アナ・ログ

東日本大震災15年

門間 陸斗

2026/02/26

東日本大震災から15年が経とうとしています。
当時、私は小学2年生でしたが、あの時の記憶は鮮明に残っています。
ドンッという大きな音のあと、立っているのもやっとの長く大きな揺れに襲われました。揺れた瞬間、まるで立ちくらみをしたかのように視界がゆがみ、何が起きているのか分からないまま、ただ道に立ちすくんでいました。
その時、バイクで走っていたお兄さんが「危ないからこっちおいで」と声をかけ、倒れてきそうなものから離れるよう誘導してくれました。今振り返ると、あの激しい揺れの中で自分の身を守るだけでなく、咄嗟に近くにいた少年へ声をかけてくれた心の強さと優しさに尊敬の念を抱きます。
家に帰った後は、私の家が沿岸部に位置していたということもあり、家族全員で避難しました。避難先では、配給でいただいたおにぎりを少しずつ分け合いながら、毎日を繋いでいました。
連日取材に来ていたテレビ局や新聞社の方々に対し、当時の私は、「なぜ、こんな時にマイクやカメラを向けるのか」とあまり良い印象を抱いていませんでした。その気持ちが顔に出てしまっていたのか、それとも不安そうな表情を浮かべていたからなのかは分かりませんが、アナウンサーが私に「一緒に乗り越えような」と優しい表情で話しかけてくれました。その他にも色々と話した気がしますが、その一言が幼い私の胸に真っすぐ届きました。不安と不信感で揺れていた心が、少しだけ落ち着いたのを覚えています。言葉には、人を支える力があるのだと知った瞬間でした。
あの日、言葉に救われた一人として。
これからは、あの時の経験、これから見て、聞いたことを考え、思い、そして伝え続けていきます。

写真は、4年前の3月11日に車窓から撮った荒浜の写真です。

次は、梅島アナウンサーです。

金澤 聡

2026/02/25

東日本大震災から15年という歳月を迎えます。

15年前の3月11日、伝えなくてはいけない立場でありましたが、私は出張で宮城にいませんでした。
出張先のテレビに映し出される宮城の惨状に言葉を失いました。
家族は無事なのかどうか、不安の淵で押しつぶされそうでした。
当時、スポーツ中心の仕事をしていた私は、「スポーツ」は正直、後回しも後回しの存在で、むしろ永遠に宮城でスポーツができなのではないかと思いました。

しかし、震災後、再開したベガルタ仙台の試合を見て、考えが一変しました。

選手たちが全力で走り、ボールを追い、ゴールを目指す。
その姿に、心が震え勇気づけられました。

勝敗以上に胸を打つ、スタンドから湧き上がる声援。
苦しい時間を共有した人々が、ひとつになった瞬間でした。

楽天やベガルタ、そして、89ersなど宮城でスポーツに携わる全ての人たちは、自らの役割を問い続けてきました。

楽天の嶋基宏元選手会長のあのスピーチにもありました。
『選手みんなで「自分達に何ができるか?」「自分達は何をすべきか?」を議論し、考え抜きました』と。

その答えの一つが、「野球の底力を見せること」であり、被災地のために全力でプレーする姿にあったと私は感じています。

スポーツは、“心の復興”に寄り添い続けてきたと信じています。

あの日感じた感動の鼓動を、私はこれからも忘れません。
そして、スポーツが灯し続ける光を、これからも伝えていきたいと思います。

あの日、お腹の中で被災した次男は、今年15歳になります。
家族皆が無事でいることに感謝し、3.11を迎えます。

次は、門間陸斗アナウンサーです。