2011年 秋 2011/10/13 先日、ご年配の女性の方からお手紙を頂戴しました。手紙の末尾には、「あらあらかしこ」と。初めて拝見しました。女性の手紙の末尾に用いる語。意をつくさず恐れ入る、また恐縮する意。ですが、何となく嬉しさというか、日本女性を感じることが出来ました。尚、弊社番組の「あらあらかしこ」は、毎週土曜日の午前10時40分からの放送です。さて、テーマは秋ですね。残暑から一気に秋へ…そんなこんなで、まだ朝晩の気温の低さのみでしか、秋を感じていないのです。でも、この「あらあらかしこ」も季語ではありませんが、何か秋を感じました。そうそう、さんまは食べました。何故か、お店で出るさんまの姿は、形がいいですね。焼き方が上手いのか?塩の付け具合がいいのか?値段が高いからか?旨かった!!!空腹の殿様が、何匹も食する訳です。今年も東京・目黒区で「目黒のさんま祭り」が開かれました。被災地の宮古から、気仙沼から、さんまが送られました。送る方も、主催する方も、一安心、良かったですね。先日仙台で開かれた柳家花緑さんの独演会、ここでも「目黒のさんま」で秋を感じました。殿様は、あの志村けんのバカ殿のキャラクターで演じた花緑さんも、旨かった!!!アナログテーマ「2011年 秋」は、これにてお仕舞いであります。
2011年 秋 寺田 早輪子 2011/10/12 仙台市青葉区。私の通勤路にはイチョウ並木があります。9月の終わり頃、早いもので黄色く色づいたイチョウの葉が、道端に落ちていました。台風の通過を境に、気温も、風も、ぐっと秋らしくなってきました。9月初めには「暑い!暑い!」と半袖姿で出歩いていたのがうそのように…。スーパーの野菜売り場にも「秋の味覚」が豊富に並んでいます。今年秋の初モノ。梨は茨城の「豊水」をいただきました。瑞々しく美味しかった。鹿児島の焼きたてホクホクの焼き芋は、包んでいた紙袋に蜜が染みるほど、甘かった。 季節は、夏から秋へ。着実に時間は進んでいるのだと感じます。猛暑対策に追われたこの夏の被災地。今度は、寒さへの備えをはじめなければなりません。 私の母が避難している先では、毛布はすでに配られたそうです。避難しているみなさんのところでは毛布や掛け布団は、十分にありますでしょうか? 大震災の発生直後は雪の降っていた宮城県。温かい寝具のほかにも、ストーブや、こたつ、窓の結露対策など、秋のうちに備えるべきことはたくさんあります。 「2011年 秋」ラストバッターは、浅見アナウンサーです!
2011年 秋 金澤 聡 2011/10/11 スポーツ界にとってはシーズン佳境の秋を迎えています。『東北の復興の光になる』と誓ったベガルタ仙台。手倉森監督は、垂れる稲穂をチームカラーのベガルタゴールドに例え、実りの秋にすると話しました。震災後リーグが再開すると、強い光彩を放ち快進撃を見せました。途中失速し光が薄れかけましたが、意地、執念で連勝。もの凄い粘り腰で「東北魂」を見せてくれています。時間があれば被災地を訪れて、物資を届けるのはもちろん、サッカーを通じて子供たちを勇気付けていたあの時期を考えると、今年の成績は「気持ち」や「絆」が後押しして生まれているような気がしてなりません。全員が走り、全員で攻撃して全員で守る。今季は堅い守備力を誇り、チームが迷ったら原点(守備)に帰る。拠り所があるサッカー、ブレないサッカーで結果を残しています。おそらくですが、技術や戦略以外に、精神的なところにも拠り所を置いて臨んでいるんだと思います。『東北の希望の光になる』監督、選手のコメントから必ずでる言葉。信は万物の基をなす。楽天野村名誉監督の言葉が、いま沁みています。次は寺田アナウンサーです。
2011年 秋 2011/10/07 秋は学園祭シーズンです。早稲田大学に通っていた頃は、早稲田祭という学園祭が行われていました。11月近くになると、もうそんな時期かと懐かしく思います。2日間で十数万人が集まる巨大な祭りに参加するサークルは、直前まで夜通し準備に熱を入れる盛り上がりよう。前段階で疲れてしまって、肝心の本番で体力が持たなくなることもしばしばですが、それが大学生のノリです。その前後した時期には、その年の東京六大学野球リーグの早慶戦が行われ、六大学野球の締めが飾られます。秋の冷たくなった風に吹かれながらも、早稲田大学校歌、慶應義塾塾歌を歌い合う光景が今では懐かしくなります。この早慶戦に向けて、早稲田の熱はヒートアップしていくわけです。それからは一旦、クールダウンがありますが、ラグビーの早明戦や箱根駅伝への充電期間としてエネルギーを蓄えます。秋から冬の寒い時期に、逆に熱くなるのが大学生の不思議なところ。卒業してから4年近く経ちますが、あの日の頃を思い出して、私も熱い気持ちで頑張っていきます。次は金澤さんです。
2011年 秋 稲垣 龍太郎 2011/10/06 今年の秋、仙台放送の一員として初めて、仙台放送まつりに参加しました。私は、勾当台公園の野外音楽堂ステージのMCをさせていただきました。予定通りに進まず、その場で対応しなければいけないこともありました。どうすればいいのか判断を迷ったこともあり、臨機応変に対応することの大切さを、身をもって学びました。出演者の皆さんにトークで助けられた部分も多々あり、もっとうまく言葉のやり取りをしたいと感じた2日間でした。ステージの司会を初めて担当させていただき、その場の雰囲気を肌で感じられたり、お客さんの反応がその場でリアルに伝わってくるのは、とても新鮮でした。前説でお客さんと直にやり取りできるのも、普段と違って、楽しかったです。テレビの向こう側にいる視聴者の皆さんの反応を直接見ることができました。拙い司会ではありましたが、最後までお付き合いいただいた皆様、どうもありがとうございました。2011年秋は、実り多い秋となりました。次は、広瀬アナウンサーです。
2011年 秋 佐藤 拓雄 2011/10/05 写真は、先月上旬の南三陸町歌津地区で見つけた、ナスです。「ともに」の先月の放送でもご紹介しましたが、自分でも写真を撮っておきました。場所は、JR歌津駅の近く、津波で全てを流されたところです。(歌津駅は高台にありますが、その線路さえも流され、復旧のメドはまったく立っていません。)ナスの後ろに見える建物は、津波の被害を受け、コンクリートの外側だけがかろうじて残った状態です。がれきが撤去されて、更地になったこの場所で、コンクリートとがれきのわずかな隙間に根を張っていました。長さおよそ15cm、丸々と大きな実で、いかにもおいしそうに見えました。ちょっと前に、コンクリートの隙間から出た大根が、「ど根性大根」などと言って話題になりましたが、これは、言ってみれば、「ど根性ナス」です。もともと生えていたものが、家や線路が流されるほどの津波に耐えたということはないでしょうし、こんな場所に誰かが植えたとも考えにくい。とすると、種か何かが流れてきて芽を出したのか、苗が流れてきて根付いたのか・・・それにしても、すごい生命力。自然はすごいですね。驚きました。4月に、名取市閖上で、津波で根元から折れた桜が花を咲かせた話題も放送したのですが、そのときは、生命の力強さを感じる一方で、大地震と大津波という自然の怖さ、それに対する人間の無力さを感じさせられた直後だっただけに、複雑な心境でした。一方、このナスに関しては、単純に生命の力強さを感じられ、やはり半年という時間で私自身の心境も変化してきているのだな、とも改めて思いました。ともかく、被災地に、ひっそりと、しかし力強く実をつけていた、ど根性ナス。「秋茄子は嫁に食わすな」という言葉がありますが、このナスだけは、誰にも食べさせられないなあ、などと思いつつ、現地を後にしました。明日は、10月で入社丸半年を過ぎた、新人・稲垣アナウンサーです。
2011年 秋 林 佳緒里 2011/10/04 残暑が厳しかった9月でしたが、朝晩冷え込むようになり、秋本番になってきました。秋の味覚も店頭にたくさん並び始めました。「サンマ」に「ナシ」に「カキ」に「キノコ」にと・・・。中でも私が大好きな秋の味覚は「はらこ飯」です。でも今年の秋は、あの場所の「はらこ飯」は食べられません。私が「はらこ飯」を知るきっかけになったのは、以前弊社で放送していた全国大会への切符をかけた高校生の駅伝大会の取材でした。その舞台は亘理町。亘理町といえば、「はらこ飯」ですよね。駅伝の取材をしながら、昼食に必ずと言っていいほど、担当アナウンサーみんなで食べに行っていたのが、同じ町内にある寿司屋さんの「はらこ飯」でした。それ以降すっかり私は、「はらこ飯」のとりこになり・・・。サケとイクラの親子ペアが醸し出す絶妙な味わい。キラキラと光るイクラ。しっかり煮て味付けされているサケ。もともとイクラ好きな私には、これ以上ない贅沢な食べ物なのです。でも今年は、そのときのお店の「はらこ飯」が食べられません。震災で被害をうけてしまいました。現在は、仙台市内のデパートの一角を借りて、お店の味をだしていますが、またいつか、秋にあの場所で、あの味をいただきたいなと思っています。明日は、拓雄さんです。
2011年 秋 梅島 三環子 2011/10/03 この秋、「ビール初仕込み」の取材に行きました。場所は、仙台港に程近く、震災直後は壊滅状態になったという工場です。構内にはビールの缶や瓶ケースが散らばり、高さ20メートルほどのビール貯蔵タンクも倒壊するという状況。流された車が散乱し、安全が確認できないことから従業員は震災からおよそ1ヶ月間立ち入り禁止の状態が続いたといいます。その後、連日続いた手作業でのガレキ撤去…工場機能の復旧を経て、先日の仕込み再開でした。半年振りのビール製造。「ようやく」と周囲の声がある一方、工場長は「こんなに早くできるとは…」と感慨深げでした。確かに待つ身としては長く感じる半年も、直後の状況をしっていれば、復旧への苦労を感じていたら…。とてもあっという間の半年だったかもしれません。工場長が、「作れる幸せを感じた」とも話した今回の仕込み。その出来は、例年とは違ったものとなりそうです。次は、林アナです。
2011年 秋 柳沢 剛 2011/09/30 涼しくなってきました。秋ですね~丹精込めて育てたものが実を結ぶ「実りの秋」です…。例年5月5日にKスタで開会式が行われてきた、県内最大の少年野球の大会=「ジャンボ大会」。今年は、震災で関係者も多数亡くなり、海沿いの球場が流されたうえ、内陸の球場もガレキ置き場になり、何より「こんな時に、野球どころじゃない!」という意見と空気が大勢を占め、中止がほぼ決まっていました。当然と言えば当然の措置だったのかもしれません。しかし、海沿いのあるチームの監督から、本部に1本の電話があったそうです。「家も何もかも流されてしまったが、俺たちは生きている。野球道具もユニフォームも無いけど、ジャンボ大会はやってくれ!子供たちが楽しみにしている…子供達は野球をやりたがっている!」という内容のものだったそうです。この話を聞き…何とかならないものか…?ある人は、道具集めを始めました。ある人はグランドの確保を…そして、全国からたくさんの道具が送られてきました。(写真)私も、集められた野球道具を海沿いのチームに配るお手伝いをさせていただきました。たくさんの方々の協力&尽力により、ついに、8月16日 3カ月遅れで、Kスタで「ジャンボ大会」の開会式が行われることになりました。真夏の太陽の下、前年度優勝の「大街道キッズ」を先頭に、289チームが入場。石巻の「稲井マックス」は、津波で亡くなった監督の遺影を持っての入場行進。実に堂々とした行進で、見事行進賞をとりました。5年前の優勝チーム、「荒浜ビッグウェーブ」はぎりぎりの人数でした。キャプテンは他の小学校に通いながらも、「自分はこのチームのキャプテンだから、自分が戻らなければこのチームはなくなってしまう、皆が戻れる所を無をなくしたくない…」と、今通っている小学校のチームではなく、ビッグウェーブを率いての入場行進! 凛とした強さを感じました。今年のジャンボ大会には、各チームに、それぞれのドラマと思いがありました。そんな今年の大会も、いよいよ大詰め。明後日10月2日に「準決勝&決勝」が行われます。たかが少年野球、されど野球!子供達から多くのことを教えてもらった2011年実りの秋です。さー続いては 梅島アナです!
2011年 秋 飯田 菜奈 2011/09/29 9月も明日で終わりですね。10月に入ると、いよいよ2011年も大詰めのような気がしてしまいます。さて、今日からのテーマは「2011年 秋」です。先週末あたりから、朝晩の気温がぐんと低くなり、”寒い”と感じるほどになりましたね。(寒がりの私だけでしょうか?笑)朝晩と日中の気温差が大きいので、帰りが遅くなる際は上着を一枚持っていくことを、寝冷えなどしないよう、気をつけてくださいね。先週末、仙台市の勾当台公園で仙台放送まつりを開催しました。毎年9月の最終末の土日に開催することが恒例となっていますので、まつりが終わると「季節は秋なんだな~」ということを感じます。仙台放送まつりから”ブーツ”を履き始める…ということも私の中で恒例となっています(笑)去年は総合司会を担当し、一番最後に私はこう言いました。「また来年、この会場でお会いしましょう!」と。今年は震災の影響で、まつり自体の開催が危ぶまれていた時期もありました。もしかしたら、その言葉通りにいかなかったのかも…と考えるとゾッとします。なので、無事に2日間開催することができた嬉しさは、格別です。今年は、去年、一昨年を上回る80,500人の方が会場にきてくださいました。ライブステージやアトラクションブース、飲食店など、どこかで、何かで、一瞬でも今年のテーマであった“笑顔”になってもらえていたら嬉しいです。私も、アーティストやゲストの方々のパフォーマンスをステージ袖で見ていて、本当にパワーをもらいました。みなさんのエネルギーが、例年の何倍もあったように思います。会場に来てくださった皆さん、ステージを盛り上げてくれた皆さん、出展してくださった皆さん、本当にありがとうございました!!また来年、まつり会場でお会いできることを楽しみにしています。次回は、柳沢アナウンス部長です。