「“特別編”浅見アナ卒業」 2015/11/18 先日、大崎市にお住いのHさんからお手紙とDVDが送られてきました。映像は、昭和55年ごろの「2時です OXです」でした。お母さんが民謡コーナーに出演されたものもありました。ご丁寧なお手紙と懐かしい映像を有難うございました。そんな訳で、アナログ特集もしてもらって恐縮ですが、11月19日(木曜日)という中途半端な日に、(この日が誕生日なのです)仙台放送を卒業することになりました。きみまろではありませんが、「あれから40年・・・」どういう訳か、24の時に入社しましたので、ほぼ41年間の局アナ生活でした。縁もゆかりもない仙台に来て、こんな時間が過ぎてしまった驚きと、また、こんなにも長くアナウンサーとして仕事を続けられた驚きが交錯しています。ひとえに、視聴者の皆様のお蔭だと思っております。感謝するとともに、御礼申し上げます。ローカル番組でも、全国ネット番組でも、小さなものから大きなものまで、(ヤンマーのCMソングですね、あれは大きなものから小さなものまで・・ですか))仕事をやらしてもらいました。有難いことです。語りの槇大輔さんから先日、お手紙を頂きました。「語りの追求は死ぬまでやりたい」大変なお言葉でした。私なんぞは、まだまだ未熟ものです。今は、そんな心境です。少々、喋り足りないような気もして、まだ、喋れるような気もして、諦めが悪いのですね。この仕事は続けていきたと思っています。局アナに負けないように・・・・・・(笑)また、どこかでお会いできれば・・・と思っています。改めまして、長に間、有難うございまいた。
「“特別編”浅見アナ卒業」 佐藤 拓雄 2015/11/17 私が仙台放送に入社したのは1993年。計算してみると、その当時の浅見さんの年齢を私はいつの間にか超えていました。にわかには信じられません。当時の浅見さんは、アナウンス技術はもちろんのこと、貫禄があり、オーラがあり、落ち着いていて、全てが大ベテランの風格だったからです。当時は、自分も20数年経つとこうなっているのかなあ、と思ったりしましたが、それは甘い考えだったようで、結局今の私は、その足元にも及んでいない気がします。さて、浅見さんの思い出はいくつもありますが、私の結婚式の時のことを思い出しました。私は結婚式を町の教会で挙げたのですが、浅見さんも来てくださいました。フォーマルをビシッと着こなし、教会に現れたオシャレな浅見さん。話がそれますが、浅見さんのオシャレな姿は、男性アナウンサーの鑑だと妻がよく言います。私も全く同感で、アナウンサーはこうあれ、という姿を自ら示していらっしゃったと思います。で、結婚式にいらした浅見さん。開口一番「いやー、そこを通りかかったら、『佐藤拓雄・岡田(妻の旧姓)明子結婚式』って書いてあったから、びっくりしてつい来ちゃったよ」。一同が大爆笑したことは言うまでもありません。式を終えて、私たち夫婦がハイヤーでその場を失礼するとき、あのよく通る大きな声で、「拓雄君、明子さん、バンザーイ!」とその場の全員を巻き込んでの万歳三唱。うれしかったですね。それから思い出すのは、有名スポーツ選手などの出身校にとんでもなく詳しいこと。特に出身高校ですね。「誰々選手」というと、「○○高校出身な」と返ってくるのです。もっと面白いのは、甲子園の時期。例えば私は西東京地区の出身ですが、西東京代表が出てくると、どの学校であっても、「お!拓雄さんの母校!」。なので私は、東東京代表校を「浅見さんの母校勝ちましたね」と返すのです。こんなやりとりを浅見さんは会社中の人としていました。中には、「僕の母校はそこではありません!」とマジ返しして、浅見ギャグについていけない若手社員もいたりしましたね。思い出話は尽きませんが、まだまだ今後もお世話になると思います。よろしくお願いいたします。では、明日、その浅見さんにご登場願います。
「“特別編”浅見アナ卒業」 金澤 聡 2015/11/16 私のスポーツ実況のメンターが、浅見アナウンサーでした。実況するためには、まずは、メイン実況者の隣に座りスコアを書いたりデータを提出したりするアナサイド(サブアナ)の上達が必要です。入社当時から、浅見さんのアナサイドとして、ゴルフ中継やバレーボール中継、野球、サッカー、バスケ、バドミントン、ママさんバレーにビーチバレーなどなどあらゆる中継で隣に座ってスコアを書いていました。『アナサイドができてこそ、一流のスポーツアナになれる』とよく教わりました。当時は何故?と思いましたが、実況するようになってその意味が分かるようになりました。実況者と同じ意識を持っていないと、アナサイドが機能しないからです。一蓮托生、あうんの呼吸、奉仕とホスピタリティーなど、たかがアナサイド、されどアナサイド。奥の深さを学びました。そして、私が実況するようになってから、いつも、言ってくださるありがたい言葉があります。それは…『ヘマするんじゃないぞ!!(笑)』言葉にするとメンターから発するには少々乱暴な感じがしますが、もちろん冗談半分、気合注入半分で言ってくださる、私にとってはありがたい言葉。初実況のときに、この言葉で私の極度の緊張がほぐれたのを覚えています。以降、実況の前日に、「浅見さん、あの言葉をお願いします」とおねだりするようになり、ゲン担ぎも含めて、必ずこの言葉で送りだしてもらっていました。今年、最後に『ヘマするんじゃない!』と言っていただいたのが、仙台で行われたワールドカップバレーの実況前日。ヘマも少々ありましたが(笑)、お陰さまで無事実況を終えることができました。私も後輩に『ヘマすんじゃない!』と言えるだけの信念を持って実況できるよう、浅見さんの良き伝統を引き継げるよう精進したいと思います。浅見さん、お疲れさまでした。でも…今後も、あのお言葉をいただきに伺います!(笑)
「“特別編”浅見アナ卒業」 寺田 早輪子 2015/11/13 浅見さんと私。誕生日が一日違いなのです!(^▽^) 毎年11月には、ひっそりと2人で「誕生祝いランチ」!ご一緒させていただいております。 忘れられないのが、2010年のランチ。「私、結婚するんです!」と、浅見博幸アナウンサーに結婚のご報告をさせていただきました!「おー!良かった!おめでとう!」と大喜びしてくださった浅見さんのうれしそうな表情が、今も忘れられません。 番組では「仙台放送スーパーニュース」や「情報ライブ!ムービン」などなど数えきれないくらい番組をご一緒させていただき、思い出がいっーーーーーぱいです! 大切な浅見さんと会社でお会いできなくなる…、まだ実感がわきません。これからも「誕生日ランチ!」はお付き合いくださいね。浅見さん!(^▽^)お疲れ様でした。そして、ありがとうございました!☆写真は、子供と幼稚園の遠足で訪れた「仙台うみの杜水族館」。大好きなチンアナゴがいましたー!!アナ・ログ。続いては、金澤アナウンサーです!
「“特別編”浅見アナ卒業」 梅島 三環子 2015/11/12 浅見さん、これまで本当にありがとうございました。採用の面接も浅見さん。新人研修をして頂いたのも浅見さん。初めてレギュラー番組をご一緒したのも浅見さん。私のアナウンサー生活の基礎は、全て浅見さんと言っても過言ではありません。中でも、一番の思い出は私が入社2年目の時に始まった帯番組でしょうか。今思い出せば、恥ずかしくなるばかりですが…本当に何もしゃべれず、たまにしゃべれば間が悪く、自爆している分にはまだしも、浅見さんにたくさんの御迷惑をおかけしていましたね。「間」について考えるきっかけも、この時に与えて頂いたのかもしれません。間の意味、怖さ、そして面白さ。言葉を持っていない勉強不足の私は、しゃべることに必死で間についてあのころは考える余裕もありませんでしたが。(未だに、迷走ぎみですけれど。)直接の指導だけでなく、落語にも連れて行って頂きました。落語家さん、そして落語に詳しすぎるお仲間の方たちに当時の私にはもったいない位、たくさんのヒントを頂きました。当時もっとそのことに気づいていればと思うばかりです。小手先のテクニックではなく、アナウンサーとしての職人の技をたくさん教えて下さった浅見さん。ちょうど10年ですが、一緒に時間を過ごさせていただき、感謝いたします。とはいえ、永久の別れ話ではございません。今後とも機会を見ては、浅見さんから学んでいきたいと思います。そして、嫌などおっしゃらず、ご指導もお願いいたします(笑)!!明日は、寺田アナウンサーからのメッセージです。
「“特別編”浅見アナ卒業」 飯田 菜奈 2015/11/11 「研修等のお世話は私がちゃんとやりますので、ご安心ください。」入社前に、浅見さんからいただいたお手紙の中に書かれていたこの一文。この言葉を信じて、地元を離れ仙台でのアナウンサー生活をスタートさせました。浅見さんはこの言葉の通り、いえ、それ以上に熱心に面倒を見てくださり、私にとっては宮城に住む”お父さん”のような存在です。入社前の3月と、4月にかけて行われた研修期間中は、一日中ずっと浅見さんと一緒でした(笑)午前の研修を終えたら、一緒にランチへ。昼食後は再び研修…。アナウンス技術についてはもちろん、女性アナウンサーとしての心得、仙台・宮城について、会社のまわりのランチが美味しいお店…などなど、全て教えてくださったのは浅見さんです。何て贅沢な2ヶ月間だったのだろうと思います。その後も、ニュースやスポーツ番組など、生放送の時はいつもそばにいて見守っていてくださいました。優しい浅見さんに甘えて、イントネーションや読み方で迷った時もいつも浅見さんにお聞きしていました。旅番組のロケ中に、電話をかけてしまったこともあります(笑)手とり足とりご指導いただいたにも関わらず、私はその期待に答えるような成長ができているのか自信がありませんが…浅見さんのご指導に恥じないようなアナウンサーでありたいとは常に思っています!浅見さんとの思い出を振り返っていると、寂しくて涙が出そうになるので…最後に一言だけ。浅見さん、大好きです!!!明日は梅島アナウンサーです。
「“特別編”浅見アナ卒業」 稲垣 龍太郎 2015/11/10 私が入社して3年目のころだったと思います。かつて楽天に在籍した田中将大投手が、メジャー移籍、ヤンキース入団が決まった日、仙台放送では、急きょ昼間にスタジオから特番を放送することに。スポーツ担当のアナウンサーが別件でおらず、百戦錬磨の浅見さんが、緊急登板することになりました。特番の放送が決まったのは、OA開始の5時間ほど・・・。私は、こんなときに、どのように放送に臨めば良いのか勉強すべく、スタジオで、OAを見学させていただきました。特番は、田中投手の会見を中継でお伝えし、スタジオで、浅見アナとゲストの方のかけ合い。画面に映っていないとき、田中投手が会見で話していることを、一つ一つ、メモする浅見さん…でも、画面がスタジオに切り替わると、何事もなかったかのように、スタジオで進行する浅見さん…こうして5時間ほど前に決まったおよそ30分間の特番は、無事に終わりました。入社して、いろんな先輩方から勉強させていただきましたが、身震いするほど“プロ”を感じた瞬間でした。こんな心もとない若手で申し訳ありませんが、もっと私も、しっかりしないといけないと感じるのです。最後に…浅見さん、大変お世話になりました。いつも熱く丁寧に、ときにジョークも交えながら、ご指導いただき、温かく見守ってくださり、本当に、ありがとうございました。次は、飯田アナウンサーです。
「“特別編”浅見アナ卒業」 高谷 恵倫 2015/11/09 浅見さんは、私にとって先生のような方です。浅見さんには、入社前の研修から色々とご指導頂きました。アナウンス技術や、アナウンサーとしての心得など、大切なことを沢山学びました。3年目の今でも、お世話にならない日はありません。覚えが悪く、ご迷惑も沢山お掛けしました。それでも、根気よく、熱くご指導をして下さいました。特にスポーツ取材では、右も左も分からない私に1から教えて下さいました。浅見さんには、感謝してもしきれないです。およそ40年、アナウンサー。3年目の私には、果てしなく感じます。一つのことを追求しやり抜くことは、本当に難しいことだと思います。アナウンサーとしても、人生の先輩としても、尊敬しています。アナウンステキストの最初に、“生きた言葉”という文章があります。この文章を1年目の研修の時に、浅見さんと何度も何度も読みました。「声は人、まず人間完成を」から始まるこの文章は、伝え手としての心得、基本が書かれています。“生きた言葉”の中で、「言葉は心を伝えるものであり、言葉によって相手のこころを知るのです。」という部分があります。技術ばかり磨いても、内容を理解し伝えたいことが明確でなければ相手にも伝わりませんよ。という意味です。研修の時は、「こんなに何度も読まなくても…。」と思う時もありました。今は、何度も読んだ理由、浅見さんが伝えたかったことが分かります。3年目になった今でも、発声の最初にこの文章を読んでいます。“生きたことば”の文章を、アナログに載せようかと思いましたが、書き込みをし過ぎたので、また別の機会にします。写真は、私が好きな落語家、柳家花緑さんのサイン入り本。浅見さんが「言葉の勉強には落語が良い。」と、何度か連れて行って下さったおかげで落語にはまりました。もしかしたら、落語の公演会でお会いするかもしれませんね。その時は、どうぞ宜しくお願いします!次は、稲垣アナウンサーです。
「“特別編”浅見アナ卒業」 木下 瑠音 2015/11/06 写真は、浅見さんとの思い出がたくさん詰まった研修日誌です。教わったことを毎日書きました。入社前から入社後の数ヶ月間、アナウンスの基礎のほとんどを浅見さんに教えていただきました。アナウンステキストを読んだり、絵本を読んだり、方言で喋ってみたり・・・色々な読み方、伝え方について教わりました。その後も、お昼のニュースを担当する時は毎回浅見さんに隣にいていただいて、オンエア直前までアクセントや読み方が間違っていないか確認して臨んでいました。1年目の夏でしょうか、一度お昼のニュースが思うように読めず、ものすごく悔しくてスタジオにこもって何時間も泣いたことがあるんですが(笑)、「木下くん、そろそろスタジオから出てきなさい」とニコニコしながらいらっしゃって、無言で泣き続ける私の隣にずっといてくださいました。その直後にあった初めての七夕中継でも、緊張してどうしようもない私のもとへ来てくださいました。中継現場で浅見さんのお顔を見て本当に安心しましたし、ものすごく嬉しかったのを覚えています。入社して以来、私の精神安定剤のような存在でした。最近もバリバリの現役アナウンサーとして実況を担当されていました。ただただかっこいいですし、生涯一つの仕事をやり通すのは本当にすごいことだと感じています。これから浅見さんがアナウンス部にいらっしゃらなくなるのは考えたくないのですが、仕事中に心細くなった時は浅見さんのお顔を思い浮かべながらがんばろうと思います。これまで本当にありがとうございました。長い間、お疲れ様でした。つづいては、一緒に浅見さんのアナウンス研修を受けた高谷アナです♪
「“特別編”浅見アナ卒業」 牧 広大 2015/11/05 浅見さん、御卒業おめでとうございます。私も半年ほど前に大学を卒業しましたが、浅見さんの卒業は私とは比べられない年数が刻まれています。ちなみに浅見さんが入社した年はまだ私は生まれてもいません….浅見さんとは、半年少ししか御一緒できませんでしたが、ニュースからスポーツのことまで幅広く教えていただきました。特にスポーツの現場では、バレーの取材や野球の取材など御一緒させていただき、大ベテランのスポーツアナから間近で教えていただける、贅沢な時間を過ごさせていただきました。また今年の高校バレー中継や野球中継では真横で実況を聞かせてもらいながら、仕事をさせていただいたことはとても印象的です。入社40年近いベテランアナウンサーと入社1年目の新人ひよっこアナ….本来であれば実況者を裏側でサポートするお仕事だったのですが、サポートされていたことも多々….今でもだいぶ御迷惑おかけしています…. しかしいつも優しくご指導していただく、浅見さん。ゴルフがご趣味ということで、いつかご一緒したいと思っていたこの頃、今度実際にご一緒する機会ができました!アナウンスではいろいろと御迷惑かけてばかりですが、ゴルフだけはせめて御迷惑おかけしないように..(笑)頑張ります!!卒業してしまうということで、お会いする機会が今よりも減ってしまうと思いますが、テレビを通じて自分の仕事ぶりを見ていただけることが幸いです。早く成長した姿を見せられるように、安心してテレビをご覧いただけるように(笑)、今後も日々精進していきたいと思います。もちろんゴルフのほうでもたくさんご一緒させてください!次は木下アナです!
「“特別編”浅見アナ卒業」 柳沢 剛 2015/11/04 今回のアナログは特別編です。アナウンス部の重鎮、浅見博幸アナウンサーが、11月19日に退職します・・・。5年前に60歳の定年を迎え、その後1年ごとの契約で最大契約の5年を経過・・・。仙台放送のアナウンサーとして、マイクの前に立った現役年数の最長不倒距離を更新しました…。今回のアナログは、そんな浅見アナへの感謝の気持ちをリレー形式で、各アナウンサーが綴っていきます。先ずは・・・もしかして・・・これは若い順ですね…?(一覧表が私の目の前にあります…)徐々に徐々に、濃い話になっていく構成のようです???(笑)では、今年入社の牧アナから、お願いします!*写真は、今から20年ほど前のアナウンス部。大年寺山に本社があった頃の、ニュースセンターでの一枚です…。私が持っている、アナウンス部の集合写真の中で、浅見さんが一番大きく映っているものをチョイスしました…。(笑)思い出は…30年分…とてもとても書き切れません…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・感謝!感謝!!大感謝です!!!本当に、いろいろお世話になりありがとうございました!