アナ・ログ ~アナウンサーリレーエッセイ~

記憶に残るニュース

2018/05/29
振り返ってみると、初めて独り立ちしたニュース取材は入社1年目の5月。
仙台市内で開かれていた「王朝継ぎ紙展」という展示会ものでした。
んー、初だというのに記憶にない(笑)。

ただ、その直後に行ったビアガーデンオープンの取材はよく覚えています。リポート後に、会場の人たちとビールを飲んでいたら、他のテレビ局のカメラに撮影されていたようで。
翌朝のニュースに使って頂きました!
「知名度は無だな。」と、会社で言われたことが印象に残っています。

ちょっとVTR尺の長い、いわゆる「企画もの」を作るようになったのは、夕方のニュースを担当するようになってから。
最初は、七ヶ浜町の長靴飛ばし大会や一人用の土鍋が売れているという話題ものでした。
取っ散らかった原稿ばかり出して、毎回頭が真っ白になっていた記憶があります。
過ぎてみれば、必要な経験だったと感じますが…。

他にも、牡蠣小屋の取材で周りが引くぐらいカキを食べてみたり、日本酒蔵の取材のあと、蔵元と飲みすぎて酔ってしまったり…と取材では色々やらかしていますが、総じて楽しい思い出が残っています。

ニュースだと、楽しめるものばかりではありませんが
これからもたくさん外に出て記憶に残るニュースを送り出していきたいです。

写真は、先日取材で上った女川町の石投山山頂から。
20年ぶりの登山では、前ももの筋肉痛になりました。

さて、今回のテーマはこれでおしまいです。
明日は下山くんから、新テーマでお送りします。

記憶に残るニュース

2018/05/28
仙台放送に入社して4年目の夏のはじめ。
土曜の朝、激しい揺れで飛び起きました。

2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震。
土砂崩れで道路が寸断された栗原市栗駒耕英地区や花山地区に、毎日のように取材に入り、リポートしていました。

「災害発生時に何を伝えるべきか。」
「発生から1カ月目、2カ月目…、報道機関が被災地で活動する意味は。」
「さらに、1年後、2年後…、大災害の教訓が忘れられないよう、私が果たす役目は。」

災害報道で大切なことは、栗原で被災されたみなさんが教えてくれたと感じています。

そのうちのお一人に、耕英地区で出会った当時83才の男性がいます。
戦後、栗駒山中腹の耕英を開拓した人々のうちの一人で、地区に避難指示が出された時にも「絶対に、耕英はよみがえる」と、インタビューに力強く答えてくださったのを覚えています。

あれから、今年で10年。
男性は、今年、病気で亡くなりました。93才でした。
ごく最近まで、冗談交じりのメールをいただいていたので、本当に驚きました。
知らせを受けた時は、涙が止まりませんでした。

男性からの、ある言葉は今の私を支えています。
東日本大震災の数カ月後にいただいた言葉です。

最大震度7観測したのが栗原市だったことから、男性の身を案じて電話をかけたのですが、

「私の心配はいいから。この災害の影響は長引くから。
宮城も、あなたの故郷の福島もこれだけの被害が出たんだから、覚悟を決めて、仕事をしなさい。今、ここにいるあなたにしかできないことをしなさい。」

しっかり踏みしめないと、一歩も前に進めないような惨状の中で、
怯んでしまいそうな私の心に喝を入れてくれた言葉です。

言葉はずっと生き続ける。今、改めて実感しています。

☆写真は…、青葉区川内で見つけた白いタンポポ!珍しい!

アナ・ログ。続いては、梅ちゃんです。

記憶に残るニュース

2018/05/25
“結果を出さなくてはいけない”と強く思えば思うほど
求めていた結果が遠ざかる…

そんな経験ないでしょうか。
私は何度もあります。
誰もが成功したいと思っているのは当然で、
失敗したいと思って失敗している人はいないはずです。
プレッシャーや焦りが歯車の歯を欠けさせてしまい負のスパイラルに陥ってしまう…そんな苦い経験をされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

自分自身のみでの失敗ならば打開策は比較的に見出しやすいかもしれませんが、
複数の人が絡んでくると解決方法も複雑になり、やり場のない感情が生まれ
人や環境、もしくは時代にまで失敗の責任を押し付けてしまうことがあります。

結果がでない苦しい時こそ、何よりも温かい支えが立ち上がる力になります。
そして、原点に帰るとまた違った感情が沸き起こることもあります。

自分の街に初めて誕生した時の感動や
上の舞台に立つ初めての昇格時の感動はいまでも鮮明に覚えています。
記憶に残る大ニュースであり、リスペクトの思いと応援の一助になりたいと強く思った瞬間でもありました。


“苦しみを経験し乗り越えた先に、強さが生まれる”
これは地元のチームや地元出身の選手が教えてくれたことです。

震災後の2012年はベガルタ仙台が優勝争いに絡んでチーム最高位の2位。
翌年は楽天イーグルスが初のリーグ制覇、そして、日本一。
手負いのフィギュア界のエース羽生結弦選手がオリンピック連覇を成し遂げる。

立ち上がるその瞬間を信じ、そして、記憶に残るような歓喜を信じて宮城のスポーツにできる限りの声援を送りたいと思っています。


さて、写真は、我が家でちょっと記憶に残りそうなニュースです。
飼っているハムスター用の餌の中に、ヒマワリの種がありました。
それを植えてみたら、芽がでました。
当たり前と言えば当たり前ですが、
子供たちにとっては餌から芽が出たことにちょっとした驚きがあったようです(笑)


次回は寺田アナウンサーです。

記憶に残るニュース

2018/05/24
2002年、当時私は小学生で、サッカーを習っていました。
日韓ワールドカップが開催されたこの年、テレビの前で中継にくぎ付けになっていた記憶があります。

所属していたサッカーチームでは多くの友達がフィーバーノヴァという大会公式球を持っていて、太陽光で金色に輝くボールをうらやましいなあと思いながら練習に励む日々、当時のポジションはGKでした。
ゴール前で倒れこんだりするので砂だらけ、泥だらけになるポジションでもありましたが日韓W杯でドイツ代表のGK、オリバーカーン選手が大会MVPに選ばれ、「守護神という立場でも世界一の選手になれる」と、よりGKというポジションにやりがいを感じていました。

サッカー選手、ファンにとって夢やあこがれの舞台でもあるワールドカップがいよいよ来月開幕します。
日本はW杯まであとおよそ2ヶ月というところで監督解任というニュースもありましたがどこまで世界を相手に健闘するか。
徹夜で睡眠不足な日々が続きそうですが一人のサッカーファンとして来月が待ち遠しいです。

写真は家にあるミニサッカーボール。
(握りこぶし一個分ぐらいです)
サッカーボールと言えばこのボールが思い浮かびますが、最近は近代的なボールが多くかっこいいデザインが多いですよね。
ロシアW杯で使う「テルスター」も好みです。

続いては金澤アナです。

記憶に残るニュース

2018/05/23
まずは写真から。
今月20日の朝、「青葉祭り」の交通規制に見事に引っかかってしまいました。お神輿が通るまでの15分ほどでしたが、足止めにあって運が悪いのか、それとも、お神輿を見られて縁起がいいのか。
後者ということにしておきましょう。


さて、幼少の頃、「ごらんしんぶん」というものを自分で発行していました。

と言うと、大それたことのように思うかもしれませんが、B4の紙1枚に絵と文字で記した、絵日記のようなものです。
タイトルは、新聞風に書いていました。

なんでそんなことを始めたのか、全く記憶がありませんが、両親によると、3歳の時に突然書き始めたそうです。

タイトルの由来は、「ゴラン高原のPKO派遣」・・・ではありません、もちろん。
これも、両親によると、「みてごらん、よんでごらんだから、『ごらんしんぶん』なんだよ」
と3歳の私は答えたそうです。

思いつきの割には長続きしたようで、毎日ではありませんでしたが、3歳ごろから小学校入学前くらいまで書いていたはずです。
相当な枚数が我が家の物置のどこかに保管されています。

で、その記念すべき第1号が、

「ふねがしずんだ
 ひとがしんだ」

という衝撃のニュース。
大きな文字で、これだけ、です。
絵日記でも何でもありません。本当に新聞でした(笑)
なんでそんなことを書いたのか、今の自分には全く理解できません。

今ネットで検索してみると、この当時、確かに複数の人が亡くなった船の事故があり、このことを書いているようです。
3歳で文字と文章を書く神童ぶりはさておき(冗談ですよ)、
当時の私にとって、相当「記憶に残るニュース」だったのでしょうね。

ということで、お題にたどり着きました。

明日は、牧アナウンサーの記憶に残るニュース。
何でしょうね。

記憶に残るニュース

2018/05/22
去年、衝撃的だったのは、安室奈美恵さん引退のニュース。

CDを手に取り始めた小学生のころからテレビで歌う姿を見ていて、中学生、高校生の時も、安室奈美恵さんの曲はいつもどこかで耳にするほど、身近でした。
今も、9月16日で引退してしまうなんて、信じたくない気持ちです。

表舞台で活躍している人の引退、グループからの卒業、グループの解散は、寂しく、ショックが大きいです…。

ニュースを読む立場として、入社1年目の頃に、教えてもらったのは、『伝え手は、そのニュースに関して感情を込めすぎないこと』聞いている側に、伝え手の先入観を与えてしまうからです。

淡々と、淡々と…そう意識しながら、「新鮮な雲丹を、ご飯の上に贅沢にのせた雲丹丼が、とても安いお値段で提供された」という街ネタのニュースを読んだ際、先輩に、せっかくの雲丹丼が美味しそうに聞こえない…
と注意を受けたことがあります。笑

それ以来、食べ物の話題のニュースは、聞いてくださる方が、美味しそう!食べたい!と思ってもらえたらいいなぁという思いを込めて、読むようにしています。

写真は、先週土曜日の、あらかし衣装☆
爽やかなブルーのトップスに、ストライプ柄のスカート。
お気に入りでした(*^_^*)

続いては、佐藤部長です!

記憶に残るニュース

2018/05/21
どんなものでもお別れというのは寂しいものです。
つい最近、衝撃的なニュースが飛び込んできました。
大学時代に最も多く使っていた池袋の居酒屋が来月末で閉店するとのこと…!

大学からものすごく近くてそれなりの収容人数があり、安い(←大切)この場所は貴重でした。

300人以上のメンバーがいた私のサークル・放送研究会は、それはもうイベントがあるごとに使っていました。
記憶に残る出来事はたくさんあります。良いこと悪いこと…(笑)
でも良いことの方が多いかな!
その思い出の拠点がなくなると考えると一抹の寂しさを覚えます。

そういえば大学時代にアルバイトをしていたワインバーの場所も、今はハンバーガー店?に変わってしまいました。
もう池袋を歩いても何もわからないかもしれません…!

写真はお題に関係ありませんが、母の日に送った桜盆栽がきれいに咲いたと送られてきました!^^

お次は飯田アナウンサーです!

記憶に残るニュース

2018/05/18
日々様々なニュースを伝えていますが、自分が初めて伝えたニュース、初鳴きをしたニュースというのはやはり忘れられません。

私の初鳴きは去年の4月12日、銀杏町の佐藤さんのお宅に咲く、立派な桜の木を中継でお伝えしました。

近所の方に長年親しまれ、名物になっていた桜は、道路の拡張工事の影響で、木を切らなければならないとのことで、この桜を見られるのは今年で最後とのことでした。

この日は風があり、桜が咲く季節といえど、外にずっといると手先足先が冷えてくるような気温でした。
なぜかその日、入社式で着た白のスーツで来てしまった
私を見た先輩方が、その格好では寒いだろうと、上着やストールを貸して下さり、何てあたたかいんだろう…と感動(*^_^*)
よし、中継がんばろうと意気込み会社を出ました。

中継場所についてからは、動きを確認して、内容を頭にいれて、本番までの時間はものすごく長く感じましたが、本番はあっという間。

この日は、佐藤部長に付き添って頂いたのですが、中継終わりに、あまりの寒さに思わず近くのコンビニに駆け込み、2人でほっとレモンを飲みました。
あんなにほっとした、ほっとレモンは初めてでした。

中継の後、銀杏町の佐藤さんからお手紙を頂きました。
お手紙をもらうのは初めてでしたし、それだけでもとても嬉しかったのですが、「中継をしてくれて、ありがとう」その言葉を頂き、胸があつくなりました。

周りの人のあたたかさや、伝えることの楽しさを感じた忘れられない、記憶に残るニュースでした。

★写真は週末に金沢に行ったときのものです。
風情のある建物が多い金沢は、どこを歩いていても、思わず写真を撮りたくなってしまう美しい街並みでした(^_^)

続いては下山アナウンサーです!

記憶に残るニュース

2018/05/17
今日から新しいテーマです!

5月ももう半ばですね!
入社から1か月半が経ち、社会人生活にも慣れてきました。そして、先日の5月4日に23歳の誕生日を迎えました。

写真はお祝いをしていただいた時のです(*^^)

ふと、私が生まれた23年前である1995年の日本では何が起きていたのか考えてみました。

調べたところ、その年の「今年の漢字」は「震」。
そうです。
1995年には忘れてはならない、風化してはならない出来事があります。
それは1月17日に発生した阪神淡路大震災です。
また、そのおよそ2か月後の3月20日には地下鉄サリン事件も起き、日本中に激震が走りました。

私がまだ幼い頃、テレビで「1995年に起こったニュース特集」を見たことがありますが、自分が生まれた年にこんなに大変なことがあったのかと、子どもながらに衝撃を受けたのを覚えています。そのため、この2つのニュースはいまでも強く記憶に残っています。

これから報道機関の一員として、この出来事を忘れないように、そして同じことを繰り返さないように教訓にして行きたいです。

明日は高橋アナウンサーです!(*^^)