佐藤 拓雄
2015/11/17
私が仙台放送に入社したのは1993年。
計算してみると、その当時の浅見さんの年齢を私はいつの間にか超えていました。
にわかには信じられません。
当時の浅見さんは、アナウンス技術はもちろんのこと、貫禄があり、オーラがあり、落ち着いていて、全てが大ベテランの風格だったからです。
当時は、自分も20数年経つとこうなっているのかなあ、と思ったりしましたが、それは甘い考えだったようで、結局今の私は、その足元にも及んでいない気がします。
さて、浅見さんの思い出はいくつもありますが、私の結婚式の時のことを思い出しました。
私は結婚式を町の教会で挙げたのですが、浅見さんも来てくださいました。
フォーマルをビシッと着こなし、教会に現れたオシャレな浅見さん。
話がそれますが、浅見さんのオシャレな姿は、男性アナウンサーの鑑だと妻がよく言います。私も全く同感で、アナウンサーはこうあれ、という姿を自ら示していらっしゃったと思います。
で、結婚式にいらした浅見さん。
開口一番「いやー、そこを通りかかったら、『佐藤拓雄・岡田(妻の旧姓)明子結婚式』って書いてあったから、びっくりしてつい来ちゃったよ」。
一同が大爆笑したことは言うまでもありません。
式を終えて、私たち夫婦がハイヤーでその場を失礼するとき、あのよく通る大きな声で、
「拓雄君、明子さん、バンザーイ!」とその場の全員を巻き込んでの万歳三唱。
うれしかったですね。
それから思い出すのは、有名スポーツ選手などの出身校にとんでもなく詳しいこと。
特に出身高校ですね。
「誰々選手」というと、「○○高校出身な」と返ってくるのです。
もっと面白いのは、甲子園の時期。
例えば私は西東京地区の出身ですが、西東京代表が出てくると、どの学校であっても、「お!拓雄さんの母校!」。
なので私は、東東京代表校を「浅見さんの母校勝ちましたね」と返すのです。
こんなやりとりを浅見さんは会社中の人としていました。
中には、「僕の母校はそこではありません!」とマジ返しして、浅見ギャグについていけない若手社員もいたりしましたね。
思い出話は尽きませんが、まだまだ今後もお世話になると思います。
よろしくお願いいたします。
では、明日、その浅見さんにご登場願います。