新元号 高橋 咲良 2019/05/21 令和のはじまりと共に、ついにはじめました、クラシックバレエ!このブログでも何度も、レッスンを再開したい・・・と言っていた気がします。4歳から高校卒業まで本格的に取り組み、大学時代も続けていたバレエ。ようやく再開することができました。およそ4年くらいのブランクがあったのですが、身体は覚えているものですね。音楽に合わせて踊れる幸せをかみしめていました。1時間ほどのレッスンを終えると、もうクタクタと思いきや、むしろ身体が軽い!爽快!しばらく運動をしていなかったので、久しぶりの感覚でした。しかし次の日からは、全身筋肉痛、地獄の1週間でした。いかに身体を動かしていなかったか、思い知りました・・・ただ2回目のレッスンの後は、筋肉痛になりませんでした!着々とあの頃の筋肉を取り戻しつつあります・・・令和の時代も、クラシックバレエは私になくてはならないものとなりそうです。趣味の面だけでなく!仕事の面も、もちろん充実させたいと思います。令和の時代も、私らしくがんばります!さて、明日からは新しいお題です。トップバッターは西ノ入アナウンサーです(*^^*)
新元号 梅島 三環子 2019/05/20 平成から令和へ。元号が変わるタイミングで陶芸に初挑戦。令和という文字を大きく記した平皿を作ってみました。取材です。また平成に企画され、令和で商品化される塩釜の海保カレーというものを食べてみました。写真の巡視船の中で食べられているという絶品カレー。これも取材です。また令和に入ってからは、これまた塩釜で江戸時代後期・弘化2年創業老舗の味噌・醤油店で、味噌ジェラートを食べてきました。GW期間中の取材です。新元号・令和でも、たくさん実りある取材ができますように(笑)。プライベートでは、平成最後の夜に平成で一番通ったであろう居酒屋さんに家族で行きました。頼むもの頼むもの、ほとんど息子にとられ平成に生まれた息子の成長を感じた瞬間でした。令和は、どんな時代にしましょうか。皆が、たくさん笑うことができる時代にしたいものです。このお題も、明日でラスト。さくらちゃんです。
新元号 牧 広大 2019/05/17 令和になっておよそ2週間が過ぎました。平成生まれの私にとって、初めて元号が変わる瞬間を体感しましたが、どこか年越しと似たような感覚もあり、わくわくする気持ちと、生まれて育った平成が終わるさみしさを実感していました。ただ日常生活では大きな変化はありません。令和になって生活が激変、という方のほうが少ないと思いますが令和になった実感というのもあまり沸かず、平成が終わったという実感も沸かず、というのが正直な気持ちです。令和に結婚したカップルや令和生まれの赤ちゃんなど、身近にいればまた違うのかもしれませんが、「あ、令和になったなー」と思うことがほとんどないこの頃です。無理に意識するものではないと思いますが(笑)ただ元号が変わり、気持ちを新たにと思うこともあると思います。私も仕事は今まで以上に頑張ろうとか、趣味のゴルフはベストスコア更新を目指そうとか、定期的にジムに通おうとか、自炊のレパートリーを増やそうとか、やりたいことはたくさんあります。何事も3日坊主にならず、太く長く続けられるように!平成がそうだったというわけではないと言いたいですが(笑)続いては梅島アナです!
新元号 下山 由城 2019/05/16 なんだかもう“令和”にすっかり慣れました。不思議なものです。響きもしっくりきます。平成から令和に変わる瞬間はどう過ごしましたか?私の平成最後の日は休みだったので、友人らとお酒を楽しみながら過ごしました。ひたすら“平成最後”と“令和最初”を連呼していた気がします。令和になって1番最初にやったことは乾杯です。思い出しやすいですね(笑)昭和63年生まれなので、令和突入により3つの元号を生きたことになります。私が昭和のときにやっていたことなんて、寝るか泣くかの2択のようなものだったことでしょう。それでも昭和を生きたことに間違いはありません。効率がいいですね。1988年世代である我々は、まさに平成とともに歩みを進めてきました。平成7年と言われれば7歳のときだし、平成20年といえば成人したときだという、わかりやすい感じです。幼少期、青春時代、就職活動、社会人生活…人生における重要な期間を過ごしたのが平成でした。ありがとう平成。いろいろありすぎたけど楽しかったよ!令和も張り切っていきましょう。では令和1発目の写真は日本酒でいきます。令和になってから仙台のお店で飲ませていただきました。秋田の日本酒『山本 純米大吟醸 神力』です。秋田の酒蔵さんが、熊本の米を使って作りました。3年前の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城の復旧支援のためにできたチャリティ酒なのだそうです。飲んで貢献!素晴らしい。黒いラベルに力強い赤い文字というだけで惚れますが、よくよく見るとそれとなく『くまモン』カラー感…!(違うかもしれませんが笑) ジュワッとくる舌触りが心地よく、旨味と甘みのバランスが絶妙でした。令和もたくさんのおいしいお酒に出会えますように!お次は牧アナウンサーです。
新元号 飯田 菜奈 2019/05/15 “平成”が終わり、“令和”が始まりました。4月中は「平成最後の○○○」というフレーズをよく耳にし、私自身も、友人と会う時など、「今日が平成最後の食事だね。今度会う時は令和になってからだね!」などと話をしていました。平成も残すところあと○○日… ○○時間… ○○秒…と、カウントダウンをしながら迎えた、元号が変わるタイミング。2018年から2019年へ変わる時とどこか同じような、違うような...似ているけれど、重みも感じるような、不思議な感覚でした。日本人として生まれたからこそ体感できる、一つの区切り。新しい時代の始まり…。ワクワクしますよね !!!!!日常生活に大きな変化があったかというと、正直なところ、そうではないですが…変わるような気がする!変わると期待したい!と、つい思ってしまいます。でもそれは、結局、自分次第なのかなとも思います。新しい時代が始まったことを“きっかけ”に、新しいことに挑戦する!平成より、ちょっとだけ頑張る!そうすると、日常や自分自身の中でも変化が得られそうですよね!平成にやり残したことはないですが、令和にやりたいことはたくさんあります。令和元年の一日一日を、大切に過ごしていきたいと思います。★写真★中村かおりさんとの2ショット!令和も、ミミヨリマーケットをよろしくお願いします。お次は、下山アナです!
新元号 佐藤 拓雄 2019/05/14 新元号のお祭り騒ぎをよそに、日常生活に変わりはないことを実感しているのは、私だけでしょうか。確かに、「平成」というくくりで自分の過去を振り返ってみれば、大学に入って仙台に来て、就職して、家族を持って、という人生の節目がつまった31年間ではありました。ただ、それも、後から振り返るとこうだ、というだけであって、元号が変わったからと言って、その元号でくくる時代を「このような時代に」というように、新しい何かを期待することには、どこか違和感があります。そんな何となくモヤモヤした感じでいた改元前後、新聞に、「あしたのジョー」などを描いた漫画家のちばてつやさんの言葉がありました。それは、「元号が変わっても、ずっと「戦後」であってほしい」というものでした。本当にその通りだと思いました。「平和」という抽象的なものでなく、「ずっと「戦後」」。なんと核心を突いた言葉でしょう。「戦後」をずっと続けていくこと。これこそ、元号が変わっても絶対にリセットしてはいけないことであり、今を生きる私たちの忘れてはいけないことだと気づかされました。【写真】は、ゴールデンウイークのある日、仙台市内の某公園で。こんな日常がずっと続くように、ずっと「戦後」でありますように。明日は、飯田アナウンサーです。
新元号 西ノ入 菜月 2019/05/13 ついにこの時が...!!「平成」から「令和」へと時代が変わりました。平成7年生まれの私ですが、ハイテクな令和の時代にしっかりついていけるのでしょうか...。先日も家のテレビが突然つかなくなり、直し方もわからなくて1日無音で過ごすレベル...。先が思いやられますね。写真は平成最後の「MiMiよりマーケット」収録後に撮っていただいたものです 笑プロデューサーさんが用意してくださいました 笑令和の仙台放送も何卒よろしくお願いいたします!明日は佐藤アナウンサーです。
新元号 金澤 聡 2019/05/10 生まれは昭和、入社は平成8年です。新人の堤アナウンサーの生まれは平成8年です。時代の流れの速さに驚き、自分との年齢のギャップに悲哀を感じて「令和」を迎えました。平成生まれの息子たちは新元号に代わることを敏感に感じていました。近所の和菓子屋さんが平成31年の4月に「令和まんじゅう」を発売すると、子供たちはどうしても食べたいと懇願。平成最後の日4月30日は、『元号が変わる瞬間まで起きていていい?お願い!』と切なる願いを訴えてきました。自分誕生が刻まれた「平成」から「令和」へ。自分史の大きな変化の瞬間に立ち会いたいという子供たちの強い思い。その懇願する子供たちの横で、「令和」初日が早朝勤務の私は夢心地。翌日…。新人の堤アナウンサーは、「令和」になって仙台放送では最初にニュースを読んだアナウンサーとなりました。その姿を見ている私。昭和生まれで平成8年入社が、平成8年生まれのアナウンサーのニュースを令和初日に見守るという構図。感慨深い令和の朝になりました。写真は、近所の和菓子屋さんの『令和まんじゅう』です。次は西ノ入アナウンサーです。
新元号 堤 勇高 2019/05/09 「昭和レトロ」とか「大正ロマン」といった「元号+○○」の形をとった言葉があります。昭和レトロの方にははっきりとした定義がないようですが、広く捉えれば二つとも「その時代らしさのある文化」などをあらわした言葉のようです。平成のイメージや文化などに対してはどのような名前がつくのでしょうか。私が一番に思い付いたのは「平成サイバー」ですが、令和のほうが「サイバー」な時代になる気もします。そもそも平成がどのような特徴をもっていたか、すなわち「平成らしさ」は令和の時代をしばらく過ごすまでわからないのかもしれません。そんな「平成らしさ」が憧れや懐古の対象である場合はいいのですが、私は最近、マイナス要素にもなるのではと密かに心配しています。例えば「あの人、平成だよね」や「平成くさい」といった言葉。昭和に流行った言葉を使う人が「昭和な人だ」「昭和くさい言葉」などと指摘をされる場面を皆さんも一度は見たことがあると思います。昭和という元号に時代遅れというニュアンスをつけて使うということです。この流れを考えると「平成くさい」「考え方が平成」などといった言葉が十数年後には一般的になっているのかもしれません。自分が生まれ、成長した時代の元号がこのような使われ方をするのは、ちょっと複雑な思いです。新元号になった以上、「平成くさい」と言われないよう頑張ろうと思います。写真は私の平成最後の旅行となった松島の写真です。雨の日が多かったゴールデンウィーク中でしたがこの日はよく晴れ、福浦橋の赤もよく映えました!次は金澤アナウンサーです。
新元号 寺田 早輪子 2019/05/08 令和元年。今日から始まる新しいお題は…、『新元号』。トップバッターの寺田です♪「昭和」から「平成」に元号が変わった時、私は小学6年生。もうすぐ冬休みも終わるという頃でした。連日、テレビでは「天皇崩御」のニュースが流れ、こども心に「歴史的転換に今、生きているのだ」と感じたことを覚えています。大人になったら、こうなりたい、ああなりたいと夢を見た「昭和」。平成元年に中学生になり、高校、大学と、挫折も味わいました。それでも、平成11年。夢に見た「アナウンサー」に。厳しい現実に打ちのめされそうになったことも何度もありましたが、それでも、背中を押してくれたのは、これまで出会うことができたたくさんの方々からの言葉でした。「平成」では息子も授かりました。新しい時代「令和」を歩く彼らに、前を向く力になる言葉や安心感をプレゼントしていきたいと感じます。「令和」を築くのが今の子供たちなのだとしたら、「令和」の土台は、私たちが作っていくのだと思います。「平成」での経験を、「令和」で活かす。これが私の「平成」を生きた証かと、時代の節目に、ふとそんなことを思ってみました。※写真は…、気仙沼市立月立小学校の旧校舎。「令和」にもつないでいきたいほっとする風景♪アナ・ログ。続いては、令和元年の新人アナウンサー!堤勇高さんです。