人生最大の「激走」 飯田 菜奈 2024/11/11 大人になってから全速力で走る場面はほとんどなくなりましたが、東京で電車移動する際、ここでダッシュして1本早い電車に乗ることができれば、目的地に早く着く!という乗り換えの場面では、駅構内を猛ダッシュします。意外と恥ずかしくないのは、まわりにも同じように走っている人がいるから(笑)あの人も走っているから、私も走ろう!と勝手に仲間意識さえ抱いています…。時間に余裕をもって行動していれば、走る必要はないんですけどね。。。人生最大の「激走」の場面、これまでの走った記憶を思い返してみると、小学校高学年の時に、地区の連合運動会で400メートルリレーに出場した時ですかね。私は第2走者で、直線100メートルの担当でした。バトンを受け取り、とにかく全力で、腕を振り、足を前に出し、”速く”バトンを第3走者へつなぐことだけを考え、走りました。大きな競技場で、学年皆の声援を受け、風を切りながら走ったあの快感は、今でも感覚として残っています。ほんの一瞬で終わってしまいましたが。学校の代表として、友人と4人で100メートルずつ走り、バトンを落とさず400メートルを走り切れたこと、忘れられない思い出です。中学生になってからはリレーの選手に選ばれることはなかったので、後にも先にも、小学校高学年の時が、一番足が速かったなぁ…。☆写真☆今年の『東北・みやぎ復興マラソン』では、最終広報車に乗り、交通規制の解除とボランティアの皆様に御礼をお伝えする任務を全うしました!手を振って応えてくださった皆さん、逆にねぎらいの言葉をかけてくださった皆さん、ありがとうございました。そして、ランナーの皆さん、本当にお疲れ様でした!!今回のテーマはこれでおしまい。新しいテーマは、咲良アナからスタートです。
人生最大の「激走」 梅島 三環子 2024/11/08 最大…と言われると思い出せませんが、よく激走しています。「激走しないと、間に合わない」という状況ですね。先月も仕事中に、激走することになりました。車のトラブルにより、到着時間が予定より大幅に遅れたためです。車から降りて、到着場所まで走ること約5分。幸い待ち合わせには間に合ったのですが、止まった瞬間に汗が吹き出します。走っている時に汗は出ないのですが不思議なものです。その日はたまたまマスクをする場所での打ち合わせということもあり、大変なことになりました。10月も半ば。差し出されたホットコーヒー。先方からは、「そんなに今日暑いですか??」と不思議そうに声をかけられ、たまらなく恥ずかしい思いをすることになりました。また、みんなで激走したことも思い出しました。中継先で、2回出番があった時にどうしても2回目の場所を変えたいという事情からでした。全国ニュースと、県内のニュースと、少しでも違った情報を伝えたいというわがままを聞いてくれたカメラマンさんには今も感謝しています。そこまでリスクを負ってまでやるべきだったかはまた別の議論ということで…(笑)ただ、激走しなくていいなら激走したくはないんですけれどもね。まぁ私の性格では無理なんでしょうが。写真は、以前実家に帰省した時に撮影した富士山。知らない間に、新たな展望台が出来ていました。たまに帰ると、新たな発見があり驚きです。次は飯田さんです。
人生最大の「激走」 千坂 紗雪 2024/11/07 人生最大の「激走」は大学時代、「必修の英語の講義に間に合わない!」と自宅から駅、駅から大学をダッシュしたことです。普段、遅刻や寝坊はしないのですが、この日は授業の25分前に起床してしまいました。なんという失態。自宅の最寄り駅まで10分、電車で10分、大学の最寄り駅から教室まで10分で計30分、すでに間に合わない計算です。とにかく授業は休みたくなかったので、軽く身支度を整えてダッシュしました。この日は授業後終わりに、大学のキャンパスでリーグ戦のチケット販売を行わなければならなかったので、野球部の制服(下はスカート)に靴はパンプスの装いです。まあまあの迫力で教室につくと、クラスメイトが目をぎょっと見開いたのが見えました。さっきまで走っていた反動で、足音が大きすぎる!!!しかも制服!!!身支度ままならない中、クラスの視線を一堂に集めるのがこんなにも恥ずかしいことだとは思いませんでした。この「爆走デー」は一生忘れられません。大学時代の良い教訓です。写真は先月行われた【仙台みちのくYOSAKOIまつり】でリポートを担当したときのものです。写真の定禅寺通りはよさこいパレード会場となっていて、間近でよさこいを堪能することができました!次は梅島さんです。
人生最大の「激走」 西ノ入 菜月 2024/11/06 これまでの29年間で、激走した場面は数多くあります。飛ぶ系の蜘蛛がこちらに向かってきた、夜道で白い布切れを幽霊と見間違えた、大学の1限目に遅れそう…。幾度となく激走し、なんとか困難を乗り切ってきました。もう来年30歳になるのだから、いい加減激走する機会は減らして余裕のある大人になりたい…。しかし、人生そう簡単にはいきません。この夏も人生で1、2を争うほど追い込まれる出来事があり、激走しました。そう、突然の局地的大雨です。夕方にスポルたんの生放送を控えた土曜日の午前中、用事を済ませて出社する途中でした。「ポツ、ポツ…」と割と大きめの雨粒が身体に当たり、「マズイ、これは普通の雨じゃないな」と直感しました。案の定、数分でバケツをひっくり返したような雨に…。これまで何度もアナ・ログにも書いている通り、私は自称「雨女」なので、こうした状況に備えて常に折り畳み傘を持ち歩いているのですが…この日は前日の雨で使用して、家で干したまま忘れるという信じられないミスを犯し、大ピンチとなりました。この時、会社まであと300m。もうすぐそこがゴールなのに!雨は酷くなるばかり…。最終手段のタクシーを呼ぼうとしたのですが、皆さんが同じように電話をかけているのかなかなか繋がらず、そもそも1メーターにも満たない距離で乗らせていただくのはさすがに申し訳ない…。出社しなければいけない時間も刻一刻と迫っていたため、様々な葛藤の末、意を決して超土砂降りの中を「激走」しました。この時の私の体感としましては、100m走の世界記録保持者、ウサイン・ボルト選手並みのスピードで激走していたように思います。人生で一番速かったのでは…しかし、スピードを出しすぎて途中で滑って尻もちをついたりと散々な結果に(滝涙)なんとか会社に到着しましたが、頭からつま先までずぶ濡れの「妖怪」のような状態で、しかも服に泥もはねていたので「沼の中から出社したと思われるだろうか…」と不安を抱くほどの有様でした。その時、「そうだ!急な取材用に、替えの洋服一式をロッカーに入れていたんだ!」ということを思い出し、素早く着替え、なんとか髪の毛も乾かし、何事もなかったかのように夕方の生放送に臨むことが出来ました。「外出前は、傘を持ったか必ず確認する」。人生最大の激走から得た学びです。写真は、打って変わって素晴らしい秋晴れの下行われた「仙台みちのくYOSAKOIまつり」の特別番組の時のものです。10月12日(土)13日(日)のまつりの二日間とも快晴で、よさこい日和となりました!明日は、爽やかな笑顔で写真に映る千坂アナの激走です。
人生最大の「激走」 金澤 聡 2024/11/05 大年寺山に社屋があるときの話です。当時、会社から200mほど近くの社宅に住んでいました。距離は近いのですが、社宅から会社までは、勾配の急な登りの坂道。歩いて登っても結構息が切れる曲がりくねった道のりです。とある日の事です。朝6時のニュースのOAのため、早朝に出社する勤務の日。目が覚めて、目覚まし時計を見ると時刻は5時55分。「うぁぁぁぁーーー!」の雄叫びの後、慌てて会社に電話。「あと5分以内に出社します!!」と告げ、スーツに着替え、ネクタイを握りしめたまま、社宅を出ます。坂道を猛然とダッシュをしますが、なかなか前に進みません。気力を振り絞って、足を前に出しますが、スピードは上がらず、腕時計を一瞥すると、OAまであと15秒、会社までは残り100m。もうダメだと、道路で膝を屈し、バタッと倒れ込んだ瞬間に、目覚まし時計がけたたましく鳴り、ガバッと起き上がり目が覚めます。夢か…絶対に遅刻できない早朝勤務のときは、こんな激走する夢を何度も見ました。いま思い出しても油汗が滲んできます…ちなみに、遅刻したことはありません、笑。激走のイメージとは対極にある、ラクダがゆっくりと動いているような写真を選びました。(鳥取砂丘ですけど・・・)でも、今では、目覚まし時計より早く起きることがほとんどですけどなぜでしょうか。25年前と何かかわったことがありましたかね??次は、西ノ入アナウンサーです。
人生最大の「激走」 伊藤 瞳 2024/11/01 先月、ロケで仙台空港から飛び立ちタイ・バンコクに行きました。11月4日(月・振)午後1時50分~仙台放送で特別番組を放送します。「仙台から行く!アメイジング・タイランド!~絶景・グルメ・映えスポットツアー~」タイトルの通り、息をのむ絶景、絶品グルメ、歴史的建造物、SNS映えするスポットと、タイの「アメイジング」なものが次々と登場します(*^^*)是非、ご覧ください。写真は、タイを一望できる、映えスポットでの一枚です!床が透明になっています…Σ(・□・;)さてそのタイ出張でも人生最大…とは言えませんが、「激走」がありました。タイから仙台へ帰るときのこと、空港で全ての搭乗手続きを終えて1時間ほど自由時間があり、買い物をしました。手持ちのお金800バーツほど残っていたのを使いきろうと思い、空港内のお店を右往左往。海外に不慣れで、優柔不断な私は悩みに悩んでしまい、お金を使い終えた頃には時間もたっぷり使ってしまっていました。購入した商品と、買い物前に食べていた大きなハンバーガーを胃袋に抱えながら、搭乗ゲートまで「激走」!!!!なんとか、搭乗時間の15分前には着きましたが、タイの締めくくりで汗を流すとは…即決力をつけ"たい”と思った次第です。そんな「激走」も含めて、濃厚で充実した時間でした。アメイジングなタイの魅力を、来週月曜日、是非ご覧ください(*^^*)次は、金澤聡アナウンサーです。
人生最大の「激走」 佐藤 拓雄 2024/10/31 【写真】は、2019年の全日本大学女子駅伝。仙台を走る駅伝を、仙台国際センター前の沿道で応援しました。トップを行く名城大学の「激走」です。今年は名城大学の連覇が途切れましたね。さて、私は人生の中で、あまり「激走」をした覚えがありませんが・・・実に恥ずかしい激走エピソードを書きます。入社2年目か3年目ごろ、1990年代のことです。楽天イーグルスが誕生するはるか以前、「プロ野球ニュース」というフジテレビの深夜の番組がありました。番組は、地方でプロ野球の試合があると、球団のない地区でも、その地域のアナウンサーが、解説者とともに試合を伝える仕組みでした。そんななか、山形でプロ野球の試合があり、仙台放送が出張して、現地でナイターの結果を伝えました。解説者は、レジェンド級の元プロ野球選手。放送が無事終わり、では打ち上げに、と皆で繰り出しましたが、放送が終わってからですので、既に日付は変わっています。1軒目、レジェンドのお話を拝聴し、こんな方から話が聞けるなんて、いやあ本当にありがたい、勉強になる、と至福の時間を過ごしました。レジェンドも絶口調で、「よしもう1軒!」となるわけですが、実は翌日(もはや日付変わって当日ですが)、私たち仙台放送のスタッフは、全員別の仕事で宮城に戻り、現場に直行という予定でした。出発は確か朝7時だったと記憶しています。ですので、「いやすみません、実はあす朝早いのでこのへんで・・・」と切り出したところ、「何言ってんだ佐藤君、大丈夫、寝なきゃいいんだよ」との頼もしいお言葉。若気の至りで「それもそうだな」と納得したのが運の尽きでした。もはやどんな展開かお分かりですよね。2軒目も楽しく時は過ぎ、もはや明け方。朝日を見ながらホテルに戻り、レジェンドのアドバイス通り、寝ないで出発を待つことにしました。寝なければいいのだ!と座っていましたが、やはり、時間とともに少々疲れが。出発まであと1時間ちょっと・・・横になるくらいいいだろう、目をしっかり開けて、寝ないんだから。・・・タイムマシンがあったら、その自分に喝を入れに戻りたいですね。絶対に横になってはいけない!!と。自分の感覚では、数秒後。突然部屋の電話が鳴りました。携帯電話も持っていない時代、ホテルの部屋の内線電話です。何だか分からず、電話に出ると、「拓ちゃーん、みんな待ってるぞー」という先輩Dの低い声。「△●◇※☆¥Ψ??!!!!」一瞬で何が起きたのかを把握し、頭からサーッと血が引いていくのが分かりました。出発時刻はとっくに過ぎています。そこから一体どのくらいのスピードで部屋を飛び出し、皆の待つバスまで行ったのか。正確には分かりませんが、これほどのスピードで出かけたことは、人生、後にも先にもありません。しかし、その「大激走」は、もはやほとんど意味はありません。バスに乗り、「すみませんっ!!!!」と頭を下げたものの、乗っている全員から一斉に冷たい視線。当然です。移動中も誰一人喋らない。「針の筵」とはこのことでした。本当に情けない話です。もちろん、レジェンドのせいではありません。全て私がダメなだけなのですが、一つ教訓があるとすれば、こういう時は「寝なければいい」ということですね。違う違う!そうではなくて、コンディションをちゃんと整えましょう、ということですね。翌日早いのに、遅くまで飲んではいけないのです。でもこの時は、今考えても、かなり無理のあるきつい日程でしたけどね。明日は、伊藤瞳アナウンサーです。
人生最大の「激走」 高橋 咲良 2024/10/30 このお題で真っ先に思い浮かんだのが…もう何度もアナ・ログに書いている気がしますが、小学生の頃、スウェーデンに住んでいた時に、シェパードの子犬に追いかけられたことです😂😂😂あれは間違いなく「人生最大の激走」です!!!犬が苦手だったのに、子犬とはいえ、あのシェパードに追いかけられ、もう絶対絶命です。しかし!人は追いつめられると、頭がとんでもなく回るようで、咄嗟に氷の張ってあったグラウンドへ飛び込み、シェパードがつるーんと滑る間に、逃げ切りましたっ!!!!!本当にあの頃の私、良くやった…何年たっても忘れられない、激走です…🔥この話を書いていて、「犬」に関わる激走を、もう1つ思い出しました。シェパードに追いかけられた数年後、実家で犬を飼うことになりました。犬が苦手だった私が、自分と同じ誕生日で、つぶらな瞳の黒パグに一目ぼれして、妹と一緒に両親に懇願して、家族として迎えいれました。名前は「ぽよ」ちゃんです。この「ぽよ」が、まぁ、やんちゃでして…散歩の時も、地を這うようにグイグイ前へ進んでいくような子で、飼い始めて間もない頃、不意にリードが外れてしまい、黒い弾丸のように、猛スピードで走り去って行ってしまったのです!解き放たれた「ぽよ」は、もう止まりません。何度も名前を呼んでも止まりませんし、足も速くてとても追いつけず、車に飛び込んでいってしまうのではないかと、真っ青になりながら、一刻も早く確保しようと、私・妹・母で激走していました。その時!妹だったか、母だったか、どちらかが「ごはん!!!!!」と、物凄く大きな声で叫びました。すると…いのししの如く、猛スピードで走っていた「ぽよ」が噓のように止まり…私たちの方へ戻ってきました!(泣)食い意地の張っている子で本当に良かった…と胸をなでおろした、激走の思い出でした。☆写真☆友人と秋保のピザ屋さんへ行ってきました!「ぽよ」と同じく、飼い主の私も食い意地が張っておりまして、大きなピザもペロリと食べてしまいました!ミミまでモチモチ、程よい塩気がたまりませんでした✨続いては、佐藤アナウンサーです♩
人生最大の「激走」 堤 勇高 2024/10/29 昔から球技は好きでしたが陸上競技は苦手でした。短距離はサッカーのチーム内で下から5番目以内の遅さ、長距離も上位に入れる持久力や精神力を持ち合わせていませんでした。そんな私の「激走」は小学生の時です。確か3年生か4年生だったと思います。終了式の日、つまりその学年最後の投稿の日です。学級委員長を務めていて「最後に1年間お世話になった先生に1人一枚手紙を書いて送ろう」と、クラス全員に呼びかけ、集めていました。もう一人の学級委員長と協力して全員分を修了式の数日前に集め終わり、表紙など付ける作業も終え当日を迎えました。当日までの保管はもう一人の学級委員長に任せていたと思っていた私。終了式の日に「手紙ある?」と聞くと「堤君が持ってるよね?」とまさかの返答が。自分が保管している記憶はない。でも相手は「絶対に私じゃない」との主張。修了式なので今日渡すしかないという状況の中、私は半信半疑で家まで取りに帰ることを決めました。そこからは「激走」です。歩いて15分20分の距離ですが、信号待ち以外すべてをノンストップかつ最大限の速さで走りました。人間追い込まれるとここまで頑張って走れるのかと、小学生ながら考えた記憶があります。家に着くと突然の息子の帰宅に驚き顔の母。ヘロヘロで状況を説明し、一緒に家をくまなく探してもらいますが、結局手紙は見つからず。疲労と絶望の中、母に学校まで車で送ってもらいました。……手紙は結局もう一人の学級委員長が持っていました。「よく探したらあった」とのことです(笑)自分の底力を見た、小学生時代の思い出です。写真は先日取材で訪れた多賀城南門です。まだ工事中で近くまで寄ることができませんでしたが、中学時代修学旅行で電車の窓から見た平安京を彷彿とさせる佇まいでした。あとは天気が良ければ……次は高橋アナウンサーです。
人生最大の「激走」 下山 由城 2024/10/28 本日から新しいお題になります。人生最大の激走です。いろんなパターンがありそうですね。仕事でスポーツ選手の激走はよく見ます。野球の走塁はもちろん、サッカーやバスケなどでも激走から生まれるドラマは記憶に残るものがいくつもありますよね。野球で多くの人の印象に残っているのは、去年のWBC準決勝のサヨナラの場面ではないでしょうか。村上宗隆選手の劇的打でサヨナラのホームを踏んだ周東佑京選手の異次元のスピード!今思い返してもめちゃくちゃ速かったですよね。個人的には、2013年のWBC台湾戦で鳥谷敬選手が1点を追う9回2アウトの場面で決めた単独スチールを推します。あれは伝説の激走です。いや自分のことは全然思い浮かびません(笑)最近あまり走っていないからでしょうか。多分人生で1番走っていたのは中学時代です。バスケ部だったので、本当によく走りました。高校時代は水泳部だったので、走るというよりは泳いでいました。大学時代は走るイベントあったかな…記憶にないです。感覚的な話ですが、ここ最近はいろんなジャンルの番組に短いスパンで関われています。今月だけでもサッカーではルヴァン杯準決勝の実況。仙台みちのくYOSAKOIまつりの中継MC。春高バレー宮城県大会決勝の実況。そして衆院選特番の中継…などなど。来月も東北みやぎ復興マラソンの番組が控えているなど、まだまだ続いていきます。中学時代のバスケ部で培った体力は、30代中盤になった自分にどれだけ財産として残っているかは未知数です(いや確実に衰えています)が、タフにこのまま走り続けます!!写真は芋煮です。前回は仙台芋煮を載せたので、今回は山形芋煮にしました。また来年も芋煮会をやるという強い気持ちを持っています。お次は堤アナウンサーです!