遠足の思い出 梅島 三環子 2009/05/22 遠足というと、前日はなかなか寝付けず、かつ妙に早く起きてしまうような子供でした。遠足好きというか…勉強嫌いと言いましょうか。幼稚園に小学校、いろいろなところに出かけしました。基本は、山登りでしたが。ただ思い出と言って真っ先に思い出すのは、遠足に欠かせないお弁当です。私のお弁当は決まって、お寿司。母お手製の、太巻きとお稲荷さんでした。私は、この組み合わせが大好きだったので、母が朝からご飯を炊き、酢飯を作るわけです。もちろん朝食もこのお寿司。大好物を食べ、勢い勇んで出発していきます。ただ若干、山登りの遠足のあとには喉が渇くので、次はおにぎりでいいよと毎回思うのですが、言い忘れていたんですね。斜めがけにした水筒の中身を考慮しつつ、確実にお茶が足りなくなる恐怖感を覚えながら下山していた日が昨日のように思い出されます。先日、会社の先輩とかしましい感じの遠足に出かけてきました。ボートで巡る釜房湖は、インドネシアのようでした。行った事はありませんが。以上、遠足の思い出でした。来週からは、テーマが変わります。トップバッターは、早坂アナです♪
遠足の思い出 金澤 聡 2009/05/21 小5のときもそうですが、小学生のころは遠足があまり好きではありませんでした。特にバス遠足。小学生のとき乗り物酔いがひどくて、いつもバス移動の間は気持ち悪くならいことだけを祈っていました。色んな種類の酔い止め薬を試しましたが全く効き目なし。「梅干を食べると酔わない」という噂を信じてトライしますが効果なし。バスの前列に座って前方の眺めを見ていれば車酔いしにくいとよく言いますが、これもダメでした。バス後方で男女がにぎやかにしているのを、いつも指をくわえてというか、ハンカチを口に当てて聞いていました。バスガイドさんが綺麗だとか、楽しい人だとか、文通してみたいだとか、そんな友達の話の輪にも加われず寂しいものでした。遠足の目的地に着いたら即行でトイレに駆け込み、点呼の返事は力なく、友達が話しかけてくる言葉は『大丈夫?』のみ。ああつらい。移動はバスではなく電車にしてほしいと切に願っていました。ただ…、いつ車酔いしなくなったのか、これは記憶がありません。バス遠足の楽しい思い出も記憶にないですが…。成人になっても車酔いの名残があるようで、現在は船とヘリコプター(取材などで乗ったりしますが)は相当酔います。乗った瞬間気持ち悪くなります。遠足といえば楽しい思い出満載かと思いますが、すいません、私の場合はネガティブな思い出ばかりで。皆さんはどうぞどうぞ大いに楽しんで遠足に参加してください。私は無理でしたが…(恨んでませんから、決して、はい、たぶん)次回はラスト、梅島アナウンサーです。楽しい思い出で締めてくれると願っています。
遠足の思い出 寺田 早輪子 2009/05/20 『大きくなったら、バスガイドになりたいです!』小学校の卒業アルバムに、私はこう書いています。その思いを抱いたのは、小学6年生の時の遠足で出会ったバスガイドさんがきっかけ。6年4組担当のバスガイドさんは、今思えば20代前半くらいの、華奢で小柄なお姉さん。その顔立ち、ヘアスタイル、声……、全てが、私が当時大ファンだった『工藤静香さん』にそっっっくりだったのです!艶っぽい声での車内アナウンス…、「荷物にならないお土産を…」と言って披露した歌声…、優しい微笑み…。そのお姉さんの様子をじっと見つめていた私は、「こんなにステキな大人の女性になれるのならば、私もバスガイドになりたい!!」と思ったのでした。行楽日和の青空の下、芝生でお弁当を食べながら、「艶っぽい大人の女性になるぞ!」と決意を固めた小6の春の遠足の思い出でした。続いては、私が小1の時、小5だった金澤アナウンサーです!
遠足の思い出 佐藤 拓雄 2009/05/19 高尾山。東京都八王子市にある標高600メートルほどの山です。「ミシュランガイド」に載ったことで、このところやけにテレビで目にするようになりました。登山客がわんさか訪れて大混雑になっているとか。確かに都心から近くてお手軽ではありますが、そこまでありがたがる山でもないと思うんだけど。というのも、高尾山は僕のかつての地元と言ってもいい山で、中学時代の遠足が高尾山でした。八王子市の隣、多摩市から揃いのジャージ姿で大挙して京王線に乗り、「高尾山口駅」(「たかおさんぐちえき」と読みます)から頂上までひたすら歩き、弁当を食べて下山するという遠足でした。シンプル…。遠足以外でも、何度も家族で出かけた思い出のある山でもあります。そう言えば、自分が親になってから家族で登山に行ったことってないなあ。話がそれましたが、この高尾山登山遠足で学んだことで、今でも忘れないことが一つあります。「登山は降りるときの方がキツイ」ダメですか?ダメでもなんでもいいんですが、ともかく、この時、生まれて初めて「ひざが笑う」という感覚を味わいました。友達と競いながら下りたということもあったのでしょうが、600メートルの高尾山でも、なめたらいけません。なめたらいけない、と言えば、テレビでは、道を間違えて遭難しかかった人とか、家族とはぐれた人とか、頂上でビールをガンガン飲んだり、バーベキューに興じたりする人たちが映されていましたが、ミシュランに載ったからって、都心から1時間だからって、600メートルだからって、山は山です。近所を散歩するのとはワケが違うんです。ちなみに、大好きなドラマ「ふぞろいの林檎たち」で、高尾山に登るシーンがあります。「ワンゲル同好会オリーブ」の活動という名目ですが、お目当ての手塚理美と石原真理子が来ないことが分かって、時任三郎と柳沢慎吾がドタキャン。中井貴一が不本意ながら中島唱子と二人きりで登山するというお話でした。行きも帰りも京王線に乗ってたなあ。以上、遠足の思い出でした。(写真)新緑の季節、仙台放送前も緑が実にきれいです。寺田さんは、いつ頃の遠足の思い出でしょうか。
遠足の思い出 2009/05/18 遠足、それは「非日常」でありワクワクするイベントでありました。制服ではなく、私服で同級生に会うというのも新鮮に感じられる理由の1つだと思います!そして、持ち物が意外と気になるのですよね☆女子校だったため小学生とはいえ、お弁当箱だの水筒だの可愛いキャラクターのものが人気でよく母にねだったものです。今から考えると、ご飯が食べられて飲み物が入ればなんでもよいのですがね。兄のおさがりの魔法瓶を持っていくことになったとき、友達の前で水筒を出すのを躊躇した記憶があります。無機質で、銀色の魔法瓶。可愛さのかけらもありませんでした。でも帰宅して母が「麦茶、冷たいままでよかったでしょう?」と笑顔で言うので(そういえば、夕方でも冷たくて美味しかったなぁ…)と感謝しました。最近はペットボトルが流通していて大人も子供も、「外出したら飲み物はペットボトル」というのが当たり前になっている傾向があります。遠足にペットボトルというのは味気ないので、水筒の文化はずっと消えないでいてほしいと願う早坂でした…♪次回は佐藤アナの番です。
遠足の思い出 飯田 菜奈 2009/05/15 中学校、高校の遠足はなぜか毎年山登りでした。頂上目指して良い汗を流していたな~…一番思い出に残っていのは、小学校6年生の時に行った鎌倉遠足です!!鎌倉を訪れたのはその時が初めてでした。男女混合で5~6人のグループに分かれ、大仏様を目指してハイキング!!ゴールをしたら、大仏の前で記念写真をパチリ!達成感でいっぱいの清々しい表情…プラス『大仏ポーズ』で写真を撮ったことを覚えています!仲が良かった小学校のクラスメイトとの最後の遠足ということで、楽しくもあり、寂しくもあり…一瞬一瞬が思い出に残っているのです。鎌倉の大仏は「中に入れる!」ということにも感動したのを覚えています!その後は、紫陽花の季節に家族で一緒に訪れたり、大学時代は留学生の友達を案内してあげました。訪れるたびに、鎌倉遠足の思い出がよみがえります☆ 遠足のおやつに限らず…私にとって『チョコレート』は必需品です♪早坂さんの好きなお菓子は何ですか? お次は早坂アナの『遠足の思い出』です!☆写真は旅先で見つけた私の大好きな菜の花がいっぱいの花畑です☆
遠足の思い出 林 佳緒里 2009/05/14 遠足といえば、500円をもらって近くのお菓子屋さんにお菓子を買いに行くのも楽しみでしたが、母が作ってくれるお弁当も楽しみでした。今もどこかにお弁当を持っていく機会があると(ま、めったにありませんが…)、作るものがあります。それが母が作ってくれたお弁当に必ずと言っていいほど入っていたものです。それは…、(1)食紅でうっすらピンクに染めたゆでたうずら卵(2)イシイのおべんとうくんミートボール(3)ツナのおにぎり(1)と(2)は、1本の楊枝にさし、まるでだんご3兄弟のようにします。見た目にも綺麗で、友達からもピンクの卵ということでうらやましがられました。(母の工夫に感謝です)(3)は、ツナ缶のオイルをきり、ごはんと混ぜてにぎるだけです。今あるツナマヨおにぎりに通じるものがあります。我が家のは、マヨネーズは使いませんが…。その時は、何となしに食べていたお弁当。でもいざ自分でお弁当を作ろう!となると何を詰めるか迷ってしまうものです。そこで私にとってヒントになったのがこどもの時のお弁当なんですよね…。(1)の食紅で染めるのは手間がかかるのでしませんが、それ以外は、子供の時のそれと何もかわりません。手軽ですし、本当においしいです。みなさんも是非お試し下さい。★写真は、先日のアイスクリームの日、同期宅にお邪魔し、愛娘・ゆいちゃん(4歳)とアイスクリームをお腹一杯食べました。★好きな食べ物は?と聞いて、「お菓子」と答えた菜奈ちゃん!遠足に欠かさず持っていったお菓子は?明日は菜奈ちゃんです。
遠足の思い出 2009/05/13 「遠足」いい響きです。生まれ育った所から、遠足の地といいますと、東京都内か、少し足を延ばしても神奈川県内でしたか。そうそう、遠足の七不思議?を思い出しました。その1お弁当は、何故か?お稲荷さん。稲荷寿司です。もちろん自家製。何故か?包みは新聞紙。少々稲荷の染みが付いてしまうのでした。その2お稲荷さんのおかずは?どういう訳か、ゆで玉子。おかずというほどでもないですね。ゆで玉子 !!!! 豪華なメニューです。その3遠足のお菓子の定番は?どういう訳か、チューブ入りチョコレート。ご説明致しますと、謂わば、歯磨きチューブの中に練り製品のチョコレートが入っているのです。食べ方要注意です。その4小学校低学年の時は、どういう訳か、母親同伴でした。うちのお袋は、着物を着ていました。着物で遠足!歌舞伎見物のようです。粋です。ただ、これは時代が古いだけですね。その5水筒の魔法瓶のガラスが、どういう訳か、割れるのです。魔法瓶をカシャカシャさせて帰ります。ただの水筒は割れません。その6バスの中で、必ず酔う子がいます。行きは頑張るのですが……これは体質みたいなものもありますしね。実は私も乗り物にそんな強い方ではありませんでした。(マラソンや駅伝の移動中継車に乗るときは、酔い止め薬を飲んだこともありますから。これは大人になってからの話ですよ。)その7何でしたかね?古い話で忘れてしまいました。六不思議でご勘弁ください。あすは、林アナの「遠足物語」です。
遠足の思い出 2009/05/12 保育園から高校まで、色んなところに遠足へ行きました。中でも最も珍しい遠足の思い出といったら、間違いなくイラク・バクダッドに住んでいた時の遠足です。思い出といっても非常にあやふやですが、覚えているのはどこかの広場で、その中心に不思議な塔がありました。父も個人的に行った事があるらしく、写真はその時のものです。その形状は、まさにソフトクリーム。蟻んこがソフトクリームの周りを、てっぺん目指してグルグル登っていく。そんなアニメのような塔がイラクにありました。見るからに奇妙なこの塔の名前は通称『サマーラの塔』。サマーラはバグダッド北部の都市で、現在の正確な数字は分かりませんが人口は100万人以上です。サマーラはイスラム帝国の時代に栄え、実はこの塔はその時代の9世紀頃に建てられたということです。高さは約50m。遺跡の周囲を伝って幅約1.5mの通路が螺旋状に登っていき、登りつめた先の頂上部分は円形状になっていて、直径はわずか2~3メートルほど。なんとこの遺跡、今でも誰でも登ることが出来きるのです。そしてさらに驚くべきは、通路および頂上には柵や手すりが全くありません!人とすれ違うだけでも鳥肌が立ちますよね。子供にとっては少し風が吹いただけで危険です。恐らく私達は塔には登った記憶はありませんが、父は登ったようです。遺跡ということで、安全のための対策は一切講じられずそのままの形で姿を残しているのでしょう。その後、戦争の惨禍が襲ったイラクにもまだこの塔はあるのでしょうか?さて続いては、浅見さんの遠足です。どんな思い出がありますか?
遠足の思い出 2009/05/11 新緑の眩しい、気持ちの良い季節になりましたね~!ちょうど小中学校では遠足の時期でしょうか?前日にはワクワクドキドキして眠れない子もいることでしょう。と言うことで、今日から新テーマ『遠足の思い出』です。遠足と言えば、教室を飛び出して、海・山・川、動物園、水族館、美術館などなど自然や社会を肌で感じる学習のひとつ。子供心に、授業時間に遊びに行ける~!と嬉しくってしょうがありませんでした。さてそんな遠足に「おやつは300円まで」というルールがありませんでしたか?小学校低学年当時だと、ビックリマンチョコばかり買ってくる男子、おばあちゃん子の同級生は、煎餅やかりんとうといったかなり渋いお菓子しか持たせてもらえなかったり…その他チョコ、ボンタンアメ、フエガム、グミ…etcそんなお菓子たちを求めて300円を握り締め近所の駄菓子屋に走り、如何に多くのお菓子を買うかで頭を悩ませたものです。一番のお気に入りは人参を模した赤と緑のフィルムで包まれた「ポン菓子」、ヨーグルトの形をしたお菓子、そして、金額調整のためだけにあるのではないかと思うような5円チョコ。どちらかと言えば「遠足」そのものよりも、前日の駄菓子屋での苦悩の方がより思い出深いというのが何ともお恥ずかしい限りです(><;)さて明日は2年目の広瀬アナ!どんな遠足の思い出なのかしら?