2013年 ともに 林 佳緒里 2013/03/27 震災から2年がたちました。この1年間は、取材を通して自分の目で震災の被害が大きかった地域などの今を見ることはできませんでした。もう2年なのか、まだ2年なのか。それぞれ感じ方は違うと思います。でも皆さん誰しもが、家族、仲間と「ともに」前へ!という気持ちで過ごしてきたと思います。今、私には仕事に復帰したらまず会いに行きたい人達が何人もいます。皆さん、震災当時から「ともに」前へという気持ちを強く持っていらした人たちです。震災直後から1年間、収穫まで取材させていただいた桂島のノリ養殖の漁師の皆さん。当時高校生で、亡くなった弟の供養のために青い鯉のぼりを掲げたいとプロジェクトまで立ち上げた東松島市の男子大学生。自分たちの町は自分たちで作り上げると必死で漁、町の復活に力を注いでいる石巻市雄勝町船越の漁師の皆さんです。震災から3年目を迎えた皆さんの今に会いにいきたいと思っています。私自身のプライベートでも、来月は自分の仕事復帰に加え、子供達の入園が控えています。家族の環境ががらりと変わる中、家族とともにその状況を上手に乗り切っていきたいと思います。「ともに」という気持ち。いろんな人がいろんな形でこれからも持ち続けるであろう大切な気持ちですね。(★写真は、船越地区のお母さん達からなる船越レディースの皆さんに作っていただいた雄勝硯のスレートを使ったプレートです★)明日からは、新しいテーマです。金澤さんお願いします。
2013年 ともに 柳沢 剛 2013/03/26 忘れない・・・ともに・・・絆・・・震災から3年目を迎えました…被災地で、お話を伺うと…その場、その場で、全く違う話を聞くことになります。「地域間格差」一言で言えば、そう言う事になるのかもしれません…。しかし…地区によっては、その一言ではかたずけられない程、実に様々な事が絡み合い…複雑な様相を呈してしまっている所もあります…。それぞれが、自分達の主張だけを繰り返し…嫌悪・憎悪が増し…まとまるものもまとまらなくなってしまう…溝は深まるばかり…では、どうすれば良いのか…難しい事では有りますが…それぞれの皆さんが、相手の立場になって、冷静に考え話し合い…落としどころを探っていく…相手の立場だったらどう考えるのか…?そしてもう一人、第三者を想定し、その人だったらどう考えるのか…?3人ぐらいの立場に自分を立たせ考えてみる…。そうすれば感情的に相手を非難したり、罵倒したりする事は、少なくなるかもしれません…。あなたは、問題の当事者ではないから、そんな事が言える…今の状況を打破するには、そのくらい言わなきゃ通じないんだ!そんな声も聞こえてきそうですが…いろいろ見てきて、聞いてきて…兎にも角にもふるさと宮城の人達が、前向きに思考し、笑顔で過ごせる時間が増えていく事を願ってやみません。「2013年は…ともに笑顔!!!」一人でも多くの人が、そうなれたら…。心からそう願う、三年目の春です。明日は林さんの担当です。
2013年 ともに 2013/03/25 石巻にお住まいの方から、情報を頂きました。その方の自宅も津波の水が床上まで達する被害を受け、大変な苦労をなすったという話を聞きました。今頃になって、当時の話を・・・・という何か申し訳ない気持ちでお聞きしましたが、元気な声を聞くことが出来、こちらもホッとした気持ちになりました。石巻市の渡波地区は、市内でも大きな被害を受けた地域です。その渡波地区の高台になる「洞源院」というお寺には、被災当時400人近い人たちが臨時の避難所として身を寄せていたそうです。ご住職や奥様の苦労は言うまでもないでしょう。その渡波地区にあった幼稚園と2つの保育所、小学校、中学校、2校の高校は、2年経っても再開できずにいる現状があります。この地域の再興には、若い世代の力がなければ実現出来ない、それを受け継ぐ子供たちが元気に育つ環境を作らなければならない、という思いで洞源院の小野寺住職が保育園建設に動き出したということです。すでに社会福祉法人の認可を受け、土地の取得、県と市からの補助金も約束され、具体的な動きになっているそうですが、はやり問題は、資金面だそうです。ご住職が私財を投じても中々資金を確保することが出来ず、全国の方への支援を呼びかけています。不足金は、およそ9000万円。問い合わせ先、宮城県石巻市渡波字仁田山2 洞源院 ℡0225-24-13893月の着工、9月の開園を目指しています。子供たちの元気な声が戻って欲しい。あすは、柳沢アナの担当です。
2013年 ともに 飯田 菜奈 2013/03/22 先日、タクシーの中で流れていたラジオを何気なく聞いていたら、『皆さん、緊急時のための避難袋は用意していますか?避難袋の中身は定期的に確認しましょう!賞味期限が切れていたり、使えなくなっているものがあるかもしれません。』という内容のコメントが耳に入りました。東日本大震災から、2年が経過。私も、東日本大震災の後、災害時に備えて水や食料を買い置きしたり、すぐに持って逃げられるような避難袋を用意するようになりました。ティッシュやトイレットペーパー、ラップ、化粧水や乳液など、買いに行きたいときにすぐに買いに行けないと困る!ものは、なるべく買い備えるようにしています。一人暮らしですから、地震以外にも火事や停電、病気をしたときなどに役に立つように、という思いも込めて。ただ、考えてみれば備えをするようになってからも、2年が経過。買っては使い、使っては買っているものは心配ありませんが、中にはしばらく袋に入れたままのものも・・・。使えるかどうか、食べられるかどうか、急いで確認しなくてはいけませんね。備えあれば憂いなし・・・。懐中電灯、いざ使おうとしたときに電池切れ・・・用意していた食料も、食べようとしたときに期限切れ・・・では、備えをしていたとは言えないですからね。明日は、浅見アナウンサーです。
2013年 ともに 稲垣 龍太郎 2013/03/21 日差しも温かく、だんだん春らしいお天気となってきました。春といえば、出会いと別れの季節。卒業式シーズンですね。ただ、卒業と同時に今春で「閉校」を迎える学校も宮城県内には多数あります。私は先日、報道の仕事で、東松島市・浜市小学校の閉校式の取材をしました。浜市小は、震災による津波で校舎が被災し、内陸部にある小野小と統合され、「鳴瀬桜華(なるせおうか)小学校」として4月からスタートします。幸いなことに、震災時に校舎の2階、3階に逃げた児童や先生、地域の人たちは全員無事。閉校する前に、津波から守ってくれた校舎を児童や先生、保護者の皆さんがきれいに清掃。感謝の想いを込めて清掃された校舎の中は、きれいに整えられました。閉校式の前に、浜市小の卒業生でもある保護者の方を取材しました。浜市小の卒業アルバム見ながら話していらっしゃった「アルバムの見方が変わった。当時の自分の写真よりも、風景を見てしまう」という言葉に胸が痛みました。閉校式当日、児童たちの「お別れの言葉」や「合唱」を聴いていると、もらい泣きしてしまいそうでした。母校がなくなるということ。私は当事者ではないので完全に気持ちを理解することはできませんが、母校はなくなっても、学校での思い出やそこで学んだ精神は、その学校で学んだ子どもたちの中に永遠に生き続けると思います。母校での思い出、教えを胸に新たな生活をスタートさせてほしいです。次は飯田さんです。
2013年 ともに 2013/03/19 入社してすぐの去年4月から3月17日の回まで、東日本大震災特別企画『ともに』を担当させて頂きました。写真は、番組でもお伝えした、名取市のカーネーション農家、菅井さんが育てたカーネーションです。菅井さんの奥様がとてもきれいなカーネーションブーケを作ってくださいました!この一年間はあっという間に過ぎてしまいました。ともに、最後の回で私が訪れたのは、女性のセラピスト集団「杜の都チームドルフィンドリーム」です。震災後の4月から避難所でハンドケアを行い、今も県内各地の仮設住宅の集会所などで、ハンドケアやフットケアの活動を続けている団体です。ドルフィンドリームでは簡単なハンドケアを行うボランティアも募集していて、午前中に講習を受けて、午後に仮設に住んでいる方々に実際にハンドケアをします。私も参加したのですが、仮設に住んでいる方といろんなお話をしながら、ハンドケアを行うという、とてもアットホームな雰囲気でした。ケアを受けた方は、「ケアしてもらった日はよく眠れるんだよね~」「疲れがとれるの」とみなさんとても満足された様子でした。この活動は一日から参加できるので、私が訪れたときも、県外からボランティアのためにきたという方、出張で仙台に来て、次の日が休みだから参加したという方もいました。ボランティアの数は減ってきていますが、2年経っても支援を続けている人たちがいる、支援を必要としている人がまだまだたくさんいるということを忘れてはいけないのだと、改めて感じました。昨日18日からは、梅島さんの産休に伴い、スーパーニュース担当になりました。まだまだ未熟ですが、日々のニュースをわかりやすく伝えられるよう頑張ります。お次は稲垣さんです。
2013年 ともに 梅島 三環子 2013/03/18 私ごとではありますが、出産を来月に控えまして本日より産休を頂くことになりました。スーパーニュースを担当させていただき、ちょうど3年半。至らぬ点も多々…多々ありましたが、お付き合いいただきました皆様、本当にありがとうございました。2度の総選挙に、東日本大震災…この3年半の間には本当に様々なことが起こりました。目を背けたくなるような辛いニュースもたくさんありましたが、良いこと・良くないことを含め宮城の今と向き合わせていただいた3年半となりました。今回のテーマは、「ともに」。ということで、“ともに”過ごした、スタジオの写真をアップします。たくさんの思い出が詰まった、NCのスタジオ。不思議なもので、楽しい思い出もいっぱいあるはずなのに苦い思い出ばりが、昨日のことのように蘇ります。冷や汗に、脂汗に、普通の汗に、それから涙も流しましたからねぇ…無理もないか。一つ一つ、思い出話をするとキリがないので、胸に秘め…ここでは、一切を割愛しますが、本当に貴重な時間をこの場所で過ごさせていただきました。今日からのスーパーニュースは、新戦力、小口アナとともに、新たな布陣でお送ります。ちょっと変化する、仙台放送スーパーニュース。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。明日のアナログは、その小口アナです。色々と…よろしくお願いしますね。
2013年 ともに 2013/03/15 3月11日を迎える直前7日に、1日をかけて被災地を周りました。気仙沼から車で南下して仙台市まで。ほとんど2年ぶりの場所、初めての場所など、沿岸部を一周してきました。気仙沼では、当時連日中継を行っていた高台に上って、市内を一望。重油タンクが倒れて火の海となって気仙沼市。何もなくなってしまった風景に、改めて言葉を失ってしまう思いでした。避難所となっていて、毎日お世話になっていた気仙沼市民会館にも1年ぶりにご挨拶に伺いました。市民会館の責任者として眠らずに働かれていた当時の館長さんは退職されていて、お会いできませんでしたが、その他にもお世話になった方々のお顔は拝見できました。当時、館長さんらから伺った「油まみれの人達で溢れ返った最初の夜』のことを思い出しました。そして、南三陸町、石巻市と南下していって、東松島市に到達した頃は、あたりは真っ暗。すると車のヘッドライトに浮かんできたのが、津波の被害にあった野蒜駅でした。震災直後の街並みを見て、一番怖かったのが、「闇に包まれた被災地」でした。車の明かりによって次々照らし出された家々。残された潮に反射して、ぼんやりと浮かび上がってくる家々。人一人いない中で見た光景は、テレビや新聞では伝えられない、震え上がるような光景でした。その時の記憶が、今回蘇ってきました。震災から2年を迎え、改めて当時のことを思い出しました。伝え継ぐべきこと、伝えなければならない思い。このことをしっかりと胸に刻み込まなければならないと、改めて感じました。続いて梅島さんです。
2013年 ともに 金澤 聡 2013/03/14 時間の経過のとらえ方は、その人の境遇によって異なっていると思います。『もう2年』『まだ2年』東日本大震災から2年が経ちました。今年も楽天のキャンプ地・沖縄県久米島で聞いた、震災の義援金を呼び掛ける声。遠く離れた南の地には、『まだ2年』という意識がありました。「ともに復興へ」という思いは、距離とは無関係なんだと再確認させられました。一方で、復興が遅々として進んでいないと感じている方には、もう2年も過ぎてしまったと忸怩たる思いでいらっしゃるでしょう。Jリーグは開幕しました。開幕宣言したのは、元ベガルタ仙台に所属していた佐藤寿人選手。今年も被災地復興に、サッカー界がサポートし、深く関わっていくことを宣言しました。ベガルタ仙台も、希望の光として復興の力になりたいと強く思っています。サッカー界も『まだ2年』という意識。翻って、私自身も、番組などを通じて復興の一助になりたいと思いながら、十分な事ができず、もう2年が過ぎました。これからできることは何か。まだまだたくさんあるはずです。『まだ2年』 です。次回は、広瀬アナウンサーです。
2013年 ともに 寺田 早輪子 2013/03/13 「一年」というのはこんなにも早く過ぎるものかと…、つくづく思います。育児休暇から本日、復職しました!!久しぶりにかかとの高い靴を履いて出社し、足が痛いです。「復職」とは言っても、子供を産んでから働くのは初めてですし、母との同居も久しぶり。子供にとってもママと長時間離れるのは初めてですから、家族みんなで、ともに「新生活」のスタートです。私が仕事をする間、息子は保育園に預かってもらいますが、3月の入園は叶わず、4月までは母にお願いすることにしました。育児休暇中も、何かと手助けしてくれて、大活躍だった母。あまりにも頼りすぎていて、私はママになったのに、いつまでも一人立ちできない子供のようで…、情けない思いでいっぱいになることもあります。そんな時、思い出すのは母の友人がかけてくれたこの言葉。「子供は、社会の宝。ママが一人だけで育てようとせず、周りの手を借りて、みんなで育てるもの。助けてくれる人がいるなら、いくらでも助けてもらいなさい。」考えてみると、私って『助けてもらい下手』だなぁ…と。妊娠前、職場での私は、ピンチの時、苦しい時、処理しきれないくらいのたくさんの仕事に埋もれそうになって本当は誰かに助けてほしい時も、何とかもがきながらやってきてしまいました。でも、子供を育てていると、「助けてほしい」と言うことがどんなに大切で、そう言える相手がいることのありがたさを痛感します。家族にも、職場の皆さんにも、友達にも、これからは上手に(^^;)。「助けて」と言いながら、職場復帰しようと思います。育児休暇中のアナ・ログにも書いてきましたが、この一年、たくさんの人に、心に残る言葉、子育てアドバイスをいただきました。今度は、私の言葉が助けを求めている人たちの心にしみるように、そんな表現者を目指して!『ママアナウンサー』、がんばります!!☆写真は最近買ったこども椅子。保育園の入園に向けて、息子は椅子にお座りして食事する練習を始めました!テーブルに座っているのは、母の友人が手作りした貯金箱です!アナ・ログ、次回は金澤アナウンサーです!!
2013年 ともに 佐藤 拓雄 2013/03/12 東日本大震災は3年目に入りました。そこで、今日からのテーマは、私たち仙台放送の復興へのキャッチフレーズ「ともに」です。あの日から2年。今も、県内だけで10万人もの方が、仮設住宅で暮らしています。1300人もの方の行方がまだ分かりません。津波被災地は更地だらけ。(写真はきのう3月11日、朝日の南三陸町歌津です。更地の上にうっすらと雪。寒い朝でした)内陸部の被災地も復旧は遅れています。それに比べれば、私の暮らしは、ほぼ震災前に戻りましたが、それでも、近所のスーパーは、地震で壊れ、まだ再開していません。近くのビルも全壊、つい先日ようやく解体工事が終わり更地になりました。住んでいるマンションは「一部損壊」でしたが、修繕工事が始まったのはごく最近で、今も作業中です。私程度の被災状況でも、暮らしのすぐ隣に今も震災があるのです。阪神淡路大震災では、「地域経済が震災の影響を脱した」と感じた人の割合が、震災10年で初めて半数を超えたという統計があります。いかに時間がかかるか、ということを思い知らされます。そういう中で、ここ数か月の間に、仙台に住む人から「もう震災の話は見たくない、聞きたくない」という声を聞きました。それも一人ではなく複数、そして、受けた被害がそれ程ではない人たちです。ある人は「辛いから」と言い、別の人は「いつまで被災地の状況を放送するのか。仙台市民はとっくに前を向いている」と言いました。本当に残念で、情けなく、悲しい、と思いました。震災の現実は、「辛い」に決まっています。でも、自分よりもっと辛い人が、同じ県で暮らしているのです。「前を向く」とは、都合よく忘れることではないはずです。私の考えを押し付けるつもりはありませんし、色々な考え方があるのは百も承知ですが、でも、あえて言いたいのは、何もできなくても、目をそらすことだけはしないでほしい、ということです。今後さらに震災の風化は進みます。その風化に拍車をかけるのは、現実から目をそむけ、見ないこと、聞かないこと、なかったことにする行為ではないでしょうか。震災3年目、まだまだ私たちは、震災の真っ只中です。次は、明日から職場復帰、寺田アナウンサーです。