私の新人時代 林 佳緒里 2008/04/10 新人時代を振り返るには、女性陣の中では最も長い年数をさかのぼらなければいけない私がラストです。あ~切ない。10年前になります。その時の写真には額にしっかり前髪があります。前髪を作り、しかも眉毛よりも短い「まゆ前(ぜん)」が流行していたような。今となっては貴重な写真です。1998年4月、高校生の時から憧れていたアナウンサーとして仙台放送に入社しました。それはそれは、毎日発見と反省のくり返しでした。普段おしゃべりは得意なのに、マイクを!カメラを!前にすると上手に話せない!でもその理由が分からない。指導を受け、涙を流し、先輩のしゃべりを学ぶ。いろんな経験をさせてもらう中で10年たち、アナウンサーとして楽しみながら仕事ができるようになりました。あらためて新人時代の思い出をとなると、なかなか思い出せませんが思い出の取材はというと・・・、“北海道のムツゴロウ動物王国”に1週間、子供達と行く番組でしょうか?今はなくなってしまいましたが、新人の登竜門といわれていました。フェリーに乗って北海道に、動物王国を訪れ犬とふれあったり、ジャガイモ畑や牧場を訪問し色んな体験をする。親元を離れ旅する子供の成長を描く番組でしたが私自身が一番成長させてもらったような気がします。上手に取材が出来ずディレクターからしかられ、悔し涙を流す。すると「これからまだ仕事があるのに泣いたら目が赤くなって仕事にならないだろ」とまたしかられる。すべてが裏目にでてしまう。大自然の中の取材、虫にもたくさん刺される。いろんな意味で悔しいやらどうしていいのやらで、楽しいより苦行となった一週間でした。でも10年たった今では、この時のことを振り返ると、取材の基礎を教えてもらった貴重な取材だったな~と思えるようになっています。4月から11年目。丸10年が過ぎ、新しい1年目が始まります。広瀬君のようなフレッシュな気分、初心を忘れずに・・・を心がけたいです。
私の新人時代 2008/04/09 私が入社したとき、同期はいませんでした。そう、新入社員は、私一人っきりだったのです。写真のとおり、一人では寂しいということで、会社の社内報ではジュニと一緒に映っています。初めての仕事、それは今はもうない、「生番P」と呼ばれていた「番組PR」でした。スーパーニュースが終わった後、その日のドラマなどの番組宣伝を、30秒の生放送で紹介するのです。30秒って、短いようで長いんですよ!!その30秒のために、2時間以上は練習していました。生放送だし、間違ってはいけない、ちゃんと伝えられないといけない・・・と、頭の中は、いっぱい×2でした。でも、本番になり、アッという間に30秒間は終わっているんですよね♪今でも、番Pが懐かしく感じられます。やはり、初めての仕事って、印象深く残りますね♪また、お休みの日は・・・同期がいなかったので1人で過ごすことが多かったと思います。例えば、TUTAYAで、大好きなアニメなど全巻まとめて借りて、一気に見る!!これがなんと、かる~く12時間ぐらいかかるのです!明日は、かおりさんです♪新人時代は、どんな生活していたのかなぁ???
私の新人時代 2008/04/08 寺田姉さん、ワインの味もちろん覚えていますって!この春4年目になります早坂はもう「新人」とは言われないのですね・・・。広瀬君も入社したし私も気を入れなおして頑張らねば(^_^)v新人時代の思い出!デビューの話は同期・原アナが書いてくれています。1番楽しかった思い出は、入社1年目の初夏に『めざましテレビ公認わがまま!気まま!旅気分!』のリポーターです。新人ですからリポートすることも不慣れなのに、泊まりがけのロケということでかなり気合を入れたし、緊張した記憶があります。でもそのロケは「宮城の離島を探検しよう~♪」というテーマで、大島・網地島・田代島・寒風沢島・野々島などを訪れ心から楽しんでおりました。何が面白かったかなぁ・・・と振り返ると・・・暑~い中、大島のリフトに揺られて山の頂上まで辿りついた時の涼やかな風が気持ちよかった!帰りがけに食べたかき氷が美味しかったっけ。さらにシーカヤックで桂島から松島湾まで海の上を旅したのは、本当にたどり着けるのかはらはらドキドキで面白かった!だって観光船通るとものすごく揺れて転覆するかと思いましたよ・・・。さらにさらにロケ日がちょうどウニ漁の解禁日にあたったので、漁港を歩けば「ウニ食べていって~」と何度も声をかけられたのも「宮城県人は太っ腹だなぁ」と思ったものです。楽しい思い出だけではなく、食リポートについてはこのロケで沢山体験して学べました。お刺身を食べての一言・・・「透明感がある味ですね」と言ったワタクシ。これにはスタッフ一同に大爆笑されてしまいました。「どんな味~?透明感って?!」透明な味・・・?はて?新人の勢いというものでしょか。さてお次は水上アナです。どんな新人時代をすごしましたか?
私の新人時代 寺田 早輪子 2008/04/07 出射アナはじめ、会社で、「ねえさん」と呼ばれている寺田です。先輩にも、「ねえさん」と呼ばれ、たまにメールでは「姐さん」とも…。ちなみに、4つ年下の弟は、「ねえちゃん」と呼んでいます。そんな「ねえさん」にも、やはり新人時代はあったわけで…。私は、1999年にアナウンサーになりました。20世紀です。今年4月で、アナウンサー10年目に突入。当時、女性アナウンサーは人気の職業で、入社面接の控え室は、どこの社に行っても、特に、一次、二次面接では、きっちりスーツを着て、キレイにメイクをした女子であふれかえっていたものです。先日、「今も女性アナウンサーは人気の職業なのだ」と感じた出来事がありました。同じ福島出身の大学3年生の女の子が、仙台放送にOG訪問にやってきたのです。今、大学新卒の就職は、学生有利の「売り手市場」。アナウンサー以外の求人も多分にあるのに、彼女は開口一番…、「アナウンサーにどうしてもなりたいのです!アナウンサー以外の職につくことは、考えられません!!」と話したのです。そんなに「なりたい」アナウンサーという仕事とは、いったい彼女、そして、アナウンサーを目指す学生たちに、どう映っているのでしょうか?TV画面に出る以外の、地味で、切なく、苦しい、下準備の作業もあるのですが…。それでも、『表現する仕事』は、実に楽しいのです。アナウンサーとして言葉を発することは、絵を描いたり、文章を綴ったり、楽器を弾いたり、写真を撮ったりすることと同じだと思います。他の誰でもない、自分だけの表現ができれば、とても楽しい仕事です。アナウンサーって。入社したばかりの頃は、ただ間違えずに読むことで精一杯でした。「表現する喜びを噛みしめる日」が来るなんて…、思ってもみなかった。アナウンサーを目指す学生のみなさん!いつか一緒に、「表現する喜び」を味わいましょう!ワインでも味わいながら…( ̄▽ ̄ )続いては…、「先日、一緒に飲んだワイン、美味しかったネ!」…早坂アナです。
私の新人時代 2008/04/04 この春で入社7年目になりました出射です。毎年のことですが、えぇ!もうそんなに時間経った!?と思う4月です。7年目というと、小学校に入学した子どもが中学校に入学するくらいですか!ひぇー。親元を離れ、慣れない社会人生活にとまどいながら、食事に困りながら…(今でこそ料理は大好きですが、当時は野菜の切り方もわからないとんでもない状態でした)、目の前のことに一生懸命でした。では一例を…。ヨジテレビ!では、ある番組のコーナー名をもじって「晴れっていいね!」というわずか1回で終了(笑)した企画がありました。その貴重な1回のロケでは金澤先輩と、同期の小塚アナと3人で鬼首でキャンプをしました。私はリポートすらうまくできないし、先輩と一緒だし、同期に負けられないし、ということで気合いを入れすぎたことを記憶しています。出射「はい!出射特製、パエリアでーす!どうぞ、先輩!」金澤さん「お、おいしそうだね、いただきます!…ん?…味が…うーん、素材の味をよく生かしてますねぇ。っていうか、これ味付けした?」あ!!味付け忘れた…!見た目は最高においしそうにできたのですが、味が全くありませんでした。OA上は問題なくて一安心☆いろんな失敗もしましたが今の自分がいるのは、大好きな仲間たちがいつも近くにいてくれたおかげかなと思っています。その仲間たちと撮った写真を今回は載せます。入社当時いつも一緒にいた同期のみんな。1枚目は入社直後。2枚目はそれから6年経った私たち。みなさん、メタボ大丈夫ですか~?(笑)今はなかなか集まれないですが、これから先もずっと大切な仲間です。続いて、寺田さんでーす!ねーさんはどんな新人だったんですか☆
私の新人時代 2008/04/03 板垣さんセクシーって…どうでしょう(笑)写真は3年前の4月23日、ベガルタ仙台のサポーター体験取材時のもの。化粧が薄いのと、髪が長い以外はそんなに変わっていないかな?まあ3年前ですからそんなに変化していてもアレですけれども…(笑)はつらつとした表情にちょっと若さを感じます。さて早いもので今年で4年目!私の新人時代は、何だか分からないけれど無我夢中でとりあえずやってみる!そんな向こう見ずな1年間だったように思います。今思えばアナウンサーとしての「初鳴き」もそれを象徴しているのかも知れません。入社早々、初代「スポルたん!」のリポーター「スポルじぇんぬ」として起用が決定。訳も分からないまま、同期の早坂アナと一緒にイキナリの「生中継」!しかもなぜか、フルスタ宮城(当時)の足湯に浸かりながらの、掛け合い。取材VTRへつなぐ1分程度のものだったのですが、あの時は心臓が頭のてっぺんに飛び出てしまうんじゃないかという程緊張しましたし、ネタ合わせをする芸人のように何十回何百回と練習しました。全てが初めて!台本通りに果たして話せるのかという不安感に襲われながら、あれよあれよと言う間に「本番」、まるでジェットコースターのようなひと時で、ほとんど何をしゃべったのか記憶にありません(笑)ただ、体で覚えたリズムで動いている感覚。全てが終わった頃にはクラクラで、足湯でのぼせているんだか何だか分からない状態でしたっけ…。ちなみにセクシー?な生足を晒したのはこの時だけ(笑)それからほぼ2年間、スポーツ取材をして「スポルたん!」や「スーパーニュース」スポーツコーナーに出演し、伝える面白さ難しさを感じました。伝えたくても勉強が浅くて、悔しい思いをした事もありました。勉強は大事です。今担当している報道でもそうですが、取材することは山のようにあって尽きることはないんだなと感じたものです。その中から何を削るかも難しいんですけれどね★月日の経つのは早いものですが、日1日を大事にして振り返ったときにこんな所まで来たんだと思えるようになりたいですね。次は使用前・使用後で見せてくれるとか…7年目の先輩、出射アナです。楽しみ!
私の新人時代 2008/04/02 お~い僕、どこ見てるんだ~?写真は2年前、HP記載用のために撮影して頂いたものです。我ながら、あんまり今と変わりませんね。当時は「新人とは思えない」「落ち着いている」などとよく言われました。もちろん、技量ではなく容姿が、ですよ。昔から上に見られるんです。最近ようやく年齢が追いついてきましたかね。1年目は、とにかくよく噛みました。今でもだろ!なんて言わないでください、特に先輩方。「サ行」など弱い音はもちろん、なんでもないところで噛んでしまう。1日1回は噛んでいたかもしれません。生放送が本当に怖くて、いつも緊張とプレッシャーで、文字を追うだけで必死でした。このテーマが決まってから、自分の1年目のビデオを見返してみたら、やっぱり、噛んでいました。というか音もキレがなくべったりとしていて、声のハリもなく、まるで念仏のよう(汗) 思わず「うわ、下手くそ」と画面の自分に向かって言ってしまいました。当時は街中で声をかけくださる方、その言葉に何度も救われた気がします。初めての仙台、家族と離れ、友達もあまりいない中で、「いつも見てるよ!頑張って!」といわれると力が湧いてきて、励みになりました。皆様本当にありがとうございます。そんな中印象的な出来事が1つ。お声がけ頂いた男性とこんなやりとりがありました。男性「板垣君!頑張って!うちの娘もファンなんだよ!」僕「えぇ!?そんな、僕なんか、恐縮です」男性「いやいや、板垣君のまごつくところが好きみたいよ」・・・まごつくアナウンサーって、アナウンサーとしてどうなんでしょう! そんな僕も早くも3年目になりました。もう新人とはいえませんね。まごついている場合じゃありませんね。しかも後輩アナまでできました。襟を正していかなければなりません!がんばります!さてお次は、1つ先輩、原アナです!セクシーな初鳴きだったみたいですよー
私の新人時代 2008/04/01 はじめまして。新人アナウンサーの広瀬修一です!4月1日のまさに今日が入社式!ということでこの場をお借りして自己紹介させて頂きます。私がアナウンサーになろうとした理由はごく単純で「テレビが好きだから」の一言です。大学やアルバイトが終わると18時には家に帰り、すぐにお風呂に入って、19時にはリモコン片手にテレビの前に正座する。1日の予定はテレビを中心に決まるという日々を送っていました。さらには生の笑いを求めてバラエティ番組の観覧に参加するなど“どんだけぇ~!”なテレビオタクです。そして、広瀬と言えばキーワードはもう一つ、「スポーツ好き」です。イタリア・サッカーのセリエAや米大リーグのヤンキース戦など生で観たい試合にはどこにでも足を運びます。生で観戦した中で特に思い出に残る試合は、楽天・田中将大投手とハンカチ王子こと斎藤祐樹投手が歴史に残る大激闘を演じた2006年・夏の甲子園決勝です。このまま決着がつかないで欲しいと多くの人が願ったあの一瞬はこれまでにない一体感と緊張感が球場を包み込みました。テレビを観て笑ってもらいたい。スポーツの臨場感を楽しんでもらいたい。そして少しでも多くの方にテレビを好きになって頂きたい!その思いを胸に、アナウンサーの道を歩んで参ります!!どうぞよろしくお願い致します!!!では、続いては私にとって頼れる兄貴分。何でもやさしくアドバイスしてくれる板垣先輩です。
私の新人時代 2008/03/31 おえ~ うえ~ ふーむ いやあ! キャー!いろんな感嘆詞が出てきますね。時代は石器時代ぐらいでしょうか!浅見原人ですね。 「明石家さんま」とも後輩アナから言われました。では、写真の説明から。新人といっても1年目ではないですね。というのは、4月に入社して、その年の8月に報道部兼務という仕事を命じられ、新人の年の8月から翌年の8月までの1年間は報道部の仕事をしていたのでした。記者です。記者。アナウンサーの仕事はなかったのです。テレビに出たい!!!!!!!そんな思いで、記者業をしていました。でもですね、今思うと、何事にも現場に行った、行けたという現場主義の重要性を今でも感じていますね。さて、そうそう写真説明にいきましょうか。左写真「2時ですOXです」これは月~金 午後2時からの情報番組です。リポーターを務めていた時ですね。中継場所は、八木山ベニーランド。確か全中継でした。メイン司会は柴山さん。中写真これも「2時ですOXです」の中継枠ですね。便利屋さんへのインタービューです。当時としては珍しい商売でした。右写真 春の新番組ハイライトです。隣りは同期のKアナです。昔は、誰かが写真を撮ってくれたのですね。ですから結構この手の写真がワンサカ、ワンサカと(レナウン娘みたいですが)残っているのです。また、1枚1枚結構覚えているのです。とにかく、毎日毎日が必死でしたね。自分でいうのもナンですが、よく稽古しました。(お前は落語家か)自分のカラーを出したい!そんなことを考えていたと思います。ニュースは上手くなかったですね。よく報道デスクから怒られました。周りに職人が多かったですね。いまは職人がいなくなりましたね。そういう人たちに育てられました。感謝!感謝!あっという間の30数年。恐ろしい恐ろしい。もうご勘弁ください。さあ、それでは明日入社式を迎える新人アナウンサーを紹介しましょう。早くも4月1日からアナログに登場です。広瀬修一アナです。まだアナというのは、早いですね。3月10日からアナウンス研修をしていますが、果たして「初鳴き」いつに?どうぞお見知りおき下さい。
私の新人時代 佐藤 拓雄 2008/03/28 入社当時の身分証明書が今もありました。これはその写真です。自分で言うのもなんですが、今よりスリムな点を除けば、あまり変わっていないような気がします。妻には爆笑されましたが、子どもたちはあまり驚かなかったので、それほど変わっていない、ということだと思っていいのかな、と。ビシッとした髪型にに新入社員の肩の力と初々しさが(笑)さて、僕が仙台放送に入ったのは、1993年、15年前です。入社1年目、担当番組、もちろんなし。夜の定時ニュースまたは昼のニュースまたは「スーパータイム」のスポーツコーナーが出番の全て。それ以外は、来る日も来る日もアナブースにこもり、発声練習、滑舌練習、ニュース原稿の読み練習を繰り返していました。要するに、人目に触れる仕事は非常に少なく、給料をもらいながら研修を続けていたようなものですが、練習はいつも一人。孤独でした。同期入社の報道記者が一人前に記者リポートをこなしていたり、制作に配属された同期が番組制作にしっかり関わっていたりするのを見るにつけ、正直、僕はこんな毎日でいいのだろうかと悩み、不安だらけでした。入社したその日から「アナウンサー」と呼ばれているのに、自分の実力は「アナウンサー」たりえていない。自分が一人前になる日など訪れるのかと、出口の見えないトンネルの中で、もがき苦しんでいました。今にして思えば、ニュースなど本番に臨む機会を設けながら、基礎を築く余裕を与えるという、当時の上司のバランスの取れた配慮に頭が上がりませんが、当時は辛かったなあ…。なんだかやけに暗い話になってしまいましたが、決して「即戦力」ではなかった僕が今もなんとかやっていられるのは、この時期があったからこそ。4月には新人アナウンサーが入ってきますが、地道な基礎を大切に、新人時代を過ごしてほしいと思っています。次は、大先輩、浅見アナウンサー。写真をチラッと見せていただきましたが、いやー、若い若い!あ、すみません。
私の新人時代 金澤 聡 2008/03/27 今から12年前。私の新人時代当初は、毎日緊張していて、毎日必死で、毎日疲れて帰宅していました。 同期と毎夜外食し、翌日の朝は朝食もろくに食べず出社、休日は惰眠か読書、運動はゼロ、不規則で不健康極まりない生活を送っていたような気がします。 現代のストレス病とも言われている花粉症になったのも入社してからでした。幸い五月病にはなりませんでしたが、何かに追われるような日々を4ヶ月程続けていました。 夏を迎え、状況が一変しました。ビーチバレーの仕事に携ったときです。当時23歳、若さ=単純です。同年代の男女が眩しい夏の太陽の下ビーチで躍動する姿は、単純に美しいと思ったのです。「そんなさわやかな輝きを取り戻したい」 本当に単純な理由です。写真の中の表情は、何か薄暗い雲が一気に晴れたような笑顔を見せています。分かりやすすぎます。 それ以来、同期と休日は、テニス、スカッシュ、ボウリング、卓球、バッティングセンター、スキー、スノーボードなど運動で汗を流し、食事はカロリーを見ながら和食が多くなりました。若さ所以です。 そろそろメタボが気になる年代突入になりました。単純な気持ちがいまこそ必要です。規則正しい生活を心がけたい13年目です。 次は、佐藤拓雄アナウンサーです。私個人の勝手なイメージランキングでは、春に惰眠を貪らないアナウンサーNo.1の先輩です。(変なランキングですいません)
私の新人時代 梅島 三環子 2008/03/26 この春で入社3年目を迎えるわたくし。新人時代というか、今も新人の気持ちでいたのですが…そうもいきませんね。そして4月には、ホントの新人アナもデビューしますよ!ということで、今回からのテーマは「私の新人時代」。今回は、テーマにあわせて新人時代の写真をみなさんアップされますのでお楽しみに。さてさて、私の写真は入社式の様子。我ながら真剣な顔をして、…怖いくらいですね。私の代は、2人の採用。つまり同期は板垣アナだけ。ん~、貴重な同期よ。そういえば、初鳴き!OAに初めて出たのも板さんと一緒でした。忘れもしない、美味しいランチのお店紹介。わけがわからないまま、全てが終わった記憶があります。緊張したけれど、すごく楽しかった!初めてのロケに初めてのスタジオ。見るもの全てが新鮮で感動の嵐でした。今でも“初めて”のこともいっぱいありますが、やっぱり初鳴きは忘れられない思い出です。そうそう、入社当日この日のOAでしたから、この写真を撮った後にこの2人はテレビに出てしまうわけです。今、思えばすごいことですね。この日の感動を改めて感じ、日々の勤務に邁進してまいりたいと思います。なんだか決意表明みたいになってしまいましたね、はい。がんばります。次は、入社13年目を迎えます金澤アナウンサー。どんな新人時代をすごしていたのでしょうか?