アナ・ログ ~アナウンサーリレーエッセイ~

寒い日のお仕事

2009/02/04
寒い日、お家にいたい…。でも仕事でどうしても長時間外にいなくてはならない。こんな時も皆さんあるでしょう。『ジュニ体操』でまきこおねえさんは、幼稚園や保育所の子供達と元気いっぱいに体操します。日中でも1~3度くらいの日は、正直寒くてブルブル震えながらの収録となります。
でも子供達は寒い日でも、朝から汗をかくほど走り回り、遊んでいる…。自分も幼稚園時代は、外の気温も気にせずに遊びに夢中になっていたずです。なぜ大人は「寒いの嫌だなぁ…」と思うのでしょう??

そう考えていたらとある園長先生が一言おっしゃった衝撃の言葉。
「こども達は何にでも一生懸命だからね!」
シンプルな一言です。でも、「寒い寒い」を連呼していた自分が恥ずかしくなりました。そう!「一生懸命取り組めば、寒さなんて気にならない!!」恐るべし子供達の集中力。遊びでも、仕事でも、情熱が大切と知ったまきこおねえさんなのでした…☆

寒い日のお仕事

2009/02/03
真冬の海に潜ったことはありますか?2005年1月。この年の私の仕事初めは、スーパーニュースの「潜水取材」でした。潜った場所は、冬のダイビングスポット・宮城県南三陸町の志津川湾。水深10mのポイントで、冬にしか見られない「ダンゴウオ」を探すという企画でした。

「ダンゴウオ」とは、体長2cmほど、コロコロと丸くてかわいらしい魚です。透けるような赤い体は、まるで、イチゴゼリーのよう。図鑑で、初めて見た時は、ドラクエの「スライム」を思い出しました。ダイバーの間では「海底のアイドル」と呼ばれるほど、ファンの多い魚で、ダンゴウオに会うためだけに、関東地方などから来る方もいらっしゃいます。

…しかし、正月が明けたばかりの海水温は約10度。夏の「ウェットスーツ」では、とてもじゃないけれど寒いので、セーターを着て、フリースを着て、その上に「ドライスーツ」を着込んで潜ります。フードもしっかり被るので、「もじもじ君」状態に…。

気合を入れて、海の中へ!…潜ってしまえば、「水温10度」は意外と温かい。だって、船の上…、つまり、外気温が「1度」なのですもの…。
ただ、ドライスーツは着ていても、むき出しの「顔」が切れるように痛い…。寒すぎて(痛すぎて)レギュレーターをくわえた唇は、通常の2倍くらいの「ポッテリ唇」に…。

これだけの思いをしたのに…、普段の行いが悪いのか、結局、私は「ダンゴウオ」に会えませんでした。志津川のこのポイントで「ダンゴウオ」に会えないことの方が珍しいそうです…。それでも、体長6センチほどで、オレンジ色、口が「ニュー」と伸びた「クチバシカジカ」の撮影には成功!とてもかわいらしかった。真冬の海で見つけた、温かく、小さな灯火のようでした。

暖かい南の海でのダイビングも大好きですが、寒い日の冷たい海の中でしか見られない光景に…、「ダンゴウオ」に、機会があったら、気合いを入れなおして、また会いに行きたいです。

★写真左は私。真ん中はジュニくん。右は早坂アナ。この『記念撮影ボード』は、青葉区上杉5丁目の仙台放送本社1階「アゴラカフェ」にございます。遊びに来てね!

続いては、写真右の早坂アナウンサーです!

寒い日のお仕事

2009/02/02
女性アナウンサーの中では、仙台放送で一緒に過ごした時間が一番長い由佳ちゃん!本当にお疲れ様でした。新人だった由佳ちゃんも今では女子力たっぷりの素敵な女性に!これからもキラキラ輝いてね~!
今回のお題にそってさらに・・・。
由佳ちゃん担当だっためざましテレビの中継は朝が早い。冬の朝の中継は本当に寒かったことでしょう。寒い日のお仕事もお疲れ様でした。
★写真は、由佳ちゃんお疲れ様会にて・・・

さて私自身の寒い日のお仕事は、ずばりちょっと億劫な事。庭の植物への水やりです。冬は毎日あげなくても大丈夫だと思いますが、空気は乾燥しているわけで。水やりぬきとはいきません。
冬の朝はとにかく寒い。玄関にいる私の飼いウサギ・アリスも玄関をあけるとあまりの寒さにビックリするほどです。(これ本当です!)
だから玄関をあけて外が暖かかったらどんなに良いことかといつも思います。
とはいえ、無精して前の晩に水をあげてしまうと水が凍り、根腐れの原因になるし・・・。朝おきて玄関でササッとコートを着込み、外の水道へ。ホースでシャー!わー、寒い。このくり返しで、格闘しています。
春には、緑の葉と可憐な花が待っているし。そのためには、寒い日のお仕事に耐えなければいけません。

一方農家の方の中には、この寒い時期でも寒い寒いとは言っていられず、収穫作業をされている方もいらっしゃいます。実際に取材でお邪魔させていただき、その様子を拝見したりすると本当に頭がさがります。こういう方達がいらっしゃるから、寒い日に欠かせないおいしい鍋の具材なども買えるわけで・・・。

あと2ヵ月もするともう桜の季節です!寒い季節があるから、春爛漫の時期がくる。四季はよくできたものですね~。

お次は寺ぽん。寺ポンにもらったローズマリーは、この寒さの中でも強く生きています。

寒い日のお仕事

2009/01/30
入社試験からおよそ8年お世話になった浅見さんからバトンタッチ、ありがとうございます☆

さて、アナウンサーは代わりがきかない!ということで入社以来寒さや風邪対策には特に気をつけるようになりました。
使い捨てカイロをどこにどれくらい仕込めばなんとかなるかなどいろいろ考えました。中継の時は、生放送の時間の3時間くらい前には現場にいます。めざましテレビの中継はだいたい夜が開ける前からスタンバイ。必ず厚着してました。

寒さ対策がうまくいったのか、丈夫に生まれたのかわかりませんが入社して以来ほとんど風邪などでダウンしたことはありません(^^)

そんな私でも忘れられないロケがあります。BSフジ『わがまま気まま旅気分』でくりでんで旅をするという番組でした。
ロケが始まったのは2006年1月年明けすぐ。くりでん沿線は雪が積もっていました。栗駒山まで行くと、一面雪の世界!夜は暗くさらに吹雪で、遭難するのではないかと思ったほどでした。それでもディレクターは容赦なく、「寒そうな感じが出ていいね!予定通りここで撮影しましょう!」なんて言うのでカメラマンと、一緒に旅をしたワッキー貝山さんと、ぶーぶー言いながら撮影しました(笑)
なぜか衣装がジャージだったため着込むこともできず、本当にひどい状態だったなぁと思います。
風邪をひく寸前という状態がわかったのがこのときでした。

でも、どんなに大変な仕事でも気持ちがひとつになってできた仕事は本当に達成感がありました。どれも大切な思い出です。
実は、今日をもちまして仙台放送を退社することになりました。みなさんこれまでありがとうございました。応援してくださった方、取材でお世話になった方、仙台放送および仕事でご一緒させていただいた方々、支えてくださった友人や先輩方、家族に心から感謝しています。たくさんの出会いや経験は私の宝物です。仙台放送を退社するのはとても寂しいですが、これまでの経験を踏まえて新生活が充実したものになるようがんばります。これまでの7年間、本当にありがとうございました。

続いては入社以来たくさんのことを教えてくれた大好きな先輩、佳緒里さんです!

寒い日のお仕事

2009/01/29
1月10日放送の「テレ花火」は、
寒い!だから温泉であったまろうスペシャル!!!
と題して、秋保温泉・佐勘からの中継でした。
伊達家から拝領した主やを移築したギャラリーには、囲炉裏があります。400年以上も火を絶やさずに、燃え続けている「家宝の聖火」
炭に灰をかけ、また翌日の朝に炭を入れて、この聖火を守っているそうです。そんな話を聞くと、余計暖かさが伝わります。

さて、今回のテーマは「寒いお仕事」ですね。
この日も秋保はうっすらと雪化粧で、寒い日でしたが、中継場所は、暖かい宴会場、助かりました。
最近は、齢のせいで、寒い仕事が回って来ません。
ありがたや!ありがたや!
ということで、「若き頃の寒いお仕事」ありました。ありました。数え切れないほど、ありました。
体験モノが流行った時代でもありました。

まずは、「どんと祭」1月14日といえば、昔は極寒。
午後2時からの情報番組「2時ですOXです」のリポーターを務めていた20代、何年裸参りをしましたかね。
そのお陰です。この強靭な体が作られたのは(笑)

雪祭り取材も寒かったですね。岩手・小岩井農場の雪祭り、札幌・雪祭り中継。でもこちらは裸ではありませんのでね・・・・・

富士登山駅伝中継の夏の富士山も寒かった!5合8尺地点の中継点ですので、頂上や7合5尺よりは、低位ですが、とにかく寒かった!フジテレビの技術スタッフからダウンジャケットを貸してもらいました。有難かった。

県内各地の小正月行事の取材ロケも厳しい寒さの中でしたね。

春を告げる塩釜神社の花祭り、氏子は禊ぎを受けての参加になりますが、2月でしたか、3月に入ったか、
夜の神社での禊ぎの体験。所謂、体を清める水掛です。これは、最高潮に達しましたね。
そのお陰です。この強靭な体が作られたのは(笑)

今の若手アナウンサーは甘い!!!!
もっともっと体で体験したまえ!!!!なんて。

さて、あすは、出射由佳アナウンサーですが、これが最後のアナログになります。1月をもって、仙台放送を卒業することになりました。7年間、お疲れ様でした。本人からのメッセージもあろうかと思います。
では、出射アナお願いします。



寒い日のお仕事

2009/01/28
インフルエンザ流行中。仙台放送社内もマスク着用なかば義務付け状態です。ちょっと異様な光景ですが、仕方ありません。

さて、もう12年も前になってしまうんですね。1997年の1月22日、僕は東京・霞ヶ関で、マイクを片手に何時間も立っていました。入社4年目。20代、独身。「ペーペー」です。そういう仕事が回ってきがちな年代です。
なぜそんなところに立っていたのか。ある人にマイクを向け、声を撮るよう命じられていたためです。「ある人」とは、元仙台市長。いわゆるゼネコン汚職事件で賄賂を受け取ったとして、この日の午前、東京地裁で懲役3年の実刑判決を受けた、その人です。実刑判決を受けたものの、その日のうちに再保釈されることが確実ということで、我々報道陣は、東京地裁の出入り口付近に陣取り、元市長の「一言」を撮ろうと待ち構えていたのです。
ところが、待てど暮らせど、元市長は出てきません。普段は仙台よりは気温の高い東京ではありますが、この日は寒波。冷たい風が吹き荒れる真冬の天気。そんな中、1時間、2時間と時間だけが過ぎ、どんどん体が冷えていきます。正直、東京がこんなに寒いなんて思っていなかった、それほどの寒さでした。
一方で、記者たちからは、まだ裁判所の中にいる、裏から出てくる、もう出て行った、など様々な情報が飛び交い、結局どれも確認が取れません。
…3時間、4時間。座る場所もなく、ひたすら立って待つ。ガタガタ震えながらも待ち続けます。
結局、5時間くらい待ったと記憶しています。陽も傾き始めた頃、「保釈され裏から車で出て行った」という絶望的な情報が確認され、撤収となりました。待ち構えたどの社も撮れなかったことが、せめてもの救いでした。
冷え切った体で新幹線に乗り、仙台に到着すると、そこは年に一度あるかないかのドカ雪。タクシー乗り場は長蛇の列。しかもタクシーはちっとも来ない。ここでまた1時間、震えながら待ったのでした。
帰宅すると、当時住んでいたアパートの外階段は、完全に雪に埋もれていて、膝までの雪をかき分けながら2階の自室に上がりました。
以上、「寒い日のお仕事」の思い出でした。結論も教訓も何もありません。あしからず。

続いては、浅見アナウンサーです。

寒い日のお仕事

2009/01/27
1月14日にどんと祭に参加しました。
この日は運よく晴天だったうえ、御参りも順調に進みました。おかげで、朝にシャワーを浴びた後、キンキンに冷えたジーンズをきゅっと穿く時に比べれば、耐えられない寒さではありませんでした。

さて、鍵を持たずに家の外に締め出されることってありますよね?私は今年に入って、数年ぶりにやってしまいました。

時刻は23時。翌朝は朝ニュースの担当で、できれば早く寝たい状況。ちょっと外に出るだけだからと素足にサンダル姿。手ぶらで、財布も携帯電話もなし。外では激しい雨が積もった雪をグショグショに。
こんな状況です。

それで、まずはマンションの入り口に書いてあった、管理会社の番号に電話しようとコンビニを目指すことに。
1軒目では、全身びしょ濡れで足を真っ赤に腫らした不審者に取り合ってくれず、2軒目へ。
ここでは何とか電話を貸して下さいました、がっ( ̄□ ̄;)!!
「この格好で家から閉め出されてしまいました。電話がないので貸して下さい」とお願いした途端、念仏を唱えるようにして記憶していた10桁の電話番号を失念。しかも、管理会社が去年のうちに替わっていて、この番号自体存在しない事に気付きました。

こんな状況なので方針転換し、会社へ。
アナウンス部ではびしょ濡れの不審者に、夜勤で社内にいらっしゃった原アナウンサーによる事情聴取が行われました。
「なんで、こんなことになったのか分かるように説明して!?」と原さん。
「夕方まで実家にいたんですが、実家はオートロックじゃなかったもので、つい…」という返答に、原さんも口をついて出てしまったのでしょう。
「つい?…」と力なくこぼした後、しばらく遠くを見ていらっしゃいました。

雪道で1時間以上も冬風に晒されましたが、なんやかんやあって無事帰宅できて一安心。今年一番の大仕事を終えたこの夜は、いつもよりグッスリと眠ることができました。

次は、私よりもたくさん寒い日を経験していらっしゃるでしょう。佐藤さんです。

寒い日のお仕事

2009/01/26
これまでの私は台所と相当な距離を置いてきましたが、最近、料理の楽しさを知りました。
きっかけは『カレイの煮付け』です。料理の本を片手に作ってみたら、意外と簡単に美味しくできてしまいました。

ならば『カレー』は?とダジャレ的な発想で次はカレー作りにチャレンジしました。大量のたまねぎを飴色に炒めてカレーに入れると美味しいというのをどこかで聞いたことがあるようなないような…。
とりあえずたまねぎ5個を切って焦げる手前の飴色になるまでじっくり炒めました。時間にして1時間。腱鞘炎の一歩手前です。立ち仕事です。疲れます。しかし、出来上がったカレーは、何ともまろやかでコクのある味になりました。お袋のカレーの味には勝てませんが、家族には大好評の美味しいカレーになりました。

ただし、相当時間が掛かるので特に寒い日のカレー作りは腰に負担がかかります。よって我が家の寒い日のカレー作りの仕事は専ら私の担当です。短時間で美味しいカレーの作り方ありましたら教えてください。
腱鞘炎と腰痛になる前に…。

次回は、広瀬アナウンサー。入社1年目、初めて仙台の冬を経験中。どんな仕事でしょうか?

寒い日のお仕事

2009/01/23
はい。どんと祭の中継には、毎年寒さがつきものですよね。そして、そんな寒いときのお仕事に欠かせないのが携帯カイロです。
先輩方から、どこに貼ると暖かいなど色々アドバイスを頂いていたのですが、私はカイロが苦手で、実は1年目も2年目のときも使ったことはありませんでした。
幼稚園のとき、母親に貼ってもらったカイロが熱くて熱くて…痛くて。はずせばいいのに、そんな発想もなく、突然泣き出して先生に助けてもらった思い出が強く残っているからです。
実際に低温やけどをしたのか、覚えてはいませんが
それ以来、カイロは私にとって恐怖のものと化したのです。
しかし、今年、そんなことを言っていられない事態になりました。とても寒い場所での中継・ロケがあったのです。ということで、寒さに気をとられてばかりもいられません。勇気を出して貼ってみました。
すると、なんと快適なことでしょうか!
まるで湯船に使っているかのようなポカポカ感。
皆さんのおっしゃった肩甲骨の間は、確かにベストポジションです。この手のものは、用法さえ間違えなければよいのだと勉強することとなりました。
その覚えたての“寒い日の必需品”、携帯カイロはどんと祭のときも恥ずかしながら仕込んでおりました。
加えて御神火の温もりにも助けられ、思ったほどの寒さもなく風邪も引かずできたのです。

ですからでしょうか?今回の中継は、“寒さ”ではなく、裸参りの衣装“初晒”の方が思い出に残りました。子供のときから地元のお祭りなどで、つけている人を見てずっと気になっていたのです。
どうやってつけるのか?何故ずりおちないのか??
でも長年の疑問は解決しました。
なかなか息苦しいほどに巻きつけるものなんですね。これで、すっきりです。
写真は、中継をともにした晒。思っていた以上に長くて、巻き方は覚えましたがとっても1人では巻ける気がしません。

次は、金澤アナウンサーです。金澤さんは晒に、そんなに思い出はないそうです。

寒い日のお仕事

2009/01/22
ウイルス性胃腸炎で「寒い日」とは板垣アナは災難でしたねΨ(><)Ψ体調管理には気をつけないと…!

さて、わたくし暑がりな上に寒がりで冷え性で
夏も冬も衣類による体温調節が必須です。
寒いこの時期は吸湿性の高いコットンと保温性の高いウールを組み合わせて、着脱しやすい羽織ものにしたり…色々と気を使ってはいますが冬に外で仕事をする場合、だいたいが「寒い~!!日のお仕事」となるわけです(T-T)
特に思い出深いのは入社1年目!先輩の柳沢アナといった「蕪栗沼」ロケ。蕪栗沼といえば、旧田尻町(現・大崎市)のマガンや白鳥が数多く飛来する湿地で2005年にはラムサール条約に登録された名所です。
そこで寝床を探しに湿地に帰ってくるマガン達を捉えようと待ち構えていたのですが…ダウンコートに手袋マフラー、ホッカイロの重装備で備えたにも関わらず遮るものの全く無い蕪栗沼…吹きつけてくる強風にガタガタ震え、手足の感覚はなくなり、もう、もう…もう限界!!( ̄□ ̄;)

そんな時、マガンたちが最初は3~4羽、次に10羽ほどがそして次第に大群が夕空を埋め尽くさんばかりに蕪栗沼周辺に戻ってきたのです。時刻は午後4時半頃だったでしょうか、よく晴れた夕空にはぽっかりと三日月が出ていました。まさに「月に雁」!です。
寒さも忘れる、迫力あるあの美しい瞬間は今でも忘れられません。寒さも相まって、日本語表現の感覚の鋭さ美しさを身をもって感じられた瞬間でもありました。
写真はちょっとそのときの事を思い出して撮ってみましたがどうしても切迫感が出ませんねぇ…!

次は梅子です!先日は寒い中、どんと祭中継お疲れ様~(^-^)

寒い日のお仕事

2009/01/20
写真は毎年この時期に行われる、フジテレビ主催の『系列スポーツアナウンサー研修』での1枚。左から関西テレビ掘田アナ、私、テレビ新広島深井アナ、フジテレビ小穴アナ。去年に引き続き同期4人揃うことができました。

さて年が明けてから寒い日が続いていますね。温かい布団がいつまでも恋しくなります。新テーマはそんな『寒い日のお仕事』。刺すような冷たい風、しんしんと降る雪の中、寒さに耐え仕事をしたエピソードを語って参ります。と書いておきながら、トップながら恐縮なのですが、私、特筆するような寒い日の仕事がございません。寒い日はあったんでしょうが、記憶に残る程寒い中で仕事はなかったかと。ただ天候ではなく、体が寒い日の仕事ならばあります。
1年目の冬に、ウィルス性胃腸炎にかかったことがありました。夜に突如寝られなくなる程の腹痛に苛まれ、と思えば激しい便意と吐気が沸き起こり、トイレに直行、大惨事。30分の格闘の末、体の水分という水分が全て排出されてしまいました。
大変だったのはその後です。一難去ってまた一難、今度は身凍えするほどの寒気が襲ってきたのです。それは布団で2重3重にくるんでも震えが止まらない程。ダンゴムシのように体を丸めながら何とか朝を迎えるも、その日はスーパーニュースのスポーツコーナー担当。会社に行かなければなりません。熱は40℃を超え、歩くのもままならない状態でした。が、新人が休むわけにもいかず、休日の金澤先輩に助けを求めるわけにもいかず。肌着に長袖Tシャツ、その上にYシャツ、セーター、ジャケット、コートとフル装備で向かいました。それでも芯からくる寒気。会社でもガタガタと震え、ふらふらで、もう気迫だけでニュースをお伝えしました。あとで見返してみたら、顔はトイレとの格闘でやせ細り土色、睡眠不足と熱で目は虚ろ、明らかに病人、スポーティのかけらもありませんでした。アナウンサーとして失格です。さらにオンエアー後の反省会ではとうとう体力が底をついて眠りに落ちてしまい、大目玉を食らうという始末。今でも思い出したくない醜態、散々な寒い日の仕事です。ちなみに、治った頃に私のデスクの後ろに座っていた先輩が、腹が痛いと言い出しました。この場を借りて謝罪します。原因は多分私です。
皆様も寒さのみならず、ウィルスにもご用心を。
お次は原アナです。きっと寒い日の話をして下さると思います。