千坂 紗雪
2022/04/01
初めまして。今日4月1日に入社しました千坂 紗雪(ちさか さゆき)です。
私は大崎市で生まれ育ち、仙台市にも6年ほど住んでいました。
両親に連れられ、春はお花見、いちご狩り、夏は七夕まつり、海水浴、秋は紅葉、芋煮、冬は光のページェント、スキーなど宮城の四季を満喫してきました。このような思い出いっぱいのふるさとでアナウンサーとして働けることが本当に嬉しいです。
初めてのアナ・ログということで、ここからはアナウンサーを目指したきっかけと、学生時代の思い出についてお話しさせて頂きます。
まず、アナウンサーを目指したきっかけについて。
私は小中学生の頃からぼんやりとではありますが「地元のアナウンサーになりたいな」という思いがありました。一番の決め手となったのは東日本大震災発生から2年後の東北楽天ゴールデンイーグルスの日本シリーズ優勝の実況に感銘を受けたことでした。
優勝を決めた瞬間の「空振り三振!」の声に、東北の人たちの粘り強さやたくましさがこもっているようで、「私も人の気持ちに寄り添い、想いを届けられるようになりたい」とアナウンサーを志すようになりました。
仙台放送の最終面接に向かう新幹線の中ではFUNKY MONKEY BABYSの「あとひとつ」を聴き、自分を奮い立たせ、無事内定を頂くことができました。
そして、学生時代の思い出について。
多くの思い出がありますが、大学の硬式野球部のマネージャーとして過ごした4年間が一番の思い出です。
私は大学からマネージャーになったため、一からスコア付けや場内アナウンス、挨拶や礼儀などを学びました。大所帯で歴史のある硬式野球部でのスタート、正直たくさん失敗してたくさん叱られました。挙げたらキリがないほどです。
それでも4年間続けたことで、考えて動く=考動(こうどう)すること、気付きを大事にすることの大切さや、誰かのためにという思いの力強さなど、今後の糧となるものを多く学びました。
また、上のレベルで野球をする選手たちを見続け、何かに真剣に取り組むことの美しさや、夢を叶えることの尊さも教えてもらいました。私にとってこの4年間は濃く鮮やかなかけがえのない宝物です。
ここまで長々と話してしまいましたが、これから仙台放送のアナウンサーとして、視聴者の皆さまに心を寄せて、ふるさと東北・宮城の"今"を熱を持って発信できるように精進します。
もしどこかの機会でお会いする事がございましたら温かいお声がけを頂ければありがたいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
続いては、アナウンス部で一番年齢が近く、お隣の席で毎日笑顔で話しかけて下さる伊藤瞳アナウンサーです。