール(多目的室ホール)」の壁。津波やがれきで多くの壁や床が破壊された校舎の中で、アッセンブリホールの空色の壁紙の一部は鮮明に残っています。綺麗な空色と雲を描いた白の模様に、その空間で自分と同じくらいの子供たちが生き生きと笑いあう様子が浮かんだのかもしれません。息子は自らぐんぐん歩みを進め、「ここは何の教室だったの?」「どこに体育館があったの?」「この広場では何をして遊んでいたの?」と矢継ぎ早に質問してきました。ここには確かに自分が通う小学校と同じ、子供たちの日常があったことを確認しようとしている…、そう感じました。今は震災遺構と呼ばれているけれども、友達と勉強し、笑いあい、遊び、元気に走り回る「命」がここに確かにあったということを。命の重みを知ることは防災の第一歩です。「震災を知らない世代にどう震災の教訓を伝えていくか?」、報道機関に身を置く一人として日々、頭を悩ませていますが、とにかく「伝え続ける」ことが大事で、「東日本大震災という甚大な災害から、子供は自ら学びとる力がある」と実感した一日となりました。震災発生から12年。「風化」という言葉が聞かれるようになって久しいですが、伝えるべきことはまだまだたくさんあると確信しています。アナ・ログ。続いては、金澤聡アナウンサーです。
チョコレート 寺田 早輪子 2023/02/22 今でもふと食べたくなる、子供の頃に好きだったお菓子…。「ぬ~ぼ~」というチョコレート菓子をご存知ですか??「ぬ~ぼ~」は私が小学生の頃に発売され、当時は珍しかったエアインチョコを、最中の生地で挟んだ軽い口当たりのお菓子でした。他のチョコ菓子にはない軽さと口に入れた瞬間のシュワっととろける感じが当時はとても新鮮で、そろばん塾の帰りによく買っておやつに食べていたなあ…。白いパッケージにプリントされた黄色くて丸いキャラクターは、今でも描けます!令和の今でも人気を集めそうな、そんなとてもゆる~~~い見た目。丸くてフワッとしていて、まるでビーズクッションのよう。想像するだけで、癒される。「ぬ~ぼ~」にもう一度、会いたい!食べたい!☆写真は、先日取材させていただいた「石巻こけし」。とっても小さくてかわいらしい!最近はこのこけしちゃんに癒されています。アナ・ログ。続いては、伊藤瞳アナウンサーです。
テレビあれこれ 寺田 早輪子 2023/01/23 「チャンネル回して、いい?」今でも不意に使ってしまうこの言葉。私と同世代、または私より先輩の皆様ならばご理解いただけるかと思いますが…。子供の頃、私のうちにあったブラウン管のテレビは、まさにこの「チャンネルを回すタイプ」でした。テレビ画面の右横にチャンネル選択のためのダイヤルが付いていて、それをガチャガチャと回しながら、見たいテレビ局のチャンネルに合わせていました。ですから、テレビに一番近い位置に座っている家族に、「チャンネル、回して~」と言っていた頃の名残ですね、今でもこの言葉を使ってしまうのは。今で言う「リモコン、取って~」と大体同じ意味です。当時は、ダイヤルを回してチャンネルを変えるたびに「砂嵐」が画面に映し出され、しっかりチャンネルを合わせないと、画面が乱れてしまうこともしばしば。そんな面倒臭さも、今となっては懐かしい。あ、また昭和トークをしてしまいました…。昭和レトロ好きの皆様は、どうぞ心の中で、「イイネ!」にチャンネルを回してください。☆写真は、現在取材中の「石巻こけし」。ユニークなデザインと微笑みに癒されています!アナ・ログ。続いては、佐藤拓雄アナウンサーです。
2023年にやりたいこと 寺田 早輪子 2023/01/16 私はさそり座の、金星人で、金のインディアンです。…占い好きの方なら、何を言っているのか分かってくださるかと思います…。私は占い関連の話題が大好き。年末年始に書店に立ち寄ると、色々な種類の占い本が並んでいて、楽しくなっちゃいます。先日、ふと手に取った占い本によりますと、2023年、私の運勢は「遊べば遊ぶほど、運気が上がる」そうです!しかも「12年に一度だけ巡ってくる、人生で最も楽しく遊べる年!」だそう!何とも胸躍る情報です。何をしようか…、気持ちだけがそわそわしてしまいます。その占い本を読み進めると「遊びの中から学びも、出会いも得られる」とのこと。仕事で良いパフォーマンスをするためにも、真剣に遊ぶ!そんな一年にしたいです!アナ・ログ、続いては佐藤拓雄アナウンサーです。
2022年を振り返って 寺田 早輪子 2022/12/21 私には、毎年、実りの秋に、美味しい梨とその大らかな笑顔に出会うのを心から楽しみにしていた人がいました。その方は宮城県利府町の梨農家・引地俊彦さん。今年の春、68歳で亡くなりました。地元紙などでは「梨作りの名人」とも称され、テレビ各局の取材も積極的に受けてくださっていた利府町の有名人。様々な品種の梨を手掛けていましたが、中でも「あきづき」という品種は、本当にみずみずしく、甘くて、私は大ファンです。引地さんに初めてお会いしたのは、15年前、台風9号の被害取材の現場でした。暴風で収穫間近の梨が落ちてしまった利府町内を取材しようと、梨園に突然訪れた私たち取材班を快く受け入れてくださったのです。大変な状況の中、丁寧に被害状況を説明してくださいました。この時、別れ際に「被害が出た時だけじゃなくて、今度は美味しい梨の収穫も取材しに来てよ」と、笑顔で話してくださいました。心に深く刺さったこの言葉は、一生忘れられません。取材させていただく方の、ただ一時だけの表情を切り取るのではなく、喜びも、悲しみも、色々な表情を見つめて、初めてその人を描くことができるのだと、教えていただいたと思っています。以来、「今年は美味しい梨ができたから、取材に来てー」、「今日は、病害虫駆除するから、取材に来てー」、「珍しいヒマワリが咲いたから取材に来てー」…と、数えきれないほど連絡をいただき、笑顔の取材も多くさせていただきました。そして、いつも「いらっしゃい!」と大らかな笑顔で迎えてくださいました。私が育児休暇を終えて職場復帰すると「お子さん連れて遊びに来てー」とお声がけいただき、家族ぐるみのお付き合いもさせていただきました。幼かった息子が初めて梨の収穫を体験したのも引地さんの梨園でした。梨に手が届かない息子を、抱っこして持ち上げてくださいましたね。たくさんたくさん笑い合いましたね。まるで実家に帰った時のような、故郷のように温かい存在でした。「病気になった」と連絡をいただいてからも、「また秋に梨を食べに来て」と声をかけてくださいました。今年の秋。跡を継いだ息子さんと奥様から、例年同様に美味しい梨が届きました。引地さんが大事に守ってこられた梨は、これからも多くの人を笑顔にすると確信しています。本当にお世話になりました。大好きな音楽とコーヒーを楽しみながら、どうかゆっくりとお休みください。☆写真は、今年の秋に引地さんご家族から頂いた梨。引地さんの思い出と一緒に美味しくいただきました。アナ・ログ、続いては、下山アナウンサーです。