アナ・ログ ~アナウンサーリレーエッセイ~

ともに(1)

2012/02/29
私は去年の11月から沿岸部の幼稚園や保育施設を回って、食育イベントを行っています。
これまでに6箇所を回った中には、実際に1回フロアが津波に浸かってしまって、震災直後は園児達が2階で一晩を過ごさざるを得なかった施設もありました。

そんな怖い思いをした子供たちと少しでも楽しい時間を過ごせたらと思っての活動では紙芝居を読んだり、マルモリダンスなどを、フジテレビの女性アナウンサー達と一緒に踊ります。

どの施設でも、子供たちは元気一杯。毎回もみくちゃにされながら元気をもらっています。
これからもそんな子供たちの笑顔と触れ合えたらと思います。

ともに(1)

2012/02/28
季節は巡り、弥生3月が目の前です。
三寒四温を繰り返し、春へとむかう季節ですが…
昨年とは違う3月です。
会いたくても、もう会えない人が沢山いて…
二度と見られなくなってしまった風景も沢山あり…
仙台で迎える26回目の春は、今までとは全く違う感覚で迎えることになりそうです…。

最近、いろいろな事を考えます。
「ともに歩む」と言うことは…
地域による温度差ともに
個人による温度差
当たり前のことではありますが100人集まれば、100人の考え方があります。
それぞれの町の復興計画・意見交換会では、実に様々な意見が出ます。それぞれの置かれた立場と環境が違うので、当たり前と言えば当たり前なのですが…。

「大きなことをやるためには多少の犠牲はやもうえない」という流れにどうしてもなりがちです…
「一人ひとりの思いを積み上げたうえでの大きなこと」と言う発想では進まないのか…?
それでは時間がかかり過ぎるのか?
では、どの様にフォローすれば良いのか?していくのか…?
14市町の様々の地区でいろいろな意見が飛び交っているようです。

「ともに希望を!」 そう願ってやみません。

間もなく誕生する命。
そして4月には、夢を持ち希望にあふれた新入社員も入ってきます。
目の前で起こる、辛く苦しい全ての事象は
「その人を、強く、優しく、しなやかにしていくための鍛錬の場…」
そう信じて頑張ってもらいたいものです。
「諦めない、しらけない。一歩づつコツコツと!」

全ての事に通じることなのかもしれませんね。

さー次は、広瀬アナです。

ともに(1)

2012/02/27
いよいよです。
出産予定日は来週です!

今、入院する時に持っていく荷物を整理しているところです。
母子手帳に、自分のパジャマに、必要書類…、そして、赤ちゃんの肌着、退院する時のお洋服も…。
いろいろあるなー。

妊娠して初めて知ったことがたくさんあります。
赤ちゃんの洋服の「呼び名」、「種類の多さ」。

短肌着、コンビ肌着、ベビードレス、カバーオール、おくるみ…。
「『スタイ』って、何?」「『ミトン』はいつから付けさせるの?」

???だらけの私の元に、先日、うれしいプレゼントが届きました。

東日本大震災の時、石巻に、里帰り出産のため帰省していて被災した先輩ママからのプレゼント。
彼女は、震災の3日後に男の子を出産。昨年末、私は彼女にインタビュー取材をしていました。

その彼女が、赤ちゃんが新生児の時に着ていたお洋服や抱っこ紐、粉ミルクなどを送ってくださったのです!!

我が子は震災からちょうど一年後の3月に誕生予定です。
「一年先輩のお兄ちゃん」からのプレゼント。本当に、心が温かくなりました。ありがとうございました!

初めての出産で、不安はつきませんが、かわいらしいプレゼントに、「一人で出産に立ち向かうんじゃないんだ!」と強く感じることができました。

彼女は、「震災直後、被災した町での出産になったけれど、たくさんの人に支えられて…、何よりお腹の中の子がいたから、強くなれた」と話していました。

分娩で苦しいのはお母さんばかりでなく、赤ちゃんも狭い産道を痛みに耐えながら生まれてくるといいます。
赤ちゃんとともに、そして、支えてくださる皆さんと、初めての分娩…、がんばります!!

「アナログ」。続いては、柳沢アナウンサーです!

ともに(1)

2012/02/24
これを書いているのは、2月12日です。震災から11ヶ月が経ちました。
沖縄の久米島にいます。楽天キャンプ取材をしています。
久米島の綺麗な海を眺めていると、とても複雑な思いになります。
1年前に三陸を襲った海と同じ海とは思えません。

毎朝、楽天の投手陣は、久米島の海に向って今シーズンの目標を大声で叫びます。
一日に一人から二人ずつ順番で、この儀式は行われます。
この日の朝は、昨シーズン沢村賞を獲得した田中将大投手でした。
昨年は早朝に『沢村賞を取ります!』と宣言し、まさに有言実行となりました。
そして、今年。

『震災復興元年であり、東北のみなさんに明るい話題をたくさん届けられようにチーム一丸となって戦いましょう』

球界を代表するエースとなった今、被災地とともに戦う決意を叫びました。
2年連続で沢村賞を獲得できる権利を持っているのは、田中投手一人。
今年もマウンドで気迫の雄たけびを上げ、勝利という明るい話題を届けてくれるでしょう。
その先にある高みを目指すシーズンにともに応援していきたいと思っています。

次は寺田アナウンサーです。

ともに(1)

2012/02/23
先日11日に開かれた「震災復興支援 東芝チャリティーコンサート~人と、地球の、明日のために~」のMCを担当しました。

東芝グループが復興支援の一環として開催したコンサートです。
音楽で満たされた時間を過ごして欲しい、そんな想いで、東北に住む方々が招待されました。
世界で活躍されているバイオリニストの神尾真由子さんなどが今回のコンサートに賛同して頂き、実現したものです。
終演後のお客さんの表情をみると、その想いは十分に伝わったようです。


また会場には、県内の沿岸部にある高校の吹奏楽部の高校生も招待されました。事前に各校に「震災を超えて感じた音楽を想い」を聞き、会場で紹介しましたので、このアナログでも高校生の想いをお伝えしましょう。

石巻高校
「震災時に避難所になっていた私の学校に自衛隊の方々が演奏に来て下さいました。トロンボーンのパフォーマンスが格好良く、曲を吹くだけでなく、それ以上のものがあるのだと思いました。人を感動させる音楽ほど素晴らしいものはなく、私も人の心を動かす演奏がしたいです。」

塩釜高校
「被災した部員も多い中、地元の復興のためにチャリティーコンサートを企画し、実行しました。私たちの演奏を聴いて涙を流すお客様を見て、音楽で人を勇気づけることができるんだと身を持って実感しました。
人に笑顔や勇気を与えられる音楽を目指して、現在も活動しています。」

名取北高校
「震災のため、定期演奏会が開催できませんでした。しかし、復興の意味を込めた他県との合同演奏会を行いました。最初は硬かった表情も音楽が進むにつれて徐々に笑顔になっていく方々を見て、音楽の偉大さを実感しました。」


開演前から、音楽を通した「出会い」や
「つながり」の大切さ、音楽の力を、高校生の言葉から感じさせてくれました。


あすは、金澤アナウンサーです。




ともに(1)

2012/02/22
去年4月から担当している番組「ともに」は、気がつけば、今月で11回放送しました。
一年の月日があっという間に流れた、というのが実感です。
でも、被災地は、月日だけが流れ、復興のスピードは、その月日に見あっただけのものには、残念ながらなっていません。

番組の中で、継続してお伝えしてきた、南三陸町歌津。
私は、毎回ここを訪れ、そのたび、高台の歌津駅から中心部の風景を見ることにしてきました。
写真は、その歌津駅から見た歌津の中心部。上が去年9月5日、下が今年2月8日です。
夏と冬で、草の色が違うくらいで、ほとんど変化がないように見えませんか?
がれきが撤去されてから半年近く経っているのですが、何もない、荒涼とした景色が、続いているのです。

番組「ともに」は、おかげさまで、回を重ねるごとに、放送してくださる他地域の局が増えてきました。
関西テレビ(関西地区)、東海テレビ(東海地区)、岡山放送(岡山、香川)、テレビ熊本、テレビ静岡。
そして、こうした県外の方々からの温かいメールが番組宛に届いています。
深夜に放送してくださっているところが多いようですが、送信時刻を見ると、真夜中の、番組を見てすぐに送ってくださったと思われるものも少なくなく、離れていても、そのお気持ちが強く伝わってきます。

時間が経つにつれ、私たち被災地と、そうでない地域との「温度差」は広がっていきますが、その一方で、遠くからこちらを思ってくださる方々もいる。「ともに」復興を願ってくださる方々がいる。
被災地から外へ発信すると同時に、こうした「ともに」を被災地に伝えていくことも、私たちの役割なのだ、ということをこのところ感じています。

次は、浅見アナウンサーの「ともに」です。

ともに(1)

2012/02/21
先日、山口県に住む友人が宮城に遊びに来てくれました。大学時代のサークル仲間、今では新聞記者の仕事をしています。
大学卒業後、すぐに結婚し、今や一児のパパ。年末年始休の長期休みがやっと取れた!ということで、家族三人ではるばる山口県から来てくれました。

宮城に来た一番の目的は、あるご夫婦に会うためだとか。というのも、震災後、去年の5月上旬でしたでしょうか、取材の応援で山口県から派遣され、数週間、宮城に滞在していました。

仙台市内の宿に泊まり、連日、車を運転し、石巻を中心に被害の大きかった場所に取材に行っていました。そんな中で出会い、親しくなったご夫婦との約束。

「また、会いに来ます。今度は家族を連れて…。」

まだ1歳にならない男の子を連れて、再び宮城に来てくれました。レンタカーを借りて石巻に向かい、無事に再会できたそうです。

そんな石巻帰りの3人と、立ち話程度になってしまいましたが私も仕事の合間をぬって会うことができました。

「休みが終わったら、来週からはまた激務だ~」と嘆く彼。貴重な休みを使って、わざわざ来てくれたことが嬉しかったです。一人でも多くの方が宮城に足を運んでくれることを願っています。

そして、震災を通じて生まれた“出会い”がいつまでも、大切なものとして続きますように…。

明日は佐藤拓雄アナウンサーです。

ともに(1)

2012/02/20
先週土曜日、
石巻市に市内初となる「カキ小屋」がオープンしました。
店内で販売されるのは、
全て震災を乗り越え大きく育った湾内のカキです。
今年は本当に出来が良く、サイズが大きく味も良好!
私も、オープンに先立ち行われた関係者向けの内覧会のとき
味わわせていただきました。

はい、「最高」です☆

このカキ小屋、何故今回のテーマで書いたのかといいますと
福岡市漁協唐泊支所と県漁協石巻湾支所、
そして仙台市内でカキ復興支援PJを行う民間企業が
「ともに」手をとり、立ち上げたものだからです。
県内のカキは震災前には到底及びませんが、少しずつ生産を再開しています。
しかし、原発の風評被害や生産の安定が見込めないことから
全国からの引き合いが減っているのです。
「作ったのに、作れたのに、売れない。」
震災を乗り越えた生産者にとって、
こんなにさびしいことはありません。
このカキ小屋を契機に、石巻のそして県内のカキ出荷量を増やしたいと、関係者は意気込んでいます。
私もカキ好きですし、どんどん県内のカキを食していきたいと思います(笑)

因みに、カキ小屋は匂いはつかないのですが
炭焼きのため灰が服につくことがあります。
払えば取れますが、皆様もカキ小屋ルック(?)で行くことをオススメします。

写真は店長の阿部年巳さんと。
カキ剥きのコツも丁寧に教えてくれますよ。
明日は、ななちゃんです。

ともに(1)

2012/02/17
あの東日本大震災から、まもなく1年が経とうとしています。
震災とほぼ同時に宮城県にやってきた私にとって、
震災前の宮城県の光景というのは、ごく一部しか知りません。

3年前、お金もない、免許もない真夏の学生時代にクロスバイク(スポーツタイプの自転車)で駆け抜けた、多賀城、塩釜、松島・・・。
野蒜まで行こうとしたものの、太ももがパンパンで、途中で日没になり、
結局、東名駅でクロスバイクを袋にしまい、電車で仙台まで折り返しました。

2年前、仙台放送を受験する前日に宮城を訪れた際には、気仙沼に行きました。
自転車を現地でレンタルし、冬の気仙沼を走りました。
ちょうど3月ですから、震災の1年前です。
昔ながらの情緒溢れるお店でフカヒレラーメンを初めて食べました。

主に震災後の宮城県しか知らない私ですが、
あの日、かつて行ったことのある場所が
これまで見たことのない光景になっていくことが信じられませんでした。
1度行ったことある私がそう思うのですから、
宮城にずっと住んでいらっしゃる皆さんのお気持ちを考えると計り知れません。

先日、大阪の実家に帰省することがありました。
「もしも、生まれ育った故郷が、この懐かしい見慣れた光景がなくなってしまったら」と、ふと考えると、喪失感でいっぱいになってしまいました。
宮城在住1年の私ですが、
そういう思いを、それ以上の思いをされている方がたくさんいらっしゃることを
改めて認識して、日々過ごしていかなければならないと思いました。

次は梅島さんです。

ともに(1)

2012/02/16
今日から、新しいテーマ「ともに」です。
アナウンサー1人1人が、3回ずつ「ともに」をテーマにアナログを書きます。

まず私にとって、1つ目の「ともに」です。
去年4月から、拓雄さんと、東日本大震災特別企画「ともに」という番組を担当しています。被災された方々の復興への道のりをともに歩んでいき、その様子をお伝えしていこうという番組です。
番組を始めてもうすぐ1年、東日本大震災が発生してまもなく1年ということになります。

この1年間、被災された方にお話を伺う機会を何度となくいただきました。番組も開始当初は、その被災状況をお伝えすることが主でしたが、月日を追うごとに、復興への兆しが見えてくるようになってきました。

とはいえ、番組を作っていく中で、必ず心に留めておくことがあります。それは、決して皆さんが同じ状況にはないということです。復興にむけて順調に動きがあるところもあれば、なかなか進まないところもある。前向きな気持ちで進めるようになった方もいれば、そうでない方もいらっしゃるということです。
この差は、月日が経つごとに大きくなっているような気もします。

一方、これだけは共通といえるものもあります。状況が違っても「ともに歩んでいこう」という気持ちです。
復興への道のりには「ともに」という気持ちが不可欠です。どの被災地に伺っても、このことを感じない場所はありませんでした。

「ともに」という言葉が持つ重み、これを教えられた1年でもありました。

私の「ともに I」は、ここまでです。
明日は、稲垣君の「ともに」です。