2014年「ともに」 佐藤 拓雄 2014/03/14 震災3年となった3月11日の夜、幼稚園児の次男(4歳)が、その日、幼稚園でお祈りをしたと話してくれました。キリスト教の幼稚園なので、次男は、園で毎日お祈りをしているようですが、3月11日は、「ひがしにほんだいしんさい」で犠牲になった方々や今も仮設住宅で暮らす方々のために、お祈りしたと言います。震災のあった3年前、次男は1歳でした。「大震災って覚えてる?」と聞いてみると、全く覚えていないとの返事。震災の直後は、しばらく地震を怖がっていましたが、記憶は残っていないようです。「先生は大震災のこと教えてくれたの?」「つなみがきたって」「そうだね・・・」震災のことを覚えていない年齢ですが、こうして少しずつ理解できるようになってきたようです。そんな子どもたちに、震災のことを伝えてくれている幼稚園に、保護者として感謝の気持ちです。小さな子どもたちは、震災の記憶はなくても、復興の道のりの中で希望の灯りになる大切な存在です。そして、その世代の子たちに震災のことを伝えていくことも、私たち大人の大事な役割だと改めて思いました。そして、この子たちの小さな祈りが届きますように、と心の中で願いました。このテーマは今回で終わりです。次のテーマのトップバッターは、「新人」と呼ばれるのもあとわずか、高谷アナウンサーです。
2014年「ともに」 稲垣 龍太郎 2014/03/13 先月、「あらあらかしこ」のメインMCを担当されていた牧野隆志さんがお亡くなりになりました。牧野さんと私は、番組で共演することは、ほとんどありませんでした。しかし、片手で数えるくらいの接する機会しかなかった私にも、牧野さんは、闘病中に「メッセージ」を残してくださいました。私が初めて牧野さんとお話したのは、一昨年の仙台放送まつり。放送はありませんでしたが、メインステージで行われたフィナーレでご一緒しました。フィナーレ前、ステージ脇の控室で待機していたところ、牧野さんと話が弾み、「稲垣くん、ニュースでは真面目そうな人やと思ってたけど、本当はおもろいねんな」と言っていただきました。フィナーレ本番では、「さっきの話、おもろいからやってみ!」と、予定にないのに話を振ってくださり、喋るチャンスをいただきました。ただ、私が勢いに乗りきれず、若干スベってしまい、さらには先輩から「ふざけすぎるな」と怒られてしまいました。牧野さんは、そのことを気にされていて、生前に書かれたメッセージには、このように記されていました。「あのときは、ごめんな。自分が楽しいと思うことをするには苦労もする。つらいこともあるし、しんどいこともある。でも、苦しいことも楽しいと思ってやれば、自然と楽しくなってくるから」宮城県は、東北は、まだ復興半ば。愛しい人を亡くした事実、悲しい記憶を忘れることはできません。絶対に消せない苦しみは、存在し続けます。ただ、私たちの未来をつくるための苦しみ、「これからどんな街・町をつくっていくのか」という苦しみ、実現したいことに伴う苦しみは、厳しくとも、楽しみへと変わる可能性のある苦しみなのではないかと思います。この先の人生に、光をあてるのは自分自身です。苦しみながらも自身の想いを実現し、最期を迎えるときには「生きてきて良かった」と思える人生を描けるよう私も、これからの時間を楽しみながら、苦しいことでも楽しいと思いながら、生きていきたいと思います。最後に、自身の死を悟りながら、ほんの少ししか関わりのなかった私にも、人生の教訓となるメッセージを残してくださった牧野隆志さんのご冥福を、心からお祈りいたします。次は、佐藤アナウンサーです。
2014年「ともに」 木下 瑠音 2014/03/12 今年1月から、前任の林アナウンサーから引き継ぎ、東日本大震災特別企画「ともに」のMCを担当しています。担当することが決まった時、100%前向きに「がんばろう!」という気持ちには、なれませんでした。震災を経験していない上に、宮城県出身でもない私が被災地の現状をお伝えして良いのかという疑問や迷い、不安があったからです。今は、そんな自分だからこそ伝えられるものはないか探しながら、復興に、生活に励むの皆さんの声を、気持ちを込めてお届けしようと思っています。どういう表情で、声のトーンで、リポートをすれば良いのか。どういう言葉を使い、どんな話を伺えば良いのか。まだまだ失敗だらけですが、これからも取材先での出会いを楽しみに、やっていこうと思います。月に1回、30分という番組。皆さんにそっと寄り添えるような、あたたかい番組になれば、と思っています。初回の放送をご覧下さった視聴者の方から「木下さんもこの番組と『ともに』成長していってほしい」という声を頂きました。ありがとうございます。私も、一歩一歩、前を向いて頑張ります!現在発売中のS-styleにも「ともに」を、取り上げていただきました。書店へ寄る機会がありましたら、ページをめくってみてください。震災の発生から3年が経ちました。被災地がこれまで以上の魅力的な街になりますように。(写真:昨日は、気仙沼から中継でした。完成目前のバッティングセンターです。夢や想いがたくさん詰まった場所。オープンが待ち遠しい。)つづいては、稲垣アナウンサーです。
2014年「ともに」 飯田 菜奈 2014/03/11 3年前の今日、3月11日。私は「夢メッセみやぎ」にいました。食のイベントを開催していて、1日に数回行われるステージの司会を担当していました。あの、立っていられないほどの激しい揺れがようやくおさまったか‥のタイミングで、「会場にいるお客さんと、出店者のみなさんに向けて館内放送を!!」と言われ、緊急時にのみ使われるという、館内放送用の受話器をわたされましたが、現実に起きていることが理解できず、何をしゃべっていいのか… 震える足でその場に立っているだけで、言葉が出てこなかったのを覚えています。結局、すでに電源が落ちていて、その受話器も全てのマイクも使えないようになっていたのですが…。それ以来、イベントや試写会など、司会を担当するときは、『もし、この場で地震が起きたら何とアナウンスをするべきか。安全な場所はどこか。自分は落ち着いて、避難誘導できるか』を考えるようになりました。もちろん、台本にも、万一、地震などが発生した場合は…というコメントも必ずと言っていいほど入るようになりましたが。普段の生活でも、「もし今日あのような大きな地震が起きたら……」そんな思いが一瞬よぎることが、たまにあります。日ごろの備えをしっかりしておこうと思います。明日は木下アナです。
2014年「ともに」 金澤 聡 2014/03/10 虹色に輝く夢が詰まった当時16歳の少年は、葛藤していた。「このまま続けていいのか。辞めるべきなのでは…」故郷宮城は先の見えない災禍に襲われ、少年の胸をえぐった。幼い時から通っていたスケートリンクも被災し、練習拠点を失った。実家も被災し、一時避難所生活を送った。しかし、少年は、立ち上がる。故郷の復興のため東北の光になろうと決断する。もう一度スケート靴を履いた。練習場所を失った少年は、アイスショーに参加することで技術を磨いた。募金活動をしながら各地を渡り歩き、60公演もこなした。被災地に勇気を届けたい。その想いを結実させるため、海外留学も決める。出来る限りの努力は全部行った。どんなに辛くても、血のにじむような努力を続けた。支えてくれた故郷の人に光を届けるために。ソチオリンピック。震災から3年。19歳になった青年は、世界一に挑んだ。青年にはライバルとの熾烈な最終決戦が待っていた。フリー前半、得意のジャンプでミスを犯すが、後半は立て直し見事に滑りきった。『諦めるな』 『絶対に諦めるな』そう訴えるような滑りだった。羽生結弦。男子フィギュア初の金メダル獲得。新たな歴史の幕を開いた。「金メダリストとして復興に携われることはある」世界一になって勇気を届けた東北の光は、これからもともに、故郷の復興に寄り添っていく存在だろう。故郷でも見えつつある震災の心の風化…羽生がもたらした金メダルは、失ってはいけない大事な何かを改めて教えてくれた。*写真は、羽生選手が金メダルを獲得した事を祝して、弊社電波塔「仙台スカイキャンドル」を金色に灯したときのものです。あいにくの雪模様と、自宅から携帯カメラで撮影したため、分かりにくい写真になっています。すいません。(2月15日撮影)次は飯田アナウンサーです。
2014年「ともに」 梅島 三環子 2014/03/07 震災発生からまもなく3年。あれから何が変わり、何が変わっていないのか。この季節になると、毎年考えさせられます。産休に入り、行動範囲が縮小されたこの1年…生活圏内である仙台市の中心部では震災の名残を感じることはほとんどありません。しかし、日々のテレビを見ているとたまたま自分がそう思える場所にいるだけなんだなと感じます。と同時に、決して自分の中で風化させてはいけないと。さて先日、高校時代の友だちに会う機会に恵まれました。新築した家に、早速災害に備えた食料や水を蓄えたとのこと。家族ができ、子供を持ち、改めて備蓄の重要性を感じているようです。「確かに小さい子供もいるし、備蓄はするにこしたことはないね」こんな会話をしていましたが、ふと思えば我が家に大した備蓄がないことを思い出しました。震災前は、ある程度の蓄えをしていましたが3月11日以降、次の災害のことなど頭から消え去り考えていなかったなと。自身の防災意識の低さを反省しつつ、改めて災害に対する危機意識を大切にしようと思う2014年です。今回の写真は、ホタテ貝焼き。海の復興と恵みを感じます。次は、金澤アナウンサーです。
2014年「ともに」 寺田 早輪子 2014/03/06 「背がどんどん伸びて…、今、身長は163cmあります!」3年ぶりに会った少女は、私と背の高さを比べながら、そう微笑みました。彼女と初めて会ったのは、3年前の東日本大震災直後の女川町。避難所でのインタビューがきっかけでした。その時、彼女は小学5年生。私の肩の高さより背が低く、ランドセルを背負っていた少女は、今、私よりちょっぴり背が高くなっていました。久しぶりにあった彼女は、こう話していました。「震災直後は、がれきの山になった街を見るのがつらかった。今はがれきは片付いたけれど、更地が広がり、震災前とすっかり風景が変わってしまった街を見るのもつらい。」と。それでも、中学生になり、少し「大人の視点」から、故郷・女川の将来を見つめられるようにもなっていました。「私と同じような思いを、未来の女川の人たちにはしてほしくないから、『東日本大震災でどんな被害が出たか』を伝えていきたい」。子供たちの成長をみると、『3年』という月日の重みをひしひしと感じます。ぐんぐん成長する子供たちのように、被災地の復興も進んでいくことを、心から願います。☆南三陸町志津川での取材。南三陸さんさん商店街で、「オクトパス君」を購入。かわいい~!「アナ・ログ」、続いては…、そろそろ職場復帰ですね!梅島アナウンサーです!
2014年「ともに」 高谷 恵倫 2014/03/05 宮城に住んで、1年。被災地の取材をさせて頂くことが何度かありました。先日、震災で孤立したお年寄りを無くそうと活動している人達を取材しました。震災で自宅や家族を失い孤立したお年寄りの話を聞くと、声を掛けて参加を呼び掛けるようになったそうです。参加している方の中には、被災直後は何もする気が起きず参加することを悩んだという人もいました。それでも、今はとても元気で明るくて、とても楽しそうに皆さん一緒に作業をしています。皆さん口を揃えて、「楽しい」、「ここに来ることが生きがい」だと言っていました。この光景を見た私は、「この活動がずっと続けばよいな。」と安易に考えてしまいましたが、団体の代表の方は「私達は孤立を無くすために、この活動を行っています。だから、ゴールはこの活動をしなくても良くなることなのです。」というようなことを話していました。この活動で助かっている人たちは沢山いると思います。でも、根本的解決には更に前に進まなければいけないということを感じました。また、宮城県に来てすぐの頃に聞いた「宮城には、まだ、震災の中の人も居る。」という話を思い出しました。私にはまだまだ知らなければいけないことが沢山あります。もっと宮城に寄り添って、自分に出来ることを一生懸命やっていこうと思います。写真は、この時期、私の実家で毎年見られる光景です。手前から祖母、母、そして私とそれぞれのひな人形です。
2014年「ともに」 2014/03/04 Jリーグが開幕しました。そしてプロ野球もオープン戦が始まり開幕間近です。今年の宮城県のチームは共に変革の年です。ベガルタ仙台は6年間指揮を執った手倉森誠監督から、オーストラリア代表監督を務めたことがあるグラハム・アーノルド監督に替わりました。戦術などが変わって、新チームとして生まれ変わることになります。開幕戦は黒星スタートでしたが、監督会見も今までと違った、取材する側も新鮮な思いでした。どんなシーズンを戦うのか楽しみです。そして楽天は田中将大投手が移籍して、新たに松井裕樹投手が入団しました。エースの退団で、今まで追いかけていた大きな背中がなくなって心にポッカリと穴が開いた感じもしますが、18歳の松井投手の横を歩く時は入学式に向かう気持ちと似た思いになりました。ここまでの実戦登板では、高卒ルーキーとは思えない堂々たるマウンドさばきを見せてくれています。将来、どんなピッチャーに成長するのか、想像するだけでワクワクします。昨シーズンで節目を迎えた両チーム。2014年シーズンは新時代のスタートの年。共に一歩踏み出し、歩んでまいりましょう。次はスポーツアナとして奮闘中の高谷さんです。
2014年「ともに」 2014/03/03 去年12月から始まった復興庁主催の「心の健康サポートセミナー」が先日終わりました。宮城県内4か所、岩手県内4か所を回っての講演会でした。被災者の心のケアをサポートすることが目的です。講師は、日本医科大学特任教授の海原純子さんが中心となりました。少々縁があり、微力ながらセミナーのお手伝いをしておりました。それぞれの悩みを抱えている被災者の皆さんの役に立てばという気持ちです。首を回すだけでも、また背伸びするだけでも、気持ちが違ってくる!そんな講義もありましたし、ものの考え方でも、一面だけ考えるのなく、ほかの二面、三面も考えられるのでは!そんな話も聞かれました。震災から3年、悩みも、ストレスも、時間ともに変わってきている現状もあるようです。会場には、ボランティア活動をなさっている方も見えておりました。ボランティアをなさっている方にも、震災直後とはまた違った悩みも抱えいるといいます。海原先生には、末長い被災地支援を改めてお願いしてきました。
2014年「ともに」 柳沢 剛 2014/02/28 東日本大震災の発生から、まもなく3年が経とうとしています。震災での宮城県の死者は1万人余り、行方不明の方はいまだに1200人余りも…。最近、ふとした時…あの時の事を思い出します。張り詰めたり、緩んだりする、あの時と同じような、この季節の空気感がそうさせるのでしょうか?震災直後、上空から見たあの光景。流された家屋…。燃える海…。脱線した列車…。信号の消えた、真っ暗な国道。真っ暗で寒い部屋。ガソリンを携行缶から入れたあの時の匂い。食料を送ってくれた友人。様々な事が…ふとした時に、頭をよぎります…。仙台放送では、震災から丸3年となる、3月11日(火)に報道特番を。「ともに」は3月15日(土)。「ともに希望を!スペシャル」を3月8日(土)に放送します。その他にも、それぞれの番組や、ニュースの企画等で、様々な切り口から、現状と、今後の課題等々をお伝えしてまいります。100人いれば100人の思い・考えがあります。賛成できる事もあれば、出来ない事もある…。様々な思いを、より多角的に紹介し…皆さんに考えて頂ければ…と思っています。よろしくお願い致します。明日は浅見アナウンサーです。
2014年「ともに」 2014/02/27 今日から新しいテーマ「2014年ともに」です。去年アナログで「2013年ともに」を書いてから1年が経つのですね。年明けに、南三陸町で語り部をする女子高校生を取材しました。彼女は被災したときに中学1年生。ずっと町のために何かをしたいと思い続けていた彼女は、高校に入学してからすぐ、語り部の活動を始めました。取材してみて、彼女のパワフルさに驚かされました。バレー部に所属していてほぼ毎日部活動をしながら、語り部の活動と、さらに、志津川のお祭り「トコヤッサイ」を去年復活させ、今年もお祭り開催に向けてプロジェクトのリーダーとして毎日忙しく活動しています。彼女は将来、理学療法士になりたいという夢を持っていて、前は地元で働きたいという考えはなかったそうですが、今は絶対に地元が良い!と目を輝かせながら話してくれました。彼女の地元への思い、頑張りを伝えたい !! と思いながら原稿を書き上げました。ちゃんと伝えたいと思えば思うほど、頭の中でぐるぐる考えてしまい、時間がかかってしまいました。若い子たちの頑張っている姿というのは本当に心が動かされます。3月11日の震災特番でも語りべの思いを紹介します!今後も語りべの方々の思いを取材していきたいと思います。「2014年ともに」明日は柳沢アナウンサーです。