アナ・ログ ~アナウンサーリレーエッセイ~

オリンピック

2009/09/28
テーマ「オリンピック」。アンカーの寺田早輪子です。
私が生まれた1976年。夏季五輪が開かれました。
「モントリオール五輪」です。

日本では、女子バレーボール、体操男子の塚原光男さんなどが金メダルを獲得したオリンピックです。

もちろん、私にはモントリオールオリンピックの記憶はございませんが、何か運命的なものを感じるのです。

なぜか。

「五輪」の「輪」は「早輪子」の「輪」( ̄▽ ̄ )!

「早輪子」という名前の由来は、「どこへ行っても、早く人との輪がつくれますように…」だと、勝手に思っているのですが…(親から聞かされていない)、「もしや…!?」と、思ってしまいます。


父がオリンピックに感動して、「輪」が入った名前に名付けたのだとしたら…、

「五輪子」(ごりんこ)という名前になっていたかも!

きゃー!!

おそまつ…(T0T)

★寺田早輪子出演・コンサートのお知らせです!!
『第4回仙台クラシックフェスティバル2009』
【キッズ大集合!「くるみ割り人形」】
世界的ピアニスト・三舩優子さんとともにお贈りする
「くるみ割り人形 朗読コンサート」。
私が朗読舞台に初挑戦します!お子様も3歳以上からお楽しみいただけます!ぜひ、お越しください!

①10月2日(金)12:40~13:40
②10月4日(日)11:20~12:20
会場:仙台市青葉区・仙台市青年文化センター
チケット:1500円
お問い合わせ:せんくらチケットインフォメーション 電話022-217-2505(平日9:30~17:30)

【せんくら公式HP】もご覧下さい!


★続いて、番宣!
10月10日 午後1時~ 寺田と広瀬アナが司会で、「みちのくよさこい祭り」特番 生中継です!
写真は、仙台城址で番宣撮影。広瀬アナと!
是非、ご覧下さい!!

オリンピック

2009/09/25
私の「オリンピック」は、スポーツのオリンピックではなく数学オリンピックです。高校で一時期熱中したことがありました。数学オリンピックは国内予選⇒国内大会⇒国際大会と進みます。
私はここに書くには恥ずかしい成績でしたが、友人には国際数学オリンピックでメダルを獲るような人が何人かいました。

彼らには、数学の天才ならではのエピソードがあります。
一緒にご飯を食べに行ってメニューを観ていると、やにわに『この店の品物を全て注文すると◎◎円になる』と言い出しました。
私がメニューにあるだしまき卵の味を想像している間に、彼らはそんな計算をしています。

そういった数学好き達の多くには、ある共通点がありました。幼い頃から“鉄道好き”だという人が非常に多いのです。鉄道好きには乗るのが好き、見るのが好きなど様々あるようですが、数学好きの好物はみな揃って時刻表です。
以前、何が面白いのか聞いたところ、『特急が、鈍行をどこで追い抜くのか考えるのが面白い』と話していました。おそらく彼らは頭の中に路線図を広げて、JR・私鉄・地下鉄の全ての電車を時刻表通りにヨーイドンで走らせて、何十何百もある全車両の動きをシミュレーションしているのだと思います。
ものすごい想像力です。

この想像力が数学にも影響を与えていると思います。
例えば“トラックの周りを走る駆けっこ”に関する文章題は、山手線が好きな子にはあまり抵抗がないかもしれません。
さらに、太陽の周りを回る星の動きも山手線と近いものがあります。「太陽系の惑星が、すべて一直線に並ぶのはいつ?」「皆既日食はいつ起きる?」といった問いは、山手線のちょっとした応用程度かもしれません。

時刻表を観ていると数学が得意になるのか、はたまた数学の才能がある子の目には時刻表が魅力的に映るのか、どちらか分かりません。ただ、「幼少時から数字の羅列を見渡していて、数字に対する抵抗感がなくなった」という話す人もいます。もし子供を数学の天才に育てたいならば、路線図と時刻表を渡してみるのも一計かも??

写真は「みちのくYOSAKOIまつり」(10月10日午後1時から生放送)のPRでのひとコマ。
次は、一緒にYOSAKOIをお送りする寺田さんです。

オリンピック

2009/09/24
あれは世界陸上でしたか…?
長嶋茂雄さんのミスター語録は大好きなので、ちゃんと把握してますよ♪

さて、私のオリンピックの思い出は、私が中学生のときの長野オリンピックです。授業中に学校の目の前を聖火ランナーが通過し、みんなで見ることができました。初めて、オリンピックを“生”で感じた瞬間でした。

静岡県の駿府城の内堀と外堀にちょうど挟まれて建っていた、私の母校。コースとなった外堀の周りには、たくさんの人がごったがえしていたので学校のベランダは、なかなかのビューポイントだったと思います。
朝から何時に通過するか確認し、授業中もそわそわ。
みんなもそうだったからでしょうか…。
先生に「もう見に行っていいよ」と言われ、教室を飛び出しました。しばらく待つと、ランナーがやってきて、なんだか勝手に拍手が沸いていた記憶があります。
いつも歩いている道に聖火がやってくるというのは、なんとも妙な気分でちょっと感動しました。

もう、聖火を見るチャンスは来ないかな?
我ながら、いい場所でいいものを見たなぁと思い出しました。

写真は、オリンピック級…!?
先日、取材中、日本最大級のトラクターに乗せていただきました。貴重ないい経験になったなぁと思います。

明日は、広瀬アナにバトンタッチです。

オリンピック

2009/09/23
オリンピックを強く意識したのは、小学6年生のとき、1984年ロサンゼルスオリンピックです。とにかく『アメリカってすごいな~』と思った大会でした。
開会式での『すごいな~』は、“ロケットマン”と呼ばれる宇宙服を着た人が地球上で遊泳したのを見て。
そして、『選手ですごいな~』と思ったのは、当時強いアメリカの象徴のような存在だった、“カール・ルイス”。100m、200m、走幅跳、男子4×100メートルリレーの4種目にエントリーし、全種目で金メダルを獲得。私の中での『カールすごいな~』は、走り幅跳びで『飛んでいるときに、空中を走っているようですごいな~』でした。
LAオリンピック後、学校のお昼休みは、幅跳びの砂場で友達と“空を駆ける”練習を始めるようになりました。スポーツショップに貼ってあったカールの幅跳びのポスターを眺める日々が始まりました。それでもなかなか“空駆ける”幅跳びはできませんでした。
友達にいたっては、髪型をカール同様の角刈りにしてきましたが、それでも出来ませんでした。

ウサイン・ボルトが100mで世界新を記録しましたが、私の中では、幅跳びで世界の頂点に立ち続けた『カール・ルイスの方がすごいな~』と何故だか思ってしまう、訳のわからない自分がいます。それほど、小学生のときのカール・ルイスの“走る跳躍”は強烈なインパクトだったのだと思います。
カール・ルイスよ永遠なれ。

次回は梅島アナウンサーです。『ヘイ!カール!!』事件は知ってます?

オリンピック

2009/09/22
佳緒里さんからバトンタッチ!

オリンピックと言うといよいよ来月2日に2016年夏季大会の開催地が決定しますね。候補地はシカゴ、東京、リオデジャネイロ、マドリード…。コンパクトな開催を挙げている東京はどうなるのか…非常に気になりますね~!

さてそのオリンピック。夏季・冬季とも4年に1度の開催ですね。幼心に、「運動会は毎年あるのにオリンピックはどうして毎年開催しないの?」少し大きくなってからは、「選手はそれぞれ体力・技術のピークもきっと違うだろうに、何だか不公平だな」なんて思っていました。
そんな中でも感動したのが、アテネ・北京と連続して金メダルを獲得した北島康介選手!1982年生まれの同じ年なのですが、ビッタリ(?)大会に照準を合わせたあのアスリート魂には尊敬以上のものを感じました(><)

さてさて…オリンピック憲章によりますと、この4年に1度の周期を【オリンピアード】と呼び「最初の1月1日から始まり、4年目の12月31日に終了する」と決まっているんだそうです。

4年に1度のオリンピック。選手の皆さんはその4年の周期の中で体力・技術など色んな事柄と闘っているわけで、その姿に私達は沢山の感動をするんだな~としみじみ思います。

次はどんなドラマがあるのでしょうか?今から楽しみです☆(^^)☆
※写真は先日釣りに興じた時のもの。釣れなかったですが…(汗)

お次は金澤さんです。宜しくお願いしま~す!

オリンピック

2009/09/21
オリンピック競技の中でも、特に楽しみなのが“シンクロナイズドスイミング”です。
私の印象に残っているシンンクロ選手は小谷実可子さん、奥野史子さんなど。華やかな髪飾りに水着。女性の美しさを最大限に生かした競技。日本が世界にその実力を示せる競技の一つでもあります。
そしてなんと言っても、身近な競技だということ。
というのも、女性?女の子?だったら必ずと言っても良いほど経験があるのではないではないでしょうか?
子供の時、プールに行っては、自分の鼻をつまんでプールに潜り、逆立ちをし、足を外にだす。その足を広げてみたりして。そう、シンクロ選手の気分を味わう!私はこれが楽しみでした。
家のお風呂でも試していました。といってもお風呂は狭くて本当に雰囲気だけですが。
子供でも身近に憧れを感じられる競技。魅力的です。
さすがに今は、プールに行く機会があっても恥ずかしくてシンクロの真似はできませんが、シンクロ競技だけは絶対に見逃すまいとテレビにかじりついて見ています。

★出産予定日まであと2週間ほどとなりました。体重管理はもちろん、最近は手足もむくみやすくなり、体調管理の難しさを痛感しています。妊婦はどうしても血流が悪くなり、排出機能も弱まるためむくみやすいそうですが、塩分控えめ、水分たっぷりの生活をとアドバイスをうけています。今まであまりむくみに悩んだ事はないんですが、妊娠というものは体そのものにいろんな変化をもたらします。(写真は買い揃えた帽子とミトン。手に収まるぐらいの小ささです)★

お次は、原ぽんのオリンピックストーリーです。

オリンピック

2009/09/18
『オリンピック』と聞いて思い出す感動のシーン、いろいろありますよね?
荒川静香さんの金メダルを獲った演技…などなど、私自身、心を動かされたこと、たくさんあります。

選手たちの活躍はもちろんですが、他にも私が注目しているものがあります!!………そう!オリンピックのテーマ曲♪です。

それぞれのテレビ局で、オリンピック情報を放送するとき…番組の始まりや、エンディングのときに流れる曲って、意外と印象に残ったしませんか??(^ ^)/♪

特に、番組のエンディングで、その日に行われた競技の名シーンとともに流れる曲。感動を引き立ててくれる…と言いますか、ジーンときてしまったり、「よし!私もやるぞ!」と元気をもらえたりします。

この局では、この曲を選んだのか… 比較してみると楽しいかもしれません!笑

オリンピックが終わってしばらくしてからその曲を耳にすると、「あ!これオリンピックのテーマ曲だった曲だ!」と同時に、あの時の感動がよみがえってくるのです。選手たちも頑張っていたから、私も頑張ろう~と思えたりします。

そんな私の大好きな曲は、ゆずの『栄光の架け橋』。

今まで頑張ってきたんだから、大丈夫…。
前だけを見て進めばいい…。
きっと明るい未来が待っている…。
背中をポンッと押してくれるような曲ですよね!

お次はもうすぐママになる林アナです。

オリンピック

2009/09/17
不思議なもので、オリンピック中継は、そのときの状況と一体になって、鮮明に思い出されます。

最初の記憶は、1984年のロサンゼルス。開会式の鮮烈な記憶です。めちゃめちゃカッコいいファンファーレ。空から降りてきた「ロケットマン」。
当時、高校1年生。吹奏楽部で、合宿中にこの開会式を見ました。早速ファンファーレを耳コピ、金管のみんなで吹きました。

次に記憶があるのは、1988年の冬季カルガリー。フィギュアスケート女子、カタリーナ・ビット選手や伊藤みどり選手を見ながら、「才能」とは、「芸術性」とは何だろう、ということを、音大受験生の自分に重ね合わせて考えていました。

同じ1988年の夏季、ソウルオリンピックは、ひどい扁桃腺炎で、水も飲めないほど喉が腫れ、うなりながら、男子マラソンを見ました。瀬古選手が結局入賞できなかった、ということを覚えています。

1992年バルセロナは、大学時代。ひとり暮らしのアパートで見た、バスケット、アメリカのドリームチーム。あまりにすごかった。それにしても、なぜビデオを録っていなかったのか、今考えても、自分の行動が不思議でなりません。のちに、NBA好き仲間からダビングしてもらいました。

1996年アトランタ。女子バスケで、日本が中国を破り、明け方のアパートで、ひとり大絶叫。

1998年長野。プレステの冬季オリンピックのゲームに夫婦で大盛り上がり。ジャンプ団体の涙の金メダルは、県警記者クラブ内で先輩と見ました。山下達郎「ヘロン」と、原田選手のろれつの回らないインタビューが、今も耳に残っています。

2004年アテネ。子どもたちのスイミングスクールの大先輩、森田智巳選手が背泳ぎで銅メダル。当時幼稚園児の長男を夜中に起こし、背泳ぎ決勝を一緒に見ました。写真は、その森田選手に見せていただいた、本物の銅メダルです。

2006年冬季トリノ。荒川静香選手の金メダルに、早朝の自宅で、今度は家族4人で大興奮、大絶叫。

なんだかまとまりのない内容ですが、自分の人生とともに、オリンピックを振り返ってみました。

続いては、新人の飯田アナウンサー。

オリンピック

2009/09/16
元オリンピック選手との思い出があります。

小学生の頃習っていた、新体操。コーチは元新体操選手の山崎浩子さん。ロサンゼルスオリンピックで8位入賞という日本人初の快挙を成し遂げた選手です。

小学2年生の私には、山崎先生に習うことのすごさがわからず、キビキビした動きの素敵な先生というイメージでした。

ある日、私が友人達と手具を持って体育館に行き準備体操をしようとしたら山崎先生は黙々とランニングをしていました。そしてお喋りをしながらストレッチを始めた私達。話が盛り上がるとボールやこん棒(クラブ)を使って相手をつついたりしてじゃれ合っていたのです。
すると先生は、こう注意しました。
「手具は友達であり、魂よ。もっと丁寧に扱わないとかわいそう」

そういわれて恥ずかしくなりました。ぞんざいに扱ったつもりはないのですが、そこにいた5人の少女は誰もが自分の行動を反省したのです。

よく野球少年は寝るときもボールとバットとグラブが一緒だなんて言いますが、どのスポーツも同じですね。自分の身体と心と道具を一体化させることが、まず大切な一歩なのかなと今更ながら思います。
ということは、私はゴルフボールと寝ればいいのかしら・・・(*^_^*)
ボールと友達!になればスコア更新もあるかもしれない♪

お次は佐藤アナの「オリンピック」です!
どんなエピソードでしょう?

オリンピック

2009/09/15
そうとか?そうでないとか?いや金澤アナ、そうなんです。
1964年の東京オリンピックがきっかけで、わたしのアナウンサー人生が始まったのです。
浅見少年には、大きなインパクトでした。
そんな分けで、きょうからのテーマは「オリンピック」にしましょう。

10月2日ですね。2016年の夏季オリンピックの開催地が決定します。東京・シカゴ・リオデジャネイロ・マドリードの4都市からの選考となります。先日、IOC評価委が報告書を公表しました。東京は予想以上に厳しい評価との見方でした。支持率の低さ、選手村などが懸念されれいるということです。日本オリンピック委員会としては、解決できる問題だとしています。

話を1964年に戻しましょう。
10月10日の開会式、前日の雨が嘘のような秋晴れになりました。開会式の実況は、北出清五郎アナウンサー。第1声は、例の!!!!!「世界中の秋晴れを東京に持ってきたような・・・・・・・・」ですね。ご存知ですね。以前にもアナログで書きましたね。浅見少年の心を直ぐに捉えました。「行進の先頭は、オリンピック発祥の地、ギリシャであります。」響きのいい実況ですね。(子供の癖に、偉そうなこと言うな!)
国立競技場に流れる古関裕而作曲の「オリンピックマーチ」は名曲です。最終聖火ランナーは、当時早稲田大学の学生だった坂井義則さん。後にフジテレビに入社し、スポーツ番組のプロデューサーに。駅伝やバレー中継で一緒にお仕事をさせてもらうとは夢にも思いませんでしたね。女子バレー決勝は、日本とソ連との女王対決。最後は、ソ連のオーバーネットで結着がつきました。放送の担当は、鈴木文弥アナウンサー。マッチポイントを握った日本に「ニッポン、金メダルポイントであります。」この実況にも浅見少年は大反応を示しました。金をとった日本チームも凄いが、この実況も凄い!!!!!
東京のみならず、まだまだオリンピック思い出話はあるのですが、字数制限のありますので、この辺で失礼します。


写真は、TOKYO2016招致のピンバッチです。
「水引」をデザインしいます。招致委の話によりますと「結び」は生命を生み出す新たな魂を意味しているということです。
オリンピックで世界を結ぶことが出来ますでしょうか。

あすは、早坂アナのオリンピック話です。