昭和 金澤 聡 2024/05/15 私が生まれた年の出来事。札幌オリンピック開催、沖縄返還、田中角栄内閣発足、パンダが初来日…。昭和の出来事です。今春、息子が中学校を卒業しました。「第2ボタンを誰かにあげなかったのか?ハハハー」なんて冗談交じりに言ったら、息子はきょとんとしています。「鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているなーハハハー」なんてことを言ったら、静止画のように動かなくなりました。昭和の会話です。先日、サッカー中継の準備をしている若いディレクターに「準備はどう?」と聞いたら『ほぼ終わりました!』と若手が答えたので、「ほぼブラジルだな!ハハハ―」なんてことで返したら、ディレクターは『ブラジルじゃないです』と真顔で答えていました。昔いたんですよ、“ボボ・ブラジル”という名の頭突きしかしないプロレスラーが…。昭和のしょうもないダジャレです。写真は「スポルたん!NEO」のOA直後に撮ったものです。私はいつも両手でガッツポーズをしてしまいます。(※ガッツポーズの名前の由来をご存じの方は、昭和世代です)気遣いの梁さんは、私のガッツポーズを見て合わせてくれて、西ノ入アナウンサーも忖度してくれて同じポーズをしてくれました。ありがとうございます。ベガルタ仙台の相良選手は21歳。私も相良選手のような佇まいで写真に写りたいのです。写真を撮るときピースかガッツポーズをしないといけないと思うのが昭和世代でしょうか。昭和の団塊ジュニアのみなさんいかがでしょうか。テーマ「昭和」は私のバブルのような話で最後した。次からは新しいテーマ、トップバッターは千坂アナウンサーです。
昭和 伊藤 瞳 2024/05/14 写真は、ちょうど2018年の5月、大学3年生のときに友人たちと、東京立川の「昭和」記念公園に行ったときのものです。「昭和」にちなんでか、当時、登美丘高校ダンス部の「バブリーダンス」が流行っていたからか、「バブリーポーズ」をしています(笑)この写真を見て鮮明に思い出すのは、この頃、自分の写真をひたすらに集めていたこと。というのも、この頃は、そろそろ各テレビ局のアナウンサーインターンエントリーが始まる時期。アナウンサーのエントリーシートは、「自分らしい写真」「楽しそうな自分」など、テーマごとに写真を貼る必要があり、とにかく写真が必要でした(+o+)遊びに行けば、必ず色々な写真を撮るようにしていて、この日も友人に写真撮影を頼んでいました。写真アルバムを振り返ると、確かに色々なアングルから撮ってもらっていました。ただ問題が、そのほとんどがこの「バブリーポーズ」だったこと(‘Д’)せっかくの公園の素敵な背景がある中なのに、バリエーションがなさすぎです。この時の自分は、「バブリーポーズ」で「自分らしさ」を表現しようとしていたのでしょうか…「楽しそうな姿」を見せようとしていたのでしょうか…結局、この日撮った写真はエントリーシートには使わず、これまで世に出ることはありませんでしたが、今日この「アナ・ログ」でようやく日の目を見ることができました(^^)/明日は、金澤聡部長です。
昭和 飯田 菜奈 2024/05/13 昭和を代表する名曲と言えば、美空ひばりさんの「川の流れのように」が一番に思い浮かびます。なぜなら、中学生の時にクラスの皆で合唱したからです。ソプラノ、メゾ、アルトに分かれ、3人一組での歌のテストもありました。それまでは、なんとなく一番無難なメゾパートを歌うことが多かったのですが、どうにもこうにも他のパートにつられてしまい歌い辛かったので、「川の流れのように」を歌う時に初めてソプラノパートを選択しました。声高らかに思いっきりい歌うと、気持ち良い!そして他のパートにつられない!歌のテストでも堂々と歌い切り、良い評価をもらえた記憶があります。当時は、うちのクラスはなんて渋い曲を歌うんだ‥と、隣のクラスで「カントリー・ロード」を選曲し歌っているのをうらやましく思っていましたが、大人になって改めて聞いてみると、とても素晴らしい歌詞で、悩んだ時に心を落ち着かせてくれる曲だなと感じます。中学生の時に歌わせてくれた先生に感謝です。☆写真☆友人とお出かけ中、綺麗なチューリップが咲いていたので写真を撮っていたら、その様子を友人が撮ってくれていました。最近のチューリップは、濃くも優しいピンク色をしているんですね!続いては、伊藤アナです!
昭和 西ノ入 菜月 2024/05/10 某他系列にて3月まで放送していたドラマで、「昭和」を生きる体育教師が、突然令和の今にタイムスリップする内容が放送されていました。驚いたのは、昭和での生活シーンで「この作品は不適切な発言やシーンが含まれますが、時代の変遷を描くため敢えて使用して放送します」などと、必ず注釈が出ていたことです。(笑)誇張しているのだと思いますが、確かに令和の今となっては不適切な発言やシーンが盛りだくさん…(笑)学校の教室の中で喫煙したり、セクハラ、パワハラ発言など…令和の今それを実際に行おうものならすぐに問題となり、インターネットで拡散されることもあるでしょう…。主人公の役は1986年を生きていたので、約40年前はこの生活が日常にあったのだな…と思うとともに、こうした日常を「あたりまえ」で終わらせず、「不適切だ!」と声をしっかりを挙げた人がいて、少しずつ時代が変化していった時の流れも感じました。40年経った令和の今は、当時よりも個人の選択が尊重されやすくなり、心の自由度が上がったのかな…と。ただ、昭和は今より経済的に豊かだったり、海外旅行がしやすかったり、テレビも多くの人が見ている時代でしたよね。きっとそれ以外にも、昭和の良さもたくさんあると思います。それぞれの時代の善し悪しを、一緒にタイムスリップしたレベルでリアルに感じることが出来ました。写真は、楽天モバイルパークで取材した際の写真です!試合前に球場に虹がかかっていて、良い試合になるのでは?!という期待通り、オリックス相手に大量得点で勝利しました!昭和にも素晴らしい選手がたくさんいましたよね!当時の野球も取材してみたかったなぁ…。続いては飯田アナウンサーです。
昭和 佐藤 拓雄 2024/05/09 いわゆる「昭和ひとケタ」生まれの私の父が、90歳を迎え、先日家族全員で「卒寿」を祝いました。私を含め父の息子3人とその家族、つまりは皆、父の作った家族です。全員集合したのは、いつ以来か分からないくらい久しぶりで、父も終始嬉しそうでした。父が健康で、その卒寿を祝えるということ自体、ありがたい、幸せなことだとしみじみ思います。身内自慢になってしまいますが、父は、おそらく平均的な90歳と比べて、はるかに元気で、漠然とイメージする「90歳の人」とは、よい意味で程遠いです。母が亡くなり、独り暮らしになってから十数年経ちますが、ずっと三食自炊し、適度なウォーキングをし、日々俳句を作って、心身ともに健康を保っています。お酒も相変わらず飲めますし、近所に住んでいるので、一緒に飲めるのは、私にとっても幸せなことです。好奇心も衰え知らずで、お菓子をはじめ新しい料理に次々と挑戦したり、パソコン、スマホを使いこなして、自身の一句に写真と雑感を添えたハガキ通信を作ったり。タブレットで動画を楽しむのも日課になっているようで、少し前ですが、反田恭平が2位に入ったショパン国際コンクールの生配信も全て見たとか。(その流れで、去年は2人で反田恭平のリサイタルに行きました。)自分がこういう年の取り方をできるか、全く自信がありませんが、父には、尊敬の念ばかり。そして、「健康寿命」を保って、いつまでも元気でいてほしいと、心から願っています。父が、卒寿祝いのお返しにと用意してくれていたのが、【写真】のバウムクーヘン。自身の90年の「年輪」になぞらえたものだそうです。父の「年輪」を思いながら、美味しくいただきました。・・・あ、これは父の手作りではありません(笑)明日は、西ノ入アナウンサーです。
昭和 高橋 咲良 2024/05/08 ドット柄などの可愛らしいお洋服に、何だか味わいのある商店街など…様々な昭和レトロがありますが…私は特に、昭和レトロな食べ物が好きです。ケチャップが効いたナポリタンや、かためのプリンなど。中でも、これはいかにも、昭和レトロと思うのが「クリームソーダ」です!味も、もちろん美味しいですが、鮮やかな緑色と、みずみずしくはじける炭酸、まん丸のアイスクリームに、可愛らしいさくらんぼをちょこんと乗っけた、見た目についつい惹かれます。最近はブームもあってか、至るところでクリームソーダを見かける気がします。食べるだけに留まらず、その可愛らしい見た目からか、クリームソーダ柄の便箋や傘なども販売されていました…!最近クリームソーダを飲んだのは、先月のお花見の時です。青葉区の西公園で友人とお花見をしたのですが、とても良いお天気で暑くなり、何か飲み物が欲しいなと辺りを見渡してみると…公園内のキッチンカーで、クリームソーダが売られていたのです…!満開の桜を、クリームソーダ片手に楽しみました♩桜の下で撮った写真、鮮やかなクリームソーダが映えていませんか ?!ちなみに前のアナ・ログで、お花見はタイミングが難しいという話をしまして、今年はまだ、天気と見頃が重なった最高の花見が出来ていない…と書いておりましたが、この西公園での花見で無事、最高の花見が出来ました…✨続いては、佐藤アナウンサーです♩
昭和 梅島 三環子 2024/05/07 平成になったのは、私が幼稚園の年長の時。昭和の記憶は薄らですが残っています。家には緑色のダイヤル式電話があり、テレビは調子が悪いと叩いて様子をみるようなこれまたダイヤル式のものでした。ダイヤル式のテレビは寝室にあったもので、流石にメインのテレビではありませんでしたが。年号が変わるたびに、古い人間になっていくような気がしてなりません。令和生まれの人から見たら、二つ前の年号ですからね。私の感覚で言うと、明治生まれの人ですよ。祖母ですら昭和生まれというのに…笑まぁそれが、日本で一番長い時代「昭和」ということなのでしょう。そういえば、入社1年目の時に「昔の人の暮らし」という企画展を取材したことがありました。本社に戻り、雑談で展示物の中にあった「ちゃぶ台」を使ったことが無いと言ったら報道部で大変驚かれました。驚かれたことに驚いた記憶が蘇ります。ちなみにこれは平成18年の出来事でした。昭和を語る資格はなさそうなので、今回はこの辺りで。写真は、この春食べた美味しいもの。新玉のホイル焼きです。明日は咲良さんです。
昭和 堤 勇高 2024/05/02 1円から500円までの硬貨には製造年が刻印されていて、いつ製造された硬貨かそれを見ればわかります。その製造年によってはコレクターの間で本来の値段以上の価格で取引される「プレミア硬貨」になるんだとか。そんな硬貨、昭和○年と刻まれたものが随分と減ったなと感じます。私が子どもの頃、良く光るきれいな硬貨を見ると「あ、平成のやつだな」と思って確認していました。ぴかぴか光る硬貨に惹かれていたのです。ただ、当時は半分以上が昭和に製造された硬貨(私の体感ですが)で、平成のものを私の中でレアもの扱いしていました。そのころから比べると、今は平成の硬貨が大半を占め、令和の硬貨がちらほら。あのころに比べると昭和の硬貨は格段に少なくなっている気がします。先ほど私の財布の中を確認したところ昭和製造の硬貨は2枚しかありませんでした。500円玉はすでに新デザインに変わっていますが、数十年後には昭和製造の硬貨というだけで価値が上がるほど希少なものになっているのでしょうか。大事に保管しておいたらどうなるのかな?とふと思います。写真は先日取材した南三陸町の「海の見える命の森」からとった景色です。津波からの避難場所として整備されたこの場所からの景色は、あいにくの天気でしたがそれでも圧巻でした。次は梅島アナウンサーです。
昭和 寺田 早輪子 2024/05/01 「昭和」が終わったのは、私が小学6年生の時のお正月でした。「昭和64年」は冬休み中にあっと言う間に終わり、次に登校した時には「平成元年」に。子供ながらに「今、歴史の大きな転換点を生きている」という実感がありました。ですから、私は小学校が昭和の最後の年度である「昭和63年度 卒業」で、中学校が平成最初の新入生「平成元年度 入学」。ちょっと自慢です。ところで、今年の春、我が息子は中学1年生になりました。初めての学ラン、初めての電車通学、初対面の先生やお友達、そして、初めての部活。初めてづくしで、親の方が緊張の毎日です。入学式翌日の朝の登校時、息子に「ついてこなくていいから」と言われたものの、心配性の私は、こっそり息子を尾行。すると、駅で早速、友達と合流し、おしゃべりしながら楽しそうに学校へ向かう様子が見られました。ほっと一安心し、探偵ごっこは終了。昭和生まれの私が中学生の時は、初対面の友達とこんなに早く打ち解けられたかしら…?もっと人見知りだったよなあ…と思うと、「令和」の中学生の適応能力はすごいなと感じる、今日この頃です。ちなみに、息子に怒られるので、尾行はもうしません。☆写真は…、息子の通学用の革靴と私の靴。靴のサイズもあっという間に私より大きくなりました!アナ・ログ、続いては堤アナウンサーです。
昭和 千坂 紗雪 2024/04/30 松任谷由実さんのYouTubeチャンネルにアップロードされている「リフレインが叫んでる」のMVをたまに寝る前に見て聴いています。リリースは1988年(昭和63年)。MVには数組の男女が登場するのですが、そのヘアスタイルやファッションに惹かれます。赤リップ、ソバージュ、トサカ前髪、太眉、ビックシルエットのシャツ。80年代のバブルの雰囲気と相まって、真似しようと思っても真似できない華やかさがあります。この時代にこういうファッションができる年齢に生まれてみたかったとも思いますし、もしもタイムスリップできるなら、この時代に派手なファッションで街を練り歩いてみたいです。タイムスリップは叶いませんが、MVを見ながら追体験をして昭和末期の雰囲気にひたります。写真は大河原町の一目千本桜から中継をしたときのものです。ライトアップされた満開の夜桜が延々と続く景色が圧巻でした。次は寺田さんです。
昭和 下山 由城 2024/04/26 本日から新しいお題「昭和」です。私は1988年・昭和63年生まれなので、ギリギリの昭和生まれになります。自分の学年には「昭和63年」「昭和64年」「平成元年」生まれが混在していた感じですね。昭和64年は1月7日まででしたので、かなり珍しいですよね。友人でも2~3人しかいません(知らないだけかもしれませんが笑)。最近触れた「昭和」と言えばウイスキーです。昭和の時代に作られた『特級』ウイスキー、つまり古酒を飲みました。ウイスキーの特級とは、1989年に廃止された酒税法における級別制度の区分の一つであり、その中でも最高の段階にあるウイスキーに付けられる等級です。いくつか基準はあったらしいですが、特に重視されていたのは原酒混和率だそうです。原酒混和率が高いほど税金が多く課せられることから、特級のウイスキーは非常に高価で、当時は憧れの対象だったとのこと。私の両親からもそんな話を聞いたことがあります。ちなみにそのときのウイスキーの級別制度は二級、一級、特級の三等級に分類されていました。はるか昔には五級まであったそうです。私が飲んだものも35年以上前のウイスキーでした。ウイスキーは保存状態が良ければ長期的に保管できるお酒であるため、今から数十年前のお酒であっても飲んで問題はないそうです(保存状態によって劣化する場合はもちろんあります)。どんなものかなと思って試してみたのですが、かなり円やかで美味でした。当たりだったのかもしれませんね。令和6年になって某人気ウイスキーたちの値上げが激しすぎるので、最近は手頃に飲める美味しいものを探し続けています。良い感じのウイスキーの写真が見当たらなかったので、全然関係ありませんが昭和のシンボル・東京タワーです!この通りから見える東京タワーの景色…結構好きなんですよね。 お次は千坂アナウンサーです!