佐藤 拓雄
2025/05/22
今回もひねくれた話になります。
もう40年以上前ですが、忘れもしない中3の時の修学旅行。
私は、各クラスから出す「実行委員」みたいなのをやっていました。
そこで、教師から議題として出されたのが、服装。つまり、私服でいいのか、制服なのか、という話です。
その前年、中2の時は、林間学校で私服でしたので、私は当然「私服で」という意見でしたが、教師たちはどうやら制服を着させたいようなのです。
それならそうと最初から言えばいいのに、生徒たちに選ばせる体をとるところが、いやらしさです。
当時は、「校内暴力の嵐」は一応収まったちょっとあとですが、いわゆる「ツッパリ」という生徒たちがいて、これがまた修学旅行などになると、どういうわけか張り切って、いかにもワルそうな格好をしてくるのが見えているので、教師からすれば、制服を着させておいたほうが管理しやすいわけですよね。
ですが、そういう本音を隠して、いかにも生徒たちの意思で制服を選んだ、とさせたいのが見え見えなのです。
私は、毎年学級委員を務めるようなタイプの生徒でしたが、そういう教師には与したくない、というくらいの意地は持っていたので、かなり抵抗しました。
その議論の中で、教師側が言ったのが、「京都は制服が似合う街だから」。
はああああああ????
何を言っているのでしょうか。開いた口が塞がらないとはこのことです。要するに教師たちには何の理もないわけです。
ところが、です。
世の中というのは恐ろしいもので、そういう教師に迎合する生徒が出てくるんですね。「私もそう思います」って、おいおいお前何言ってんだよ、と言う間もなく、そうなると一気に形成は教師側つまり制服派の意見に傾いてしまい。
結局、制服で、となり、しかも形の上では、「生徒たちが自主的に決めました」ということにされてしまいました。
大人たちのまやかしにねじ伏せられた痛恨の出来事として、40年以上経った今も、思い出すにつけ、悔しくなります。私も相当しつこいですね(笑)
もう一つ言えば、「制服」と言っている、お仕着せのお揃いの服装(こういう言い方もかなり嫌味ですが)、これは、私の中学校では、正式には「標準服」とされていました。あくまで「制服」ではなく、「これがスタンダードです」的な、これまた欺瞞に満ちた呼称です。
学校からの文書など残るものには「標準服」と書いておいて、上述の議論のような時も含め会話の時は、「制服」という教師たち。狡賢く使い分けているのが、中学生である私にもばればれなのに、こういうことをしていたのです。
私服の高校に進んで、制服だ標準服だ私服だと馬鹿々々しい議論をしなくなったのは清々しました。
そしてこれ、今も同じことがあるんですね。ウチの子どもたちの通っていた中学校は、「制服」を「推奨服」と言っていました。「おススメしているだけの服ですよ」ってか?
すみません、毒を吐きすぎましたかね。
ここまで書いておいてなんですが、中学校にはさほど恨みはありません(笑)
でも、世の中には欺瞞に満ちた教師がいるということを知ったのが、中学校の修学旅行であったことは間違いありません。
あ、もちろん、結局制服を着て行った修学旅行でも、それ自体には楽しい思い出もありますよ。
ではこのへんで。
【写真】は、以前「京都駅で」見かけた「ドクターイエロー」です。単に京都駅つながりです。同じ写真を以前にもこのアナ・ログで使っていますが、あしからず。
明日は、伊藤瞳アナウンサーです。