子ども時代のエピソード 金澤 聡 2020/05/11 外出自粛中に、子どもとガンダムのプラモデル、「ガンプラ」を作りました。機動戦士ガンダムの、まさにオリジナル『ガンダム』を作りました。昭和47年前後生まれの方は「ガンプラ」熱狂の渦中にいらしたのではないでしょうか。かく言う私も、店先に並んで購入したり、予約して1か月待って買うなどの行動をしていたガンプラに垂涎した小学生でした。あの当時は、あまり人気のないガンプラと超人気のガンプラを抱き合わせで買わせる商法が横行していましたが、欲しいガンプラが手に入るならと“抱き合わせ商法”で当たり前のようにお年玉を投入していました。「ガンプラ」に熱狂したのは小学4年生くらいからだったと思いますが、実は、アニメのガンダムがテレビ放映されていた時は、全く面白いとは思いませんでした。そもそもガンダムは、子どもたちが喜びそうな勧善懲悪のロボットアニメでなく、リアルに起こりえるような戦争のストーリーを描いていて、しかも相関図が複雑。さらに主人公が超ポジティブ思考の天真爛漫とは正反対で、暗くてオタク気質満載のネガティブ少年なのです。1話を見た瞬間、「なんじゃこりゃ」と思ったのを覚えています。転機になったのは、兄に映画館に連れられて劇場版「機動戦士ガンダム」を見てからです。それからは、映画ガンダムのLPレコードを買い集めたり、「ガンプラ」のジオラマを作って町の商店街のコンテストに出品したりと、小学生の青春をガンダムに注いでいました。そんな時代を回想しながら先日「ガンプラ」を作り上げ、立ち上がろうとした瞬間、ぎっくり腰になった昭和47年生まれの春です。テーマ「子ども時代のエピソード」は今回で終了です。次回からは「図書館にまつわる話」がテーマ。梅島アナウンサーからスタートです。
子ども時代のエピソード 飯田 菜奈 2020/05/08 GW中に、小学生の時から仲が良く、定期的に会って食事に出かけているメンバー4人で、リモート飲みをしました。2時間ぐらいで終わりにしよう!と話していたものの、気が付いたら、その2倍の4時間ぐらい喋っていました…画面越しにみんなで顔を見ながら話ができるのは、嬉しくて、楽しくて、こんなにも安心した気持ちになるのかと、感動しました。まぁ、女性4人が集まれば、「ねぇねぇ聞いてよ!」という近況報告が止まらず… 4時間でも時間が足りなかったので、続きは次回へ持ち越しとなりました。小学生の時を振り返ってみると、室内で遊ぶというよりは、外で遊ぶことのほうが多かったです。ホッピング、一輪車、ローラースケート、ローラーブレード、など、一通り、当時流行っていた遊びには挑戦しました。一輪車、何にもつかまらずに一人で乗ることができるようになった時は嬉しかったな~一番ハマったのはローラーブレードです。滑らかな道を、スイースイーと風を切りながら進むあの体感、気持ち良さは忘れられません!毎日、日が暮れるまで遊んでいました。そのおかげで、スケートも得意!?です。「さすがにもう遊ばないでしょ?処分して」と母に言われ、実家で保管していたローラーブレードをしぶしぶ処分したのはつい2、3年前の話。笑たくさん写真を撮ってから、別れを告げました…。思い出は心の中にしまって。話は変わりますが、YouTube動画を作りました。”【プロに聞いた】お手軽レシピを作ってみた”ということで、料理動画にチャレンジしています。とはいえ料理は素人です。笑 素人なりに、編集など頑張りました。仙台放送公式YouTubeからご覧いただけます。お暇なときに、気軽に見ていただけたら嬉しいです!ラストは、金澤アナです。
子ども時代のエピソード 寺田 早輪子 2020/05/07 階段の踊り場、そこは私のステージ。中学生の時、授業の合間の休み時間は学校の階段の踊り場で、コンサートを開いていました。当時、大好きだったWinkの歌を、振り付きで披露していました。相田翔子さんにそっくりの親友を誘い、一生懸命に練習したものです。観客は仲良しの女子、数人。たまに、上の階から降りてくる先輩男子に嘲笑されながらも、大好きな「淋しい熱帯魚」を熱唱していました。楽しかったなあ、本当に楽しかった。「学校は勉強だけするところではない」と、改めて思います。友達と触れ合って、楽しい思いを共有する時間が、やはり大事なのだと思います。新型コロナウイルス感染拡大が一日も早く収まって、子供たちが安心して学校に通える日が戻ってくることを、心から願います。☆写真は、息子のお絵かき♪アナ・ログ、続いては飯田アナウンサーです。
子ども時代のエピソード 下山 由城 2020/05/01 在宅が増え運動不足が顕著です。まぁ新型コロナ騒動の前から足りてはいないですけどね。ただ、外に出ない日があることを考えると計ってはいませんが歩数の減少は激しいでしょう。このアナ・ログも自宅で書いています。先ほどネットで購入したヨガマットが届きました。家での運動を増やそうという試みです。実行に移すところからまずがんばります。仙台でも学校が再開しない状況が続いています。子どもたちも外で遊べる機会が減るのはストレスだろうなぁと思います。(もちろん親も大変だと思いますが…)思い返せば、小学校時代の休み時間は校庭に出て全力で遊んでいました。給食を驚くようなスピードで食べて、校庭に出ていくタイプの少年でした。低学年の時はブランコとドッヂボールのブームが長かったですね。高学年のときはバスケットボールをやっていた記憶があります。漫画スラムダンクに載っていたレイアップシュートの「置いてくる」という感覚はこのとき習得したものです。中学時代の部活でたいそう役に立ちました。懐かしい。そういえば!仙台放送のYouTubeチャンネルで1つ動画をアップしました。最近増えた飲食店のテイクアウトを紹介する企画で、1回目は美味しい餃子を取り上げています!高橋アナと堤アナにも協力してもらいました。ぜひ時間あるときに見てみてください!リモート飲みを最近よくやるようになりました。なかなか会えない人たちとも会話ができてとても楽しいのですが…いつもより飲みすぎる気がします(笑) なおさら運動しないといけませんね。お次は寺田アナウンサーです!
子ども時代のエピソード 伊藤 瞳 2020/04/30 小学6年生のとき、サッカーの授業でリーダー達がドラフトでメンバーを選び、チームを決めるという企画がありました。怯えました笑 私は運動音痴で、サッカーが下手だったからです。案の定、私は最後まで選ばれず、仕方なくチームに組み込まれました。そんな私の役割がたまたまゴールキーパーになったある授業の日!対戦相手のチームには、学年の中でも一番強い男の子がいるではありませんか。笑 こわくて震えました。しかしそういうときこそ奇跡は起きるんですね。彼が蹴る渾身のボールを、私の足は無意識に蹴り飛ばしていました。わけもわからず跳ね返し、相手方の得点を0におさえることができたのです。ドラフト最下位でチームに入った私ですが、その日、つけられたあだ名は、「守護神 伊藤」そのあだ名は、結局その日限りの幻になってしまいましたが、私にとっては人生を振り返った時の一瞬の誇りです笑!アナウンサー人生でも奇跡を生み出せますように。写真は、数年前に運動施設でサッカーゲームをして蹴った瞬間の写真です。足が直角になってるところに注目です笑次は、スポーツニュース、実況でご活躍されている下山アナウンサーです。
子ども時代のエピソード 梅島 三環子 2020/04/28 子供の時は、苦手なものだらけで我慢も嫌いな娘でした。ろくでもない娘ですね。特に野菜と注射は大の苦手。野菜は、どんなに細かくしようが、味を付けようが口に入れた瞬間「オエッ…」となり、吐き出し、涙目になる始末。体が、全く受け付けません。見かねた親が、これでは給食は無理だろうとお弁当のある小学校を選び1時間以上かけて隣町まで毎日送っていました。正しい判断かはわかりませんが(笑)中高も毎日お弁当だったので、野菜とは無縁の生活。ポテトサラダには、芋とリンゴと卵しか入っていないような家でした。ただ注射は、逃れられません。学校で一斉に打っていた時代ですから、これは先生に大変な迷惑をかけました。1年生の最初の予防接種。出席番号で並んでいると、並んでいるうちからメソメソ泣きだし先生がつきっきりに。順番が来ても、火事場の馬鹿力とやらで先生たちの抑え込みから逃げようとします。そして、打ったとたんに学校中に響き渡るような大声で悲鳴を上げるのです。廊下で並んでいる次の子は大変な恐怖だったでしょう。インフルエンザも毎年学校で打った記憶があるので、6年生まで続いたんだと思います。最終的には、4人くらいの先生に抑え込まれ、逃げ出さないように保健室のドアを抑える先生までいた記憶があります。卒業したあと先生から「あんた注射の時間は人出がいるから、事前の申し送りがあった」と言われたことを覚えています。今、息子が注射で暴れても何も言えません…。今も注射は、かなり苦手。まぁ、我慢を覚えたので逃げはしませんが。写真は、取材途中に撮影したもの。今年はゆっくりサクラを見る当たり前すら、なくなってしまいました。次は、伊藤瞳さんです。
子ども時代のエピソード 牧 広大 2020/04/27 子供時代に食べられなかったものが大人になってから食べられるようになる、そんな経験をした方も多いと思います。昔は茄子が嫌いでした。なぜ嫌いだったのか、すべては覚えていませんが、笑見た目が不気味で、なおかつ味も好みではなく食べた当時に苦みを感じたからだと思います。子供の時はほとんど食べてこなかった茄子ですが、大学3年生の時、就職活動で訪れた大阪の天ぷら専門のお店で食べた茄子の天ぷらがあまりにもおいしく、それ以来、茄子を食べることを克服ばかりか、茄子料理にはまってしまいました。今でも自炊する際、なんでも茄子を入れてしまいます。麻婆豆腐に入れるのはもちろん、お味噌汁やお肉との炒め物、おかずに合いそうなものがあれば何でも加えてしまいます。一度ご飯とサラダ以外、すべてのメニューに茄子が入ってしまったこともありましたが子供時代を思い返すと考えられない食卓のメニューです。全国に緊急事態宣言が拡大されている中、おうち時間が増えて料理を作る機会も多くなりました。茄子料理にも磨きをかけつつ笑、早く日常が戻る日々を願って、この苦境を超えていきたいと思います。写真は以前ふるさと納税を使ってゲットした明太子。大人になって食べられるようになり、茄子に続いて大好きになったもののひとつです。つづいては梅島アナです!
子ども時代のエピソード 佐藤 拓雄 2020/04/24 状況の収束が見えない中、私たち仙台放送アナウンス部も、コロナ対応の勤務が続いています。なかなか気持ちが晴れない毎日ですが、ちょっとでも「上がる」ようにと、妻が、2013年の楽天イーグルス日本一の記念カップ【写真】に紅茶を入れてくれました。さて、皆さん、子ども時代を振り返って、ご自身の最初の記憶って何でしょうか。私は、これだ、というのが割とはっきりあります。と言いながら、何歳の時なのかは曖昧なのですが、家の前で遊んでいたところ、見知らぬ女性が笑顔で「あら、タクオちゃん、ひさしぶり~、おおきくなったわね~」と話しかけてきた、というものです。だれ?なぜボクのことを知っているのだろう?という疑問とともに、その時の光景が鮮明に記憶にあるのです。それと同時に、この時から、自分は「たくお」というんだ、と意識したというか、そういうことも記憶としてはっきりしています。とにかく、私の中に「ここが境目!」という感覚がはっきりしているのです。一方で、それ以前の記憶は何もないに等しく、これが、いわゆる「物心」がついた瞬間だと私は思っています。・・・と書いたのはいいのですが、なんだかどう書いても、この感覚を表現しきれていないなあ・・・これ伝わってますか?それにしても、なぜ、乳児幼児の頃の記憶は途中まで失われてしまうのか。不思議でなりません。私は、子ども時代、記憶力のよいほうだったのですが、それとこれとは関係ないということですよね。ちなみに、私に笑顔で話しかけてきた女性は、私の叔母でした。甥の私は、きっと叔母に対して相当怪訝な顔をしたことと思います。この話は、当の叔母にはしたことがありませんが、今さらながら、おばさん、すみません。・・・ここで謝っても伝わらないですね。次は、牧アナウンサーです。
子ども時代のエピソード 高橋 咲良 2020/04/23 「うんまぁ~~」という声が聞こえてきそうなこの写真(笑) 2歳の頃の私です(笑)誕生日に温泉宿に泊まった時の1枚みたいです。一体何を食べてこんな表情になったのか…(笑)さて、お題の「子ども時代のエピソード」前にもこのアナログにちらっと書いたのですが、子供時代のエピソードの中でも忘れられないエピソードなので、もう一回、より詳しく書かせてください。笑小学生の頃、スウェーデンに住んでいた頃の話です。小さい頃の私は、犬が怖くて、苦手でした。ある日小学校の近くを歩いていた時、前方からリードをつけずに散歩している、シェパードの子犬が現れました。私はもう、犬だー!と思って、咄嗟に走ってその場から逃げてしまったんです。これがだめでした。大人しくその場に立ち止まっていればよかったと、今ならわかるんですけど、もう怖くて咄嗟に逃げていたんです。そんな走り去った私を見て、犬は遊んでくれているんだ!と思ったのか、走って追いかけてきたんです。当時小学生、且つ犬が怖い私は、もうパニックです。いくら子犬とはいえ、シェパードがものすごいスピードで後ろから迫ってくる !!! つかまったら噛まれるかもしれない !!!300mくらい追いかけっこをしましたが、子犬のスピードと体力は凄まじく、このまま走っていても、いずれ捕まることは明らかでした。追い詰められた時、ふと思い出したんです。「校庭に氷がはってあるはずだ」と。スウェーデンでは、冬場にスケートの授業があって、そのため校庭に氷が張ってありました。命の危険を感じると、人って、頭の回転がものすごく早くなるんだなと…無我夢中で氷の張ってある校庭にとびこみました。すると私を追いかけてきたシェパードも氷の上にやってきて「つるーん」。「ああ、たすかった泣」と思いました。シェパードの子犬は、無事飼い主に引き取られて、帰っていきました…という忘れられない子供時代のエピソードです。しかし、この数年後、私は犬を飼うことになるのです…しかも2匹!黒パグのぽよともぐです。ぽよともぐを飼ってからは犬が大好き。あの頃は犬との接し方がわかっていなかったなぁと。今なら、子犬のシェパードとも仲良くできそうです。笑続いては佐藤アナウンサーです!
子ども時代のエピソード 堤 勇高 2020/04/22 暗いところは怖いのに、高いところやスリルのあることは大好きな子どもっていますよね。まさしく昔の私です。小学校低学年の時などは夜、リビングから寝室のある2階に上がるとき、怖さを吹き飛ばすために毎回歌いながら階段を上っていました。一方で遊具はできるだけ高いところに上るのが好きでしたし近くを流れる川では岩から岩へ飛び移って遊んでいました。しかしそんな堤少年も「スピード」だけは苦手でした。坂道などで自転車にスピードがついた状態がひどく怖かったのです。というのも、一度自転車で派手に転んだ経験が当時トラウマになっていました。どのように転んだのかというと……自転車に乗って家に帰る途中、突然雨が。家までは「飛ばせば5分」という場所だったので、濡れたくない一心でがむしゃらに自転車をこぎ、かなりのスピードを出していました。すると普段なら引っかかるはずがない、道路に面したコンクリートの壁に左ハンドルが引っかかり、大クラッシュ。私は体ごと前方へ放り出されました。バランスを崩していたわけでもないので、本当に突然体が浮いた感覚でした。さいわい命にかかわるようなけがはしませんでしたが、ひじや腰を打ったり、すりむいたりしてしまいました。特に腰は、ほぼダイレクトにアスファルトに打ち付けたこともあり、しばらく立ち上がれませんでした。その時の痛みや恐怖がトラウマとなり、自転車はもちろんのこと、スキーやスノーボードをしているときも、スピードが一定以上になると体がこわばり、思わずブレーキをかけるようになっていました。今は昔ほどの「スピード恐怖症」ではありませんが、恐怖症であるくらいが、事故防止にはちょうどいいのかもしれません。写真は先日取材させていただいた「こだまのどら焼」本店です。仙台市内の公立小中学校の入学式延期により、紅白餅を納品する予定だったこちらのお店も多大な影響を受けました。私が小学生の頃、紅白餅の入ったずっしりと重い箱を受け取ったとき、その特別感に胸が高鳴ったのを思い出します。今回、そんな何気なくも印象深い一幕すら奪っていったコロナウイルス。今は1日でも早い終息を願う毎日です。次は高橋アナウンサーです。
子ども時代のエピソード 西ノ入 菜月 2020/04/21 今日から新しいお題です 。5月5日は「子どもの日」ということで、今日から「子ども時代のエピソード」について語っていきますよ!今でこそ、初対面の方には「落ち着いているね」と言っていただくこともありますが、子どもの頃の私を考えると、そんな風に言っていただけるなんて夢のような話です。というのも、子どもの頃の私は超やんちゃで、超自由奔放だったからです。笑どれも幼稚園に入る前~幼稚園年中くらいまでの話ですが、母が私を連れて買い物に行くときは、私から目を離したら終わり。全速力で逃げ出して色々な売り場に一人で走っていってしまうので、買い物する8割の時間は私を追いかけていたとのことでした。笑この頃母は、私があまりにも落ち着きがなくて「子ザル」を産んでしまったのかと思ったと後から教えてくれました。笑人間です…笑また、私には2つ年上の兄がいるのですが、昔から兄のことが大好きで、ずっと兄のそばにいたそうです。そのため、私が幼稚園の年少で、兄が年長の時、椅子を持って年少クラスを抜け出し、兄が在籍する年長クラスに行って、兄の横で授業を受けていたというのです。笑そんな中、何があったのか、突然年長になってからは落ち着いたそうです。やんちゃし尽くしたのでしょうか…(*--)こんな破天荒な子どもを育ててくれた両親には心から感謝しています。皆はどんなエピソードがありますか?写真は、(おそらく)小学校低学年の頃の、親友との写真です(*^^)幼い!「ぴちぴちピッチ」という人魚のアニメにハマって、将来の夢が「人魚」だった頃でしょうか…笑親友はこれまでずっと努力をしてきて、去年、なりたかった職業に就く夢を叶えました!本当にかっこいいです。報告してくれた時は嬉しくてガッツポーズしたことを覚えています。お互い頑張ろうね(^^*)あすは、最近「つっつみー」というニックネームで呼んでいます、堤アナです!